月別アーカイブ: 2014年10月

台風20号が発生

10月も終わろうとしているさきほど、台風20号が発生した。

今朝のラジオ「すっぴん」でリスナーからメール投稿があり、車をとめて書き留めた。

他人と過去は変えられないが、自分と未来は変えられる。

昔の失敗を悔やむことが多く、わたしと周囲の人との価値観などの違いを感じることもあり、この言葉は「なるほど」と腹におちた。
かなり疲れて周南市から戻った。犬たちと遊んでいると気持ちも体も元気になるから不思議。高齢でたくさん問題をかかえている太郎さんが、弱った足でも散歩をしてくれる。
きのう菊川でおおきな渋柿を20個とらせてもらった。今夜はウィスキー45度で、あわせ柿をつくる。もちろんウィスキーを楽しみながら。
明日は土曜日のコースに加えて下関がある。

朝寝坊のワケ

万一の目覚ましは4時セット。目覚まし前には起きるが、今朝は目覚ましを止めて二度寝をして5時に起きた。「超」がつく忙しさの木曜日に不覚をとった。
毎日夕方、ハッピーは放している。適当に運動して夕飯に戻る。しかし昨夜は山で動く動物に反応して、山ふかく入り吠える声が山を移動していた。大声で呼んでも戻らない。
猟期スタートは11月からだから猪ワナはまだ仕掛けられていないと思うが、もしワイヤーのワナがあり足にかかれば、以前に太郎さんが二晩ワナに前足をとられ大騒動したことを思い出した。もう放すことはやめようと決めた。
9時まで待っても戻らないから、作業場の戸を少しあけ、餌さと水をハッピーの寝床の横に置いて布団に入った。山からハッピーの吠える声が聞こえて心配で寝つけない。
12時に目が覚めたので階段をおりてみたら、餌さと水は空になりハッピーは出ていた。
ハッピーは野良犬だったので犬小屋に入ることは今でもない。いつでも逃げたり、攻撃ができるように四方が見える体制で丸くなり寝る。夜露がおりる草むらでも寝ることは平気。吠える声が聞こえないからどこかで寝ているのだろうとあきらめた。
2時半に目が覚めた。おりてみたがハッピーはいない。懐中電灯を持って出て見たら、座ってわたしを見ているハッピーの目が赤く輝いた「もう戻ってこい」と頼むように声をかけたら小走りで来た。夜露で濡れていた。
繋いでタオルケットで拭いて生卵を2個食べさせた。それから本格的に寝ることができた。毎朝、ハッピーはわたしの顔を舐める。その舌が今朝は熱を感じた。放して野犬時代を思い出させて悪かったと反省した。
弁当をつくる時間がなく、きょうは下関のコンビニでサンドイッチを買った。
美祢の「よしの」は、短時間で完売の記録を更新中。それが憂うつそうな夫婦は「常連さんが来られたときの売り切れは申し訳がない」来週はお休み水曜日の前日も臨時休業にして夫婦で温泉に体を休めに行きたい。その相談を受けていろいろ提案した。
きょう9時から、衆議院予算委員会の集中審議がラジオでも中継された。トップバッターは河村建夫代議士。金と政治問題で法案審議が停滞しないよう、総理の基本的姿勢をただすお役目をベテランらしい質疑をされた。
痒みの「はなちゃん」は薬がよく効き、ばあちゃんが、薬だけをわたしが買うのも悪いから車を頼んで診察に行って薬をもらう。と言われたから30日分の1800円を預り夕方の最後に買いに行った。
5時前、農園近くのバス停で、一日働いてベンチに腰を下ろしているみゆきちゃんがいた。配達でいただいたお菓子、缶コーヒーにミカンなどを渡した。喋ることはできないが、笑顔で喜びは受け取れた。

うっかりが多発

配達先を素通りして戻ったり、配達の卵を積みわすれたり、老眼のせいもあるけれど受信メールの読み間違い。約束を直前に気がつき慌てるなど、お客さまや周囲の人に迷惑をかける場面が最近多くなってきた。こんな気持ちになる年齢になったのだろう。
今朝も冷え込んだ。4時に布団から出て、水曜日のスタート6時半まで朝食に弁当。犬の世話(太郎さんは特別食)に卵の準備と慌ただしい時間だった。
7時まえに吉部八幡宮に朝参り。宮司と挨拶ができた。母と家族に農園が1週間過ごせたお礼を申し上げ。祖霊殿の西君に農園をお守りいただいている御礼と、一回でよいから宝くじを当ててくれと拝礼。
水曜日の楽しみは今村家。卵の仕事をしていなければご縁がなかったご夫婦ともにすばらしい人物。
わたしが座る椅子も用意され裏庭で3人でいろいろ会話に花が咲く。ご主人の畑と陶器談義は奥がふかい。競技かるたHPにリンクしている「緑々(ろくろく)商会」のHPに今村さんの陶器ギャラリーがあるときいた。
夕食でガスのグリルで魚を焼いた。食べ終わり食器と一緒にグリルの網などを洗い、乾燥のため着火していたら忘れていた。自動消火で事なきを得た。
運転には気をつけなければいけないと肝に命じた。

太郎さん快方にむかう

今朝は5度。寒かった。
コピーをとりたい資料6枚がありコンビニのコピー機を使った。取り出したら10枚ちかくあり、しかもカラーコピー。わたしの6枚以外は若いカップルがシンガポールの旅を楽しんだカメラのプリント。マーライオンを背景に楽しそうな場面。ホテルの写真もあった。カラープリントはそのままにして店を出た。しかし、うっかりにしては度がすぎる忘れ物。
朝は寒かったが昼間の山口市内は気温があがり、少し汗ばむぐらいの陽気になった。
ラジオからは、閣僚の政治資金のニュースばかり。
わたしは前の仕事のとき2回(3回?)税務調査を受けた。出張先でタクシーを使い、その領収書がないときは否認するぐらい細かい調べ方だった。
そのぐらい世間の経営者は経理に神経を使うが政治家は、深夜の記者会見で「亡き妻が経理責任をしていたので」と亡き妻に責任を持たせる。部下や妻の責任をとるのがあんたじゃないか。
わたしが期待していたいまの政権は、景気はさっぱりよくない。閣僚の不祥事。今度は酒税に目をつけた。煙草や酒など、1日働いた体をほぐす庶民の楽しみ、年金は目減りする。酒と煙草に財源を求める手法は下手な政治家としか思えない。
夕方、放すことにしているハッピーが山で動く動物に反応して山に入った。真っ暗な山でハッピーがさかんに吠えて移動していた。
怪我をしたら困るので放すことはやめようと反省した。さきほど7時すぎにヘトヘトに疲れて戻った。
太郎さんの容態は山をこえて快方にむかっている。食欲が出た。歩きに力が出てきた。

猿がどうしたん

きょうも宇部市防災メールが「西岐波(わたしの自宅地域)で猿の目撃情報」と着信した「それがどうしたん」といつも思う。
農園周辺では、ほとんどの住人、通学の子供も猿ぐらいはいつも見ているが、わざわざ「猿を見ました」と市役所に連絡はしない。
それと「変な人を見たら通報」の看板も「意味がよくわからん」
そもそも「変な人」が理解できない。防災メールで「不審者が子供に声をかけました」もよく着信のパターン。
わたしは配達のとき、遊んでいる子供や通学の子供によく声をかける。犯人はわたしかもわからない。

美祢市の山あいを配達。猟をするお宅に配達したら猪を解体中「持って帰らんか」と、まだ生々しい肉のブロックをふたつラップしてくれた。両方で3〜4キロの重さと感じた「バラ肉のええのがとれたら買わせてください」この会話をしておけば鍋でも焼いても最高の肉を買うことができる。売り手と買い手の秋の挨拶。

きのう介護病棟に移った母。はじめて介護病棟に行った。歩けない。食べられない。意識がない。そのような方がベッドに寝かされている。四人部屋の母の部屋も、みなさんうつろな目をしている。母は、まだ自力で食べるし、私に「気をつけて」と声をかける。
医療技術の進歩は、ほんとうに当事者に幸せなのかを考えている。わたしは、感情がなくなり、すべて他人の介助で生きたいとは全く思わない。
母のことで病院からよばれて家内が夕方行ってくれた。

運転免許の更新

運転免許証の更新時期になっている。きょうは済ませようと寝床を離れた。
8時に山口市内の配達をして、免許更新会場に近い散髪屋に飛び込んだ。客がいなくて9時過ぎにさっぱりした。午前の更新受付リミットは9時半だが近いので余裕で受付ゴール。
日曜日に運転免許の更新ができる会場はここだけ。平日に更新ができない人が県内全域から集まり、広い駐車場は満車状態でそうとう端のほうに空きがあった。
会場は祭りのような人混み。わたしは人混みに酔うような気持ちになるので苦手。
あまりに講習の人が多く講習は二回にわけられてわたしは遅い組になる。最初の組が終わるまで1時間をどう使うか。車にもどりタブレットで産経新聞をゆっくり読んだ。
講習は1時間。義務的につまらない講義を、5年に一度のノルマと思うように、眠気で頭を揺らしながら義務的に受講する面々。
わたしは。これが人生最後の免許更新と思いながら眠気に耐えた。
お昼前に、散髪をすませた写真の免許証を手にした。
5時に朝ごはんを食べたので空腹。せっかくだから母の昼ごはんにつきあおうと30分走った。
母は5階の病棟から2階の介護病棟に移されていた。4人部屋はみなさん動けない人。意識のない人もいる。

たくさんの病院や施設をめぐった母のゴールかもわからない。
母も散髪をしてもらいすっきりしていた。
わたしの昼ごはんは、1時すぎに農園にもどり缶2本がお供。3時まで熟睡の昼寝ができた。

丁寧な仕事をボクはやる

山口市内スーパーマーケット荷受け開始8時に、業者のなかで最初の納品。次は、中国山地をまたいで日本海の萩市まで約1時間。
AM・FMラジオの受信はよくないからタブレットで快適に楽しむのはNHK「ラジオ文芸館(短編名作の朗読)」
今朝は「滴(したた)る汗」藤沢周平。
完全犯罪の殺人をやったと思ったが、自慢の煙草入れの根付けが折れていた。
この場面で作品は終わるが、現場に落とした根付けの半分。もう逃げられない主人公が、あぶら汗を滴らせている場面が見えてくる。
書き手の力をつよく感じた。

萩から長門。美祢を配達のとき、開店30分前の「よしの」に立ち寄った。先日WOWOシネマ(わたしは視聴契約していない)で「永遠の0」が放送されたのを、わたしが好きだろうとCDに焼いてくださったお客さまがいた。
映画館で観たほどの臨場感はないけれど、原作を読んだ感動を思い出させる。店主に「観るかね」と声をかけたら顔がほころんだ。
熱血テレビのあとの日曜日。開店前から行列ができたらしい。その後も2時間以内に完売が続いている。
「うどんの仕込みを増やせばよいのに」と言えば「ボクは丁寧な仕事をやりたい」と胸をはるところが私は好き。
農園に昼前にもどり、化膿で片方の目のしたが腫れている太郎さんが寄ってきた。そのとき腫れが破れてたくさんの血と膿がこぼれた。これで治すことができる。獣医が注射で化膿した患部にうつ薬品が冷蔵庫にある。
注射器でゴム詮から少量抜き取り、針をとって傷口にかけた。先日、抗生剤内服薬を買いに行ったとき使用期限が今年末までの薬品をもらった。
午後から2時間も昼寝ができた。

美祢の夫婦うどん

美祢市うどん「よしの」が、先週金曜日の夕方熱血テレビで紹介された。アナウンサー・制作責任者とカメラの3名が6時間を費やして取材されたと店主は放送前に期待(長時間の特番)して笑みをうかべた。
けれども放送時間は2分ぐらいのショートバージョンだった。
店主にすれば「あれだけの時間取材したのに」の気持ちが言葉にチラチラでた。わたしは2分ぐらいの番組感想を話した。
実に「よしの」がわかる内容だった。短い時間に圧縮するほど余分なモノが取り払われる。
食べ終わった客2名の感想が冒頭に出た。下関市からわざわざ食べに来た1名。讃岐に行かないでも本物のうどんを食べられると話した1名。実は店の外で食べ終わった客の大勢にマイクが向けられ、感想をセレクトして2名になった。客の言葉としてはインパクトがある。
次に店主。
讃岐で修行はしたがボクは美祢うどんをめざしている。
お客さまが喜ぶ姿をえがいて定年前に生保支店長を辞め讃岐に修行に出た。やりたい仕事にめぐりあえました。
これだけで視聴者に「よしの」はじゅうぶん伝わったと思う。ダラダラ長い映像は意味がない。
実は、わたしが言葉にしなかった気持ちは、麺とだし汁が揃っているからですよ。
わたしがタイトルをつければ「美祢の夫婦うどん」そんなことをおもっている。
周南市からさきほど戻り、気になる太郎さんの腫れをみた。内服薬は効いているが、まだ快方にむかっているようには見えない。薬を1錠投薬した。
今朝は寒かったが、昼間は暑くてクーラーをつけた。
明日は早朝から萩市の土曜日。午後は昼寝ができる。今夜も早く寝よう。

とてつも寒い

きのう関東は寒い雨だったらしい。早朝のテレビニュースがそれを伝えた。街角インタビューは夕暮れの都心、家路を急ぐ30代に見える男性にマイクがむけられた「とてつも寒いです!」本を読まなくなった日本人は異国の言葉をつかう。こんな世相にガッカリ。
きょうは2軒新規の個人宅配達があった。1軒目は8時過ぎの住宅街。この時間にロスタイムがあると夕方まで配達時間に影響がある。タブレットの地図情報は目的地を示している。問題は一方通行と朝の混雑。はじめての道を道路標識に最大注意をはらい到着することができた。あとの新規1軒は午後の山あいだから心配はなく着ける。
きょうハイライトは、痒みで辛い「はなちゃん」に宅配した薬の効き目。もし亡くなっていたら辛い場面になるだろうと案じながら玄関を開けた。ばあちゃんが最高の笑顔で迎えてくれた。
夕方1錠の2錠目で痒みがまったくなくなり、死んでいるかのように長い時間熟睡ができた。夜中に痒がる「はなちゃん」を抱いて途方にくれたばあちゃんも久しぶりに熟睡できた。
ばあちゃんと玄関で話していたら白内障で失明している「はなちゃん」が、3ヶ月ぶりに小走りでわたしに飛びついてきた。嬉しいときは上を向いて吠える。それをやった。
ばあちゃんは手をたたいて喜んだ。痒みをとるだけで根本的な治療ではないことを、もう一度ばあちゃんに説明した。
配達を全部すませて、きのう太郎さんの内服薬を買った獣医さんに立ち寄り、痒みがとれたお礼を申し上げた「ご心配でした」と喜ばれた。ばあちゃんが薬を買いに来れないので、今後わたしが中継する手はずを決めた「で、化膿どめは効きますか」と尋ねられて太郎さんを思い出した。
きのう1錠投薬。今朝は両目下の化膿による腫れはあるが食欲が出た。旺盛に。約1時間かけてサンマの頭と尾に内臓のスープ(サンマの圧力煮を家内がつくる残り)をかけたドックフードを食べたお礼を申し上げた。
高齢者(母)・犬が元気にはちきれるような奇跡なないが、おだやかな日々を過ごす手伝いがしたい。

太郎さん治りますように

太郎さん(ビーグル20歳)。歯肉炎が定期的に悪化して化膿する。放置しておくと腫れが大きくなり目の下あたりの皮膚から膿が出る。その傷口に抗生剤入りの軟膏を塗れば回復する。根本的な治療にはならないが。
太郎さんの歯は全部ある。けれども長寿が災いして?歯石が大量についている。この年齢で歯石の除去で麻酔をうつほうがリスクになる。くわえて太郎さんは車酔いがはげしい。
約1週間、今回の腫れ具合を観察していたら、いつもは1ヶ所の腫れが今回は両目の下2ヶ所が腫れてきた。
たぶん食べると痛いのだろう食べなくなった。大好物のパンを牛乳でひたして食べさせるとなんとか1日命をつなぐほどは食べる。
前回も内服の抗生剤を10日与えて皮膚から膿が出ることはおさえた。診察もしないで、体重は約13キロ。歯肉炎が化膿しているから内服薬の抗生剤を出してくれないか。
それが言える獣医さんは、明日の木曜日配達コースだが、きょう配達をすませて片道40分走り薬を買わせてもらった。
農園にもどり、なにより先に太郎さんの口に1錠押し込みパンを食べさせた。

松原酒店が「これはガッン!と本物の芋焼酎」と自信の宮崎県須木村の「山猪(やまじし)」これをある方からいただき昨夜飲みほした。これまで気がつかなかったラベルの活字は
●興味本位で購入される方はご遠慮ください。
●二段割りもおすすめです。
まるで脱法ハーブの袋に似合いそう能書き。今度この謎の印刷を聞いてみよう。

今朝の吉部八幡宮朝参り。おつとめの宮司と出会った。秋祭りが話題に。

太郎さん体調すぐれない

帝都、東京を明治頃から撮影した白黒フィルムが発見された。
写真家、土門拳の作品は白黒フィルムで筑豊炭鉱の子供たちの表情ゆたかに撮されていたことを思い出す。
けれども、カラー映像には白黒とはちがう説得力があり、NHKの技術力は白黒フィルムをデジタルにおとし、カラー化する世界的な技術力がある。
数年前、第一次世界大戦のヨーロッパ戦線をを撮影した白黒フィルムをカラー化して放映された。カーキ色の軍服や負傷者の映像はカラーなればこその説得力を感じた。
今回の東京フィルム。関東大震災の惨状と東京大空襲が至近距離で撮影され、災害と戦争がそこで生きる人々にもたらす不幸が痛いほど伝わった。
大震災からいち早く復興を遂げた東京。銀座を闊歩するモダンガールたちもカラーで見ればよりモダンになる。建築物、服装、車や荷車などそれぞれの専門家が考証してカラー化されている。
なかでも印象的な映像は、大震災直後の米や水に整然と並ぶ長蛇の人々。もちろんはみ出して動物のように振る舞う人もいたと思うが、大多数の人々は殺到しないで列をつくっていた。
神戸の震災でも、自衛隊の給水車が避難所に着いたら、地域の人々がポリタンクや鍋などを持って並んだ。列の途中でタンクの水がなくなったとき自衛隊員が頭をさげたがパニックはなかった。
生きる作法、心の作法というのだろうか、日本人らしさを、見ていたわたしは誇らしく思った。
きょうはむし暑い火曜日。日中はクーラーをつけて山口市内を走った。
高齢犬の太郎さん。半年サイクルで口や鼻の奥が化膿する。最近、また顔が腫れている。膿が出るまで放置して、傷痕に抗生剤を塗ると治りは早い。けれども腫れたら食べにくいようなので、木曜日に内服薬の抗生剤を10日分買ってこようと思う。

松村御大の偉業

月曜日のスタートは岡本拓也さんのお宅。今朝は「松村御大が、きのう100キロ完歩された」が挨拶になった。詳しくわからないが、名古屋で100キロを歩く催しがあり、われらが松村御大がエントリーされ26時間で完歩された。
年齢はこの場合問題ではない。わたしが40代で5日で250キロ、日向路を歩いた。12時間(約50キロ)歩くと、足の裏や関節が悲鳴をあげて「もう歩けない」「いや、もう少し頑張れる」と心が会話をはじめる。
今夜の宿泊を予定していた町に50キロ歩いて着いた。宿は満室で泊まれない。タクシーに尋ねたら「5キロ先の旅館なら空き部屋がある」と調べてくれた。その、たった5キロを歩く気力がなくタクシーを使った。
毎年春の海峡ウォークは何度か松村御大と歩かせていただいた。30キロを約5時間で歩くぐらいはできる。
50キロから御大は地獄をみただろう(御大は以前も九州で100キロを完歩の勲章あり)
拓也さんと、9月にうまれた。山羊の子供が走りまわる姿をながめていたら、拓也さんに御大から着信。会話が終わったあと「出勤しておられる」と拓也さん。ふたりで驚いた。
下関市観光コンベンション協会が「究極の味わい、豪華に、贅沢に」と銘打ったカラーのパンフレットには食通が通う和洋のお店が15店紹介されていた。寿司・割烹(浪花)を含めて、お客さまのお店が3店登場していた。
午前の小渕経産大臣。午後から松島法務大臣「ネギ」と「うちわ」で辞任。ふたりの記者会見をラジオで聴いた。松島さんは終始「問題はないが、国会の停滞を招いてはならないから辞表」と相変わらず幼稚な発言。この程度を大臣に起用した総理の責任はある。

母がわたしを心配してくれる

朝食をすませ、入れ歯を洗うためはずされた母が、部屋に入ったわたしに手をあげてしゃべったが不明瞭な発音でわからない。
周防灘のあたたかい陽射しが母のベッドまで届き、気持ちがよくて目をとじる。
椅子に腰かけて会話にベルトをかけようと、話題をあれこれきり出したが反応がよくない「何年、工学部(山大)で働いたかね」と尋ねたら「36年」とすぐに返事をした。33歳でわたしの母になる前から工学部の電話交換手で俸職(母は就職とは言わない)のちに、電話が自動交換器になり用務員になり、わたしを育てあげた。母の生涯はわたしを育てるためだった。
山口市内の配達が気になり別れを言うと「帰らんでほしい」と哀願されて椅子に戻った。ウトウトしている間に部屋を出ることは出来るが、それは出来ないから「仕事に行くから」と言ったら「それかね、運転に気をつけて」と手をあげた。
7月から使いはじめたタブレット。毎朝の無料新聞各紙が便利で満足していた。けれども最近、このような情報のとりかたに疑問がうまれてきた。
例えば産経新聞。読まれているニュースが、アクセス順位で並び「いま読まれているニュース」のタイトルになっている。
つまり、上位から読んでおけば「世間並の情報」を読んだことになり、世間並の顔で1日を過ごす。
いま、わたしの関心のひとつは、小笠原諸島に中国漁船が大挙して侵入し赤珊瑚を根こそぎ盗っている。四国の沖でもあるらしい。
尖閣諸島の接続水域を航行したぐらいではない。日本領海を船団をくんで侵犯する犯罪行為が横行しているが、メディアは、まるで報道が規制されているがごとく沈黙をしている。メディアは国策の尖兵となる。情報は操られるから幅広く読まなければならない。
夕方から藤野先生主宰「数楽(すうがく)の会」テーマは「養老猛司先生の講演を聞いて」わたしは聴講抽選に外れたが藤野先生夫妻は聴講が当たられた。そのお裾分けを聴かせていただき有意義な時間を過ごした。

土曜日の幸せは缶

お客さまの知り合いに、農園の玉子を差し上げたら「わたしも配達してもらえないか」と言われたと電話があった。いまはタブレットがあるので、即座に地図を調べたら配達コースからあまり外れない木曜日コース。
「行けますよ」と返事をして、その方の電話番号を聞いた「足が不自由ですから受話器まで時間がかかります」とつけ加えられた。
電話が通じてお届け個数を確認したら「6個ください」6個のパックもあるから了解した「友達に4個あげるからね」で会話が終わった。
では、あの方は1週間で2個食べるのだろうか?と疑問がうまれた。間違いなくわたしの尋ねかたが悪く「10個入りのパックがおいくつでしょうか」と具体的に聞くべきだった。60個を用意して行こう。
痒みの「はなちゃん」のおばあさんに、薬の説明がしたいので電話をしたが、何度しても呼び出し音だけで出てくれない。最後の手段で、歩いて5分ぐらいの近所のお客さまに電話に出るよう伝えに行ってもらった。
ばあちゃんが電話に出ない理由は「俺オレ詐欺が怖いから出ないことにしています」ならば、電話がある意味がわからないが。

きのうラジオで久しぶりに大笑いした。リスナーの目撃情報で、押し車で歩いていたおばあさんが若者シャツを着ており、背中に「喧嘩上等!」の太文字プリントがあった。
それを受けた次のリスナーが、近所のばあちゃんが孫が野球部で着ていたユニフォームを着て畑仕事、背中の番号は「1」

土曜日を終えて、夕食をつくるまえ、2本目のアルミ缶をあけて、窓から草刈りをおえた場所をハッピーが走りまわり、転がりまわるようすをながめている。缶が2本になったのは1週間働き終えた満足の乾杯。
幸せな夕暮れまえ。

人生の扉

皮膚病の痒さで弱りきっている「はなちゃん」に痒みがとまる内服薬を宅配するまえ、ばあちゃんに念を押しておかねばならないことがある。
わたしの、根本的な治療は望まないけれど、痒さをまぎらわすために骨がみえるほど噛む、その痒さをとめたい。犬も診ないで「体重は」と薬の量を決めるために問われた「5キロから3キロの間です」と、わたしの目分量で薬が決まった。
今朝ばあちゃんに。万が一送る痒みどめの薬で問題がおきても、善意の獣医さんに責任を言わないように。
愛犬の体重は何キロかとたずねたら「元気なときは5キロありました。いまはずいぶん軽くなりました」の返答を確認して「明日には宅配で薬が届きますから」と伝えた。途方にくれていたから、ばあちゃんの「ありがとう」の声が涙でつまった。
高齢だから奇跡はおこりようもない。せめて20日分の薬で楽になればよい。効けば今度は買って行く。

昨夜の録画。SONGS「竹内まりや」は期待どおりだった(深夜2時に再生した)
平成19年の4月。SONGS第一回目が竹内まりや。この一回目で歌ったのは一曲だけ「人生の扉」30分をついやして彼女がこの曲にたどりつくプロセスが伝わった。
大学時代から扉があき50歳代まで、女として、母として、さらに自立した女性として番組のとらえかたは、まさにデニムが使い込むほどに味わいがうまれる。それが理解できた構成になっていた。
平成17年。松たか子に提供した楽曲「みんなひとり」について、二人がこの曲についての想いを便箋で交わした映像もありよかった。
わたしも、若いころは考えもしなかった「寿命」を考えることが最近多くなり、なおさら人生の扉が愛おしく耳に残った。
明日の法事で家内は「たつの市」に里帰り。

はなちゃんが心配

朝3時まえ、部屋が冷えて目がさめた。昨夜の録画「弓道」番組を再生した。
毎年、弓道の聖地「明治神宮」で催される天皇杯に挑む人がクローズアップ。驚いたことは名人(8段)は、暗闇のなかで的を正確に射抜く技があること。的に向かい射る「かたち」が決まればよい。つまり「型」こそが命。
それを、合気道を極めようと日々精進される「よしの」の店主に話したら「うん」と言った。「道(空手道・合気道・弓道・柔道)など」は乱取りや組み手で勝敗を決めることにおもむきをおかずに、基本の型が正しくできるほうが、勝敗より大切だと言われた。勝てばよい、では「道」にはならない。たしかに相撲も勝ちかたにわたしは関心がある。
菊川の老犬「はなちゃん」白内障がすすみ、両目は失明し痒くてならない病で苦しんでいる。ばあちゃんがペットクリニックに連れて行けない気持ちは、わたしは痛いほどわかる。
わたしの愛犬「はなちゃん」も高齢で皮膚病。クリニックの待合室に連れて入るには遠慮があり、駐車場にとめた車に先生に来てもらい診ていただいた。
ばあちゃんの「はなちゃん」は、痒くてたまらないから噛む、血が出て骨が出るほど噛んでいる。痒いより痛いほうが楽だから。ばあちゃんは途方にくれていた。
わたしの愛犬4頭と、彦島のお客さまの1頭あわせて5頭のフィラリア予防薬を買いに美祢市の動物病院に立ち寄った。わたしの「はなちゃん」の心配に内服薬の痒みどめを「使ってみなさい」と無料で半月ぶんをくださった。明日の宅配で届ける。

金曜日の予約録画

農園入り口に渋柿の巨木がそびえている。10年まえ、地域のばあちゃんがタマゴを買いに来たとき「わたしが嫁に来たときも、この柿の木は大きなかった」と話された。100年近くの樹齢かもわからない。正月のお飾りにつかうような小さい渋柿がたくさん実る。先日の台風で熟したものがたくさん落下した。
深夜に健太とハッピーが階下で激しく吠えて目がさめた。農園生活を長くしておれば吠えるワケは布団のなかでもわかる。

3時に目がさめた。寒くて我慢できないので、この秋はじめてエアコンを暖房運転をした。扇風機もまだしまっていないのに。
犬たちの運動に懐中電灯で出た5時。落下した柿は予想どおりタヌキが全部きれいに食べてくれていた。

昨夜が抽選の宝くじ(ミニロト)を、吉部八幡宮の朝参りを済ませて携帯電話(みずほ銀行サイト)で祈りながら確認したが、今回もおかげはなかった。まぁよい。一回当たればよいのだから。
金曜日のテレビ番組予約は。
BSプレミアム午前0時「SONGS」の竹内まりや 。再放送だから「深秋」や「ウィスキーがお好きでしょ」はないけれど「人生の扉」や「駅」はあるかもしれない。
夕方の「熱血テレビ」は美祢市の「よしの」保険会社の支店長で高松市に赴き「うどん」に道を外した人物の物語が紹介される。
マスコミは「道を外した」の視点だろうが、わたしも吉野さんも「外した」と思ったことはない。やって「よかった」と、転職を語れる仲間である。

焼酎をグイッと

山口市内、夕方開店の飲食店にお昼前いつものように配達。シャッターの合鍵は預かっている。
シャッターを開けて、戸を開けようとしたらいつもより少し重い、その重さを感じながら開けたらガッチャーン!と激しい音がした。グラスや食器が床に落ちたことは容易に想像できた。
テーブルが戸に少し当たっており、わたしがテーブルを傾けたので爪楊枝、割り箸、取り皿、ラー油や酢醤油などが床に散乱した。
配達のなかで最悪の様相が目の前に酢醤油の臭いとともにひろがった。
散乱したものを片付ける方法が思いつかない。まだ半分以上も配達が残り時間指定もある。とにかく現場で店のオーナーに電話をしたが留守番電話。言い訳は一切しなかった「わたしの不注意でお店の什器を壊しました。弁償させていただきます」と留守番電話にメッセージを入れて、散乱した現場を放置して出た。
とにかく、早く配達を終えて、お店のスタッフがこの散乱した現場は目撃して不愉快な気持ちになる前に掃除だけはしよう。
とても急ぎ足で配達を済ませ、2時過ぎにお店に戻った。アルミ缶を集めるビニール袋とタマゴの段ボール箱を持って店内に入り、割れた食器や爪楊枝に割り箸などを丁寧に集めて袋に入れた。
トイレからトイレットペーパーを拝借して、汚れたテーブルや椅子を拭いた。
もう一度オーナーに電話をしたが通じない。楽しみの「山田まりあ」ラジオも聴く気持ちになれない。お店にご迷惑をかけたことが鉛のように気持ちを重くした。
農園にもどり、もう一度オーナーとお店の両方に電話をしたがつながらない。
さきほどオーナーから電話をいただいた。
わたしの不注意で、お店のみなさんに不愉快な思いをさせたことを意を尽くしてお詫びした。
オーナーは、昨夜からお店の改装が始まり、電気工事業者がテーブルを動かした。だから戸がテーブルに当たってしまったと話された。
続いての言葉に驚いた。足立さんが店内に入るとき開かない戸に苦労され、テーブルのものが落ちて散乱しましたね。そのまま放置されて店を出て、午後から店に戻り掃除をされるようすを店内カメラの録画で見ました。謝るのはお店ののほうです。
1日つかえていたものが溶けて焼酎をグイッとコップであおった。

台風の月曜日

台風の横風にあおられて、速度をずいぶん落とした月曜日の配達を無事に終えた。
夕方、台風の中心は四国にあるらしいが、7トンの飼料タンクを不気味に揺らす暴風は止まない。窓から山を見ていたら杉が真ん中から折れた。
家内は自宅に戻る運転に身の危険を感じて、今夜は農園に泊まる。
朝、美祢市や秋芳の梨園にはまだたくさんの梨が枝にあった。連休の営業が予定どおりにできなかった観光地など、無情の台風はまだ荒れている。

日曜日は母の相手

8時に5階の母の部屋。窓から望める周防灘は、台風の接近で白波がたちはじめていた。スプーンを上手に使い三種類の食器に盛られた朝食を全部食べた。以前は「朝はパンが食べたい」と言って特別にパンだったが、ここでは希望は聞いてもらえないし、家族が食べ物を持ち込むこともできない。
甘えられない環境に順応してたくましく毎日を過ごしている。尿の管がはずされ、決まった時間のオムツ交換も気にならない。
7月末に深刻な状況になり、たくさんの飲み薬は「もう飲まなくてよいでしょう」と医師が決断して、なんと薬を飲まないことが効をそうした。足が萎えた以外は近年のなかで一番元気と思われる。
椅子に腰かけて話し相手をした。
山口市内の配達から戻りトイレと風呂掃除をした。
気になる台風19号。わたしの予測では、勢力はどんどん落ちてくるような、報道されるほどではないように思う。

大きな鯖が900円

今年の最強クラス台風が接近している。
20数年前、宇部に被害をもたらした「18号」と「19号」は、前の自宅の屋根を飛ばしたり、新築の自宅の壁に近所の屋根瓦が突き刺さり被害甚大だった。2回とも釣り船「赤トンボ」は岸壁などに当たり修理代がかかり釣りをやめて船舶免許は処分した。
農園をはじめて間もないときも強い台風が吹き荒れ鶏舎の屋根がほとんど飛び去った。台風はないほうがよいけれど自然の営みは受け入れないと。
農園で一番やっかいなものはエサのタンク。4本の脚で約7トンの餌を支えている。基礎工事はないので重量で風に持ちこたえる。
このタンクは、わたしの住居そばにあり倒れたら家屋を破壊する。いま餌は満タンで風にそなえている。
土曜日の配達先、仙崎近くの朝市に立ち寄ったら、刺身OKの大きな鯖が900円。今夜はひとりだから買えなかった。
昼にロングの缶1本飲んで横になったら3時間も寝ていた。

母は元気

昨夜録画した「地球いちばん」を目がさめた。3時から再生して見た。
余談になるが木曜日の朝も早く目がさめて、テーブルのコップに水を入れて飲んだら、前夜飲まなかった芋焼酎がたくさんあり朝酒になった。今朝は慎重に水を飲んだ。
太平洋のかなた、トラック島から船をチャーターして行くことができる島々があり、そこにも人々が営みを続けていた。
簡単そうなヨットで太平洋を自在に行き来する知恵を彼らは持っており「ポー」と呼ばれるリーダーがその頂点にいた。
海流、星座、風に鳥の動きを読みながら精度のたかい航海術を身につけていた。ポーがつぶやいた言葉が印象的だった。
エンジンの船は燃料が切れたらガラクタ。我々の帆船は地球のどこにでも間違いなく行ける。
私たちが営んでいる文明、文化は発電がとまれば何日も続かない危うさのなかにあることがよく理解できた。
金曜日の新南陽市を終えた。とにかく暑かった。
夕方、母を見舞いに行った家内から「尿の管がとれた」オムツになったらしい。

竹炭酢が効いた!

運転免許証の更新通知ハガキが届いた。この度は違反がひとつあり(携帯電話)講習が1時間義務になっている。18歳で普通免許を取得して、相当長い距離を走ったが、今回は更新しないと仕事にならないから手続きには行くが、これで更新は終わりにする。
お客さまのご紹介で「小月ホースパーク(乗馬倶楽部)」をさがしてお届けに行った。輝くような毛並みでスタイル抜群の馬たちを、初めて近くで見た。顔を撫でさせてもらった。やさしいおおきな瞳を見たから馬刺は食べられないかもわからない。
木曜日。菊川町の室内犬「はなちゃん」は、白内障で失明している高齢犬。獣医さんの皮膚病治療がおもわしくなく、痒みより痛みのほうが我慢できるらしく噛んで傷をひろげていた。民間療法を試してみるかねと、ばあちゃんに話して、殺菌の「湯の花」を持参したが効き目がない。次に竹炭を焼くときとれる「竹炭酢(岡本拓也さんルート)」を持参して2週間目「痒いところが枯れはじめました」と、ばあちゃんが喜びを伝えてくれた。
痒くないから「噛む」自虐行為はおさまり、夜は眠れるようになったらしい。ばあちゃんと「はなちゃん」が楽になった。
台風19号の進路が、山口県直撃コースから変わった。それにしても大東島や沖縄諸島で生活される人々に被害がないことを祈るばかり。

今朝は10度

2時。寒くて目がさめた。掛け布団を一枚追加し、階下で寝ている寒がり犬のハッピーにもタオルケットをかけた。早朝5時の外気は10度と冷え込んだ。
月曜日は今村さんを訪ねるのが楽しみ。今朝はご主人健康診断でお留守。奥さまがきょうも携帯電話を握って忙しいようす。
来年、世界スカウトジャンボリーで「お坊さんめくり」ワークショップを計画されており、プログラムや運営費の捻出などで奔走中。くわえて、来年秋の「ねんりんピック山口大会」競技かるたの準備も平行しているらしい(詳細・山口県かるた協会ホームページ)。
今朝走りまわるのは、長崎で被爆されたおばさんが「あの戦争を生き抜いて 私の戦争体験記 松島愛子」を出版され、読売新聞紙上で紹介されたことでNHKラジオが取材に来るので、一人暮らしのおばさんに付き添うと出かける前だった。
今村夫妻が気持ちがよいのは、いつも自分のことより人の役にたつことに本気に取り組まれるところである。
台風19号は最強クラスに発達して山口県をめざしている予報になった。

肌寒さの朝

涼しさというより肌寒さをおぼえた今朝だった。
夏は長雨とむし暑さで、歩く距離が減りベルトの穴の位置がひと目盛り広くなった。
もとの穴の位置に戻すため今朝も長い距離を配達前に歩いた。
参議院の質疑が終日ラジオ放送され聞きながら火曜日を走った。
野党民主党はさまざまな切り口で安倍政権に挑んだ。特に女性閣僚には厳しいように思った。
蓮舫議員が法務大臣が配布した「うちわ」を選挙法に抵触していると、いつもの口調で追求。法務大臣は当然答弁に窮した。
わたしは聞いていて情けないと感じた。たしかに「うちわ」の配布が問題ならサラリと問題提議して大局的な論戦をするべきで、閣僚のあら探しに精力を使うやり方は国の利益にならない。午後から山谷大臣にもスキャンダルめいたことばかりを追求した。この場の論点はヘイトスピーチだった。
総理も先日、衆議院質疑の前原さんに「前政権のときは」と、民主党を上から目線でみた発言をやり、きょう参議院でも福山議員の質問に「前政権では」を再び使い、横綱相撲ではないと思ったのは私だけではないと思う。
消費税をまた引き上げようとするとき、国民が納得できる国会質疑を与野党で展開してほしいものである。
涼しくなり、晩酌はビール抜きで焼酎でもよくなった。

台風一過

三田市のKさんから昨夜メールが届いたが考えこんで返信できなかった。
地域の「だんじり祭り」で山車が神社手水場に当たり、建物が壊れ見物客の女性が亡くなり多数の怪我人が出た。その事故現場にKさん家族が遭遇した。
それがメールの内容だった。
わたしが好きな祭りで何度も足を運んだ「藤崎宮大祭」20年以上前は「ぼした祭り」と呼ばれていた。加藤清正公が朝鮮を滅ぼしたという凱旋祭りで「ぼした」火の国、熊本市がエキサイトする9月の祭り。
市内の町内ごとに男女の若者が飾った馬を先頭にラッパや太鼓などを賑やかに鳴らしながら「どうかい!どうかい!」と馬を追いたてる。最初に見たころは馬を青竹で叩き、興奮した馬は見物客の中に飛び込み暴れる場面もあり、そのスリルは胸が踊るような気がした。
いまは、韓国に配慮して「ぼした」はやめて「藤崎宮大祭」になり、動物愛護で馬を叩くことは法度になった。
宮崎の温泉で病原菌問題がおきて、温泉を薬剤で殺菌することになった(硫黄成分の温泉は免除?)先日、一番風呂に入った湯田温泉もプールの臭いがした。
厳かな神事と荒っぽい神事の両方が日本の祭り。
神事ががどんどん規制されて味気ない内容にならないようにと私は思う。
台風一過。早朝の農園地域の気温は11度の予報になった。

生かされた命

母が朝食を全部食べてから会話を始めた。きょうは千家さんの結婚式だが、千家さんを知っているか。と尋ねてみたら「そりゃ大社の千家かね」と即座に答えたのには驚いた。出雲で生まれ、出雲で育ったから、このへんの記憶はすばらしい。
配達を済ませて散髪に行った。最近いつも言われる白髪を染めないかをまた言われた「白髪ぼかし」もあるらしい。鏡にうつる白髪頭をみながら「ぼかし」をやってみようかと一瞬思ったが「また今度」と返事をした。
農園にもどり缶を2本のみながら「会津白虎隊の残映」がタイトルの番組をみた。
舞台は、あす(月曜日)の配達先、美祢市小杉の高見のばあちゃん宅。
会津白虎隊士(15〜16歳)は鶴ヶ城をのぞむ飯盛山で自決した。なかで一人生存した少年がいた。飯沼貞吉である。他の隊士は切腹したが貞定吉は喉を突いた。瀕死の少年を介抱したのは、小杉村の殿様楢崎頼三。少年をひそかに小杉まで連れて帰り、庄屋の高見(ばあちゃんの家)に預けた。
何年か経ったとき、高見の家に村人が集まった席で貞吉に「貞吉。生きちょってえかったの」と言われたとき、貞吉は隊士と死にきれなかった恥を、そして宿敵の長州に助けられた恥を「よかったの」で感じて表に飛び出し死のうとした。
それを制した高見の人が「おまえは生き残ったのではない。生かされたのだぞ」と諭した。以後、貞吉は勉学に励んだ。
その貞吉の末裔、飯沼一元さん(71歳)は、東北で被災して学費に困窮している若者を奨学金で(返済なし)支えるNPO法人「海の会」を主宰されている。
録画をしたので、会津とご縁が深い松原酒店に持参しよう。

午後から草刈り

きのう周南市のスーパーに買い物に行ったとき、レジに並ぶまで財布と思って名刺入れをポケットに入れていた。
今朝は、洗面所で歯ブラシに洗剤をつけた。口に入れる前に気がついた。
こんな失敗が最近多くなった。

母が介護認定「5」になった。近々に介護病棟に入る。約5年のあいだに、さまざまな症状が出て、騒いだり泣いたりしてわたしたち夫婦を翻弄させた。病院や介護施設を転々とした。この母のおかげで老人介護制度も理解できるようになった。長生きすればお金がかかる現実も学んだ。
介護病棟に移ればもう移ることはない。
最近、甘いものが食べたくてしかたがない。病棟の職員さんみなさんに「甘いものが食べたい」と訴えている。患者に食べ物は、様ざまな理由で禁止されているが、明日の朝は甘いものを口に入れてやろう。

午後から草刈りでしっかり汗をかいた。刈った面積は春まで放置できるから嬉しい。

次の人生どう生きるか

きのう「よしの」が熱血テレビで10日の放映とアップしましたが、17日に変更になりました。

若いころ知り合いが家族で運送業をされていた。経営者は中国戦線で陸軍歩兵として武勲をあげたじいちゃん。長男は50歳ぐらいだったろうか。じいちゃん社長が長寿で現役バリバリ。長男の経営者としての黄金時代をじいちゃんが押さえているように私には見えていた。
農園は正志が登記では経営者。けれども私の存在は実質の経営者にはなれない。早く引退することが正志が自分の黄金時代をつくる元気になる。失敗しても全力を出したなら、次でなんとかなる。
正志の経営について細かく言わないことに心がけてきた。
なんとか自立できる(私ら夫婦を必要としない)と判断したときすっぱり辞めたい。
公的年金が目減りする。だから、少しの仕事をして僅かでも農園から収入を得る道を選択したほうがよいとアドバイスをくださる人もある。僅かな収入のために農園に居りたいとは思わない。
もう一回、生きる志しをたてて歩みたいと、毎日考えるようになった。

熱血テレビ!

小月の吉田、東行庵近くの「しみず茶房」は木曜日の午後1時を配達目標にしている。定刻に着いた。
たしか3年まえだった。松村御大が海峡フルマラソンを完走された手記をコピーで奥さまに渡した。
手記は、ルールの6時間直前に涙のゴールが書かれていた。清水さん夫妻は「走ろう」と読まれて決めた。
ご主人は地域の子供サッカーを指導するスポーツマン。そのご主人の伴走で毎朝10キロのトレーニングがはじまった。お子さんは結婚されている夫妻の年齢。
ご主人は海峡フルマラソンを4時間だいで走り、奥さまは6時間少しまえにゴール。
今年の海峡マラソン(11月)もふたりで走る予定で早朝の10キロ。先週「熱血テレビ」から、今回のマラソン取材の申し出があり引き受けた。放映日が決まったら日記でお知らせします。
美祢の「よしの」は3時すぎに着く「熱血テレビ」があす取材に来て放映は10日。
熱血の話題で木曜日が終わった。
最近気になるが、よくわからないニュースをその業界の方に(お客さま)尋ねた。
太陽光や風力発電の電気を電力会社が相次いで買わない決定をしている。
政策としてスタートした事業が頓挫のようすになる。要は電力会社と政府の意見のすり合わせが当初うまく運んでいなかったことが理解できた。
お客さまから教えていただくこと多し。

Eテレおもしろい

きのう夕方栗拾いをした。睡眠剤で眠たくなるまで鬼皮剥きを、ウィスキーをチビチビ舐めながらやった。約1時間で全部剥き終わり、後片付けをして布団を敷いた。朝起きたら右手が栗剥き疲れで痛いところがたくさん。配達に出る前に、外につないだハッピーの側に網の容器に入れて乾燥準備「イノシンに盗られるなよ」と激励した。
最近、Eテレ番組を録画することが多くなった。スマホやタブレットの操作番組は、勉強は苦手のわたしでも、今はタブレットの目的意識があるからどんどん理解できる。
もうひとつお気に入り録画番組は、100分で名著「般若心経」がわたしに、この年齢になってやっと生きることを、知りたいと思わせるバネになっている。先週は(無が教えるやさしさ)今朝は(見えない力を信じる)をテーマに、力強い静かな口調でわかりやすい。今朝の(見えない力を)は、朝ごはんと弁当づくりをしながら背中で聴いた(録画)般若心経の意味を理解してから唱えよう。そうではなく、意味はわからないけれども唱える。これでよい。つまり理屈をこえた世界。
わたしは、わたしなりの理解で。自動車の走る、止まる、曲がる構造がわからなくても、手と足を使えば車は目的地に走ってくれる。コンピューターも同じように。
わたしの頭を活性化してくれるテレビ番組はたくさんある。
第23回世界スカウトジャンボリーが来年の夏に山口県で開催される。わたしにとっては「あっ、そうですか」のイベント。けれども「お坊さんめくり」を全世界にひろめたい、もとカルタクイーンの今村美智子さんが、この場をかりてのワークショップ「お坊さんめくり」を公式行事に入れた。
わたしは「お坊さんめくり」には正直あんまり関心はないが、今村さんの鼻息には無関心ではおられない。
英会話のできるボランティアを「足立さんさがしてください」美人の水元さん。卵のお客さまで下関市の奥さまが「やりましょう」と賛同してくださった。日程があえば、庄原市議会議員で、酔ったら英語になる信友でお掃除仲間にも、この際お願いしてみよう。