日別アーカイブ: 2015年3月21日

旭村の思い出

8時から荷受けがはじまる山口市のフジグランに7時に着いた。マックスバリュと隣り合わせで敷地面積はかなり広い。ここを4周歩けば約50分。今朝も早足で歩いた。

4年前の1月14日、西君(当時48歳)が仕事中に体調をくずして川に転落。亡くなった。
吉部八幡宮の祖霊殿に神様となり祀られている。毎週水曜日は西君に手をあわせる参拝。
お彼岸の墓参り。その花を買わねばならないと考えていた。
萩市に向かう途中、明木の産直市場で花と地元の野菜を買った。
現在は萩市に合併しているが、以前は「旭村」旭村は明木と佐々並ふたつの生活圏からなり、役場本庁をどちらに設置するか折り合いがつかないで、2年ごとに本庁が移転する珍しい自治体だった。
今ならば本庁と支所はオンラインだが昔はオフライン。山あいで住民エゴが衝突した。
旭村とわたしは会議録でご縁がふかく、村長さんから職員さんまで親しくさせていただいた。日本語ワードプロセッサーの初期導入はわたしが納入から全職員さんへの操作指導まで携わった。
佐々並に農業高校分校が廃校になっていた。村長が、あの場所で養鶏をやらんかと提案してくれた。条件は旭村に移住すること。約40軒の程度がよい空き家をリストアップまでしてくれた。わたしは湯田の旅館から出る残飯(餌)の調査をしたが、二足のわらじは無理だとわかり断念をした。老人就労の場として養鶏があることに開眼した。
あるときお昼になり村長が「寿司でも食おう」と誘ってくれた。山奥の佐々並に寿司屋があるとは思わなかった。小さい食堂があり寿司の正体はいなり寿司で落胆した思い出がある。
長門・美祢を走り、お昼前に農園に戻った。きょうも昼ごはんにロング缶。2時間昼寝。さきほど西君の墓参りをすませた。