満開の桜を愛でた

先日「戦災孤児」の報道番組をみた。孤児・浮浪児と言われ、上野駅をねぐらに戦後を生きた当時の子供が、70年を経て当時を回想する内容だった。
1945年3月10日の東京大空襲は、死者10万人。100万人以上が罹災した。学童の多くは疎開していた。疎開で命が助かったことは、肉親をすべて失った学童にとって幸せだったのか否か。上野駅で餓死する仲間、腐った残飯を野良犬と奪いあう。遠縁を頼ったら牛や馬のように働かされ、夜は遠縁の肩を揉んだりさせられ、疲れて力がぬけたら殴られた。
あるご婦人は、上野駅で孤児だったことは今でも言わない。主人が何度か「上野に桜を見に行こう」と誘ってくれたとき「きのう見てきました」と上野は拒んだ。餓死した仲間を思い出すから。
靖国神社は戊辰戦争もふくめ「お国のために散った命」を祀られている。
軍人だけが祀られて、全国の空襲や原爆、南方の島々で自決した民間人。学童疎開で撃沈された対馬丸。さまざまな場で理屈に合わない最期を遂げた人を軍人と同様に慰霊・追悼することが日本に欠けていると思った。

木曜日。満開の桜を各地で楽しみながら走った「今年の桜」が愛おしいのは、来年も元気で愛でることができるのかという年齢かもわからない。
特に、美祢市の厚狭川両岸の桜は圧巻。タブレットで撮影した。ご覧になりたい方は(パソコンかスマートフォンなら受け取れる)わたしのタブレットアドレス
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にご連絡ください。お届けします。
明日は母にタブレットの花見をさせたい。
下関住吉神社も本日参拝。藤野先生からお知らせも拝受。明日の日記でご紹介します。