月別アーカイブ: 2017年11月

キャッチボール

11月最終日。今月、日に日に早くなる産卵時間をつかまえるのに苦心した。

日長が短くなる時期、朝の点灯時間を早めて、鶏の適切な活動時間をつくり、産卵を促す。2月くらいまで寒い朝の辛抱が続く。

こんな朝の忙しさが手伝ってか、Fさんからのショートメールの数が少しずつ増えてきた。

彼は7時に出勤して来るので、それまでに私がかなりの数を採卵し終えているわけだが、何となく夕暮れ時に家庭で孤独感を感じている様子だ。

鶏が一日、2個タマゴを産むわけではないが、朝の産卵ラッシュアワーは順序を決め、テキパキと採卵しないとタマゴの波に飲まれてしまう。

彼が、その「波」に飲まれないように、前倒しに仕事を進めるが、彼にとっては少し「プレッシャー」になる時期でもある。夏場に出来ない採卵以外の仕事を進めてくれれば良いと私は割り切っているが、何となく職場でも「申し訳なさ」を感じるのであろう。

昨年までは、この時期、早出をさせ、午前中の配達に出掛けると、だいたい8時半くらいに「もう駄目です」とメールがくる。

押したり引いたりしながら、お互いに頑張ってきたので、彼からのメールは出来るだけコマ目に返信するようにしている。というのも、私の方から「いつでも、どんなことでもメールしてエエよ」伝えているので。

19時ごろ彼からのメールが着信する。私がこの時間、どこに居て、何をしてるか彼は把握している。

「どうかしたか?」と短い返信をし、5分ほど待って返信がないので「何か気がかりなことでもあるか?」と再びメールを送った。

それから返信があり、彼の心に刺さっている「トゲ」が何となく把握でき、何度かメールのキャッチボールをポツポツする。

でも、こうだ。でも、ああじゃないか。というメールに返信しながら、最後に「それはあなたの考えすぎかもしれません。安心して下さい。それは私が神に誓って断言します」と返信して、今夜のキャッチボールを終えた。

島原での勤務時代、障害がある子どもさんと共に生活する家庭に多く触れる機会があった。

当時は若さもあり、自分が独身だったことも手伝ってか、今では考えられないストレートな意見をぶつけ、かなり迷惑な存在だったと思う。ただ、ストレートにぶつかることで、貴重な体験も数多くさせき、多くを学ばせていたと感謝している。

自分自身、子どもを授かり、家庭を持つ中で、様々な考え方の「子育て観」に、家内の話を通じて触れてきた。なんとなく、正解はどこにもないような。

そんな時、島原で出会った家族のカタチに照らし合わせながら、いつのときも、今、自分ができることを考えることが多かった。

メールでFさんの家庭への不満を感じ、時折、お母さんやお姉さんの話を伺ったこともある。

「もっとこうした方が・・・」という自分の考え方を、以前のようにストレートに伝えずに、深い干渉をなるべく避けて、彼の家族のあり方を6年ほど見守ってきた。

決して、家庭への深い干渉を恐れたわけでなく、私と彼は雇用関係にあり、私が果たすべき責任、彼が農園でやるべき役割の歯車がキチンと噛み合えば、彼が抱える問題の糸口が見つかると信じて。

明日、彼が元気に出勤してくれることを祈りながら、寝る。

あだちまさし。

先を楽しめ

今日、44歳の節目を迎えた。

30歳すぎてから自分の年齢に無頓着だったが、今日は日曜日ということもあり、黙々と作業場で一人仕事をしながら、今までの自分のことを少し思い返したりしてみた。

私の誕生日の記憶といえば「もちつき」

家族で参拝していた金光教の教会の秋季大祭が14日で、12日が「もちつき」。

ライトに照らされた教会広場で信者さんと一緒に、紅白餅をついて、丸めるのが誕生日の恒例行事であった。おそらく高校を卒業して宇部を離れるまでは、毎年、賑やかに11月12日を過ごしていたように思う。

今の仕事をはじめて教会との関わり方は少し変わったが、祖母が亡くなり、妹の嫁ぎ先である太秦教会のご霊前に奉っていただいたので、金光教教徒となり、我が家の柱は「金光教」となった。

物心がつく前から教会に参拝していたが「我が家の柱」と考えると、自分自身、金光教への心の向け方が少し変わってきたように感じる。

私なりに理解している「金光大神天地金乃神」というのは、氏子あっての神、神あっての氏子「あいよかけよ」で立ち行く神様だと頂いている。

子供たちは教会へ参拝する習慣はないが、いつかは伝えなければいけないと思い、祖母が他界してから、「天地は語る」という、み教えを現代語訳されたハンドブックを鞄に入れている。心を静めてページを開くと、心に「すぅー」っと浸みる教えの数々が並んでいる。

44歳の誕生日、世間でいうと「厄」の期間を通過してきた。心を静めて、昼休みにハンドブックを開き、パラパラとページをめくる。日柄方角を気にしない金光さまの、ある教えが胸に浸みる。

信心して神に取りすがっていたら、縁起を気にすることはない。四は死に通じると言うが、それは悪い方へ取るからである。四なら幸せの「し」に取れ、よいの「よ」に取れ。みな、よい方へ取って信心すれば、いっさいおかげにしてくださる。

一生に一度の「4」が二つ並ぶ誕生日、良い方にとると、最高の誕生日でもある。

まぁ、自分勝手な解釈である。しかし「良い方へとる」という習慣があると心が穏やかになるのは事実。

妹の嫁ぎ先の太秦教会では元日祭で、み教えを短冊状の和紙に筆書きし、おみくじの様に参拝された信者さんが頂いて帰られる習慣がある。何年前だったか忘れたが、正月に家族分の「ご神訓くじ」を送ってもらい、子供たちと一緒に開いてみた。

私は引き当てた「み教え」が、当時、自分の心に浸みて事務所のパソコンの前に貼り付けている。

「悪いことを言って待つなよ。先を楽しめ。」

少し問題を抱えると心に不平へ不満を抱えることが多い私だが「先を楽しめ」という気持ちで、今日という節目に感謝し、明日から、また前を向いていきたい。
あだちまさし。

いや、いや、まだ、まだ。

携帯のアラーム時間を一ヶ月ほど前から早めたが、なかなか体がついてこない日々を過ごしていた。

今朝はスキッと目が覚めたのが4時。ゆとりを持って農園の仕事を進められた。

昨日、Fさんと食事会を「すき家」でして、トライアルで二人で買い物をした。夜の街が恋しいが、そんな甲斐性と時間と、金もなく。

11月3日が彼の44回目の誕生日だったので、作業着上下を私がトライアルでプレゼントした。

安く済ませて申し訳なかったが、吉部の小店を定宿とする彼には、眩しいぐらいの品揃えなんだそう。

彼が親指の爪を噛みながら、ゆっくり品定めをする姿を見ながら、日頃、慌しく夕食を掻き込む時間から離れた「リラックス感」があった。

安価であったが、彼の「一張羅」になる作業着を二人で選んでプレゼントし、防寒用のブルゾンを自分の財布から買うよう促し、また、爪を噛みながら品定めし、彼が決めてレジへ進んだ。

無駄遣いを彼に強いているわけではないが、金を使う「悦び」と、そこから生まれてくる「何か」を彼に期待したい。

昨夜は彼と安上がりな夕食をして、小手先だけのプレゼントをし、飲みに行きたい衝動をかなり抑えながら、「かった湯」で体を癒した。

なぜか、腰や肩の痛みが消えた。不精な性格で風呂が嫌いな私44回目の誕生日を日曜日に迎える。

飲みたい衝動を抑えながら、体を労わることも大事か。

いや、いや。まだ、まだ。

いや、いや。まだ、まだ。

あだちまさし。

鶏肥ゆる秋

天高く馬肥ゆる秋。ならぬ「鶏肥ゆる秋」。

鶏が、夏場に落とした体力を9月下旬から取り戻し、飼料の摂取量を増やしながら、産卵を続けていく。

日長が短くなる時期、朝の点灯時間を早くしながら、鶏の「産みたい」欲求を切らさないようにするのが、唯一、私たち農園での人工的仕事。

猛暑時期に点灯を早めて産卵を促しても好成績は挙げてくれない。体力が落ちた鶏にとってはストレスにしかならず、様々な問題が発生する。

今の点灯時間は午前3時。目が覚めた鶏が一斉に産卵を始めることはないが、17時すぎから休養をとった鶏の朝の活動は忙しい。

夕方までに首の根元にある「餌袋」がピンポン玉の半球程度になるくらいに餌を詰め込み朝を迎える。

胸骨や尻まわりの肉付きも、日に日に弾力を増し、早朝から忙しなく産卵してくれる。午前9時ごろになると「クゥークゥー」という満足感と産卵を終えた充実感に満たされた鳴き声で農園内は静かになる。

一方、私ども人間にとっては、この時期、布団が恋しい季節となる。

ウツラウツラしながら鶏舎の中の状況を想像すると、4時15分から小刻みに鳴る携帯電話の目覚ましアラームを止めては、浅い夢など見て目が覚める。

満月を追いかけながら農園へ車を飛ばし、夜が明けるのと競争で、産卵ラッシュの鶏舎を回る。

湯気が立つタマゴを急ぎ足で採卵していく時期が到来。

月曜、火曜日はFさんが休みなので、気忙しく採卵するが、少しメモを取りながら鶏舎を回る。

採卵の順序を毎週、訂正しながら、出来るだけロスがないように。

「鶏肥ゆる秋」。

これから春先まで正念場の朝仕事になってくるが、タマゴが届くのを待って下さるお客さまがあっての仕事。

出来るだけ不平、不満を持たずに、この時期を通過していきたい。

あだちまさし。