日別アーカイブ: 2014年6月30日

母の幼少時代

母と過ごした年月の母は身近にいたから知っていることは多いが、33歳でわたしを産むまでの母はまったくわからない。アルバムの写真はわたしが生まれてからはじまっている。語りたくない年月があったと想像できる。
母は神話の斐伊川近く、直江で一家の長女。いま健在な兄弟は次女で80歳(兵庫県)だけ。あいだに、わたしが知っている(会っていない人も含めて)5人。7人兄弟だったのかもわからない。
母の両親の名前や、わかるだけの家族のことを80歳の妹の長男が母親から聞いてくれている。
母が元気なときに聞いておけばよかった。
母の父親は約20年床から離れなかった。わたしが小学校3年生のとき葬儀があり土葬だった。
弟で、フーテンの寅を地でいくような、母には厄介者がいた。北海道から九州まで炭鉱を渡り歩き、金に困ったらわが家に逗留して「姉(あね)さん」と媚びて金を手に入れた。最後はひとまわり年上の子だくさん未亡人の世話をして、子供たちを成人させた。おじさんの葬儀のとき、その育てられた子供たちが遺影に「お父さん」と感謝の言葉をかけた。お骨はその家の葉かにおさまった。葬儀の帰り「これで安心できる」と母がつぶやいた。
母は家族を養うために早くから働いたので、次女との交流は少ないと思うが、少しでも母のことがわかれば嬉しい。
美祢市のある地域。きょうは老人会で湯本温泉日帰りの旅。旅館のバスが集合場所を巡回して乗せていた。
それに参加できない家は病人や介護する家族をかかえた家。明暗わかれたような感じを受けた。
農園にもどるとき、小石のような小さい亀が道路を歩いていた。Uターンできる場所をさがして引き返したがひかれていた。