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長い箸

趣味を聞かれると「読書」というほど本は読まないが、何かと活字に触れると、気持ちが落ち着くような気がする。最近は、なかなかまとまった時間がとれないので、短編やエッセイ集などページをすすめやすい本を何冊か手が届くところへ置いている。

そんな中、数年前から長く手もとに置いているのが「座右の寓話(戸田智弘著)」。副題に「ものの見方が変わる」とあるように、寓話や童話の中にある教訓や真理を著者なりの解釈でわかりやすく説明されている。小さいころから知っている寓話などに隠れている心理や哲学を感じたとき、ポロッと目からウロコが落ちるような爽快感があり、そういったことに心が触れたとき、先人への尊敬を禁じ得ないのである。

最近、何度か読み返したのが「天国と地獄の長い箸」というはなし。
『地獄と天国の食堂も満員。向かい合って座っているテーブルの上には、おいしそうなご馳走がたくさん並んでいる。どちらの食堂にも決まりがあり、それは、たいへん長い箸で食事をしなければならないということだった。

地獄の食堂では、みんなが一生懸命に食べようとするのだが、あまりに箸が長いのでどうしても自分の口の中に食べ物が入らない。食べたいのに食べられない。おまけに、長い箸の先が隣の人を突いてしまう。食堂のいたるところでケンカが起きていた。

天国の食堂では、みんながおだやかな顔で食事を楽しんでいた。よく見ると、みんなが向かいの人の口へと食べものを運んでいた。こっち側に座っている人が向こう側に座っている人に食べさせてあげ、こっち側に座っている人は向かい側の人から食べさせてもらっていた。』

この寓話から著者は「奪い合うから足らなくなる」という心理を読み解いている。地獄の食堂には「自分のことしか考えていない」人間が集まっていて、一方で天国の食堂には「自分のことだけでなく他人のことも考える」人間が集まっている。

私たちは様々な他者のおかげで生きており、一人では生きていけないことを知ることが大切。自分一人で生きていると勘違いすることが、秩序や平和が乱れる原因であるような気がする。著者が読み解く「奪い合うから足らなくなり、分け合えば余る」の精神を絶えず忘れないにしなければと思う。 2022.06.27 あだちまさし