月別アーカイブ: 2015年4月

信仰の力を感じた

ギタリストの村治佳織「長崎・五島の教会を行く」サブタイトル(祈りと絆の島にて)60分番組が昨夜のNHKであり予約録画した。3時に起きて再生した。
秀吉のキリスト教弾圧から、自らの信仰を貫くため辺境の五島列島に移り住んだ人々を以前から畏敬の念をいだいていた。
わたしが当事者だったら迫害を受けるなら即やめます。ごめんなさい。
けれども生きるには過酷な離島に移り住み信仰を続けた。食べることよりそれが優先された。けれども島民からも迫害を受けたくさんの殉教者が出た。踏み絵を踏んでも、マリア観音像もつくり信仰の灯は消えなかった。
迫害の歴史から250年あと、ヨーロッパでは日本のキリスト教は絶滅したと思われていた。宣教師が五島を訪れたときマリア様を拝ませてくださいと島民が集まった。それから各集落に舟大工の手により教会が建てられ、いま世界遺産にエントリーしている。迫害の歴史は「許す」で遺恨はない。
イスラム教とキリスト教の戦いがいまも止まない。彼らは信仰の衣をまとった過激な戦闘集団に見える。わたしには。隠れキリシタンの「許す」こそ信仰の真髄。
五島列島の海や教会、島民と向き合いギターを弾く彼女は素敵だった。
6時半に木曜日を走り出し、下関市内から美祢市、長門市の大谷山荘まで走りさきほど農園に戻った。
明日は、昨年11月ぶりに金曜日の山口市・防府市から周南市を正志の応援で走る。

正志の正念場

大学野球。専修大学がトップを走っているらしい。今村さん満面の笑み水曜日。

宇部市議選は全体投票率46.58%。有権者の半数以上が身近な行政に無関心。
選挙期間中は立派な公約を掲げて笑顔で腰が低い候補も、当選すれば「先生気取り」政策論争が公の場でされないことも、選挙システムとして足りない。
投票状況は過疎といわれる地域は健闘した。農園隣接の「市小野」は最高の63.16%「荒滝」は2位61.47%。
低いのは「開」27.88%「野中」は28.12%。どちらも住宅地域。
当選した議員は在任中、どうすれば選挙率があがるかを垣根をこえて真剣に考えてほしい。市民を無関心にさせている責任はある。

きのう午後、正志から電話。正志の嫁の父親(長崎県島原市)が救急搬送された。
京都に移動中の家内から「亡くなられました。祭典が終われば帰ります」とメールが届いた。
正志から「今夜、家族を車に乗せて島原に行き、明朝までに農園に戻ります」と電話。
今朝6時「いま家に着きました。木曜日がお通夜。金曜日が葬儀で、木曜日の仕事をすませて島原に行きます。金曜日の配達をお願いします」
島原は片道5時間はかかるから睡眠不足も体力的にもきついだろうが、それを黙ってやるのが男の責任。やさしい言葉はかけない「わかった」だけ。
このような事態が起きて、農園の改善ポイントが見える。正志の肥やしになる。

8時で眠たい火曜日

30日、午前5時から6時。Eテレこころの時代アンコール「生死を生きる」番組案内をみたら納棺を生業にされた人が、その仕事から「命」を語られると思い番組録画をした。
山折哲雄(宗教学習)もEテレ、こころの時代「無常の風が吹いている・私が死について語るなら(昨年11月Eテレ録画)」 で知った。以来、数冊の著書を買い求めた。この録画は何度みても日本人の生死観(神仏)がよく理解できるので保存している。
家内は、長女(照美さん)がご用をいただいている、金光教太秦教会 春の大祭が明日の29日に執り行われるので、参拝者や参列教師の食事などご用奉仕に行った。一泊して明日の夜は戻る。
夜8時にもなると、眠くて日記が精一杯。疲れよりアルコールかもわからない。

農園美術館

農園2階がわたしの住みか。東西南北、何枚か二重ガラスのサッシが入っている。
この季節は、どの窓ガラスからも新緑が眩しく目にはいる。特にケヤキとギンナンの新緑は勢いがある。窓ガラスで切り取られた新緑は、どれもが絵画のように見える。そう思うと農園は美術館で生活するような贅沢。
この度、数年ぶりに松月院ご住職とお会いしてふたつのことを強く感じた。
わたしの小学生時代、通学で松月院の門前を歩いた。寺に一番近い家は桶屋のMさん。曲面にまげた木を青竹で縛り「たらい」や「風呂桶」などをつくり、その手際のよさを立ち止まって見た日はたくさんあった。
闘犬(土佐犬)がおり、散歩は太い綱をMさんは腰にまいていた姿。お寺の裏山にはシイの木があり秋はそれをポケットがふくらむほどとり、夜に母が炒ってくれておやつになった。
その思い出を話したらご住職が、わたしの記憶の背景を話され、不思議なことに、わたしは小学生にタイムスリップしたような錯覚になった。
前にお会いしたときのご住職は、わたしが思う明治以降の歴史観と違いがあり距離を感じたが、今回は距離は感じなかった。それを「ご住職はかわられた」と思った。けれど、よく考えてみると変化があったのは、当時に比べて、わたしが読む新聞が変わり、読む本が変わった。
自分の変化を他人の変化と決めつける「くせ」を認識できた。

親孝行ができる

昨夜、録画した映画「ヒート」をみた。アルパチーノがギャング。ロバートデニィーロはロスの警部。それぞれに女性がからみストーリーを面白くさせた。
足立美術館に行きたい理由は庭師の繊細と言われる仕事を見たいから。展示の作品はもちろんである。
今朝、食事をしている母に足立美術館に行ってみようと思うと話したら「それなら墓参りしてくれないか」と言う。母の実家は出雲市と松江市のあいだ斐川町。実家とは年賀状ぐらいの疎遠になっている。40年ぐらい前、母の弟の葬儀に行き墓にも参った。
寺の名前を母に聞いたら禅宗のお寺を教えてくれた。記憶をたどれば寺で聞かなくても墓前(母の両親)に参ることはできると思う「来月、線香をあげてくる」と約束した。お寺と墓の写真を撮って見せてほしいとも言う。具体的な親孝行ができる。
5月の最後の土曜日。松江市内の宿泊をネットで探したが満室。牧さんはホテルのネット予約が得意なのでメールで頼んだ。やはりこみ合っていたらしいが、喫煙ルームなら今ならとれるとホテルがあると即答メール。ツインを予約してもらった(彼のクレジット支払い)。来月、彼が天草市から島根県に移動中に仲間と農園で泊まるので、そのとき彼に支払いをすることにした。
出雲大社・足立美術館メインは母の代参墓参り。
片方の目の下が化膿して膿みが出ている太郎さん。この患部で夏をむかえたらハエが卵をうみウジがわくと思う。抗生物質の軟膏を1週間前から指につけて患部に埋めている。触ると激痛で暴れるけれど、1日に1度馬乗りになり押さえてつける。それが効をそうして傷口がふさがりはじめた。
菊川画廊の主と電話。彼は数日まえ、新緑の秋吉台を楽しみに行ったらしい。カルスト高原は素晴らしい景色だったと彼らしい贅沢。菊川さん、松月院ご住職と数学の藤野先生にわたし。四人が画廊でお茶をのむ日が調整できた。

あわいの力

きのうは火災に注意をうながす防災メールが着信するほど、乾燥して風も強かった。さすがに焼却は用心してやめた。
今朝3時。目がさめて外に出て草に手をあてたら夜露がおりていた。鶏糞を受けた新聞紙の山。可燃ゴミを火柱があがる勢いで燃やした。配達に出る6時半には燃え尽きていた。農園の営みは、自然の営みに私があわせていけば問題はない。
山口市・萩市・美祢市の土曜日を終えて、きょうはノンアルコールビールで、土曜日の「もやしラーメン」
午後1時の約束。宇部市の浄土宗 松月院に着いた。末次信明ご住職が待っておられた。クリクリ頭。色白でなで肩。口調はゆっくりやわらかい。ところが外見からは意外な強い心がある。
画廊の菊川さんと親交が深いと知っているので、菊川さんが先日の吉部小学校、能楽師の安田登先生が小学生にされた話をオブザーバーで聴講された、その感激話しは末次住職の耳に届いている前提で、安田先生の著者「あわいの力」をお土産にした。
菊川さん曰く「末次さんは、見えない世界が見えている」と昔から言う。それが本の理由。
末次さん学業を終えて3年目に父親(先代住職)が他界。若い住職になった。地域の住職の集まりで「戒名料は要らないでしょう」と本音を言うたら総攻撃にあい。以後、現在まで寺のお付き合いはしていないし、今後もやらない。僧侶は衣の色で上下が識別されるが、末次さんは修行僧の「黒」をまとっている。
私が「ぎじろくセンター」時代は出版社とお客さまの関係からはじまり、生き方に立ち止まったときには松月院の門をたたいた。農園をはじめるとき、何度も足を運んだ。
2時間、近況を語り合い別れ際に「菊川さんと藤野先生と四人で会いたいですね」と言われた。
農園にもどり菊川さんに話した「嬉しいね。画廊でやりましょう」来月に実現できるようすすめよう。

ゆっくり金曜日

新潟の「菊水(720ミリリットル)」長野の「真澄(一升)」ビールとハイボールを吉野さんと飲みほした。
吉野さん得意の自己流硬骨文字解説、合気道極意の世界、いつもの戦争責任論から安倍政権論評。最後は真の「うどん談義」で幕になった。
寝る前に、木曜日の運転で疲れた私の身体をマッサージしてくれた。
楽しい酒は酔いざめすっきりの朝。朝食すませて6時に帰られた。
下関市で鉛筆画教室を主宰のお客さま。来年の個展に特別な一点を描きたいと考えたあげく、市内の安倍晋三事務所を訪ね「安倍先生の肖像画を描かせてください」と頼まれた。作品は展覧会のあと事務所に寄贈する。即決でOKだった。夏を過ぎてから仕事場の理髪店で作品づくりがはじまるらしい。経過を毎週木曜日に拝見できる楽しみができた。
先週から金曜日の「上の湯温泉」は料金400円から1000円にグレードアップした。理由はサウナと露天風呂。客が少ない。
源泉かけながしで、タイルにお湯が溢れる場所に陣どり桶を枕に寝た。
ゆっくり金曜日。

朝まで生「よしの談義」

嫌な電話を昨夜受けた。
毎週6個を届けている小野田市内のご婦人がその相手。
日中は留守なので、もう何年も置場所を決めて、そのルールで問題はなかった。ところが先週、その置場所をカラスが見つけて食べたらしい。それで昨日は置場所に箱がありヒモでフタが縛られていた「なぜ、あの箱に入れなかったのか、きょうもカラスが食べた」と感情的な口調。わたしは箱の経緯がわからないから、ヒモをほどくことはできない。箱の横に卵を置いた。
反論できるが、ここは時間がかかっても言い分をしっかり聞こうと腹を決めた「もう卵は要らない」とまで言われた。謝る立場ではないから「そうですか」を繰り返した。言いたい放題のあと、結論はご自分で出された「カラスを電話で言えばよかったね」
来週から箱に入れるルール変更で幕ひきとなった。相手のペースにのらないことが関係を悪くさせないことがわかった。
木曜日は加奈ちゃん宅の配達がある。きょうもパン教室。幅広い年齢の生徒さん。阿武町から(遠距離)通われている年配のご婦人に「佐々木仁資(じんすけ)をご存じか」と尋ねたら「ああ、やかましい男いね。けど、ええことを色々やりよるらしい」私と仁資さんのご縁はトイレ掃除。阿武町では有名人らしい。
加奈ちゃんと藤野先生を農園で引き合わせて「なんのために勉強するのか」を、加奈ちゃんに藤野先生が語り、加奈ちゃんが「なるほど」とガッテンしたら、パン教室の面々にアナウンスして、子供や孫に「なぜ勉強か」を話せる力をつける集いを夢見ている。
加奈ちゃんは二人の子供の母でもあり大賛成のようす。けれどもパン教室や販売が多忙で、その時期を少し先にしたいらしい。まったく急ぐ企画ではないから「ぼつぼつやろう」と言った。
木曜日の「よしの談義」。きょうは農園で酒を酌み交わしながらやることになった。店主一人で来られるから布団と日本酒を用意している。家内は居酒屋「しんあい」の開店準備中。

今村談義の水曜日

母の毎日、命の御礼。農園業務が支障なく御礼。家族とわたしにご縁のみなさんの健康御礼。今週手術をされる友人奥さまの全快お願い。
健太手術から1ヶ月を元気に経過の御礼。今朝も吉部八幡宮参拝。
水曜日の朝8時は今村さん「今村談義」が楽しみ。奥さまは市議会候補のウグイス嬢(?)に出て留守。ご主人と日焼けした大男が出てきた「足立さんじゃ」と今村さんが大男に私を紹介したら、大男は腰を曲げて最敬礼「専修大学野球コーチの」と自己紹介。
一泊して野球談義をした今村さんは、いつもの「仏の今村」ではなく厳しい表情の顔つきに驚いた。
先日のテレビ番組で広島カープの黒田投手が、打たせてとるピッチングを評価した。それを、野球素人のわたしが話題にしたら今村監督「三振より、一球目に打たせてアウトをとる戦術が投手の疲労が少ないから、ボクはその指導をした」と眼光鋭い。
監督時代、子育てに気をつけたことを尋ねた。ふたつ即答された。家計の苦労はあるが妻には働かないで、学校からもどる子供を迎えてくれ。
食事のときはテレビはつけない。自分もわからないがクラッシクを流した。そして家族の会話を大切にした。
グラウンドに立つときだけの監督(指導者)ではなく、生活のすべてが指導者(教師)だったことに感動。
配達を終えて農園に戻ると留守中に、 浄土宗「松月院」の末次信明ご住職が農園を訪ねてこられた。名刺があった。
前の仕事では、たくさん出版のお手伝いをさせていただき、菊川画廊でも酒を酌み交わして私の世界をひろげていただいた。
すぐにお礼の電話をして近々お参りさせていただくことになった。
市議会選挙の投票を済ませた。

藤野先生と懇談

今朝は3時に石油ストーブをつけて、太郎さん用の朝食(鶏ミンチ)を煮た。冷えた朝だった。太郎さん、頬が内側から化膿が深刻。くしゃみをすれば口からも膿が出る。ドックフードだけでは食べないが、手を加えたら食べてくれる。
先週お留守だった山口市内の奥さま二人。きょうは在宅だった。お一人は長野県、お一人は佐賀県に身内の入院と葬儀に向かわれたと聞いた。誰もが身内のことで心配する時期がある。
母の妹に、わたしと同級生の男の子がいた。従兄弟は成績優秀で東京の有名大学にすすんだ。母はわたしの幼いころから従兄弟と比べてため息をついた。わたしは母のため息を聞きながら勉強が嫌になった。劣等生がたまに授業で優等生より先に手をあげて答えたら担任は苦々しい顔をした。ますます勉強は嫌になった。
最近、数学の藤野先生が「本来、学ぶことは楽しい」を持論に「数楽の会」を不定期に催され、皆勤賞のわたしは、その刺激もありEテレを録画するぐらい学ぶことが楽しい時間になった。
昨夜、藤野先生に「話したい」とメールをしたら、さきほど来てくださった。わたしには「なぜ勉強」をと子供に語りかけるすべはないが、教育産業に振り回されない親の考え方に一石を投じる藤野節の広報の役なら担えると話を切り出した。
要は、子供が勉強する目的を示せば教育産業に多額の月謝を払わなくても成績はあがる。藤野先生もおおいに共感してくれた。わたしの役割を具体的に考え実行する。小さい一石の波紋を興したい。

百穀の雨

NHKスペシャル戦後70年「日本の象徴 日本人と象徴天皇」がシリーズで放送され録画している(1回・2回まだ続く)
連合国が、戦争犯罪人を裁いた、極東国際軍事裁判を開廷するまえ、天皇を裁判にかけるか否かを戦勝国が審議した。当然責任を負わせるというおおかたの意見を、日本統治の最高責任者マッカーサーが反対した。天皇を極刑にすれば日本国民を統治することが不可能になる国柄。が理由。
戦争で国力が疲弊し食べ物に事欠くときGHQは天皇に国民を励ます行動を要求した。
例えば、常磐炭田の採掘が天皇ご巡行の翌月から倍ちかくになったことは知っていたが、それは進駐軍の統治(食料自給・国力増強政策)のひとつだったことは初めて知った。
それまでは「神」とされ天皇を見ることがなかった国民に、戦後復興の激励に全国行脚をされた。スタートはGHQから押されたが、あとは天皇のご意思で津々浦々ご巡行され、戦後の復興が飛躍的にすすんだことを番組で理解できた。
戦後70年、激戦地の島々を最近では慰霊され、東北や阪神の震災被災地を訪れで被災者に寄り添われる天皇に国民は困難に立ち向かう勇気がでる。
今朝、録画を半分みてのわたしの理解。
「よしの」で天皇談義のとき、日本はいざというときは天皇でまとまる「国」で意見一致したことも記憶にある。
昨夜から豪雨。今朝は雨具は完全装備で出たが、激しい雨にはあわなかったが寒い月曜日だった。
この雨を百穀を育てる穀雨というらしい。水田を潤し、田んぼの水がぬるみ川にそそぎホタルが舞いはじめ自然のいとなみ。

沖縄県民の総意か?

きのう倒れた太郎さんを、朝一番に見に行った。歯肉炎が悪化して腫れ、片目が見えにくい。けれど生きていて安心した。食べやすいよう太郎さんだけは卵かけ缶詰めドックフード。

翁長沖縄県知事をはじめマスコミが「沖縄の民意」を連呼している。気になるので沖縄県知事選挙の結果を調べてみた。
明確に辺野古移設反対を表明したのは二人。翁長雄志360080・喜納昌吉7821
移設賛成は仲井眞弘多261076・「風見鶏」の下地幹郎69447
確かに反対に同調した数は賛成票を上回っている。けれども「沖縄県民の総意」と果たして言えるのだろうかと感じた。

今朝の母はご機嫌上々。落ち着いた会話が長い時間できた。いつまで生きておれるかが話題。宇部市会議員の投票入場券が母にも届いている。
昼寝もできて、ゆっくりの日曜日が終わった。

土曜日はラーメン

久しぶりに窓ガラスに結露の朝。外気は4時で3度。
きのうにつづいて草刈り。2種類の草刈機を使う。きのうから使っているのは「ハンマーナイフ」という強力なマシン。ゴムキャタピラーで走行し前方に格納された鋼鉄のナイフ約20本がエンジンで回転して少々の藪や背丈の高い雑草密集地でも、草を粉砕しながらブルトーザーのように前進する。
つまり、雑草をある程度放置してからでも大丈夫だから、肩にかけて丸い刃で刈るやりかたより年間の回数が半分以上楽になる。
ただし、使い終わったあとの掃除は手間がかかる。
日曜日(あす)から雨予報。金曜日と土曜日でハンマーナイフを使い、エンジンで強力に噴射できる動力噴霧機で隅々まで汚れを落とすことにしている。この掃除と各所の注油ができて、丁寧に操作をしたら故障はない(小型ユンボは10数年故障なく働いてくれる)。
早朝の草刈り。山口・萩から美祢の配達を終えて草刈り。わたしのイメージどおりに草が刈れた。さきほどきれいに洗ってシートで覆った。
草刈り疲れで腰をおろしていたら、高齢犬の太郎さん(20歳)が、酔っぱらいのような足どりになり地面に転がった。立てないから抱き上げて作業場に寝かせた。
何の変化もない大海原。帝国海軍は曜日を艦内に知らせる意味や栄養補給を考えて、金曜日はカレーライスにした。各艦艇ごとにレシピができた。乗組員はカレーで金曜日を認識したらしい。
わたしの土曜日はラーメン。昼は必ずモヤシたっぷりで家内がつくる。土曜日より他はラーメンはない。わたしの好物。食べに行くなら宇部新天町の「大阪屋」数年に一度のペース。
きょうもお昼はモヤシのラーメン。

温泉ざんまい金曜日

◆浴槽に 顔をつけてる 美人の湯
◆買えぬ服だから 着てみた試着室

毎日新聞は川柳投稿から読みはじめる。心をくすぐる言葉のパズル合わせに感心している。
以前、出張で宮崎市内の居酒屋。週刊誌をながめながらの一杯。壁に目をやると種田山頭火の自由律俳句を覚えている。
◆やっぱり ひとりは寂しい

4時に暗闇のなか犬の世話をすませ、鶏舎の戸をあけて外に出し。薄暗い5時から7時半まで草刈りで汗をかいた。
朝食を済ませて母のご機嫌うかがいに出た。途中に阿知須の商業施設があり、今朝は2時間草刈りした。萩も歩き終えたが歩きたいから40分軒下を歩いた。
朝食とオムツの交換を済ませた母はまどろんでいた。照美さん(京都の長女)が子供3人の進学・進級写真をおくってくれたから顔に近づけて見せた。わたしの家は母がルーツになる。その貫禄は「可愛いね、おおきゅうなった」としゃんとした。
持世寺温泉の公衆浴場はお客が多い。きょうは2階・3階の千円風呂にした。サウナ・露天風呂(新幹線が見える)に薬湯にジャグジー。喫煙と禁煙がわけられた休憩室も利用できる。ゆっくり萩の疲れをお湯に流した。
お昼はロング缶を1本そえた。昼寝もできた。
明朝も早起きして草刈りをしてから半日走る予定。

きょうも酔拳

火曜日。山口市内の「ユニクロ」近くの配達がある。店の裏口に「どなたでもご利用ください」と札のある男女トイレ。わたしは利用することが多い。
おそらく1日に何度も掃除されていると思われる清潔で広いトイレ。今週、午後2時過ぎに若い男性店員が掃除をされている現場に遭遇できた。男子を済ませて女子の床を磨いていた「使ってもええかね」と声をかけたら「どうぞ!」と返事がした。
窓ガラスも洗面所もピカピカ。床は水気が拭き取られていた。
農園トイレに風呂はもっときれいにできる。
先週、あるご縁で下関市内の魚屋さんに毎週の納品が決まり、きょう10個パック×15をお届けした。近所のお馴染みさんで、生たまごが食べたい声を実現された。
ユニクロのトイレも、生たまごのお客様の声も、そこまでやらなくてもよい。
その、面倒なことや儲からないことに力を出せる人が多くなるほど世の中はよくなる。
その反対もあり。
木曜日を走り終えて缶を2本飲んで日記を書き終えた「酔拳」。

水曜日は朝参り

今朝は3時から暖房をつけた。
朝参りで宮司とあった。八幡宮の「宮」と、日曜日に参拝した金麗社の「社」。宮と社の違いを尋ねた「社」は本来は「もり」杜のなかに神様がおわします。のような回答をされ、八幡宮も神社とも言うから同じと考えてよい。
水曜日の神社参拝をはじめて数年経った。教義がないから、こうあるべきの決まりがなく、わたしは身軽にお参りできるから続いている。わたし流の参り方でよいから。
今村さんの裏口が、ご夫妻とわたし、3人がそれぞれ感じた1週間を言う。沖縄がここまでこじれた元凶は鳩山由紀夫だとわたしが言うと、ご主人も相づち、けれども歯切れが悪いのは鳩山由紀夫も専修大学でご主人と同じ学生に教師として向き合った時代があり、酒を酌み交わしたこともあったらしい。投票率の低さは3人共通の思い。
自分の生き方(理想)に照らして政治家を選ぶ一票を放棄する国民が増えることが心配。
映画「アラビアのロレンス」で、あの地域は白人がひいた直線の国境線ではなく、部族がいわゆる小さい国家を形成している。内紛が拡大しているが、小さい国家を都合でまとめた西洋列国に内紛は起因しているのではないだろうか。などと話題は世界に拡がる裏口談話。
午後、配達をすませて血圧の定期検診。美人の女医さんだから血圧はあがる。
健太は手術後3週間の水曜日。元気に走って安心。

ネズミとの戦い

「眼下の敵」という映画があった。眼下はドイツ潜水艦Uボートとアメリカ海軍駆逐艦の実話。
農園では「頭上の敵」と戦いの最中。敵はネズミ。夜中の静寂を天井の足音がやぶる。腹がたった深夜に七味唐辛子の缶を天井に投げたら突き刺さり、今も天井の杉板に唐辛子がある。
ネズミの好物は「油」練り製品の天ぷらを買い、それに違和感なく食べる少しの殺鼠剤をつけて、天井に通じる唯一の風呂場の天井を開けて、夜食を毎晩ご馳走している。この3日で薬は効いていることが実感できる。今夜も少しの薬を天ぷらにつけた。この結果を急がない「少し」が敵に油断を与える。
佳子ちゃんはドックトレーナーを目指していたが様々な理由で、前の会社で社員さんだった。わたしが辞めてしばらくして退職された。数年経ち農園に来てくれた。四国を歩き遍路をやりたい。その相談。小柄な彼女にわたしは「ちびっこ遍路」と命名した。ちびっこ遍路は千数百キロを八十八番まで歩いた。
彼女に昨夜メールをした。彼女はわたしには歩くということでは先達である。
より早く・より高く・より儲かる価値観は、歩いていると、たかが1日でしたが落ちますね。
さきほど先達から丁寧な返信をいただいた。
ハッピーが4日前から軟便が治らない。2日前に整腸剤を(人間用)を一錠投与。きのうは便秘。今朝は見事な一本が草むらに落ちた。これで安心。
今朝は1時間近くかけて坂道を往復した。今度は下関市から長門市の日本海ブルーラインを歩いてみたい気持ちになった。

今朝もウォーキング

昨夜、8時から選挙開票速報をみるつもりが寝てしまった。12時前に目がさめてテレビをつけたら山口県内の開票結果が報じられていたが、わたしの選挙区がわからない。
わたしが投じた候補は心配ないが、農園に近いところにお住まいの共産党県議が心配だった。
サヘル・ローズさんは売れっ子。彼女がメディアに登場した直後にNHKラジオが30分近いインタビューを全国ネット放送した。
戦場と化したイランの村が空爆にあい村人140名全員が死亡した。3日後に廃墟の村を訪れた女子大生が生存していたサヘルを発見して自分の養女にした。母子になった。
運命にほんろうされて親子は東京。頼った男性に捨てられ公園でホームレス生活の時期もあった。
サヘルは母親孝行したいと心境を語った。わたしは車をとめて聴いた。共産党の県議も泣きながら聴いたらしい。彼はすぐにNHKに電話をしてサヘルに宇部市で講演して欲しい。往復の旅費はなんとか工面すると交渉の末に講演が実現した。
宇部市老人福祉センターが会場。わたしの周辺にもご案内をした。まだ芸能人らしからぬ出で立ちのサヘルが、ラジオで語ったことを話した。手帳からお母さんの白黒写真を出してみなさんの席をまわり「お母さんです」と紹介した。必ずアカデミー賞をお母さんにプレゼントします!と最後を結んだ。
あの時から共産党県議に親しみを感じていた。
はやく結果を知りたいのでやってみたのはデータ放送機能。老眼鏡でリモコンを操作したら、わたしが「今」知りたい画面に着いた。共産党県議は落選だった。
結果を知りたいから、日ごろは使わない機能を夜中に駆使できた。必要こそが原動力になる。
きのう日記を読まれた岡本拓也さん。月曜日の配達。身体を整えることが生業。足腰の疲れが治る技を無料でしていただいた。
その効果で、今朝も平川商業施設の軒下(豪雨)を軽快に歩いた。

10時間で完歩

寝るだけだから安い宿を東萩駅近くで探した。税込み4700円が最低料金。あえて名前を載せる「トラベルイン・萩」
毎週、この古いホテル前を通過している「安かろ悪かろ」の予感。ところが部屋は清潔。風呂・トイレに洗面所は磨かれていた。部屋に古さを感じるものはなかった。朝5時半、部屋を出るときお礼の気持ちで浴槽をきれいにした。フロントではネクタイのご老人が「お気をつけて」と見送ってくださった。

農園には3時半に戻ったから10時間徒歩の旅になった。
歩き終えた感想は「たまには歩くと世界がひろがる」
海抜0メートルの萩を出て中国山地をアップダウンの繰り返しで上る。冬場は県内でも凍結の難所で悪名高い「雲雀(ひばり)峠」わたしは毎週土曜日の早朝、この峠を下り萩に納品がある。今シーズンも命がけの下りがあった。
峠を上り始めた左の山手に、川石を積み上げた見事な棚田があった。棚田100選など関係なく、機械もない時代に、川から石を運びあげた先人の汗と力の跡を見上げて胸が熱くなった。
車で通過してわからないものは「音」山あいに道路があるから、両側の山から水が集まりゴウゴウと轟く。雲雀峠の頂点は9時。標高は246メートル。
もうひとつの「音」は野鳥の声。春だから特ににぎやか。さまざまな鳥が命を輝かせている。
著名な観光地もよいが、身近な場所に思わず足がとまるほどの絶景はたくさんあることがわかった。
いくつかの峠を越えて「大田・絵堂戦役」の地に11時間半。幕府が長州を攻めた四境戦争の激戦地。高杉晋作の奇兵隊が山県狂介「後の山県有朋」の指揮下に入り幕府軍を撃退した。その奇兵隊本陣となった金麗社に参拝。山県有朋が断髪して勝利を祈願した云われがあった。
10時間、元気に歩けた。15年あまり1日も病気で休んだことはない元気なわたしを育て上げてくれた母に感謝。
きのう山陰本線から眺めた日本海。きょうの徒歩の旅。人生の思い出のひとつになる。

今夜は萩泊まり

農園で生活を営み、もう15年を過ぎた。今朝も犬と川土手を散歩して産卵で水音を激しくたてる魚。それを狙う川鵜やサギなどたくさんの鳥が群れている。春になれば当たり前の風景だが、これは買えない贅沢。
トヨタ下関店長から長門店長に辞令が出た江口さん。土曜日は萩市から長門市を毎週走るので、愛車のメンテナンスは長門店ですることにした。来週から長門市単身生活になるらしいが、まだ下関の自宅から片道1時間半かけてマイカー通勤をされている。鹿・猿・猪に狸や狐など野生動物が道路に出没する山間地が途中にあり運転は、特に夜間は慎重になるらしい。長門店に修理で持ち込まれる車は動物と衝突したものもあると聞いた。オイルを交換した。
昼に農園に戻り、缶1本を昼ごはんに添えて少し昼寝。
JR美祢駅を2時前の電車に「東萩駅」切符を買い求めて乗車した。今朝納品した湯本温泉大谷山荘も車窓から見えた。圧巻は長門駅から萩駅までコバルトブルーの日本海。短い鉄道の旅ではあるか日常から離れ気持がよかった。
さきほど、予約していた東萩駅近くのホテルに着いた。豪華ではないが掃除の行き届いた清潔な部屋に満足。
明日は5時半ぐらいから農園を目指して徒歩の旅。アップダウンがきつい道だからどこまで歩けるかわからないが精一杯が出せればよい。

昼は豆腐でビール

仲代達矢がラジオ番組で俳優座で役者を志していた当時を回想する場面があった。
人前で喋る勇気をつけるため、電車の車内で「これから台詞の練習をさせていただきます」と挨拶して、前夜に覚えきょう稽古でつかう台詞をやった。毎日。
その努力が積み重なり、いぶし銀のような現在がある。
1962年制作「切腹」は、仲代達矢作品のなかでも、わたしは気に入っている。派手さはないが、貧乏武士の魂はリアルに伝わる。16日午後1時。BSプレミアムで放映されると知り録画予約した。
昨夜からの雨は今朝も本降り。それでもウォーキングできる大型商業施設の軒下が、母の病院に向かう途中の阿知須にある。約1時間早足で歩いた。
母の手足は骨格標本のようになったが顔はふくよか。しかし顔色は黒くなった。ふくよかではなく浮腫みだと感じた。眠いのか反応が悪い。
かけ流し温泉に立ち寄り、湯上がりに隣の開店準備の豆腐工房に声をかけて温かい木綿豆腐一丁を買わせてもらい、オカラをひと袋無料でいただいた。温泉も豆腐屋も金曜日朝の常連客になった。
このたび、両陛下が追悼に向かわれたパラオ。特に激戦地のペリリュー島は、硫黄島・サイパン島・テニアン島などで最期は「玉砕」が大本営から打電で命じられ、万歳突撃が敢行された。しかし、このペリリュー島から玉砕ではなく「死守」になった。どちらも戦死することでは同じであるなら兵士にとっては死守は過酷であった。沖縄戦まで死守命令は出された。ペリリュー島を両陛下が慰霊に訪問された意義は深い。
県セミナーパークからの案内メールを転載

■夢トークinやまぐち「キッチンから始まる家族の絆」
【講師】料理研究家 コウケンテツ 氏
【日時】7月12日(日)13:30〜15:00
【場所】山口県セミナーパーク 講堂
【定員】300名
【申込期間】5月21日(木)〜6月18日(木)必着

精力絶倫おっさん異偉業

2日間つよい風で焼却できない可燃ゴミがたまった。焼かないと農園作業に支障があり気になっていた。昨夜も風がつよく火をつけないで寝た。
2時半起床。録画番組をみたり、ごそごそして4時に防寒着で外に出た。手をあてると夜露が地面や枯れ草を湿らせていた。燃やすタイミングがきた。炎が舞い上がるほど赤々と燃えはじめた。天候をよみながら農園の作業を安全に営む。
朝のニュースで驚いた。よく三面記事で「千人斬り」とか嘘っぽい男の女性遍歴はあるが、教育の立場にあったおっさんが1万2千人斬り。その記録を整理保存した几帳面な人柄に驚愕した。人間、やる気になれば不可能はない実例を残した異業。

木曜日の楽しみは「よしの談義」きょうも完売の札がかかっていた。
「わかっちょらん!」と言いながら、わたしの脇に腰をおろした午後3時。
連日「完売」の札が開店(11時)から2時間ぐらいで出る。製麺機械を入れて儲けを出せと周囲が言う。それは「わかっちょらん!」
深夜2時ごろから仕込みをして開店に向かう。そのためには夜8時ぐらいには布団にもぐる。それは、うどんを食べたお客さまが「うまい」と言わなくてもよい。来店してくれることが「うまい!」の評価。売上を機械製麺に委ねる気持ちはさらさら無い。
これが「よしの」と私の仕事共通点。今朝も早起きしたが「よしの」の仲間も働いているだろう「よしの」が励みになる。わたしも、鶏が1日に1個生んでくれる卵を、待ってくださるお客さまに届けて完売。
木曜日を元気いっぱい終えた。

目に見えにくい真実

昨夜のプライムニュースに河村建夫代議士が出演され、日韓関係について穏やかに話された。穏やかでないとほぐれない。
水曜日の八幡さま参拝は宮司と鉢合わせ。選挙談義になった。宮司の分析力恐るべし。

菊川画廊から備前焼展覧会のご案内はがきをいただいた。今村ご主人は陶芸作品を熱心に制作されているから展覧会をご紹介した。画廊で絵画にまで菊川さんと話題が盛り上がったと嬉しく聞いた。
例えば江戸時代の絵画を鑑賞するとき、描かれた当時の室内(屋外)の明るさを想定して、それに展示空間の照明を近づけて作品を鑑賞するとより本物になる。
つまり「はっきり見えたほうがよい」にはならない。備前焼もたくさんの光量で見せたらよいわけではなく、作家が制作した部屋の明るさが適切だろうと今朝の話題になった。
わたしも画面で見えたら。目で見えたらそれが真実とは思わないほうがよい。そう考えるクセを持ちたいと思っている。
尊敬している金光教の教師(80歳)は、岡山県の田舎に初代(親)が建てた小さい教会でご神勤されている。あるとき長男が、取り壊して新しく建築するプランを話した。親孝行のつもりで。すると「親父が激怒した」と長男がわたしに語った。
その激怒した理由は、借家で布教していた初代は教会造営の願いはあるが資金がない。けれども、今できることから始めた。土壁の中に編む竹をしばる縄(こまい)を夜中につくり始めた。その初代の願いが随所に込められている教会は、確かに古くなり見栄えもよくないが値うちはある。
そんな話を昔聞いたことを思い出した。
報道写真や活字も、発信する側が意図的に切り取ったものがたくさんある。
見えている背景に目を凝らすことが要るように感じている。
日曜日の萩〜農園歩き旅。土曜日の宿を予約したが、日曜日の傘マークが大きくなってきた。キャンセルは当日でもよいとフロント。
日曜日の不在者投票には配達終えて済ませて戻った。

終わりよければ本日もよし

朝から夕方まで寒い火曜日を終えた。
最近は特に物忘れが多く、アプリの「メモ帳」に書き留める習慣を身につけている。
今朝はその「メモ帳」を見ることを忘れていた。4月はじめての火曜日。ダッシュボードのカレンダーを見る度にチクチク気になる。そのチクチク扉が午後にようやく開いた。きょうは山口市内で2軒新規の配達があった。配達の卵はない(予備は完売)一軒は午前中のお届けだった。慌てても解決しないから車を止めて考えた。
常々、わたしは配達のプロになりたいと思っている。単に配達するのではなく短時間でも、言葉のやり取りで「面白かった」とお土産を残せるよう、新聞を斜め読みしたり、テレビを見たり、読書したりする。これは前の仕事のときからの習慣になっている。苦手は経済と野球。
運転の慎重はもちろん。イライラしない。イライラしたら平常心を失う。
お届け時刻を守る。早く着いても、遅く着いてもいけないのは、わたしの到着時間でお客さまが予定を組まれていることがある。積雪でも台風でもだいたい守ってきた。
トラブルは起こさない。どうしても路地に止めないと配達できない場所。車の止めかたに文句を言う人。言えばわたしに言い分があっても頭を下げる。押し問答で言い負かしたら品がない。
車の整備はこまめにやる。たとえばスペアータイヤの空気圧は半年ごとに点検している。一度、満載のときパンクした。スペアータイヤの空気圧が減っており苦労した。
さまざま「配達のプロ」を目指している私の失敗。農園に戻り夜になってもお届けする策もあったが、午前中に届けた「野菜工房」に客として買い取りの予約電話をした。
それを2軒にお届けできた。
終わりよければ本日もよし。

きのう、解剖学者の養老先生がラジオに短時間登場された。
「意識」を研究する人がいないからご自分がされている話しだった。細胞な様々な研究は深められているが、なぜ寝て起きるのか。その間の意識はどうなっているのか。学者は難解なテーマに挑むが、ささいなことは無関心。
考えの角度が異なるかもわからないが、鍵山先生が履き物を揃える。揃えたら心が揃う。私の解釈は、履き物ぐらいが揃えられない人が、それ以上のことは出来ない。

投票率の低下におもう

辺野古が騒動になっている元凶は「国外、最低でも県外!」と、それまで長年にわたり丁寧に基地移設を推進した自民党の努力を、あの一言で打ち崩した。けれども、あの総理を誕生させた責任は有権者にある。
官房長官と沖縄県知事の会談は想定内の結果に終わった。
わたしが思うことは、沖縄県知事選や移設先の首長選挙で、辺野古移設反対の旗をあげた候補に軍配はあがった。つまり、それが沖縄の民意に間違いない。それを手続き論で正当化し、同盟国の顔色をみながら「粛々とすすめる」ことは、果たして民主主義国家といえるのかと疑問がわいてきた。
わたしは、普天間基地の危険除去。アメリカ海兵隊の駐留意義などから辺野古移設に賛成の立場でありながら「粛々」には違和感がある。(フィリピンはアメリカ軍を撤退させたが、それ故にいま中国が土足で領海に滑走路建設をしている)
統一地方選挙。投票率が気になる。納税額や男女の分け隔てなく、平等に1票が現在の日本にはある。
投票率が低い。それは辺野古のように、民意が示されてもレールはかわらない政治に失望している国民が多い理由もあるかもわからない。
山口県議選では、県政の論点。例えば上関原発をどう考えているかを候補は個人演説会ではなく、公開の場で議論したら投票率は必ずあがる。市議選も宇部市の課題をテーマに論戦をしてほしい。候補の本音が見えない。本音はないのかもわからない。

午前中は豪雨のなか、月曜日が終わった。太郎さんの便がチョコレート色の軟便。たぶん内臓に出血があると思う。けれども長い時間をかけて毎食食べる。

「はなもゆ」?

布団のなかで読んだ紙面で素晴らしい行政の力だと拍手した記事は「熊本市動物愛護センター。14年度は殺処分0達成」
病気で治療費が負担になる。ペットも飼い主も高齢。などさまざま飼えない理由で犬を持ち込む人に解決方法を一緒に考え、取り組んで殺処分0の偉業。
山口市愛護センターを一度訪れたことがある。数多くの犬と猫が、その日を待つ姿に胸が痛んだ。
もうひとつ行政で驚いたことは、先月25日に萩・長門清掃一部事務組合のゴミ焼却施設が50億円の事業費で完成した。その工場名称は「はなもゆ」

わたしが農園日記をはじめる前までは、社内報「社長通信」を毎週1回ペースで出していた。きっかけは、当時は唐戸魚市場専務だった松村御大から「考えを発信することが大切」と指南いただいたことにはじまり「書く」ことがスタートした。松村御大はハガキで通信を出されている。その257号(÷12ヵ月で21年)をいただいた。今号のなかで輝いた言葉は「旅は何処に行くかより、誰と行くかですね」
母に会いに行くことが、行きたくない気持ちになっていたのは、前回(金曜日)にさんざん悪態口をたたかられた気持から回復していないわたし。
けれども母だから気を取り直して部屋に入った。自力で朝食を終えたあとで、前掛けや掛け布団にたくさんこぼし、顔にもお粥をつけていた。顔をティシュできれいにしていたら「あんたは、優しいね」とつぶやいた。手の指は骨に皮膚がはりついているほどになったが、顔はまだ面影がある。腎臓が悪いのか黒くなってきた。
ロング缶で昼寝のあとトイレと風呂掃除。
今朝までの豪雨が早朝にあがり、下関海峡ウォークの参加者とボランティアはよい1日だったと思う。

ご縁の不思議さ

昨夜、下関市の住吉神社宮司からお電話をいただいた。木曜日に下関市内を走るときご挨拶に立ち寄った。宮司は不在で、応対に出た神職が「で、ご用件は」と聞かれた「用件は、唐戸魚市場の松村会長から挨拶に行くように言われて来ました」名刺と卵を差し上げて終わっていた。
電話の内容からすると、吉部八幡宮の野村宮司と従兄弟にあたり、以前からいろいろな機会で農園のことを聞かされていた。西君のことをふくめて。
たまたま松村御大と同席されたとき農園が共通の話題になったらしい。
近々お会いする約束をした。ご縁がひろがる不思議さを感じた。

平川の大型商業施設を今朝は4周歩いた。1周目のとき、清掃される女性が近道をしょうと柵の隙間に身体を横にして入り、乳房が邪魔をして抜けられなくなっている場面に出くわした「押しましょうか。引っ張りましょうか」と思わず声をかけた「恥ずかしい」と返事をされたから手伝わなかった。2周目のときは幸い脱出していた。
萩の「常茂恵旅館」は、毎週土曜日の朝にお届けする。今月、東萩駅から農園まで歩く計画を練っている。その東萩駅にほど近い場所に「常茂恵旅館」はある。
納品のあと駅周辺のビジネスホテルや飲食店をさがした。萩バスセンター周辺を先日通過してみたが、シャッター通りでここはパス。東萩駅周辺は少しはマシだと感じた。とにかくこの駅を起点にする。
美祢市の配達を済ませてJR美祢駅に立ち寄った。バスで萩に向かうより、美祢線と山陰本線で萩に向かうほうが旅気分になる。左の車窓からワンカップ酒とちくわで日本海を望めるプチ旅行になる。美祢駅から時刻表を調べ、長門駅乗り換えの美祢線と山陰本線ホームの位置を確認した。

宮田原人の話題

雨がふりだす前、健太は放して走らせ。太郎さんのヨタヨタ歩きはリードをつけて。ハッピーはリードでかなり長い距離を歩かせた。
そのあと、車でいつもの坂道ウォーキングコースに行きしっかり歩いた。途中から雨がふりだし中止。散髪。終わって母にあいに行く途中、阿知須の大型商業施設の軒下は雨があたらないから30分歩いた。
今月、萩から農園まで歩く計画をたてているけれど、わたしの目算では10時間以上は歩かないと達成できない。本番では「あれだけ歩いた」という毎日の積み重ねが後押しする。
母に美祢市や農園の桜を見せたいとタブレットに画像を整理して持参。けれども機嫌が悪い。元旦も卵料理がどうしても食べたいと年末から言うので、家内が茶碗蒸しをさめないよう工夫して持参したときも不機嫌で、茶碗蒸しは不発だった。
今朝の「桜」も、母の貯金を誰が使ったかを言いはじめ、機嫌をとろうとしてもダメ。
老いや病が言わせる言葉とわかるが、会話にベルトがかからない残念を残して部屋を出た。
「上の湯」温泉で1週間の疲れをとかした。湯上がりに隣の豆腐工房に立ち寄り、揚げ豆腐と木綿豆腐。どちらもあたたかいできたてを買った。オカラは無料でひと袋いただいた。オカラの横には、朝採った無料の野菜もあった。
きのう藤野先生が農園にお届けされたパンフレットは。今月29日に周防大島「大島文化センター」で、午後4時半から開場の「島のマルシェ」で講演される内田 樹(思想家・武道家)「地方で生きる・これからの社会の描き方」
マルシェは、大島在住の若者が「加工品」「雑貨」「農産物」「飲食」「パン」「ワークショップ」などブースを午前10時からはじめる。
わたしが特筆したいのは「農産物」で10以上の生産者が出展するなかに、わたしの携帯電話登録では親しみを込めて「宮田原人」になっている「野の畑 みやた農園」の名前を発見したこと。彼は、わたしが農園をはじめる前から、農園地域の山奥に入植して理想の有機農業で野菜と米を作っていた。その畑の栄養に鶏糞が要るので100羽ちかく養鶏をやり、卵も鶏肉(自分で処理)も販売していた。志はたかいが貧乏。たまに農園に夕方から来ては酒盛り。彼と奥さまは青年海外協力隊でアフリカのザンビアに滞在した。宮田原人は酔ったらアフリカ原住民の歌(音痴)と踊りで楽しくさせた。
あるとき台風で住居も鶏舎も失い、しばらく農業高校で教師をしていたが大島に移住した。
藤野先生の話しでは、大島で農業を志す若者のリーダー的存在らしい。
この大島イベントについての詳細はわたしの手元にあります。関心ある方はお知らせください。

満開の桜を愛でた

先日「戦災孤児」の報道番組をみた。孤児・浮浪児と言われ、上野駅をねぐらに戦後を生きた当時の子供が、70年を経て当時を回想する内容だった。
1945年3月10日の東京大空襲は、死者10万人。100万人以上が罹災した。学童の多くは疎開していた。疎開で命が助かったことは、肉親をすべて失った学童にとって幸せだったのか否か。上野駅で餓死する仲間、腐った残飯を野良犬と奪いあう。遠縁を頼ったら牛や馬のように働かされ、夜は遠縁の肩を揉んだりさせられ、疲れて力がぬけたら殴られた。
あるご婦人は、上野駅で孤児だったことは今でも言わない。主人が何度か「上野に桜を見に行こう」と誘ってくれたとき「きのう見てきました」と上野は拒んだ。餓死した仲間を思い出すから。
靖国神社は戊辰戦争もふくめ「お国のために散った命」を祀られている。
軍人だけが祀られて、全国の空襲や原爆、南方の島々で自決した民間人。学童疎開で撃沈された対馬丸。さまざまな場で理屈に合わない最期を遂げた人を軍人と同様に慰霊・追悼することが日本に欠けていると思った。

木曜日。満開の桜を各地で楽しみながら走った「今年の桜」が愛おしいのは、来年も元気で愛でることができるのかという年齢かもわからない。
特に、美祢市の厚狭川両岸の桜は圧巻。タブレットで撮影した。ご覧になりたい方は(パソコンかスマートフォンなら受け取れる)わたしのタブレットアドレス
SUSUMU201407@docomo.ne.jp
にご連絡ください。お届けします。
明日は母にタブレットの花見をさせたい。
下関住吉神社も本日参拝。藤野先生からお知らせも拝受。明日の日記でご紹介します。

4月のお参り

4月スタート朝参り6時半。本殿階段下に草履があり宮司の気配。柏手を打ったら、宮司の太鼓も響きはじめ気持ちよく天津祝詞を奏上し、3月数々の御礼を申し上げたあと、1週間前に愛犬健太の手術が無事おわり元気のおかげを蒙っている御礼も添えた。
松村御大から、下関住吉神社に挨拶に行くよう便りをいただいていた「住吉神社に明日まいります」と宮司に話したら「住吉は、うちの親戚(吉部八幡宮宮司の母上と、住吉神社宮司の母上が姉妹)」宮司の世間も狭いものだと感じた。
今村夫妻宅に着く前、傘をさして40分ウォーキング。
今村さんお宅の出窓には熱帯魚の水槽がある。その水槽に、近くの川に生息しているカワセミが突撃して窓ガラスに激突。しばらく意識を失ったが無事に飛びさった笑い話。
農園でもカワセミ3羽は確認している。今朝はキツツキだろう激しく木をつつく音。キジの雄が鳴く。川岸で大型のコイがたくさん産卵に集まりジャブジャブ水の音。
農園近く「安富ダム」は桜の有名スポットと知った。水曜日の帰り道行ってみた。
ダム放水路を眼下に見おろす場所から、たくさんの桜を見おろす絶景だった。
健太の経過は順調。片金のお姉になった。