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庚子か のえね

「大寒の朝に実家の井戸から汲み上げる水は、とてもありがたく美味しかった」
そう話されるのは、たまごのお客さまで市内にひとり暮らしされる七十代の女性。実家とは農園近くの山あいで随分前から空き家だという。

この時期、深々と冷え込む朝、根雪が静かに浸透する澄みきった水はさぞ美味しいだろうと想像する。寒さ厳しい農閑期に一年分の「寒もち」を数日かけてつく家庭も多かったと聞いている。寒さの頂上まで登りつめて、あとは春に向かって下っていく少しの安堵を感じる節目でもあった。

この女性が懐かしむ冬の景色や気候も様変わりした。今冬も暖冬で、いまのところ初雪は見ない。自然の営みは複雑なので温暖化の影響と簡単に結びつけるわけにはいかないが、気候変動時代を伝えるニュースが次々と流れるなか、この暖かさは心を灰色にする。

大寒は私たちの仕事にとっても一つの節目。年末の繁忙期、年始は従業員が交代で休みをとるので人手不足、毎日の生産量は変わらないが、どこか気忙しく「ありがたく感じる心」を見失いがちである。大寒の朝に産卵したたまごを食べると運気が上がると宣伝されることがあり、例年、開運たまごを求めるスポットのお客さまが来園されて、ひと段落といったところだ。

年末から、あたかかく穏やかな気候だったので不測の事態がなかったのが救いであった。心配していた水不足、水道管の凍結もなく、悩みの種であったイノシシの侵入被害も十一月下旬あたりから静かである。近隣に猟師が仕掛けている罠にも寄り付いた形跡が少ないという。暖冬の影響で、厳寒を耐える脂肪を蓄える必要がないせいか、山の中を歩くと、どんぐり等の食べ残しが目立つそうだ。

農事暦によれば、「庚子(かのえね)」の今年は、「天地自然の恵みが生い茂る」とある。山の中に落ちたどんぐりの実が静かに芽吹き下へと根をはっていくはたらきが、少しでも里山が活気を取り戻す力になってほしいと願う。

小さな自然の営みの力強さに目を向けると、曇りがかった暖かい冬のテッペンにひと筋の光が見えるような気がする。

2020.1.25 あだちまさし