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背骨

僕が中学三年のとき、親友の一つ年下の弟シンジロウが悪性の骨肉腫のため急逝した。僕がはじめて経験した友人との辛く悲しい別れである。

親友の彼は古いコトバで言えば「番長」で、熱血漢で男気がある彼を慕う僕ら大勢は「中二病」のヤンチャ盛り。彼の家に入り浸っては思いつく限りの悪さに明け暮れていた頃、突然、弟のシンちゃんが自宅療養と入院を繰り返すようになり衰弱していった。「コツニクシュ」という病名は早い時期から知らされていたが、まさか一年足らずでシンちゃんの命を奪う病だとは想像すらしなかった。

番長と二人での下校中に「長くはない」と知らされた時のショック。受け容れ難い事実を知った上でシンちゃんを大勢で囲んでの食事会では、十五歳の僕たちは悲しみを堪えて笑顔をつくるのが精一杯だった。底が抜けたように泣いた葬儀で、棺を見送る際に流れた長渕剛が唄う「とんぼ」は、いま聴いても、生きたくても生きることが出来なかったシンちゃんを思い出させてくれ、シンちゃんの分まで「しっかり生きなければ」と背骨のあたりをグッと熱くさせてくれる。これは僕に限ったことではなく、中二病を一緒に過ごした仲間は多かれ少なかれそうだと思う。

僕は高校卒業以来、番長やご両親とは疎遠だったが、十数年前に子ども達のサッカーが縁で再会し、以前と同じようにお互いに行き来するようになった。以来、シンちゃんの仏前は僕のパワースポットとなり、ときどき仕事の合間をぬって、仏前で線香をあげるのが心のリフレッシュになっている。

ご両親と僕の歳の差には変わりがないが、生きることが叶わなかったシンちゃんにはもったいないぐらい、お互いにずいぶんと歳をとった。僕は当時のご両親の年齢を、僕の子ども達はシンちゃんの年齢を追い越した。ご両親の年齢を通過してみて感じるのは、シンちゃんが骨肉腫と診断されてから亡くなるまで、一年足らず間のご両親の苦しみや悲しみ。そして今まで毎日欠かさず語りかけられる姿を見て、親の強さとやさしさに魅せられたとき、やはり「しっかり生きなければ」と、背筋を正される思いがするのである。

今月十五日はシンちゃんの三十三回忌。いままでご両親や僕たちの心に生き続けてくれたことに感謝し、これからの行く末を光り照らして導いてくれるよう願って、花を供えた。

2020.11.25 あだちまさし