宮田原人の話題

雨がふりだす前、健太は放して走らせ。太郎さんのヨタヨタ歩きはリードをつけて。ハッピーはリードでかなり長い距離を歩かせた。
そのあと、車でいつもの坂道ウォーキングコースに行きしっかり歩いた。途中から雨がふりだし中止。散髪。終わって母にあいに行く途中、阿知須の大型商業施設の軒下は雨があたらないから30分歩いた。
今月、萩から農園まで歩く計画をたてているけれど、わたしの目算では10時間以上は歩かないと達成できない。本番では「あれだけ歩いた」という毎日の積み重ねが後押しする。
母に美祢市や農園の桜を見せたいとタブレットに画像を整理して持参。けれども機嫌が悪い。元旦も卵料理がどうしても食べたいと年末から言うので、家内が茶碗蒸しをさめないよう工夫して持参したときも不機嫌で、茶碗蒸しは不発だった。
今朝の「桜」も、母の貯金を誰が使ったかを言いはじめ、機嫌をとろうとしてもダメ。
老いや病が言わせる言葉とわかるが、会話にベルトがかからない残念を残して部屋を出た。
「上の湯」温泉で1週間の疲れをとかした。湯上がりに隣の豆腐工房に立ち寄り、揚げ豆腐と木綿豆腐。どちらもあたたかいできたてを買った。オカラは無料でひと袋いただいた。オカラの横には、朝採った無料の野菜もあった。
きのう藤野先生が農園にお届けされたパンフレットは。今月29日に周防大島「大島文化センター」で、午後4時半から開場の「島のマルシェ」で講演される内田 樹(思想家・武道家)「地方で生きる・これからの社会の描き方」
マルシェは、大島在住の若者が「加工品」「雑貨」「農産物」「飲食」「パン」「ワークショップ」などブースを午前10時からはじめる。
わたしが特筆したいのは「農産物」で10以上の生産者が出展するなかに、わたしの携帯電話登録では親しみを込めて「宮田原人」になっている「野の畑 みやた農園」の名前を発見したこと。彼は、わたしが農園をはじめる前から、農園地域の山奥に入植して理想の有機農業で野菜と米を作っていた。その畑の栄養に鶏糞が要るので100羽ちかく養鶏をやり、卵も鶏肉(自分で処理)も販売していた。志はたかいが貧乏。たまに農園に夕方から来ては酒盛り。彼と奥さまは青年海外協力隊でアフリカのザンビアに滞在した。宮田原人は酔ったらアフリカ原住民の歌(音痴)と踊りで楽しくさせた。
あるとき台風で住居も鶏舎も失い、しばらく農業高校で教師をしていたが大島に移住した。
藤野先生の話しでは、大島で農業を志す若者のリーダー的存在らしい。
この大島イベントについての詳細はわたしの手元にあります。関心ある方はお知らせください。