月別アーカイブ: 2015年3月

3月元気に終わり

火曜日のお客さま「農園で走る鶏をみたい」「一の坂ぞい満開の桜がみたい」ご高齢だから、それがかなわない。
今朝、鶏舎から放して走りまわる鶏の群れを撮した。満開の一の坂桜並木も撮した。タブレットで簡単によい写真が撮れる。
「ご覧ください」とそれぞれを画面で見せることができた。少しの手間でたくさん喜んでもらえる。
NTTから毎週たくさんアルミ缶をいただいてきた。大企業は社会貢献をするアンテナを張り巡らしており、そこにわたしのアルミ缶運動がご縁をいただいた。組織的に回収プロジェクトがつくられ、独身寮などから洗浄されたアルミ缶がコンスタントに集まった。ご担当者が定年を退職されたが後任の方からご挨拶メールが届き、アルミ缶運動は継続できた。本日たくさん回収。
来月の45キロ徒歩の旅。起点は「東萩駅」終点は「農園」
先日、農園最寄りのバス停「大田」に時刻を調べに行き、ついでに乗車料金を尋ねて驚いた約「1600円」ここは萩と、新幹線など新山口駅から半分の距離。調べてはいないが新山口駅から萩までバスを利用すれば片道3000円ぐらいだろう。これは高額だと感じた。観光地「萩」をアピールしたら、そのインフラも整えなければバランスがよくない。
3月は終わり。元気に過ごせた御礼は明日の朝参り。
4月の農園日記「ミニアルバム」は笑顔の加奈ちゃんと「ありさ」ちゃん。ご覧くださいませ。

昼間はクーラー

朝は5度で肌寒かった。昼間は20度ちかくあたたかくなり、上着を1枚脱いでクーラーをつけて咲き始めた桜を楽しみながら配達をした。
月曜日は、岡本拓也さん近くの春日神社。木曜日は美祢市の諏訪神社。わざわざの参拝はできないが、神社の前は素通りせず、車からおりて参拝をするようになった。
来月45キロ歩く(日にちは天候しだい)。45歳の誕生日は、大好きな宮崎から宇部まで歩く計画を実行した。結局、宮崎から延岡。高千穂を経由して阿蘇高森(250キロ)を歩いてタイムリミット1週間をむかえ挫折した。
足や腰の関節が腫れ上がり、足の裏にできたマメなど痛みに耐えながらの徒歩の旅は景色を楽しむ余裕はなかった。
今回は、歩けないかもわからないが、山あいを歩く楽しさを実感できたら成功。

牧さんと楽しい酒

昨夜、ふるさと宮崎から現場の大阪に向かう牧さんが立ち寄ってくれた。イワシとブリの刺身。イワシと野菜の天ぷら。野菜サラダ大盛り。牛肉ガーリックなんとか。
酒は、牧さん土産の屋久島三岳酒造「愛子」をお湯割り。
牧さんは神戸の避難所に宮崎弁の20代中ごろ、腕の太さが際立つ好青年がヤマハ大型バイクで東京から来た。わたしの宮崎好きも手伝い、あれからずっとお付きあいさせてもらっている。1月の三ノ宮慰霊式参加も彼に宿など任せた。
西日本高速道路の維持管理を担う仕事を、宮崎の男たち10数名を従えやっている。いつ、どこに現場が発生しても対応できるよう各地域に住居を押さえており、その家賃は毎月100万円以上らしい。
仲間の宮崎弁男たちもほとんどが農園で泊まって焼酎を酌み交わしたから知っている。クセがあり、そこらへんの会社ではつまはじきされそうな男たち。彼ら一人ひとりの事情も理解して、かくれていた能力を牧さんが引きだし育てあげている。
彼はフィリピンに英会話語学研修で数ヶ月滞在したらしい。最近。いつも新鮮な刺激を彼からいただいている。12時前までお湯割りはすすみ「寝よう」とわたしが幕をおろした。
わたしは4時。スッキリ起きた。牧さんにはCD3枚(平原綾香クラッシックス)と焼酎1本。高倉健「単騎千里を走る」録画と卵を渡して「いつでも来いよ」と見送った。
8時に山口市フジグランに納品して、県立美術館「明治工芸の粋(これぞ明治のクールジャパン)」9時開館の一番のりをした。音声ガイドを借りて明治工芸の粋を1時間堪能した。なかでも象牙を彫って野菜など彩色した安藤緑山の作品にはくぎ付けになった。
家内には、美術館のあとは湯田温泉経由で農園に戻ると計画を話していたが変更。
わたしが来月歩きたいスタート地点に行き、農園までの距離、コンビニや宿を確認した。距離は45キロ。けれども海抜0から、中国山地を越えるルート。松村御大の100キロには及ばないが、来月は挑戦。家内は昼の海鮮丼に大満足。

マッサン中毒の家内

農園の川沿いに植えた桜並木のつぼみがピンク色に染まった。キジやウグイスも朝からにぎやか。
川の護岸そばを小魚の大群が遡上していた。山も川も春になった。
農園をはじめたころ、ケージ飼いではなく、鶏舎内で放し飼いの「平(ひら)飼い」では、鶏糞は発酵分解するから糞は貯まらないと聞いていたが間違いだった。毎月数トンの飼料を入れるから、分解するといってもかなり床の堆積物は増える。
鶏糞は「窒素」分が多く、牛糞のように成分バランスはよくはない。しかし、いわゆる葉物野菜に鶏糞は最適らしい。
糞は乾燥しており、ビニール袋に入れて積んでおけば、利用方法を知った農家が取りに来てくれる。
ホームセンターに鶏糞肥料は安価で販売されている。ケージ飼いの鶏糞。
農園の鶏糞に人気がある理由は。無料ということより、鶏が食べこぼした餌が混ざっている。餌のなかにはカキガラも入っている。農園の鶏糞人気はこのあたりにある。
藤野先生が菜園をはじめるらしい。ダイエットが目的かもわからない。鶏糞を3袋届けた。
家内は「マッサン」中毒。その竹鶴政孝の親戚にあたる方が宇部市在住の蔵重康子(77歳)さん。近くの曹洞宗「瑞松庵」でマッサン講演会が催された。カルタクィーンの今村家が門徒で家内にご案内をいただき、家内は喜びいさんで午後から会に参加して戻ってきた。100名近いマッサン中毒が集まり裏話に酔ったらしい。
牧さんの来園をビール飲みながら待っている。

西山夫婦に長女誕生

すべてゆっくり金曜日。犬と川土手を歩いていたら斜面に大きな穴が数ヶ所あいている。小さい穴はたくさん。昨夜、イノシンが掘り返したものと思う。土手の基礎は岩が並べてそれをわずかな土で固めている。わたしが扱う小型ユンボでは掘りにくい硬い場所。
ミミズを求めてかもわからないが、岩をおこして、斜面だから川原に岩は崩れ落ちている。岩には牙があたった跡まで確認できた。これほど力の強い動物が夜は徘徊している。
阿知須の商業施設(日があたらない場所がある)を約40分歩いてから母に会いに行った。介護病棟は、治療をして社会復帰をめざすところではない。さまざまな事情で、自宅では介護ができない人が入院(入所)している。高齢者とあまり交わらない人から様子を見れば、ただ生きているだけ。はっきり言えば厄介者と見えるかもわからない。母がここに来るまでは、少なからずわたしにも、ここは最後に行きつく希望のない場所と思っていた。
その考えの誤りは、元気に日常を生きているわたしと比較をするからだとわかった。
母も、入院しているみなさん、それぞれの毎日があり、家族との面会や三度の食事が嬉しい。
エレベーターから車椅子を押されて出てきたおばあさんが、少し笑みを浮かべてわたしの手に触れた。限られたなかで輝いておられる実感がした。
朝風呂は「上の湯温泉」ひとりで温泉を楽しめた。湯上がりに出来立て豆腐を一丁。おから一袋をいただいた。
お昼は、まだぬくもりが残る豆腐でロング缶。わたしの幸せなひととき。昼寝のあとはトイレ掃除。
小野田市の西山君奥さまから出産報告メールが写真添付で届いた。「3月25日。帝王切開で2472gの長女誕生。名前は京花(きょうか)です」
2年前に誕生のご長男はまだ自宅にもどれない障害がある。3月の出産をわたし夫婦も案じていたから安心した。落ち着いたら家族で農園に来てくれるだろう。京花ちゃんの顔が父親そっくり。
明日は牧さんが泊まりに来てくれる。

健太もう大丈夫

昨夜、健太はいつもの椅子にあがる力がなく、コンクリートの土間に毛布などを敷いて寝かせた。夕食も食べなかった。
朝4時。外気温は氷点下2度。健太は立ち上がり尾をふった。空腹を知らせる素振りと理解して生卵をひとつステンレスの餌入れに落としたら即座に食べた。3個完食できたのでもう安心。
春の職場は異動や退職があり、配達コースやお届けの数が変動する。きょうも、来週からお届け先がかわる下関市内の会社など場所と駐車の確認をした。
下関トヨタの江口店長に異動辞令を受けとっておられた。岡本店長から江口店長と15年ぐらい毎週たくさんお届けしてきた。配達は継続できよう江口店長から新任店長に申し送りが済んでいた。
菊川の内日(うつい)でクチコミでお客さまが増えている。なだらかな山。ホタルが舞う川。神社に風格を感じ。古代人の遺跡も数々ある。わたしは日本の元風景だと思う。配達は決めたルールで、あるお宅には冷蔵庫に届ける。防犯がゆるい訳ではなく、田畑で働く人は不審者は見分けている。お昼すぎ、地域の道路に住民が総出。どうしたのか尋ねたら「これから駐在所の警察官が異動で引っ越しされるからお見送り」と言われた。新任警察官もお迎えするらしい。わたしが思ったとおり日本の元風景。
美祢「よしの談義」
先々週の参議院予算委員会で三原じゅんこさんが「八紘一宇」をテーマに総理に問うた場面があった。
吉野さんもラジオで聞いており、先週「総理が戦後70年談話を出す時期に八紘一宇は唐突だ」と意見が合った。大東亜戦争のスローガン的に使われたが、元々は神武天皇に由来する。だから、この八紘一宇の意味を正確に伝えることが大切。歴史の一時期に言葉を汚してしまったが、本来の意味を知るべきだ。と吉野講釈。わたしはガッテン!した。
農園に戻るまで心配していた健太は回復している。はやいうちに血液を洗い流してやろう。
15歳(アバウト)での手術は負担がある。手術に立ち会い電気メスで止血しながら、血管をしばり止血しながら執刀された獣医の手の動きに頼もしさを感じた。
健太をご心配くださったみなさまありがとうございました。
もう大丈夫です。

健太の手術

水曜日は八幡宮朝参り。今朝も天津祝詞を奏上のあと母をはじめ数々の御礼。最後に、きょう健太の手術が無事おわるお願いをくわえた。
わたしの実感でしかないが神様が不安を預かってくださった。気持ちが楽になった。
今村ご夫妻は2日まえ横浜からご主人運転で戻られ、きのう本山岬にワカメを採りに行かれて、わたしにたくさんお裾分けを用意して待っていてくださった。
20年前、東海大学でスペシャルオリンピックス競技会があり、一度車で往復してみた。帰りは疲れて、一気に戻ることができず、京都付近のSA併設ホテルで仮眠した。70歳の今村さん体力に敬服した。
健太は3時に病院に着いた。片方の金玉皮膚が真っ赤に腫れしこりがある。獣医の診たては「15歳の年齢から、手術のリスクと費用を考えたら放置」もうひとつは「今から手術」わたしの判断は手術。
患部が片方なら切除して縫い合わせできるが、両方に広がったとき皮膚を切除しても縫い合わせる皮膚がない。それと、費用とか年齢を手術しない理由にしたくはない(言わないが「命」は母も健太も同じ)
麻酔をかけて、麻酔をとくまで1時間。手術に立ち会った。白い毛並みの健太が、交通事故に遭ったぐらい血液で汚れた。抱いて車にのせ、もう大丈夫と声をかけながら農園にもどった。

健太の夕食山盛り

窓ガラスに結露の早朝。外気は0度。
冬支度で火曜日をスタート。火曜日は坂道を歩く。登り降りで約30分。身体があたたまる。
海峡ウォークが近くなった。松村御大から「今年も歩こう」とお誘いをいただいた。
けれども海峡ウォークの頃に日にちを決めて「ひとりウォーク12時間」をやろうと思っている。
前の仕事をしていたときは、常盤公園6キロを毎日歩いた。それは健康より「考える」ことが目的だった。
わたしは考えるとき、一番コンディションが整うのは歩くとき。会社内部のこと。営業戦略など歩きながら決めたことがたくさんある。
農園をぼつぼつ長男に任せて、わたしはもう一度0からスタートをしたいと考えている。それが正志にとって背水の陣になり、もし倒れても立ち上がれるだけの学習ができるだろう。
わたし夫婦はもう一度、元気を出してスタートをしたい。そのことを考えるには歩くことが私の流儀。
配達を済ませて山口平川のフジグラン。ガソリンを満タンにして今夜の買い物。魚売り場の兄ちゃんは正直者「なにがおすすめかね」と声をかけたら「鯛ですね。静岡の大きな鯖は安いですが味は?」と教えられて鯛の切り身をふたつ。
宝くじ売り場で先週買ったミニロト二枚(2千円)をみてもらいながら今回は一枚買った。夢は夢で終わった。けれども2千円で豪華客船クルーズや7つ星旅行の夢をみた価値はあった。
明日は健太の手術。朝食は抜きだから、今夜の夕食は山盛り。

健太。玉に異常あり

健太が農園に来て14年ぐらいになる。銃声に怯えて猟に使えない。わたしの犬好きを知った男が「一万円なら損はない」と売り込みに犬を連れてきた。虐待されているのか人を信用しない冷たい目。頭などに傷があった。当時2頭(はなちゃん・太郎さん)を飼っていたが、わたしが引き受けなければならない気持ちがしたので支払いをした。
驚いたことは、初日の排便でたくさんの寄生虫が便に混ざっていた。すぐに薬を投与して駆除した。
当時の健太を知る人は、鋭い目付きで近寄りがたいオーラをご存知だろう。
銃声には怯えても猟犬の血はある。秋、家内が来たので炭火で秋刀魚を焼いているとき小型のイノシンが走った。健太は行きたい(行きたくない。はなちゃん・太郎さん)。放したら追いつめて噛み殺した。始末はロープでくくり橋から川に投げ落とした。
今はおおきな瞳になり、わたしの指示に従うようになった。2年ぐらい前から雄の大切なふたつの玉のひとつに腫瘍ができた。徐々に腫れはひろがり、見た目にも深刻なようす。美祢の獣医さんに水曜日の夕方診てもらう予約をした。即手術の可能性もあり、朝ご飯から絶食を言われた。

美祢の可奈ちゃんから「持ってきて」の電話を7時前、防府市に向かうとき受けた。可奈ちゃんは木曜日がお届け。いつも少しの数をそのために持っているから「了解」。
9時過ぎに着いたら、可奈ちゃんの右腕「ありさちゃん」とパンづくり。4月の農園日記に使う写真は菊川画廊の菊川さんを予定してアップの準備は済ませていたが、可奈ちゃんと、ありさちゃんの笑顔に変更して携帯電話とタブレットで撮った。わたしも可奈ちゃんフエィスブック用に撮影された。
美祢の高齢者施設の園長。松村御大も認める長州の女傑のTさん。半年前から会えなかったが、きょういつもの白いエプロン姿で笑顔。半年も会えないから実は心配していた。話したいことがあるけれど多忙で。と手を振りあった。元気なようすに胸のつかえがとれた。お元気でなにより。
小野田市が月曜日のラスト。白髪で背が高い紳士。数年前に「これでおわり」とドイツ車を買われた。フェリーと高速道路を駆使されて北海道を奥さまと走破された土産話しをうらやましく聞いた。
とても気さくなご主人で、月曜日の会話が楽しみだった。わたしがアルミ缶を集めていると話したら、近所に呼び掛けて協力してくださった。
半年近く会えないから奥さまに思いきって聞いた。半年まえ救急搬送され手術。もう自宅に戻ることはできない。けれども、そのことを受け入れずに悲観する毎日を過ごしても解決するわけでもなく、私なりに前向きに生きています。管からの食べものになったけれど、わたしの手料理を3食運んでいます。
わたしの経験から、病院から拒まれませんかと聞いたら「それは無視」管からの食事でもわたしの手料理を食べてもらいます。困難を受け入れて、笑顔で生きようとされる奥さまに元気をいただいた。健太は長生きさせなければならない。

日焼けの日曜日

3時に起きてタブレットで新聞。
日中韓外相会談がソウルであった。日本の歴史認識で溝は埋まらない報道。
歴史は多面的。会津と長州もいまだにお互い言い分はある。日本全土を焼いたアメリカの焼夷弾に原爆。東京裁判。歴史認識をいい始めたら、特に国家間では落としどころは見つからない。中韓にはうんざり。

やりたい仕事がたくさんあり動き始めた。今朝は少し冷え込み窓ガラスとサッシを新聞紙で結露を拭き取る。次は夜露でゴミを燃やして山に火が移らない、安全なので焼却場で可燃ゴミに火をつけた。犬3頭を真っ暗な時間に散歩。鶏舎の戸を解放。
それから朝食の支度をはじめた。
6時。まだ薄暗いなかを農園で一番強力草刈機「ハンマーナイフ」を今年初始動。ゴムキャタピラーで伸びた草むらをグングン進む。真っ赤な太陽が東からのぼりはじめた7時まえにエンジンをとめて山口フジグランに納品。今朝のウォーキングは40分。
母に見せたい春の風景をタブレットに入れている。農園や犬たちひ孫のスナップ写真も見せた。写真のおかげで母は機嫌を崩すことなく会話が弾んだ。
小郡のスーパーマーケットに立ち寄り食材とアルコールを調達。
昼は家内がつくってくれて缶2本。昼寝は30分。
草刈を済ませ。ユンボと軽トラダンプを活躍させた。
1日精一杯働いて心地よい疲労感。桜のつぼみがピンク色。

旭村の思い出

8時から荷受けがはじまる山口市のフジグランに7時に着いた。マックスバリュと隣り合わせで敷地面積はかなり広い。ここを4周歩けば約50分。今朝も早足で歩いた。

4年前の1月14日、西君(当時48歳)が仕事中に体調をくずして川に転落。亡くなった。
吉部八幡宮の祖霊殿に神様となり祀られている。毎週水曜日は西君に手をあわせる参拝。
お彼岸の墓参り。その花を買わねばならないと考えていた。
萩市に向かう途中、明木の産直市場で花と地元の野菜を買った。
現在は萩市に合併しているが、以前は「旭村」旭村は明木と佐々並ふたつの生活圏からなり、役場本庁をどちらに設置するか折り合いがつかないで、2年ごとに本庁が移転する珍しい自治体だった。
今ならば本庁と支所はオンラインだが昔はオフライン。山あいで住民エゴが衝突した。
旭村とわたしは会議録でご縁がふかく、村長さんから職員さんまで親しくさせていただいた。日本語ワードプロセッサーの初期導入はわたしが納入から全職員さんへの操作指導まで携わった。
佐々並に農業高校分校が廃校になっていた。村長が、あの場所で養鶏をやらんかと提案してくれた。条件は旭村に移住すること。約40軒の程度がよい空き家をリストアップまでしてくれた。わたしは湯田の旅館から出る残飯(餌)の調査をしたが、二足のわらじは無理だとわかり断念をした。老人就労の場として養鶏があることに開眼した。
あるときお昼になり村長が「寿司でも食おう」と誘ってくれた。山奥の佐々並に寿司屋があるとは思わなかった。小さい食堂があり寿司の正体はいなり寿司で落胆した思い出がある。
長門・美祢を走り、お昼前に農園に戻った。きょうも昼ごはんにロング缶。2時間昼寝。さきほど西君の墓参りをすませた。

贅沢な1日

まだ暗い5時すぎ、鶏舎の戸をあける。鶏は元気よく運動場に飛び出して草や虫をついばむ。
側の川にはまだ渡り鳥がたくさんいる。けれども春のやわらかい草を食べさせるのは今しかない。
仕事をやらない金曜日。
8時半から入浴できる、このあたりでは少ない源泉かけ流し「上の湯」一番のり。2階はサウナや休憩室など備えて1000円。わたしは大衆風呂400円。九州温泉地でも安い400円は少ない。浴槽はぬるい湯とあつい湯の二種類。
ぬるい湯に40分もつかれば肩と腰の運転疲れがとけていく。
さっぱりして宇部市内の菊川画廊。主はたったいま日課の常盤公園ウォーキングからもどりお茶の時間。安田登先生の「耳なし芳一」公演の案内。即座に手帳を調べて「行く」。口火はわたしが切った。「旅と移動はちがう。今は旅が出来にくい」それでしばらく会話のベルトがまわり続けた。
菊川さんはまとまった時間があれば「青春18切符」で旅をする。前回は、鈍行電車で京都に行き、山陰本線で日本海を眺めて戻った。風景もたんのうできるが、利用する地元の人を見るのも旅の楽しみ。
画家 松田正平先生と菊川さんは、わたしから見ると親子のように映っていた。松田先生と周防灘祝島のスケッチに同行するとき「足立さんも行こう」と誘われたときが一度あったが、いつ宇部に帰るのかわからない旅でお断りした。先生の晩年は菊川さんがお世話をされた。菊川さんの仕事場には松田正平先生の作品がたくさんある。県美術館で松田正平作品展のときもこの画廊から多くの作品が出た。
松田正平先生が現場で写生していたらカラスが肩にとまったり。動物園でライオンが先生の姿を見たとたん雄叫びをあげた。そんな不思議な体験を聞かせていただきながら、何点かの作品を解説いただいた。
まるで園児が描いたような羊の瞳が輝いている作品はわたしでも理解ができた。
菊川さんは道元をいま勉強している。そのことも深く話していただいた。
約1時間。とても贅沢な時をいただいた。
母はわがままいっぱいだった「おいしいものを食べて死にたい」の連呼。食べ物に未練があるならまだ大丈夫。
お昼はロング缶。2時間昼寝。
よい1日だった。

木曜日の会話はたくさん

下関市金剛住器の木村社長とは中越地震「ふく鍋隊」で仲良くなりお付き合いが続き、毎週木曜日は卵をたくさん奥さまが取りまとめてくださる。
お茶をいただき木村社長業界の事情を少し聞いた。
消費税が10パーセントに引き上げられる前に大手の工場は設備の更新をどんどんしているらしい。100億円の設備工事を将来するのであれば、消費税があがる前にやる。
農園では5パーセントから8パーセントに変わるまえに2万円の草刈機を買った程度。

「よしの談義」地方の創生は、大企業の内部留保金(300兆円とも試算)を開発費・研究費に使わない経営者。それと東京一極集中をやめて省庁を地方に分散する。
現場を知らない、わからない政治家より、よほど創生を語る。

月曜日のEテレで28歳主婦が、子育てに軸足をおき週2日パン屋を神戸で営む番組があった。加奈ちゃんにメールで知らせた。
きょうはパン教室で若い奥さまが加奈ちゃん宅に集合「足立さん!見たよ」とハイタッチ。番組のパン屋さんは以前から関心がありブログをみていたらしい。神戸でやれるなら美祢でもやれる。と無責任に尻をたたいた。加奈ちゃんいつも前向きで輝いている。
朝から10時間以上、250キロを走り終えて疲れた。
赤ワインを飲みながら日記を書いた。

CM曲はタイムマシン

朝5時。雨が降るまえにゴミを焼く。
乾燥注意報でも、朝は夜露が降りている。足元の草に手をあてて湿り気があれば燃やしてかまわない。ユンボで深い穴を掘りそこで火をつけている。
産卵箱のなかで糞をするので大量の新聞紙で糞を受ける構造にしている。紙は不衛生にならないサイクルで替える。新聞紙はお客さまから提供を受けているが、最近は資源回収が徹底して思うほど集まらない。小野田市読売新聞販売店のお客さまが協力してくださり今は心配ない。
炎が舞い上がりよく燃える。夜露は10時までには乾燥するからブリキの板で火元をおおい石でおもしをする。灰は数ヶ月ごとにユンボで棄てる。
太郎さんの化膿はほぼ出て目が見える。頬は血と膿で汚れているが拭くと激しく痛いからそのまま。3頭の散歩を終えたころから予報どおり雨になった。
水曜日は八幡宮朝参り。
今村さん宅には8時に着く。裏口でご夫妻と3人で立ち話。もう何年も続いている。
今朝の発見は、ご主人は近くの禅寺「瑞松庵」の門徒。寺に頼まれ卒塔婆に筆文字をふるわれると知った。
相撲・野球・陶芸・百姓・海釣に書道。まだたくさん引き出しがありそう。
ご主人もわたしと同じNHKラジオの終日リスナー。
莫大な税金を費やす国会審議の場で「路上キス」や「院内喫煙」を問いただす馬鹿らしさ。
前政権では防衛大臣が「開会中にコーヒーを飲みに行きません」と謝罪。こんな内容では話しにならん。
スキャンダルは週刊誌やネットでやればよい。とにかく国会中継をするに値しない。これで意見の一致になりお開き。これから夫妻は横浜の長女さん宅までドライブ。
雨の配達をしていたとき懐かしい曲が聞こえて、最後まで聞こうととめた。
曲は「しばたはつみ」マイラグジュアリーナイト。
20歳のころ、テレビCMで、マツダのロータリーエンジン車「コスモ」に使われた。歌を聞いているとブラウン管に、夜明けの街を走るコスモ。助手席の美人は宇佐美恵子だったことまでよみがえった。
1日雨にうたれた水曜日が終わった。

安田登師情報

きのう日記を書き始めたころ、参議院では自民党の三原じゅんこさんが質問に立っていた。聞き流しながら発言に内容がないばかりか不愉快に感じてテレビを消した。
これから日本の精神として「八絋一宇」の啓蒙が必要らしい。それを総理に「いかがでしょうか」と問うた。
神武天皇の思想とは異なる解釈をして、大東亜戦争の旗印にした過去がある。
戦後70年総理談話を、我が国箸の上げ下ろしまでやかましい隣国に対しても、この時期に八絋一宇について総理に発言を求める幼稚な議員に驚いた。右傾化と保守には境があるとわたしは思っている。
お昼まえ、山口の維新公園駐車場で上下の下着を一枚脱いだ。気温は20度をこえていた。先週の火曜日、山口市内は積雪した。あまりに気温が変化して順応できていない。
太郎さんが一夜のうちに歯肉炎が悪化した。今朝は片方の目が頬の腫れでつぶれた。なんとか腫れを潰して化膿している膿を出さなければならない。
1日考えて答えを出した。夕方スーパーで解凍サンマを2匹買った。秋はサンマ料理が続き、とくに圧力鍋の料理ではたくさんサンマの頭が犬のご馳走になる。
夕方2匹をグリルで焼いて太郎さんの夕食にした。好物だからバリバリ食べ、腫れた患部から血と膿がたくさん出た。今夜は楽に寝てくれそう。

夕方、数学の藤野先生が来園された。

3月28日(土曜日)・北九州市八幡西区熊手1ー3ー14 善定寺を会場に
「小泉八雲と漱石(怖い話で結ばれたふたり)」をテーマに
能楽師 安田 登・浪曲師 玉川奈々福 両師による
演目「耳なし芳一(小泉八雲)」・「夢十話(夏目漱石)」がある。
時間は3時から4時半。会費は1500円。
安田登先生は日本の誇りだとわたしは思っている。仕事の折り合いをつけて会費に行きたい。帰りは小倉の屋台も立ち寄りたい。

価値観の創生こそ

参議院予算質疑を午前も午後もラジオで聞きながら仕事をした。
午後、蓮舫さんの質問テーマは「少子高齢化社会」。
推計によると35年後には消滅する自治体もたくさんあるらしい。国は税金で存続できるが、納税者が激減するのだから国の危機が到来する。
地方創生の旗印はあるけれど。農園地域をどうすれば「創生」できるのか、わたしには糸口すら見えない。10年後に農園の地域で元気に生活を営めるのは、イノシンとサルだと確信できる。
首都高が便利になった。オリンピックのお祭り騒ぎ。教育から文化を都市に集約した結果が地方の疲弊だとわたしは思う。
一次産業では生活が安定しない。かといって地方には条件のよい雇用の場は少ない。若者は都会に出ていく。

北陸新幹線など開業。寝台列車は廃止になる。線路は「旅」から「移動」の時代になった。
わたしは、自宅から車で約1時間の農園がとても気に入っている。たしかに不便なことはあるけれど、四季を自然が演出してくれる農園の生活が楽しい。

便利を追い求める風潮が、価値観をかえてしまっている。
この価値観(教育)にメスを入れなければ地方創生はお題目だけで終わる。

森・元総理、日韓親善協会会長代行の河村建夫先生たち日韓の重鎮が、今月東京で関係改善協議のテーブルにつくことがニュースになった。

母の記憶に驚いた

きのう「数楽の会」で藤野先生が、自分のためだけの人生ではなく、あとに続く子や孫にも遺せる生き方。のような話をされた。
自分の代で現金にはならないが、山を切り開き植林をして生きる人たちは、ご先祖さまが同じように植林をして育った木を倒して生活をする。
大切な生き方を、わたしは置き忘れていたことを思いおこさせていただいた。
「数楽の会」は参加費は無料。受講年齢層もしっかり厚い。これも面白い。
昨夜は話しと酒で盛り上がり、風呂に入らず寝たので、山口市内の納品をすませて上の湯に行った。日曜日なので5〜6人が湯船だったが朝風呂は最高。
阿知須で1時間歩いてから母に会いに行った。
きのう撮った乃木神社狛犬をタブレットで見せたら「乃木神社じゃね」と言い当てた。60年ぐらい前の記憶に驚いた。

今夜は、わたしの自分史編集の打ち合わせに美人の水元さんがご主人同伴で来てくれる。家内が農園流「ふく」フルコースに挑戦中。

円周率はわからん

土曜日はかなり歩く山口平川の大型商業施、わたしはフジグラン(スーパーマーケット)に納品。荷受けは8時から。1時間近く前に行き歩く。雨でも歩ける場所がある。今朝は約1時間歩いた。
萩市や長門市に美祢市を走り、ふだんなら土曜日が終わるが、下関市長府から新規のレストランご注文。ノンアルコールで昼ごはんを済ませて長府に行った。商談は終わり乃木神社参拝。
母のアルバム。わたしが1歳ぐらい。ならば母は34歳。狛犬を背景にわたしを抱いた1枚を、先日聞いたら「乃木神社」と母は写真を覚えていた。
長府、乃木神社を訪ねた。乃木希典(乃木さん)の生きられかたが好きで、何度か参拝した乃木神社に、きょうは狛犬を探しに参拝した。
わたしが60年以上前に母に抱かれていた狛犬と対面した。母が腰をおろした場所を撫でた。
夕方、数学の藤野先生「数楽の会」が農園近くで催された。きょうのテーマは円周率。3月14日(3・14)。1時間の講義(雑談)はおもしろかった。若いとき藤野先生だったら人生がかわっていただろう。
けれども円周率が、わたしが生きて行くうえで何の役に立つのか。素朴な質問をした。
先生の答えは。
何の役に。の主語は「私の」つまりは、円周率をわかって「わたしに何のとく(儲け)があるか」それは自己中心なことで、円周率を考えた個人の偉業がわからないことだと、わたしの理解。
会が終わり、わたしの関係者と農園で歓談。よい1日が終わった。

振り込め詐欺

仕事をしない金曜日。ゆっくり5時半まで寝た。
風呂セットと着替えを持って、最初は小郡で散髪。
それから、かけ長し温泉「持世寺」の上の湯。1時間ゆっくりお湯を楽しんだ。体重計に乗ったら1月から3キロ減っていた。野菜中心の食生活のせいかもわからない。
母を見舞いに行った。病室の窓から周防灘の向こう一番右はしは耶馬溪。正面は由布岳、その左に鶴見岳。一番左は姫島。リゾートホテルなみの眺望。
現実は「もう死ぬんじゃろうか」と母のつぶやき。何歳まで生きたいのかと尋ねた。しばらく目をとじたあと「神様が決めるからね」と自ら答えを出した。
わたしが部屋を去るときは「運転気をつけて」と。
農園に戻るまえ、スーパーに買い物で立ち寄った。入り口で同じ色のジャンパーとキャップの人たちがテイシュを配っていた。配る相手を分けている。わたしにはテイシュが手渡された。それは「振り込め詐欺に注意」の啓発グッズだった。
もう人目には立派に老人と見えることが証明された。

ロング缶で昼寝。起きて本を読もうか、録画番組を見ようか思案して、気になる農園内の仕事を選択した。

木曜日が無事に終わり

6時半にスタート。240キロを走りおえて農園に戻った。美祢から峠越えは道幅が狭いところもあり、きょうは疲れていたから高速道路ひと区間走り楽をした。
戻れば愛犬たちが尾をふってくれ疲れが癒される。
日記を書きながら缶チューハイ。

チョコが血圧を改善する新聞記事を読み、「ためしてガッテン」を見て、わたしもガッテン!
苦いブラックチョコを1日にふたかけ。夜にブラックココアにウィスキーをボトボトたらして。
長年つきあっている降圧剤も飲む。朝3時に起きたとき血圧を測ると上が110・下が70(今朝)
チョコやココアウィスキーをやらないときは数値があがっていたから効果を実感している。
1月に神戸で香山さんから「食べる米を減らしたらよい」と言われ、以後はお昼だけお米は食べるが、朝と夜は野菜をたくさん食べる習慣が身についた。それも体質改善かもわからない。
明日は、持世寺温泉の朝風呂を楽しみたい。

朝参りは被災地を祈り

八幡さま、朝参りの水曜日。東北被災地で生きる人々に幸せが早くおとずれることを祈りにこめた。

きのうの日記に何人かの方から個人メールで感想をいただいた。
そのなか、広島県庄原市のHさん。以前わたしが島根県松江市で開催された金光教信徒の集いで発表した。それをHさんは聴いていた。
しばらく経って、広島市内で掃除仲間と宴会があり酔っていたら「足立さん」とHさんから声をかけていただき金光教と掃除と酒が絆となり庄原と宇部を相互訪問しての宴会、北京や上海の掃除などもご一緒した。天理教本部の清掃を体験。京都一燈園にもHさんと3日の修行もした。
彼が胃の腫瘍摘出をしたとき三次赤十字に見舞いに行った「もう、酒はやめる」と名言を吐いた。けれども、相田みつを「人間だもの」禁酒の誓いは退院してすぐに崩れた。
英会話ができる彼は市議会議員として、いまはエネルギー問題の視察でドイツに通いビールを飲んでいる。
広島に留学した中国人を親身に世話をした中国に理解があるHさん。
わたしの日記に、率直な感想を届けてくれることがある。
彼の感想を、わたしなりにまとめてみた。
宗教のない中国と八百万の神々の日本。広島原爆慰霊の場をつくり亡くなられた人々を慰霊することで平和を願う文化の日本と、抗日記念館を建設する国のちがいは靖国神社にもある。
ドイツ国境線は11ヶ所で隣国と接しており、それゆえに戦いの歴史がある。いまは第二次大戦で被害を与えた国々にさまざまな支援をしている。
Hさんならではの感想をいただきじっくり読ませていただいた。

千鳥ヶ淵と靖国神社

東京大空襲(死者10万人)民間人への無差別爆撃の3月10日。
民間人無差別爆撃は、日中戦争初期に重慶を、日本本土から200回以上波状爆撃し数万の支那民間人を犠牲にしている。
東京をはじめ日本全土への無差別爆撃や原子爆弾投下に異議を唱えることができない日本の過去がある。

戦後70年を受けて総理談話がある(わたしは必要ない立場)中国・韓国がその文言に注視している。

そこで天皇陛下が参拝できない(されない)靖国神社が、わたしはよくわからない。わからないまま外国から総理や閣僚参拝をとやかく言われ内政干渉だとわたしは思っていた。
けれども靖国の御霊様はすべての柱でひとつ(団子状態)。その御霊様のなかに東條英機があることに知識の少ないわたしなりの反発がある。
東條英機の昭和先陣訓「生きて虜囚の辱しめを受けず、死して罪渦の汚名を残すこと勿れ」この一文により、戦場の兵士は玉砕や自決を強いられた。ほかのA級戦犯は戦勝国が裁いた歪んだことかもわからないが、わたしは先陣訓の罪はA級に値すると考えていた。

先日、河村隆子さんから数冊お借りしたなかに「靖国と千鳥ヶ淵を考える(堀内光雄著)」この一冊で中国・韓国が目くじらをたてる靖国が少しわかった。
千鳥ヶ淵戦没者慕苑と靖国神社の、いわばダブルスタンダードで慰霊の場がある。それは、最近も紙上に軍属だけではなく民間人犠牲者(空襲や自決に飢餓)にも手厚い補償を求めている。
つまり、日本国が戦後総括ができないまま、国民が一枚岩になれない曖昧な戦後を歩んでいる。そこに中国・韓国が言いたい放題になる所以がある。
戦後の政治家が背筋をのばしていない結果がみえてくる。
国民も千鳥ヶ淵と靖国神社のふたつ慰霊の場があることに疑問をもつことだとおもった。

数楽の会14日開催

今朝、以下のご案内を数人にメールで差し上げた。

3月14日。午後5時から6時。吉部ふれあいセンターを会場に「数楽の会」が催されます。
今回の講師は高校数学教師 藤野先生です。
演題「円周率って何?」

わたしの推測では、難しい演題を子供がわかるぐらいに敷居を下げて、最後はみんなでガッテン!ではないかと思います。
参加費は無料で、楽しい学びの場です。

日記を読まれて興味がある方はおいでください。
今村さんご主人から「わたしは数学はさっぱりですから参加します」
いつも前向きに生きておられる今村さんらしいと嬉しかった。
農園をはじめて間もないころ猛烈な台風が通過した。鶏舎の屋根は飛び去り、停電だから水を汲み上げる発電機は動かし、部屋は乾電池の灯りだった。
その夜は宴会の予定だった。台風のお見舞い電話があり「こんな日ですから宴会は中止ですよね」と言われ即座に「こんな日ですからやりましょう」と返事をした。料理がなくても台風に負けるのは嫌だった。
夕方、電気が復旧して大勢で楽しい夜を過ごした。翌朝から困難な作業やお金の心配もあったが、予定どおりの夜を過ごした。
翌朝、ズタズタの農園風景だったが気持ちは元気になっていたので、復旧に的確な判断ができた。
今村さん参加のお便りで大切な気持ちの持ち方を思い出した。

歩き疲れ日曜日

日曜の朝はリードをつけて犬3頭を長い時間歩かせる。1頭約20分。わたしの運動量は足りた。
母に会いに行ったが、朝食の8時になった。30分歩いて時間調整をした。
9時半に山口市内のスーパーに納品。きょうの予定は午後2時開講。セミナーパーク。

「ほんとうの環境問題」生物学者・早稲田大学教授 池田清彦氏を受講。環境問題はあまり関心はないから受講応募はしなかったが、藤野先生から「講師は面白い人物」と教えていただき聴講希望で応募したら当たった。宝くじより高確率。
いったん農園に戻っても昼ごはんを食べるぐらい。納品のスーパーからセミナーパークは近い。よし歩こう。
約2時間、ウグイスの初鳴きを楽しみながら歩いてお昼になった。
スーパーで弁当とお茶を買い車で昼ごはん。ガソリンと宝くじ売り場に立ち寄りセミナーパークに1時着。歩き疲れがピーク。
環境問題の講演は90分。二酸化炭素の温暖化は気にするレベルではない。北極の氷山が溶けているのは誤報。温暖化したほうが食料問題は解決に向かう。温度が下がれば冷害になる。
日本は所詮アメリカの属国だから、アメリカの州になり、日本人から大統領を出してアメリカを乗っ取ればよい。
牛肉を生産するより昆虫を食べるほうが環境にやさしい。
タバコと肺がんは関係ない。
太陽光や風力発電は無理があり破綻する。
地震国の日本は地熱発電に向かうほうがよい。
歯切れよく面白い講演だった。

来世もあいたい

きのう早めに晩酌を済ませ、いつでもゴロリと寝れるよう布団を敷いてから犬とブラブラ散歩を楽しんでいた。5時ごろだったか。
橋を乗用車が渡った。今村さんご主人が笑顔(仏の今村スマイル)でおりてこられた。老犬太郎さんはうずくまった。
大潮だから、小野田の本山岬までワカメを獲りに行かれ、帰り道に菜園のネギをひいて「昨夜は楽しい酒でした」と言われ、ワカメとネギ(しゃぶしゃぶ)を頂戴した。
昨夜は「天然とらふく」白子までの腹一杯フルコース。日本酒(関娘)は3升にビールもたくさん男5人(酒豪の女性1名)で飲み干した。人生の宝のような宴会でしたね。
わたしは、お歴々のなかにまぜていただき、好き勝手ないつもの振る舞い。一升瓶が3本空になったとは驚いた。
ワカメとネギをいただいて太郎さんと戻ったら軽四が来た。少々お湯わりウィスキーも効いてきた。
女性が車からおりて来て「覚えていますか」と笑顔。失礼だがわからない。彼女はわたしが配達する旅館で用度をしていた人だった。
もう退職されているが、ある年の秋、台風が接近していた。納品のときそれを話題にしたら「テレビなどないから初めて知りました」と返事があり、彼女は旅館の寮で読書だと知った。その後、鍵山先生が湯田の常盤旅館で倫理法人会に招かれ講演されることがあり、わたし個人的に各方面にご案内をした(美祢・吉野夫妻も来られた)そのチラシを彼女にも手渡した。出席の意識表示はあったが、勤務の都合でかなわなかった。
来園の目的は、その後いろいろありお掃除の会に参加してみたいと思ったときにわたしの顔が浮かびたずねて来た。
突然の出来事で、酔いもまわりよい対応は出来ていない。
とりあえず「数楽の会」をお知らせして、竹内まりやCDを渡した。
今朝、宇部空港から上京の今村奥さまからメールでいろいろに宴会感想。最後は「夫には来世でも会いたいです」と結ばれた。わたしも来世があるなら仏の今村さんとじっくり呑みたい。
山口市から萩市経由の美祢を走り、お昼からロング缶で昼寝。隆子さん推薦「靖国と千鳥ヶ淵を考える」を読んだ。
これから晩酌して土曜日が終わる。(午後5時)

寒い啓蟄

昨夜。松村御大夫妻・今村夫妻・吉野夫妻・河村隆子さん・上田さん・わたし夫婦。10人が昨夜の「ふく宴会」メンバー。おお皿のふく刺が、おまけを含めて6皿。鍋・揚げ物・白子焼き物・雑炊にフルーツ。
酒はヒレ酒・身酒(刺身)・白子酒。
下関漁港節を御大が歌い、隆子さんがオカリナ伴奏。今村さん相撲甚句も最高。かるたクイーンは、昼間は小学校にかるた出前授業で、そのまま和服で参加、好きな和歌を二首披露された。
わたしは相当酒を飲んだが、農園にもどるころには酔いが覚め、寝酒にウィスキー。

今朝、今村さんからもメールが届いた。

気持ちよく朝をむかえました。きょうはよい1日になりそうです。

愉しい酒だった。

1時間歩き、着替えを持って持世寺温泉の一番風呂。
きのう完成して持ち帰った母の鉛筆画を額に入れたまま見せた。不愉快な表情をしたら没と考えていた「まぁ、若く描いてあるね」と気に入ってくれた。
3月14日17時から1時間。農園近く吉部ふれあいセンターを会場に「数楽の会」を藤野先生(高校数学教師)が催される。今回の演題は「円周率って何?」この会サブタイトルは「学びとは本来、楽しいものです。」
今回も円周率から奇想天外な発見を期待している。これはローカル版、ためしてガッテン!費用は無料。
この案内を菊川画廊に持参したが留守。携帯電話は持たない主義の菊川さん。郵便受けに落として帰った。
「数楽の会」に関心ある方は、わたしにお問い合わせください。

今夜は下関

笑顔の母が、下関市唐戸で鉛筆画教室を主宰される中山さんの力作で完成して受けとった。

菊川画廊の主が、能楽師 安田登先生の講演を聴講する機会に恵まれた。
その日の夕方、講演内容の感想を電話で話してくれた。
以前から能面に関心があり東京や各地の美術館などに足を運んだが深い味わい方ができなかった。
それが、きょう安田登先生が持参された能面を解説され得心した。面は観る角度により悲しみ、喜びや怒りなどさまざまな表情になる。世阿弥など読み物から能を理解しようとしたが難しい。安田先生が能の敷居を低くされ子供にわかるような解説がとてもよかった。さっそく書店で安田先生著書を買い求めた。
わたしも藤野先生のご案内で数回、安田先生解説。能や奥の細道などを拝聴した。
とくに能は、生涯無縁でもよいぐらいに考えていたが、最近Eテレでみることもあるぐらいになった。
知らないことがわかることは喜び。
わたしが宇部市内から離れ、ほとんど市内に足を向けないのに、画廊で催される展覧会の案内ハガキ全てが菊川さんから、ずっと届いている「忘れてはいませんよ」と。
何度か農園で顔をあわせている松村御大、今村さん、吉野さん、上田さん。昨年の秋ごろから「ふく」でやりましょう。けれどもそれぞれ多忙で日取りが整わなかった。
今夜、それが下関「からと屋」で実現する。「よしの」には、6日は臨時休業の貼り紙。わたしは、さきほど下関から農園にもどったから着替えて下関。上田さんは泊まるらしい。下関がご出身の河村隆子さんもオカリナ持参らしい。今村さん相撲甚句も余興かもわからない。

沖縄は琉球国をなのか

農園日記HPを管理してくださる方のすばやい対処で、日記が正常になった。3月2日の内容は彼女が再入力してくださった。

沖縄県知人が来月からワシントンに県駐在員を派遣する。
与那国島では自衛隊配備の是非を問う住民投票に未成年者などに投票権を与える異常な投票が行われた。
竹富島の教科書問題もある。
総理や官房長官が、沖縄県知事の面会養成に応じないと国会委員会で野党が詰め寄っても、大人の議論にならないことはわかっているからだろう。
辺野古の埋め立てをしないことが環境などよいことはわたしもわかる。そのうえで、中国軍事費が10%増えたこと。など力にどう対抗するのか、普天間基地が持つ中国や北朝鮮へのパワーは「県外・国外」では果たせない。

八幡様参拝。今村夫妻との会話ができる水曜日。3人でワイワイ1週間分の会話を楽しんだ。
小野文惠アナが、毎年の下関市教育委員会からの講演オファーを、多忙が理由で断ったが、黒田博樹選手の男気に触発され(小野アナは広島県府中市生まれ・山口局がふりだし)「よし、忙しくても行く!」と引き受けた、先日の講演冒頭の話をした。今村ご主人の目が潤んだ。
なんと、その黒田選手がプロ入りしたとき、お世話になった関係者に記念の時計を贈呈した。監督だった今村さんのもとに時計があると知った。

凡事徹底

昨夜から農園HPに不具合がおきている。今夜、管理者の方が診てくださる。わたしは書くだけでシステムは全くわからない。今夜中に復旧したら、明朝この内容をアップする。
山口新聞、先月15日版でわたしの文章が紹介され、末尾に座右の銘として「凡事徹底」と鍵山先生の教えを記した。その4文字の解説をしてほしいとお客さまからメールが届いた。
あすお客さまに会うけれど仕事中だから、今夜のうちに返信しておく。以下はその原文。
○○さま
「凡事徹底」について関心をもっていただきありがとうございます。
この4文字は、カー用品「イエローハット」創業者 鍵山秀三郎先生が約25年ぐらい前に提唱されました。
「凡事」は平凡なこと。履き物を揃える・掃除をする・元気のよい返事をする。などそれぞれ生活の現場にある平凡なことです。
「徹底」とは、その一見平凡なことを続けて行う。工夫を重ねながらやってみる。
それが「凡事徹底」だと、わたしは理解しています。
理解したうえで実践ができていることは、この時期は窓ガラスやサッシの結露を毎朝新聞紙で拭き取る。布団をあげる。食べた朝ご飯の食器は洗い、拭きあげて食器棚にしまう。犬3頭の世話は必ずやる。台所と洗面所は磨いて乾拭きする。ゴミは焼却炉で燃やす。
農園では独身生活ですから、このぐらいをやるためには4時前に布団から出なくてはなりません。約16年続きました。
夜は「しんあい農園日記」と晩酌も凡事徹底の内容です。
平凡なことを続けると生きる力に変わりますと教えていただきました。
さらに、それをわたし流に解釈すると。平凡なことができないと、それ以上のことは無理だと思えています。
「知っている」と「やっている」の差とも言えます。
以上が、わたしの凡事徹底です。

体調が悪い

いまの時期、土曜日に走る萩市にふたつ、わたしのお気に入り風景がある。
ひとつ。現在は無料ななった「萩道路」萩市内に下るとき、右手眼下に「梅林公園」がひろがる。紅白の梅を見おろすことができる。
河村隆子さんとのメールやりとりで、今月7日午後2時から催されるお茶席で、隆子さんオカリナを演奏される。
もうひとつは、道の駅「さんさん三見」日本海を高い場所から見下ろせる場所にある。眼下に山陰本線と点在する人家。海に目をやると紺碧の海に離島や漁船の大パノラマがひろがる。たいしたことはない悩みは景色が受けとめてくれそう。
三見には(旧赤間街道)石工が積み上げたアーチの巨大な石橋もある。いかに交通の難所だったかがしのばれる。
きょうは体調が良くない。午前中は下痢に悩まされた。そのせいか身体が重い。
月曜日の全部が終わったから早く寝ることにしよう。

4日、水曜日の午前2時すぎから「ためしてガッテン」再放送は、チョコで血圧が下がる。録画予約をした。

完全な日曜日

昨夜のSONGS「大竹しのぶ〜愛に生きる女優人生(30分)」は「黄昏のビギン」も「愛の賛歌」もよかった。とくに「うん」と相づちをうった場面があった。

有働由美子アナウンサーは、アナウンサーとして異質(わたしは肌にあわない)な存在感。それが彼女のウリかもわからない。
数年前、矢沢永吉を特集した番組で彼女がインタビューをした。事前に矢沢永吉のライブを観客席から見て黄色い歓声をあげていた。
本番で「あのライブで子宮の奥まで感動しました」と言葉にした。表現力のない言葉にわたしは感じた。
その有働由美子アナが大竹しのぶにマイクを向けた。
大竹しのぶ2度の結婚が話題になったとき有働アナが軽い口調で「次があるかもしれないな」というような言葉を出した。
即座に大竹しのぶは笑顔のまま「それは失礼じゃないですか」と有働の言葉を押し戻した。
「次があるかもということは、そこにいる自分にたいしても嘘じゃないですか」と毅然と言い放った。
有働アナの視線がうろたえた。会話が凍った、そして「次があるかも」という人生は自分が過ごしていました」と機転?よく次に話題を向けた。
瞳をうるませて「愛の賛歌」を歌い上げた、大人の女性、大竹しのぶに拍手をおくった。
2週間まえ、下関を走る木曜日。小野文惠アナ(ためしてガッテン・鶴瓶家族に乾杯など)が、下関市の市民講座に招かれることを知った。家内に話したら「行きたい」と意外な返事。わたしは運転手ぐらいでつき合った。「よしの」の客になり、菊川アブニールの会場に行き、下関市民の顔で入場の列に1時間並んだ。700席に対して1000人になり、300人はモニター画面になった。わたしたちは並んだので前列8席のよい場所だった。90分はステージからフロアーと自由自在のトークショー。番組づくりは視聴者の満足のためにあるという現場の力を伝えた。
具体的には、鶴瓶さんが地元の人に遭遇できたとき、相手が嫌な顔をされたときは背中や傘や頭で相手の顔が撮れないバリアをする。その心配り。
「やらせ」でないのは入れ歯を外した人が出たり、化粧のない人が出る。
家内を待つあいだ菊川温泉の選択肢もあったが、素朴なお人柄の(生)小野さんに会えてよい1日になった。
帰り道は家内が運転。わたしはコンビニでハイボールを買い、完全な日曜日。