月別アーカイブ: 2014年6月

母の幼少時代

母と過ごした年月の母は身近にいたから知っていることは多いが、33歳でわたしを産むまでの母はまったくわからない。アルバムの写真はわたしが生まれてからはじまっている。語りたくない年月があったと想像できる。
母は神話の斐伊川近く、直江で一家の長女。いま健在な兄弟は次女で80歳(兵庫県)だけ。あいだに、わたしが知っている(会っていない人も含めて)5人。7人兄弟だったのかもわからない。
母の両親の名前や、わかるだけの家族のことを80歳の妹の長男が母親から聞いてくれている。
母が元気なときに聞いておけばよかった。
母の父親は約20年床から離れなかった。わたしが小学校3年生のとき葬儀があり土葬だった。
弟で、フーテンの寅を地でいくような、母には厄介者がいた。北海道から九州まで炭鉱を渡り歩き、金に困ったらわが家に逗留して「姉(あね)さん」と媚びて金を手に入れた。最後はひとまわり年上の子だくさん未亡人の世話をして、子供たちを成人させた。おじさんの葬儀のとき、その育てられた子供たちが遺影に「お父さん」と感謝の言葉をかけた。お骨はその家の葉かにおさまった。葬儀の帰り「これで安心できる」と母がつぶやいた。
母は家族を養うために早くから働いたので、次女との交流は少ないと思うが、少しでも母のことがわかれば嬉しい。
美祢市のある地域。きょうは老人会で湯本温泉日帰りの旅。旅館のバスが集合場所を巡回して乗せていた。
それに参加できない家は病人や介護する家族をかかえた家。明暗わかれたような感じを受けた。
農園にもどるとき、小石のような小さい亀が道路を歩いていた。Uターンできる場所をさがして引き返したがひかれていた。

母は床擦れ

7時半。母の前に磯村千代子先生に会いに行った。半年前、県立美術館に五百羅漢をみに行く約束が、先生体調悪く実現しなかった。半年で耳がとおくなられ補聴器が手放せない。
20年、毎月一度の句会を主宰され、句集発行のお祝いを申し上げた。
88歳をむかえられたが、耳以外は悪いところはない。気の弱いことは言われない。前向き人生。玄関を出てわたしの車まで見送ってくださった。
母は毎週皮膚科の往診が予定にはいった。床擦れが進行している。私をみれば喜んでくれる。行くことで嬉しいなら、これから回数を増やしたい。

先日、尖閣諸島近くの海域で10人乗り中国漁船が遭難した。台湾からの情報で11管区巡視船と航空機が現場に急行したが、中国側だけで事足りるとの意向が伝えられ引き上げた。5名のが行方不明。
新聞の片隅記事。
「村八分」という言葉は、地域で制裁のため付き合いを絶った人でも、火事と葬儀だけはお付き合いをする。
人の命を国のメンツでないがしろにする国だとあらためて感じた。
きょうは夕方から5名の来客。

元気が出た電話

金曜日の「宇部日報」に磯村千代子先生のお名前をみつけた。
小学校教員を勤めあげて俳句の道をもとめられた。地域の女性も先生のもとに集い句会「波雁山(先生自宅前の周防灘は波雁ヶ浜と呼ばれる景勝地)」
その句集(毎年一回刊行)が20号の刊行になった記事である。わたしは創刊から5号まで出版のお手伝いをした。
先生の句があった。

雀の子 仲間連れ来て 餌をあさる

明日の朝、母の朝食の前に「行ってもええかね」と電話したら「まっちょるよ」と返事が弾んだら。

山口市内のマンションに毎週10個の卵を届けている。お会いしたことはない。宅配ボックスを利用している。昨年まで山口市内小学校の教師をされていたときは学校に届けていたが退職されてご縁はきれた。
宅配ボックスの卵を持ったお客さまと、定年された教師がマンションのエレベーター。見覚えのある卵ケースが話題になった。
すぐに電話があった「もう買えないと思っていました。わたしも10個宅配ボックスでお願いします」
嬉しい電話をいただいた。

ハッピー物語

昨夜は家内が泊まった。わたしは、いつも8時ぐらいに眠くなる。突然の悲鳴で飛び起きた。バラエティー番組をおそくまで見て、炊飯器など朝の用意をしていた家内が、流しの下にある扉を開けたときムカデに触ったらしい。ハエ叩きで殺し、ごみ箱に入れてすぐ寝た。朝起きて、あれは夢か現実かよくわからないほど寝ぼけていた。
防府市のMさんに配達。お宅の前にそうとう深いヤブがある。放置されながいようで木も生えている。
このヤブの奥で野良犬(ハッピー)は出産した。Mさんがハッピー物語を演出された。詳細に聴いた。
野良犬はこのヤブを住みかにして住宅地をウロウロして、飼い犬の餌を食べたり、残飯をもらったりして地域に好かれてはいないが、嫌われてもいない不思議な存在だったらしい。
痩せた体の野良犬が妊娠した。腹だけが大きくなった姿で、食べるために歩きまわった。梅雨の6月、野良犬は出産したらしく、痩せた体に乳房がゆれた。
梅雨の豪雨が続いた日。ヤブの奥から子犬をくわえてMさんのお宅から見える場所に運びはじめた。水かさが増し子犬が溺れそうな状況にMさんご主人(自衛官を退官)が目撃され、夫妻で豪雨のなか子犬を庭の倉庫に運んだ。その様子をみて母犬は次々に子犬をくわえてきた。全部で7頭。
夜になると倉庫に母犬が現れ、人が来たら逃げるように立ったまま授乳。深夜になれば、朝まで横になり授乳。食べ物がじゅうぶんではないから生育不全の子犬もおり、Mさん夫妻が昼間にミルクを与えた。
親子を支援する人が増え、はじめに子犬の里親探しがはじまった。物語が理解されたのか7頭は引き取られた。
親をどうするか。とにかく捕獲することになり倉庫に餌を置いて入るチャンスを待った。餌を食べはじめたとき倉庫の戸を閉めた。
噛みつくかもわからない。手を出して触ったらおとなしい。抱いて首輪をつけられた。
地域の方々は高齢で、若い犬を無責任に飼うことはためらわれ、お金を出しあってペットクリニックで避妊をされた。術前の検査で心臓に寄生虫(フィラリア)陽性。
このペットクリニックに卵を届けており、避妊手術直後、体を震わせていた野良犬をわたしは見た。先生から事情を聞いて、卵のお客さまに飼う人はいないか探した。糸賀社長を含めて3人が手を挙げた。フィラリアも告知したうえ。
わたしは飼う気持ちはなかった(はなちゃん・太郎・コロちゃん・健太の4頭で精一杯)ところが、いろいろ事情が出てきて飼う人がいなくなった。
6月に捕獲されて約半年、みなさんの善意で野良犬は生きてきた。家内に事情を話て農園で飼う了解を得た。フィラリア陽性の犬を仲間に入れると感染のリスクはたかくなる。
11月の末、家内と野良犬を引き取りに防府市に行った。Sさんご主人が「ハッピー」と命名。ドッグフードや数々の結納をいただき、わたしにはにいがたの越乃寒梅。家内にはエプロンなどをいただいた。農園に戻ったら結納の一番下に茶封筒があり、ハッピーを野良犬から飼い犬に登録してください。と書かれたメモと登録料が添えられていた。
毎朝、わたしの顔を下から上にペロリとなめあげるハッピー。それ以外は媚びることもなく淡々としている。
夜中に散歩に連れ出すと座って星を眺める。今月はハッピーが捕まって6年目になる。

30分も昼寝した

やじ問題に都議会が揺れた。わたしが会議録調整にかかわったころの地方議会の「やじ」は人権に抵触するような言葉はたくさん飛び交った「やじは議会の華」などと粋なやじを認める風潮もあるが、発言は議長に指名されてからするものである。特に国会でも「やじ」で発言がとまる場面が多く、不規則発言にはうんざりする。
ひとつ議会名をふせて面白かった「やじ」を紹介。
山口県内のあるが町議会。12月定例議会の最終日。提出された議案のひとつひとつに、採決で多数決で賛成されるとわかっていても野党議員は長々と反対の立場で討論をする。議会閉会後は、与党議員と主だった執行部は町の旅館で忘年会がセットされていた。
反対討論が終わらないから「料理がさめる!」とやじが飛んだ。この一言で議会は紛糾して、閉会は夜中になり料理はながれた。

家内が長年使った刺身包丁。研ぎに何度も出して刃は短くなった。先日、ぐらぐらしていた柄から刃が離れた。唐戸の理髪店「カットインパラダイス」の中山さんは仕事柄研ぎの名人「なんとかなりますか」と刃を持参した「任せてください新品になります」と引き受けてくださった。
下関から菊川にむかうお昼。睡魔はセブンイレブンのコーヒーでもとれなく、道路そいの木陰でシートを倒した。30分熟睡していた。

牧君とゆっくり再会

牧君と昨夜はゆっくり話ができた。
危険をともなう仕事。宮崎の仲間10数名をたばねて日本列島を移動しながら稼ぐ。今回は大阪でトラックをレンタルして北九州まで走り、機材と仲間を二人のせて大阪とんぼ返り。今朝5時に朝食を腹一杯食べて九州に向かった。一見荒削りに生きているようでも、仲間たちをいつも心配して健康でしっかり稼げる場を、牧君は東奔西走してつくっている。
最近二回オランダ旅行をしたらしい。カジノでブラックジャックをやり儲かった。その金でドイツ車を買い現地に預けている。
チュニジアから出稼ぎに来ている者と仲良くなり、オランダとチュニジアの旅をするらしい。
会うたびに度肝を抜かれる話題をする。20年前、はじめて会ったとき仕事は何をしているかと尋ねたら「マグロ船です」と言いもした。
今村ご主人が、毎週月曜日の かもんFM(かもんFM下関(周波数は76・4)10時10分過ぎから専修大学野球監督時代を回想する番組に登場されるらしい。ネットラジオでも聴けるのか?
夕方、配達から戻り草刈機が使えない場所の草取りを軍手で1時間やった。しっかり汗が出た。

牧君来園

NHKテレビ番組「ドキュメント72」は同じ場所にまる3日、カメラを据えてさまざまな角度で、その場所を通過する人たちにマイクを向けて、その場所を解明する。プライバシーにかかわる点も多くあり、マイクを向ける人の顔と言葉を撮る制作技術にいつも感心している。
高野山・比叡山・恐山が三大霊場(パワースポット)と言われる。
NHK総合テレビ。27日(金曜日)午前11時ニュースのあと「ドキュメント72 恐山 死者たちの場所」が再放送されまる。
イタコは死者を呼び寄せ、イタコの口を通して死者の思いを告げるらしい。ある芸能人が母親の霊を呼んでもらったら、イタコの口から出た名前は芸名「母ちゃん俺の名前は知らんとか!」そんなイタコの口よせなどの映像はいっさいなく、死者と向き合う人たちを正面からとりあげたよい番組だった。

きょうは新規のお客さまが2軒あった。夕方、牧君が来園今夜は泊まってくれる便りがあったので、なんとなく気ぜわしく山口市内を走った。
牧君とは神戸震災からのご縁だから20年になる。家内も夕食に腕を奮ってくれる。
さきほど「天宿温泉に到着」メールが届いた。ビールがうまかろう。

咳は治まった

起きる時間になってもなかなかその気にならないのは、体調が完全に治っていないせいかもわからない。
しっかり朝ごはんをいただき、30分歩いてから岡本さん宅に向かった。
月曜日も美祢市の配達がある。半月前に大型商業施設がオープンした。人口の過疎化が著しい美祢市に大型店が出てやっていけるのだろうかと野次馬目線で見ていた。今朝も軽四トラックが駐車場にたくさんとまっていた。「よしの」はスーパーマーケット駐車場のすみにある。このスーパーマーケットはおどろくほど駐車場が閑散としている。
大手の業者は、田舎の出店でも勝ちかたのマニュアルがあるのだろう。買い物に美祢市以外に行っていた客層まで呼び込んだのではなかろうか。
農園のガス器具は、ガスボンベの充填をしてくれる業者がなく、美祢市のガス店に運んで充填している。
そのガス店での立ち話「よしの」のスーパーマーケット入り口で大判焼き商いをするおじいさんがボンベの充填に来た「さっぱり売れなくなりました」
大手の進出は地元で商う人に深刻な影響をあたえる。
月曜日を走り終えた。少し疲れたように思うが咳もなかった。

体調は回復

8時に母の食事を持っていった。大好物のウナギ・キュウリなどの細い巻き寿司と素麺の味噌汁。奈良漬け。ヨーグルトを「おいしい」とほぼ完食してくれた。入れ歯を洗い、薬を飲ませると眠りにおちた。2〜3家内が職員さんにお願いして部屋を出た。
自宅に戻りたいとか、お金の心配など一切言わなくなり食べて寝るだけの毎日を送っている。
体調がほぼよくなった。少しだるいぐらい。約半月、咳と微熱が続いた。
午後から、そうとう成長した雑草エリアに草刈機(ハンマーナイフ)で入り、2時間汗をかいてきれいにした。
風呂で汗を流して、4時の宮川さん(宇部掃除の代表・ドコモ勤務)を待った。
タブレットについて教えていただき、来月の契約をお願いしてデモ機は返却した。

ネットラジオは最高

タブレットでネットラジオ。6時から7時までラジオ第2(教育)で歴史番組、今朝は軍師官兵衛の虚像と実像。官兵衛ありて秀吉があったことが理解できた。FMや第1(総合)を萩市に美祢市の山間部でも鮮明に聴くことができた。
午後は4時まで昼寝をしたりゆっくりした。自分史を携帯電話で入力し、誤字脱字に句読点など推敲をお願いしているお二人が、これまで荒削りに入力したものに朱筆を加えて、農園に持参してくださった。やはり相当の朱筆。
明日は母の朝食を農園で家内がつくるので今夜は泊まり。久しぶりに天宿温泉に行き身体が楽になった。

だいぶ体調回復

昨夜「麻黄湯」をいただき、今朝は体力がずいぶん回復した実感で起きた。
4時半から草刈り準備と犬の世話をはじめた。ガソリンと潤滑油の混合油を5リットルつくり、草刈機満タン(1リットル)残りは携行缶。いよいよ草刈りをはじめようとしたら不調。調べたら電気系統でわたしの手には負えないから断念。
金曜日のウォーキングもいつもの距離を歩いた。周南市を配達して夕方戻った。

6時ごろ外で仕事をしていたら今村ご主人さまが来園。
早朝、徳山港からアジ釣り乗り合い船で、伊方原発近く、水深60メートルでの釣りをされ帰り道。午後1時にアゴを折りしめた大型アジをクーラーから出し「食べてください」。タマゴを仕事にしていなければご縁はなかった大学野球界では著名な監督さん。
奥さま美智子さんは、福井県で先日開催された第26回全日本競技かるた選手権大会で、元名人や元クイーンを制して6年ぶり2度目の優勝(日本一)になられた。
ネットラジオ。早朝に能楽師が登場されていた。
能楽を演じるその日が決まれば、体調がどうであれ命がけで舞台に立つ。どうしても動けない状況のときは、完璧に代役をつとめる能楽師が控えている。
つまり、映画で言えば高倉健の代役が控えていると同じ。能楽師はいつも命懸けだと理解できた。

タブレットは相棒に

朝4時にタブレット起動。NHKネットラジオ「らじるらじる」を受信。鮮明な音質で、配達地域でカーラジオに雑音が入る地域や、山間地域でも、助手席のタブレットでラジオが楽しめた。
カーラジオなら、木曜日の下関は山口エリアと北九州エリアを使いわけるが、ネットラジオは全国ネット。つまり交通や気象、地域の話題は東京版になる。伊豆大島や小笠原の波の高さや、首都圏道路情報も聴くことになる。
わたしは長年、交通情報センター(中国地域)の田中えり子さんの「声」ファンで、週に2〜3回担当される、朝7時40分を楽しみにしている。朝だけはカーラジオになる。
朝4時から、農園に戻った夕方5時までタブレットを聴いて、使用したバッテリーは約40パーセント。
時々、ラジオを聴きながら地図情報も楽しんだからタブレットは相棒になれそう。
朝7時半、レストラン「うさぎ」は100個の弁当づくりに金刺オーナーシェフも忙しい。ランチにディナーと長い1日だろう。
社小屋の藤野先生が、学校に行く途中、農園にたちより、漢方薬「麻黄湯(顆粒)」を、わたしの咳止めに家内に預けてくださった。家内のメール。わざわざに嬉しい。
加奈ちゃんに配達。きょうはパン教室で生徒さん6人は若奥さま。うちお二人はタマゴのお客さま。お二人がタマゴの配達を希望され「メールします!」思わぬお客さまが増えた。
「よしの」は完売御礼の札がおりていた。わたしの咳を心配して奥さまが大きな梅干しをひとつ「食べなさい」わたしは酸っぱい味と甘い味が苦手だが、ご好意に逆らわずいただいた。
美祢市のドコモ店は閑散としていたので立ち寄りタブレット機能をいろいろ若い店員さんにご教授願った。
明日の朝は回復して、5時前から草刈りで、久しぶりに汗をかき、シャワーを浴びて金曜日を走りたい。

タブレット初体験

小雨の八幡宮朝参り。
まだ体調がはっきりしない、少し悪寒と咳。1週間以上も治らない。
春の海峡ウォーク。今年はネットエントリーだった。携帯電話Iモードに書き込んだがうまくできなかった。結局、真砂恵さんに頼むことになった。
いろいろ手続き「HPから」のアナウンスも増えた。ネットの環境を持たなくてはならないと思い始めた。
ドコモ勤務の宮川さんにお願いして、午後からドコモ店でタブレットの説明を受けた。宮川さんのご好意でデモ器を借りて農園にもどった。
大地真央と黒木瞳「人生の扉」や新井英一「清河への道」などサクサク出てきて驚いた。NHKネットラジオは鮮明な音質。地図情報も使いたい。
しばらく慣れてから使いはじめたい。

日本の品格

サッカーのサポーターが試合に負けたが、場内清掃をしたニュースが日本の品格をあげ世界に発信されている。まゆ毛を下げて微笑んでおられる鍵山先生を想像した。
平成10年2月。サンパウロ在住、カリスマ美容師と世界的にも著名だった飯島さんが、ブラジルにお掃除文化を伝えたいと鍵山先生におもいを伝えブラジル掃除に学ぶ会が開催された。
わたしは、前年創刊したお掃除の会冊子「清風掃々」の出版に関わり、ブラジル取材で同行し神奈川掃除の会、丸山さんと飯島さんの対談を催し、録音とカメラを担当した。(清風掃々2号に特集した)
サポーターが掃除に学ぶ会と関係があるかどうかはわからないが、以後もサンパウロで公園トイレ掃除は続いている。
ブラジルではトイレを掃除する人は職業として決まっており、なぜ企業家たちが素手で便器を磨くか理解されにくい。ましてや、自らの心までをも磨く力などわからない。けれども日本から24時間も飛行機で行き、応援したチームが負けても掃除をした日本人は誇れる。

今朝の産経新聞「荒川健一の関門味風土記」今回は「あわび」がテーマ。万葉集の一説を引用され「磯の鮑の片思い」解説されて本題に入る大将の文章。
最後は「寿司割烹 浪花」の鮑料理ふた品が添えられた。
体調がまだ元に戻らない。

詩人?が登場

きのう(15日)吉部八幡宮を会場に恒例の「社小屋」毎月、1日と15日は神道では神参りの日。野村宮司先唱で大祓をみなさんと唱和。説明できない清々しい気持ちになる。やった者しかわからない。
1時間半。数学教師でメタボの藤野先生が、最近の話題を読み解いて古事記の世界に誘うマジカル藤野節。
初代天皇は誰か?と問われたとき、わたしの背中で「神武」とつぶやいた男がいた。
酒屋の松原さんが「面白い男がおる」と、かねてより言っていた。脳性麻痺のハンディがあると聞いたので「松原さん。すみませんが彼を連れて農園で泊まってください。その前に社小屋に参加してから」それがスケジュールになった「神武」とつぶやいたのは面白いと言われた男。
四次元とか五次元の世界に藤野節で連れてゆかれ脳ミソがもつれたとき「時間ですから終わります」要は、余韻のなかから自分の力で結論を導くしかない。
このあと、藤野先生家族と宮司は、牧君お供えの赤福を西君墓前に供えに行かれたと、きょう知った。わたしは祖霊殿に供えてくださればと持参した。わたしも墓前に行けばよかった。
お宮から農園に戻ると、先日も来てくれた小野田市の西山夫妻が来てくれ、料理でてんてこ舞いの家内を奥さまが手伝っていた。
西山君とのメールのなかで「ホタル」を話題にしたら奥さまが見たい。それなら何度か農園で宴会で一緒だったホタテマン(松原酒店)が仲間と来るから、奥さまと来なさいよ。
豚肉ブロックを紅茶で煮た料理を家内がつくり、韓国ソースを西山奥さまが担当。鹿肉の竜田あげ。煮たまご。魚のカルパッチョに三種類ぐらい?の巻き寿司などで8時までビール・日本酒に焼酎を楽しく呑んだ。
西山夫妻とみんなでホタル見物ができた。夫妻を見送りした。
面白い男を主人公に飲みなおし。彼の名前は岡本。47歳。手足と会話が不自由。
福島から宇部市に避難した人のなかで自閉症の子供さんが数名おり、その支援をするグループに松原さんと席をおいている。
彼は童顔で印象として30代前半かと思った。ほんとうに旨そうな形相で酒を飲み、使いやすい自分の食器で食べる。松原さんは彼の言葉を理解しているが、わたしは慣れるまでに時間がかかった。
障がい者年金を糧に、前向きに生きる岡本さん「あなたの趣味は」と聞いたらリュックから茶封筒を出した。中には彼撮影の一枚に詩が添えられていた。
むかし、出張先の宮崎市の居酒屋にはいつも週刊誌を持って行き、話し相手もないから活字に目をおとして寝るための酒を呑んだ。ふと壁に目をやると「やっぱり ひとりは 寂しい」会社と家族のためだと自分に気合いを入れ、宮崎県だけでも年間40回は泊まったわたしの胸に山頭火の句がひびいた。
あの時と同じ気持ちになった。来月の農園日記ミニアルバムで岡本正彰さんをする。
彼の詩をひとつ

庭に積もった雪は 融けるとどこへゆくのか 東北の人の悲しみ苦しみを 一緒に連れ去ってほしい 僕のは いいから

就業するすべがないと彼は言うた。
金ではない。人の心をつかむ「詩」が岡本さんにはあるではないかと。
朝6時過ぎ、朝食をおえてふたりは帰り、わたしの月曜日がはじまった。

牧君登場!

昨夜8時過ぎ犬が騒いだので窓から見たら川のそばに車が停まっていた。ウナギ釣りと思ったら「こんばんは!」と暗がりから声がした。
どこから来たのかは聞かなかったが水戸ナンバーの乗用車から牧君(神戸避難所で仲良くなった宮崎弁)が降りた。西君へのお供え物をおいて鹿児島に向かおうとしたのを引き止め二階に上がらせた。10人以上の男たちをたばねて全国を渡り歩き稼いでいる。半袖からいつもの太い腕で元気そうだった。何歳になったか尋ねたら45歳になっていた。来年1月で神戸は20年。節々に彼は農園にあらわれ、48歳で亡くなった西君の仕事を手伝ったり、一緒に酒を飲んだり西君のよき相棒でもあった。いつも西君へ供え物をしてくれる。来年は神戸で香山君も交えて当時を語りたい。

咳は少し楽になり、朝ごはんはイサキを焼いておいしくいただけた。
母の朝食時間に間に合った。顔はやつれてはいないが、ジャムをつけた指をタオルで拭くとき先週より一段と細くなり、骨格見本のようになっていた。先週、もう歩くことはできない細い骨の足を見て、曲がった指と爪を見てかわいそうで胸がいたんだ。老いていくことはこういうこと。

このあと4時から恒例「社小屋」今回は藤野先生が講師。
そのあと数名がホタル見物に来られる。家内が忙しく台所。

善意のクレーム

4時セットの携帯電話目覚ましで起きた。昨夜はティシュ山をまくら元にきずくことはなかったが身体は重い。てきぱき動き、6時に萩市向けのスタートができた。
土曜日は、積み荷はたぶん鮮魚だろう保冷の4トンがアクセル全開、弾丸のように萩から出てくる。ノロノロ運転の車は容赦なく追い越す。ドライバーは割烹着のおばちゃん。今朝は雲雀峠ですれ違った。割烹着の運転は冬場の凍結でも弾丸運転。
萩の常茂恵旅館から、湯本の大谷山荘のあいだ、三隅で個人のお宅に配達がある。先週「タマゴにヒビがありました」のメモがあった。気持ちばかりのお詫びタマゴを添えていたがお会いしてお詫び申し上げようと思っていた。軽四トラックで農作業に出られるところに出くわした。ヒビのお詫びを申し上げたら、採ったばかりのトウモロコシをくださり「生産しておれば、クレームは必ずあります」と笑顔。善意のクレームもありだと思わされた。
昼前に農園に戻り、すぐに下関トヨタの江口店長が代車で来られた。明日の夕方まで愛車はブレーキ系統の修理。
3時まで昼寝を試みたが咳で果たせなかった。
明日の夜は、ホタルが観たいと数名来園。家内が紅茶で豚のブロックを煮ていたので味見で晩酌。私の食器を洗って帰った。
今夜しっかり休めたら体調はもどると思う。

タブレットを持つべきか

昨夜も咳が続き、おまけに鼻血まで出て寝不足で金曜日をむかえた。
松村御大から「体調はどうかね」の電話。糸賀社長から「僕のタブレットをあげようか」のメール。どちらも早朝。

えらくても仕事を休む選択肢はないから、いつもと同じ朝の作業をして6時半に農園を出た。
少し頭がおもいけれど、金曜日のウォーキングコースを40分。
山口市内で嬉しいことがあった。わたしがアルミ缶回収をしていることを知った奥さまが、どういうルールでわたしに渡せばよいかを問われた。

農園はラジオ電波のコンディションがよくない。ネットでラジオを快適に聴きたい。今年の「海峡ウォーク」はネット受け付けになり。娘にエントリーしてもらった。携帯電話のネット検索では不便なこともありタブレット端末を買うことを考えていた。すく買えばよいものを、腰が重いのはいくつかそうなる体験があった。
一昨年、日曜日の夕方に山口市内の配達が急にあり、その日は農園泊まる家内に「外食するか」と一緒に出た。
出るまえに市内の食べ処を携帯電話Iモードで検索した。
たいへん評判のよい書き込みの人気の店があり、予約したほうがよいとアドバイスまであったから予約した。
予約の時間、店内はわたし夫婦ふたり。愛想のない女性がメニューをテーブルに置いた。肉料理しかない。予約した者が店を出るわけにもいかないから注文した。ビールは1本だけしんみり飲んだ。支払いのときも客はいなかった。ネットで得る情報を信用してはならないことを体験した。
反面、利用の仕方しだいでは生活が便利になろうから、タブレットを理解するところからはじめてみる気になった。
来週、宮川さん(掃除仲間でドコモ店)にじっくり説明していただく予約をした。
金曜日を全部おえた。明朝は身体がおもければパンを焼いて牛乳(両方犬の餌用)元気ならば朝食つくろう。
今夜は熟睡できたらよいのだが。

きょうはえらかった

昨夜も咳と鼻水で睡眠不足。葛根湯、咳どめ薬にのど飴、すべて効かずまくら元はティシュが散乱して朝をむかえた。
動かれないほどでもなく、咳と寝不足に微熱ぐらいだから、時間をかけても安全運転で走り終えようと6時半にスタートした。
停めて休むことはなかったが、頭がボンヤリしてラジオも集中して聴いていなかった。
3時すぎに美祢の「よしの」に到着。お茶をいただきながら世間話。1週間まえの木曜日にオープンした大手資本の商業施設は、きょうもガードマンが立つほどの盛況を呈していた「よしの」は、これまで一人勝ちだったスーパーマーケットの敷地内にあり、駐車場は驚くほど閑散とし大手の資本力に屈服したように見えた。
「こんにちは!」と元気な声で加奈ちゃんが登場した。きょうは山口市内で販売があり、卵はご主人の実家に届けた「足立さんの車が見えたから」加奈ちゃんの自宅は「よしの」に近い。売れ残ったと数個のパンを吉野さんと二等分してカウンターに置いた。吉野の奥さまが「売れ残りですが」とオニギリとうどんを彼女に差し出した。これから家族の夕飯をつくり、明日は萩市で販売のパンを朝までに焼かねばならない「助かります!」と加奈ちゃんスマイル。疲れたわたしの肩を少し揉んでくれた。わが子のような気持ちがした。今夜こそしっかり眠りたい。
家内がニンニクを揚げている。

風邪が治らない

咳が一晩中出て、3時に寝ることはあきらめてテレビをつけた。林えいだい氏が出ている番組があった。
25年ぐらい前だった。吉田清治(検索されたらわかります)が、朝鮮半島で人間狩り(強制連行)を私はやった。という本を世に出しえらい騒動になった。結局その本はねつ造と本人も認めた。
林えいだい氏は筑豊のカメラマン。土門拳のような社会派カメラマンをめざしておられたように記憶している。吉田清治の人間狩りに触発されたのか、筑豊炭鉱で働く外国人を強制連行された人というフィルターで撮り作品を世に出した。
吉田清治が埋没して、林えいだい氏のことも私のアンテナに届かなくなった。
番組で闘病のなかで、特攻で散った若い命を世に問う姿勢が紹介された。えいだい氏の父親は氏神様を祀る宮司で、出征する若者に「どんなことがあっても帰ってこい」と祈願のあと話した。それが憲兵に伝わり2週間捕らえられた。自宅にもどったが2週間にわたる暴行で亡くなった。
その現場に立ち会ったから、えいだい氏はしぶとく戦争に向き合う姿勢がよく理解できた。父親の生き方で息子の生き方が定まる。私には反省ばかりが残った。
水曜日の楽しみは今村さんのお宅。毎週30分ぐらい会話のキャッチボール。今朝は奥さま「外食したあと、おいしくない」は言わないほうがよい。その一言がお店の経営に影響するのがネット時代。私の味ではなかった。ぐらいにとどめたほうがまるくおさまる。
ご主人に貸し出していた映画「劔岳(点の記)」の制作現場映像。返していただき、ご近所の山ガール(70歳ぐらいか?エベレストやキリマンジャロのつわもの)観られますかとビデオを差し出したら、なんと撮影のとき劔岳山小屋でふた晩泊まり監督や俳優さんと楽しい時間を過ごし、このメイキング映像は観ましたよ。

そのお宅の近所。老夫妻はもと小学校教師。表札の3番目「もも子」は猫。

猫といえば、今朝の朝参りで本殿に頭をたれていたら、真っ黒な猫が本殿奥から飛び出したときは驚いた。

今夜はしっかり寝なければ。

ネズミ駆除作戦

先週の木曜日。早朝の草刈りは肌寒さを感じた。それ以来、咳と微熱が治らない。
昨夜は疲れていたのか酔っていたのか、気がついたら今朝の3時。明るいまま床板で寝ていた。今夜は早く布団に入り疲れをとらなければならない。

ホームセンターの資材売り場にコンクリートブロックがある。穴が3つあいている。ブロックを鶏舎基礎のコンクリート部分に並べ、毎晩食パンをちぎって入れた。3ヵ所で合計9個の穴に入れたパンが一晩でネズミが完食するようになった。餌付けに成功。
昨夜からパンに微量の殺鼠剤をつけて置いた。朝見て歩くと完食。これを2週間ぐらい続けたらパンが残るようになる。つまり駆除したことになる。
ブロックの穴に置く理由は、鶏舎内に入れたら鶏がパンを食べる可能性がある。
タヌキやキツネにカラスなど、ネズミ以外の動物を殺すことがない。

糸賀社長が「面白かった」と読み終えた本をくださった。
「英国人記者が見た 連合国戦勝史観の虚妄」いわゆる反韓に反中が内容。
最近「そこまで言って委員会」(日曜日のテレビ番組)を観なくなった。論破できたら問題が解決するのか。慰安婦・南京・強制連行・靖国や東京裁判。たくさん主張がくい違う。双方がいくら時間を費やしても「わかった」にはならない。わたしも、それぞれ論点に思う気持ちはある。
けれども、それは、それとして。という曖昧なところからの友好関係は構築できないものか。

昨夜は盛会!

昨夜は楽しい歓談ができた。加奈ちゃんの子供二人は用意した「千と千尋の神隠し」を楽しんだ。8時はまだ薄暗い。けれど明日の仕事もあるからホタルをながめてお別れをした。

今朝は4時半から草刈り。6時までに全部が終わらず、配達スタート。
美祢でお客さまのTさんと出会った。自宅は長い坂道を歩いて行くので卵を渡してお金をいただき助かった。
Tさんのおじいさんは先日四十九日をされた。亡くなる数日前まえ、私も会話をかわした。つまり楽に往生されらしい。おばあさんは施設で長患い、床擦れがとても悪化していると。床擦れと聞いたら愛犬も最後は骨がみえるほどの傷口になった。その記憶がよみがえり、母も寝たきりになったから床擦れになれば私もつらいと思う。
小野田市で大判焼き(白あん)を買い、冷めないようにタオルで保温して農園に戻った。みゆきちゃんと家内が喜んだ。

残りの草刈りを、汗をしっかりかいてやり終えた。水圧ポンプを出してハンマーナイフをピカピカに掃除。

いま7時前、山から涼しい風が届きはじめた。

早朝から草刈り

5時から90分草刈りをした。
農園内にイノシンや獣が入らないように漁網をぐるりと張り巡らしている。その網周辺の草刈りを集中してやった。
ギョっと驚く光景は、その網におおきなヘビが何匹もかかって死んでいた。網から外すには手がかかる。放置した。
魚が少しでも体があたれば巻かれてしまう人間の知恵には驚いた。
山口市内の配達を済ませて母の面会「食べて寝るだけの毎日には飽きた」とポツリ。
下関トヨタまで高速移動した。冬タイヤの摩耗が限界をこえて、雨の日はかなり滑る、梅雨の運転が不安でタイヤ交換。ついでにオイルと車体点検。
所要時間は約1時間。車体点検で深刻なオイルのにじみが発見された。
新車からきょうまで約1年と半年。走行距離は約9万キロ。多少の不都合が出てもあたりまえ。土曜日から1泊でドッグ入りの予定になった。
夕方5時ごろから数名の大人と加奈ちゃんが子連れ参加で夕食会。8時に解散して、みなさんホタルを見物してお帰りの予定。

複葉機赤 とんぼ

今月「ミニアルバム」でご紹介させていただいた姫井ご夫妻。陶芸に関心があることがわかり、先月末に今村さんの作品が窯出しされたのでご両人を引き合わせるセッティングをした。といっても「お坊さんめくり」と「社小屋」で会っているから初対面ではない。
わたしが萩市から山口市に向かう時間に姫井夫妻が今村さん宅を訪れ焼き物談義で盛り上がったらしい。
午後1時にセミナーパークで今村さんと私は待ち合わせ。古川薫先生第二回「フランシスコザビエル」講話を聴講。
焼き物をいろいろ評価されご機嫌顔の今村さんと駐車場で合流。すると姫井奥さまから「いま、今村さんの器で食事をはじめます」とお礼メール。よいご縁ができて、わたしも嬉しい。

古川薫先生の90分。テーマの「フランシスコザビエル」から軌道を外れ、沖縄からはるか宮古島から最後の特攻に散った少年7名に今回もなった。しかし、今回もなった理由がわかりうなずいた。
古川先生は、東京の日立製作所で海軍練習機、通称「赤とんぼ」エンジン以外は木材と布の複葉機。この制作現場におられた。
終戦の数十日前、特攻機を失った宮古島守備軍は練習機に250キロ爆弾をくくりつけ若者を7名飛ばした。
命令した上官は戦後をのうのうと生きた。僕の分身 赤とんぼで散った若者に鎮魂の文章を書きます。来月から山口新聞で連載します。
どうも、あの特攻が最近は美化されていることに、僕はちがうと言いたい。
今回もテーマから逸れたが会場からおおきな拍手がおきた。

金曜日がおわり

6月3日から、毎日新聞で「いま靖国から(戦後70年に向けて)」の連載がはじまった。熟読したい。

きょうはフランス海岸線ノルマンディに連合国軍が上陸した日。先日から4夜連続でフランスが制作した記録映像がBSで放映され録画して観た。

当時、フランス10代の女性が「レジスタンス(人民の抵抗運動)」として、おもに情報収集(スパイ)をやりましたと証言された場面が印象的だった。海岸線にドイツ軍が構築する要塞の工事にたずさわる労働者にちかより、雑談の中からあらゆる情報を得て味方に知らせ、二重スパイを見つけたら殺しました。
上陸作戦は市民の緻密な情報に裏付けされて成し遂げられた。

ポーランドではパルチザンと呼ばれる市民が銃をとり蜂起し自国のまもりに就いた。
ベトナムではゲリラとよばれた農民が銃で抵抗した。

特にヨーロッパのように隣国との戦いで、国土・国民をまもる意識はたかく、日本は他国から侵略を受けて国土が戦場になった歴史は極めて少なく戦いは局地的。平和は周囲の海洋がまもってくれた。けれども、日本全土を射程範囲にする他国のミサイル。音速で飛来する戦闘機の時代になり、想定外では許されない緊張感のなかで平和を維持する仕組みと意識が求められるように思う。

金曜日のウォーキングは、山口市平川の大型商業施設のパーキング。
何年も同じ曜日。同じ時間を歩くと、ほぼ同じ朝の風景にであう。今朝も、ワンワン銀行から引き受けた2歳の雑種犬を訓練する老人と会話。投げたボールを全速力で追い、口にくわえて全速力で戻ってくる。しばらく雑談。
自販機のコーヒーを飲みながらタバコをくわえ、スマートホンをさわる若い女性もご常連。
清掃会社のみなさんとも挨拶する関係になった。

宝くじも うじき当たる

早朝、下関に向かって走っているとき今村さんからメール着信。
わたしの自宅すぐ近くのスーパーマーケットの宝くじ売り場で、ロト7 1等6億円の超高額当選が出ました!年末には近くで年末ジャンボ7億円も出た。当たりが身近に迫ってきた。

美祢市は午後2時過ぎに通過する。きょうは全国展開の大型商業施設が新装開店。過疎の美祢市に、よく集まったものだと思うほどの車が(軽トラック)駐車場を埋め、人混みが見えた。
焼きたてパン。不二家など美祢市には目新しい店舗がたくさん入っているらしい。
開店準備のスタッフが大勢動員されたのか「よしの」は大繁盛で早々に完売札をおろしたらしい。
既存の商店には打撃かもわからない。

エヒメ菖蒲の株をわけていただいた。さきほど、ふた鉢に植えた。

大浮世絵展

昨夜からの雨が朝も残り、雨具と長靴で朝参りから水曜日をスタートした。

県立美術館で開催中「大浮世絵展」は、いましか実物をみる機会ないから開催中に行こうとおもったが、盛況で特に土日は作品を間近にみることができないと行った方々から聞いていた。数日前に会場に電話で「いつ行けば混雑が避けられますか」と問い合わせたら、平日の開館直後か閉館まえ2時間は比較的ゆっくりできます。農園に早く戻れる水曜日だと思った。
かけ足で配達を終えて2時半にもどり山口市に向かった。
音声ガイドを借りて約90分、葛飾北斎・歌川広重・東洲斎写楽など有名な浮世絵を間近にみることができた。
芸術音痴のわたしが、名作のなかに雪の重さや、距離感などじゅうぶんに楽しめた。
特に江戸の場面は、山本一力さんが文字で描く江戸の風景と重なり至福の時間だった。

夕方7時は睡魔が

待った番組が昨夜録画できたので3時に起きてみた「D−Day壮絶なる戦い(前編)」
史上最大の作戦という映画になったノルマンディ上陸作戦。連合軍側の作戦検証番組。
前編は作戦までの経緯が実録フィルムで構成されていた。
わたしが納得できたことは、宣戦布告より早く真珠湾を攻撃したことは、日本側からすれば外交官の手違いぐらいに今でも言われている。しかし、アメリカをはじめ連合国にすれば卑怯な奇襲でしかない。
布告より攻撃がはやかった事実を、日本は、そうではあるが。ハル国務長官の、いわゆるハルノートはのめないから、土壇場の出来事のように正当化することもある。どうしても正当化するストーリーをつくりあげるから歴史認識が立場でもめる。今夜は後編を録画している。

15日は「社小屋」今月は16時から90分。吉部八幡宮で催される。講師は数学の藤野先生。
この学びの場は、第一に神参り。ふだん宮司にお祓いをしていただく機会はないけれど、必ずお祓いがある。
次が講師の内容になる。今回、藤野先生が何をテーマにされるかわからないが本気で聴く。本気で聴けば「なるほど」と府に落ちることはある。
お時間あるかたはご参加ください。参加費はお賽銭。問い合わせもわたしが受付ます。

梅雨入りしました

山口県は午前中に梅雨入りした。

月曜日は岡本拓也さんのお宅が最初の配達。岡本さん夫妻より仲のよい山羊の夫婦がいる。モンゴルのように放し飼いもされる。奥さん山羊が初めての懐妊らしく、出産予定の9月が待ち遠しいようす。

美祢市の会社に配達。外を歩く従業員さん、片手に金属バットを握っていた「猿の群れが来ています!」群れにバット1本ではかなわない。小郡から農園への山越え近道でも、猿の群れが道路を歩いている場面はよくある。猿が立ち去るまで停車する。

猟師さんのお宅に配達。先日キツネの子供が寄ってきた話をしたら。なにか病気で親が育児を放棄したのではないか。今年は山中でタヌキの皮膚病が流行している。
可愛くても触らないことが一番。そう諭された。

農園のハッピーは、防府市で野良犬生活。4年前の秋に子犬7頭とともに善意のみなさんに捕獲された。
農園に来たときは、育児に栄養を使い果たして7キロ。いまはモンローウォーク17キロ。身をけずって残飯をあさり子供を育てた。わが子を餓死させた人間。その罪に同情の余地はまったくない。

6月になった

4月17日にベッドから落ちた母。今回、容体は下り坂を続けている。今朝、電動ベッドをすこし起こしてパンを食べた。ふと足下をみたら爪が鳥のクチバシのように丸くなっていた。足は歩くことは無理とわかる細さになった。

視界が悪くなるほど黄砂が降り続く。みなさん困っているだろうと思ったら、喜んでいる人もいた。
ガソリンスタンドの洗車機は毎日フル回転。きょうも順番待ちは長蛇の列。売り上げは笑いがとまらない。らしい。わたしは黄砂がおさまって洗車をする。
午後からのび放題に成長した雑草のエリアに草刈機ではなく、ユンボを乗り入れてキャタピラーで踏みつぶした。この場所はイノシンが掘り返しているので、草刈機を走らすまえに平らにしておかないと土や石ころで機械が傷む。
ユンボは尻の真下にエンジンがあり、2時間乗っていると座席があつくなり、尻の岩盤浴状態を味わった。