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鐘と撞木

「まぁだ若かかけん。がんばらにゃあ」そう言って原留男先生が励まして下さったのは2年前。以前と変わらぬ少し擦れた声の、やさしく包み込まれるような島原訛りが耳から離れない。私にとっては、これが先生との最後の会話になった。島原市で障害者福祉に生涯を捧げられ、先月末、91歳で静かにお国替えされた。まだまだ学ばせて頂きたかったが、その術がなくなった。

昭和27年、原先生が赴任された島原第三小学校の3年1組で偶然出会った二人の知的障害がある生徒がライフワークの始まりである。子どもたちの持つ不思議な魅力に引きつけられ歩みを共にされてきた。昭和41年、現在の「島原市手をつなぐ育成会」の前身である育成会を組織される。障害者やその家族へ対する差別や偏見が平然とまかり通る時代、真っ暗な夜道の中を、小さなあかりを手に携えながら、前になり、後になりながら歩まれた活動の功績は、半世紀経った現在の育成会の姿を見れば一目瞭然である。

私は普賢岳の噴火と共に島原とご縁が出来、原先生とはじめて出会った。平成4年2月、育成会の大きな願いであった通所厚生施設「松光学園」の設立認可が得られた日と重なる。原先生が長年貫かれてきた「共に生きる」姿勢と、身にまとわれている積陰徳の不思議な魔法の虜になり、共に働く仲間に加えていただいた。

原先生が松光学園の園長として発行された機関紙に、こう書かれている。

― 鐘、しゅ木。この二つのうち、どちらが欠けても鐘はなりません。
施設利用者(子ども達)と職員は鐘としゅ木の関係ではないかと思います。どちらが欠けても鐘は鳴らない。響き合うことは出来ません。私達は、利用者と共に、鐘になったり、しゅ木になったりして、常に響き合える毎日を過ごすことが大切だと思います。響き合える毎日こそが、共生(共に生きる)であり、共育(共に育つ)ではないかと思います。又、それは共働(共に働く)であり、共汗(共に汗する)ではないでしょうか。
このような鐘、しゅ木になりたい。―

原先生の現場での立ち振る舞い、一緒に酒を酌み交わしながら「嬉しゅうして」と笑顔で語られる子どもたちへの愛情が思い出される。共に鐘となり、撞木となって命を響かせあった時間、その鐘の音の余韻を見失わないよう、これからも私は前を向いていきたい。
原留男先生、ありがとうございます。

あだちまさし。