オメデタイのに心配

いつも以上にグイグイ仕事をすすめた一日。久しぶりに夕食前に帰宅。

今日は長男の入社式。帰宅後、どんな話をするのか興味があり、グイグイのおかげで雰囲気は察することができた。

会社を選んでいる過程は垣間見ていたが、それほど興味がないフリをしてきた。そもそも会社を選ぶまでの道のりを考えると感謝しかなかったというのが正直なところ。

自分で選んだ道なので、自分なりに歩んで行くことを信じて見守りたい。

とは言うものの、やはり心配。とにかく心配なのである。

あれこれ先回りすると本人も不安になるだろうから黙っているが、正直なところ、つまり心配。

先日、運転免許をとったばかり、車の運転をはじめたのは5日前。会社でご無礼などあっても親が代わって頭を下げることもできない。

今まで厳しく躾けてこなかったツケが私の心を不安にさせる。

「親思う心にまさる親心」というが、今頃になってのその気持ちがわかり、私自身も随分と両親に心配をかけたと反省したりもしてみる。

新しい出発を祝うような満開の桜。今年の桜は「そろそろ見ごろね」をすっ飛ばし一気に満開になった。

街中を花弁がピングで覆うが、この「一気に満開」というのが心に引っかかり、おめでたい気分が半減し不安な気持ちが過ぎったりもする。

昨年は夏の暑さが長引き、徹底的な冬の寒さは先日まで。息つく暇もなく桜が満開になり、次の季節がすぐそこまできている焦りを感じる。

こんな気持ちで桜を見るとピングが目に刺さるようだ・・・。ちょと大袈裟に心配しすぎか。

長男のことも、桜の満開も、私ひとりの力ではどうにも出来ない不安や心配だが、時節に任せて自分に出来ることを精一杯取り組むしかない。

金光さまのみ教えの中に「心配する心で信心せよ」とある。

心配や不安は人に向けることなく、まっすぐと神さんに向けられるような自分でありたい。

あだちまさし。