月別アーカイブ: 2014年12月

無事におおつごもり

きょうは下関市からスポット注文をいただいた。大型ショッピングセンターなどが道路沿いにあり混雑が予想されるので、早朝のお届けをさせていただくお願いをして、6時半に農園を出た。
8時ごろ通常の水曜日コースのスタートができた。配達の数は会社などお休みで少ないけれど、買い物客の車が多く時間がかかった。
配達の全部をおえて、吉部八幡宮に1年のお礼参拝。西君墓前も参拝。
農園業務が差し支えなく終えられたこと。度々の危機を乗り越え、干支のヒツジを迎える母。神さまと霊さまへのかしわ手に御礼を込めた。
ラジオ番組にBSプレミアシネマ担当が出ていた。2月、高倉健作品を4本放映。
監督は中国人「単騎千里を走る」
「網走番外地」
「昭和任侠伝」
そして「緋牡丹博徒」向田邦子「あ・うん」で板東英二と高倉健が男の友情を演じ、板東英二妻役の富司純子(藤純子)高倉健が親友の妻をひそかに慕う。緋牡丹博徒は藤純子主演。肥後五木村に生を受けた矢野龍子、渡世の世界では背中緋牡丹から緋牡丹のお龍と呼ばれた。健さんと任侠映画で数少ない作品。藤純子はべっぴんさん。4本必ず予約。
予約といえば29日に録画した明治神宮奉納演奏・平原綾香。明治天皇に歌を奉納する祭事はすべて感動した。
さきほど「ぎじろくセンター」白井社長夫妻が年末のご挨拶に来られた。特大のブリをいただき、家内が包丁を並べてこれから奮闘する。
ちびっこ遍路の桂子ちゃんは、今年も年齢を偽装して大晦日の巫女さんに変身。
農園日記でご縁のみなさま。よいお年をお迎えください。1年ご声援ありがとうございました。

鶏インフルエンザ

農園から遠くない長門市で鶏インフルエンザが出た。数年前にも山口県で鶏インフルエンザがおきた。
比較してみると防疫体制が大きく変わった。前のときは発生農場から半径30キロ圏を対象に鶏や卵の移動がとめられた。殺処分された鶏。廃棄された卵(処理に半年を要した)など養鶏農家には損害の補償が国・県から、つまり税金が充てられた。その負担を軽減するためだと私は考えているが、半径3キロに縮小された。この変更の意図は養鶏農家には知らされない。
鹿児島県出水市で先日死んだ鶴から陽性反応が出た。安来市や鳥取市でも死んだ野鳥が陽性だった。
思い出すのも嫌な常盤公園白鳥の殺処分。
出水市・安来市・鳥取市に常盤公園で鳥はそれ以上死んではいない。とにかく殺処分が最良らしいが、一方では多額の費用で防疫圏を縮小する。
飼育されている鶏は野鳥と異なり移動しない。周辺に病気が拡散しないようにして、殺さずに経過を観察してはどうかと思う。
今回は約4万羽のうち20羽が死んだことで騒動になった。わたしの農園は約5千羽。1日で10羽ぐらい死んだことは何度かあった。あのとき検体を機関に持ち込んだらどうだったのか。この時期、農園は渡り鳥の楽園状態。
鶏を4万羽殺処分したら飼料は少なくても1日あたり40万円以上は売れなくなる。解除になるまでの日数が飼料メーカーの痛手。
きょうから長門市(焼き鳥屋の数は日本一)から鶏肉が配送されない。年末の食肉に影響がある。出せないからブロイラー農家は餌を与えて出荷解除を待つ。完全に赤字になる。加えて風評被害。前回の阿東では、私の農家は30キロ圏内から外れた。けれども県外のお客さまは「山口県の卵は要らない」と断られたケースがある。
エボラの問題では命を優先している。ところが家畜になると命を絶つことが最善とされていることに疑問がある。きょう約4万羽の命が絶たれた。
年末の不規則配達。今朝は防府市に8時。1月で3年になる「はなちゃん」との思い出の多い場所を走らなければならなかった。
人目にさらすことはちゅうちょし、防府市のペットクリニックに着いても診察室に行くには、ほかの人への遠慮があり「車で診てください」とおろさなかった。佐波川の干拓地は広々しており、1年ちかく診察の帰り道に車をとめて愛犬を放した。おやつも持参していた。3年、あの干拓地沿いの道は走ることができなかった。
今朝、思い出がたくさんあるあの場所を通過した。やっぱり胸がいたかった。

猫を喜ばせた

濃霧で視界が悪い8時ごろ、山口市内コンビニコーヒーで立ち寄った。バイク(自転車をこう呼ぶらしい)スーツ姿も凛々しい河村久仁夫さんが入り口の灰皿で一服中を見つけた。昔は酒飲み仲間。それから掃除仲間。気心がわかっているから気持ちのよいお付き合いが続いている。今朝は仕事前に小郡を往復したらしい。
月曜日のコースは、今年はきょうが最後。お礼を申し上げながら丁寧な配達を心がけた。山奥のばあちゃんの家は留守だった。かわりに猫が納屋から出てきた。顔つきも毛並みも野良。それが猫なで声でわたしに歩み寄ってきた。腹を空かせていると感じた。クーラーボックスの中には「よしの」で出汁をとった塩分はないカツオとイリコの冷凍8袋がある。猟師の犬たちの餌になる。その凍ったひと袋を出して地面に置いた。猫の鳴き声がかわり冷たい食べ物の硬いかたまりに飛びついた。野良猫に餌を与えることはいけないことは知っている。
あす火曜日も年末で変則的な配達が広範囲になる。今夜はしっかり睡眠。

ショーシャンクの空に

昨夜、長距離運転の疲れで8時まえに眠りにおちた。1時にスッキリ目覚めてしまった。Eテレで戦後民主政治をテーマした番組があった。見た内容がまだ消化不足で言葉にはならないが、今回の衆議院選挙の投票率は日本国が弱体化にすすむ兆ではないかと感じた。わたしは投票は棄権しないが、投じた1票が候補が所属する党のマニフェスト。それにすべて納得はしていない。しかしそれしか選択肢がない。棄権した人は、その選択肢を真剣に考えたあげくの棄権かもわからない。その番組が終わったらプロレスがあり、これもワクワクして見た。
母が食事をはじめる前に病院に着いた。多めのお粥・ペーストにした副食。母はおいしそうにスプーンで完食した。胸元などにこぼれたものをティシュで拭いた。血液検査から判定すれば良くないらしいが元気にみえる。
年末年始おかまいなしに鶏は卵をうむ。それを「休めない」ではなく「働ける」に切り替えている。年末まで通常の配達。元旦と2日も走る。3日からアクセル全開の忙しさが始まる。
この時期はテレビ番組で面白いものがある。元旦、午前10時後半からBSプレミアムで映画「ショーシャンクの空に」がある。何度か観た。
無実の服役、約20年。刑務所に服役する者の待遇改善などに身体を張って暮らした主人公。いつも観終わったら清々しい気持ちになる。今度は録画で。

29日午後11時。BSジャパン「平原綾香・明治神宮境内奉納演奏」も録画を予約した。

悔いに 思う

土曜日は、山口市・萩市・長門市・美祢市と広範囲になる。きょうは加えて、先日の木曜日に卵が間に合わなかった下関方面も載せて、夜明けまえ氷点下の農園を出た。
野良犬だったハッピーは寒くても暑くても犬小屋に入らない。襲われない習慣として身につけている。しかし冬は冷える。むかし山羊を飼っていた小屋が物置小屋になり、稲ワラもたくさん入れている。ここなら屋根と壁がありワラを敷いてやれば高級住宅。小屋と外と出入りできるようにした。今朝も寒いがワラに座れば寒くない。
年の瀬混雑のなかを走り2時に戻った。きょうは弁当つくらず外食と決めて出たが、腹はへっても食べたい外食はない。おまけに食事できる店の駐車場は満車が目立った。
コンビニでサンドイッチを二つと飲み物を買って済ませた。
できるだけ数多く母を見舞いたいと心がけている。それができなくなったとき「悔い」が少ないように。
反対に、やらないほうがよいことはやらない。やって「悔い」が残るから。
この「やらない」がわたしには常に課題になっている。不足を口にする。悪口を言う。これが最後の一杯が多くなる。
他人と自分の過去は変えられない。
「悔い」をのこさぬ稽古の毎日。

お見舞い二人になる

母を見舞う前、磯村千代子先生に年末ご挨拶をしておこうと訪問の電話をした。
電話に出たのは娘さん(わたしと同じ歳)母は数日前、突然激しい痛みにおそわれ救急搬送されたた。検査の結果はよくない。ぜひ会いに行ってください。私はノロウィルス感染でダウンしています。
とりあえずわたしの母を見舞いに行った。わたしの顔みたら笑顔。相変わらずの様子がありがたい。食べたいものリクエストをするけれど、食べ物は持ち込み禁止だからいい加減な返事しかできない。
磯村先生の病院を訪ねた「身内か」と問われ「はい」の返事で部屋に入れた。痩せほそった先生が「よう来てくれた」と握手。神経痛が悪く、痛くて入院したが楽になってきたから正月には戻れると声はかぼそい。
89歳。薬のせいで記憶が悪く、話したことをノートに書き留めるすべを身につけていた。
教師生活は阿知須小学校6年2組でスタート。毎朝、生徒の机を拭きながら「きょうも頑張ろう」と自らと生徒に気持ちを込めた。その教え子たちが見舞いに来る。きのうは広島からも来た。わたしは幸せ者いね。
わたしは先生の出版を手伝う場面からのご縁。宇部ではじめて学校トイレの掃除を計画したとき、さまざまな理由で校長が拒んだ。教師を退職していても教育のアンテナはある「よし、行こう」と校長を説き伏せた。
宇部掃除がソロプチミストから表彰され、大阪国際ホール?に受賞に行った。時の宇部市長夫人が磯村先生俳句の生徒で、宇部ソロプチの会長で受賞になった。
秋月城や尾道など、先生が行きたい旅行の運転をした。
母の病院と磯村先生の病院は近いので、これからは二人を見舞おうと決めた。

木曜日おわり!

カーブで車体が流れるぐらいの卵を満載して夜明けの農園を出た。積みきれない(採卵が間に合わない)山口トヨタ・金剛住機は土曜日のお届け。きょうの大谷山荘は採卵間に合わず、正志が数を整えて走ることになった。
美祢「よしの」そばにドコモ店がある。タブレットの疑問をひとつ解決したいので立ち寄った。これまでの疑問は初歩的なものばかりで、指でスイスイ画面をさわり「はい」と軽くあしらわれた。きょうの質問はレベルがあがったようで、お嬢さん二人がお店のタブレットで試行錯誤してから「わかりました」と疑問を解いてくれた。少しタブレットが理解できるようになった。「よしの」は完売御礼の札がかかり、店主はわたしにユダヤを語ろうと待っていてくれた「ベニスの商人」から講義ははじまり、わたしにわかるよう敷居を下げた話を約40分してくれた。
タブレットもユダヤも、わからないことは教えてくれる人がいる。「わかりません」と言えばよいだけ。
きのう「宇部日報」に数学の藤野先生お嬢さん、智子ちゃん(6年生)が冬休みの過ごし方インタビューにこたえた紙面があった。
わたしが若いころ「吉部」の者は田舎者といじめていた。その田舎の吉部でわたしは営みを続け、藤野先生ご家族とも親しくさせてもらっている。
島根県のおじいちゃんの家に行き、いとこと雪合戦が楽しみ。と智子ちゃん。
長男も智子ちゃんも、ご両親から大切に育てられ頬っぺたを赤くしている姿は「よい育ちかたをしている」と常々思っていた。
寒い夕方、記事を読んで気持ちがほっこりした。

湯田温泉でほっこり

読み返す「神道」は背筋がのびる。今朝は「叶わない願い事にも意味がある」を読み終えて、水曜日の吉部八幡宮参拝。以前に宮司が数百年の歴史を話されたが、時々の宮司はかわっても神様はかわらずおわします。
神仏など信仰を「伝える」ことに力を出すと、相手を否定して争いがおきる。
円満な生き方をされる方に生き方を尋ねたとき、その人が語る信仰があれば「伝わる」
掃除の会に参加していない私が言うのもはばかられる。けれども「掃除」が設問され、講師が添削する通信講座の案内が届いて驚いた。わたしの「掃除」は答えは画一的ではない。それぞれ家庭や職場で向き合い繰り返すなかで「伝わる」ものだと信じてきた。通信講座で掃除を「伝える」という発想には嫌悪感をおぼえた。
イブの水曜日。年の瀬と重なり卵の注文が殺到する。いつもの水曜日コースを済ませて、きのう走った山口市内を配達した。歯科医院のピチピチ歯科衛生士さんは休憩室でクリスマスに変身して遊んでいた。その笑顔を1枚撮らせてもらった。2月の農園日記にピチピチ画像で登場。
最後は湯田中学校。ちかくに「かんぽの宿 湯田」があり立ち寄り湯。はじめてだったが満足。
入湯料600円。敷地内の源泉かけ流し広い浴槽。熱い湯とぬるい湯がある。露天風呂もあった。1時間、湯田温泉を楽しんで農園に戻った。

摩利ちゃんパチリ

年の瀬祝日の山口市内はどこも交通量が多く疲れた。
朝9時すぎの摩利子さんにお願いして、1月の農園写真を撮らせてもらった。
農園はたくさんの方々からご支援やご声援をいただき歩むことができている。農園をはじめて農園日記をはじめた。読みたいと手を挙げた方にファックスで毎日届けていた。
そこに愛称「お絵描き 悦ちゃん」イラストレーターの悦子さんが登場した。彼女はイラストレーターと二足のわらじで、あるホストに文書を預けたら、読みたい方がアクセスすればファックスが届くシステムの営業をしていた。当時とすれば画期的だったので契約した。
初期のころから農園日記を愛読くださっている方は覚えておられよう。
悦ちゃんが度々仲間を誘って農園に遊びに来てくれた。若い女性が来てくれて焼き鳥などこまめにもてなした。その昔はギャルだった摩利ちゃんは二児の母。1年ぐらい前から加奈ちゃんのパン教室の生徒になり、わたしと共通の話題が多くなった。
お付き合いのなかで誠実な人柄がよくわかり安心してお付き合いできる仲。一度の失敗はキス。農園の宴会にご主人と遅れてこられたとき、酔ったわたしはご初対面のご主人を迎えて歓迎のキスをしたらしい。それぐらい。
今朝は2時に目が覚めた。はっきり覚めたので本を読んだ。
きのう夕方、藤野先生が「読んでください」と農園に持って来て下さった「神様が教えてくれた 幸福の習慣」神社本庁の総長、田中という宮司さんの執筆。幻冬舎。
イスラム教やキリスト教など、本来人が助かるための宗教が争いを続ける不思議さを考えていた。
宮司の言う「教義がないゆえに神道は懐が深い」との説話がなんとなくわかる。教義、つまり拠り所がないと弱いように感じても、それ故の強さがあるらしい。まだ何度も読まねばならない面白い内容。

合格祈願米

天気予報ほど積雪はなかった。それでも路面凍結、とくに橋の上は危険な早朝から走りはじめた。
きょう雪で苦労したのは美祢市の山奥。細い山道の峠を越えた一軒につくまでは、雪の重みで道路をふさぐ竹。車から降りて竹をゆすり雪を落としたら竹は道を譲ってくれる。この連続でたいへん疲れた。
お宅の庭には、3百年前に不幸な死をとげた方が眠っている。供養しないと、あなたが幸せになれない。
お宅のご親族のなかで悪い病を患う人がおられませんか。
こんな話術で、邪気を祓うと称して高額な品物を売ることを霊感商法という。目には見えないことや説明のつかないことで脅す。
それと少しは違うかもわからないが、宇部市の神社が「受験合格祈願米」をJAと販売?をはじめた新聞記事を見た。
合格したい本人や、合格させたい親は買い求めるかもわからない。縁起かつぎ程度で買う人とご利益に授かりたい人もいるだろう。
そもそもが、交通安全ステッカーを何枚貼るより、慎重運転をしたほうがよいとわたしは考えている。
合格祈願米を買うことで神様からご利益が授かれるとは、わたしは思えない。

母気持ち は元気

農園をはじめたとき、今から思えばたくさん無駄なことをしている。けれども、その頃は田舎暮らしの経験がないので夢と現実の違いがわかっていなかった。
購入した土地だけでも2300坪。その周辺には広い耕作放棄地がある。広い面積を使いたい放題になった。
栗の木は植えたら放置しておけば大丈夫と聞いてたくさん苗木を植えた。たくさん実をつけるようになった。そのせいで今はイノシン天国になった。
地域の造園業者が酒を連日抱えてきて酒盛り。80万円分のケヤキの大木を買うはめになった。トレーラーで運ばれ植えられたケヤキが育ちすぎて日当たりが悪い。
他にも樹木の問題が目につくようになった。
農園をはじめたとき「椎茸をつくらんか」と古老に誘われ本格的チェンソーを買った。使い方も手入れも教えてもらえないままクヌギを倒しに行った。
チェンソーは手入れして持ってはいるが、簡単な作業に使うぐらいで、今回気になる農園の樹木整理をやるには危険だと判断した。
きのう炭焼きグループの方に率直に電話で聞いてみた。チェンソーで切ってほしい木がたくさんある。その手間賃は払えないが、切った木は差し上げる。この条件ですぐにチェンソーの達人があらわれた。
自宅は薪ストーブ。この冬の薪はあるが来年用に欲しい。
山に行けば雑木はいくらでもあるが「出し」と呼ばれる搬出に手間がかかる。その点、農園の木は現場にトラックをつけることができるから最高らしい。お互いの利益がかみ合った。
昼前からチェンソーが唸り、奥さんと7人いるらしい子供の1人が手伝い、さきほどまでに3本のケヤキを軽くしてくれた。まだ序の口。みごとな仕事ぶりを拝見した。要る木を運んだあと小枝は1ヶ所に揃えて山積みにされていた。ここまでやるか。という誠実なお人柄が伝わった。
今朝8時半ごろ、母の病院に着き玄関に入るとき携帯電話にメールが着信した。河村隆子さんから。隆子さんが老人施設でオカリナのボランティアをされるなかで、お母さんとの思い出がよみがえり、そのことで、わたしに「お母さんの手を握ってあげて」と。
血液の数値がよくないなかでも、身体をゆすり起こしたら目をあけた。両目に目やにが多くティッシュで取りながらの会話。昨夜は、死んだけれど神さまが、まだ早いからこちらの道から帰れと言われた。こんな会話を続けるうちに「きょうは、どこまで行くかね」と問うた「山口まで」これが「もう帰れ」「もう帰る」のいつもの合図。
気をつけて。と少し手をあげた手を握った。

人から本から学ぼう

今朝、山口市内いつものセルフスタンドに立ち寄った。なんとガソリン価格が131円まで値下がりしていた。原油価格についてニュースで知ってはいたが、短期間に値が下がるということは、その反対もあって当然。エネルギーが経済を動かすので価格の乱高下はないほうがよいと感じた。けれども安いとなみなみ満タンにするのは人情。
ユダヤ人がなぜ迫害を受けたのかを「よしの」さんに次回教えていただくことを日記にした。それを読んで、美祢の黄正吉さんから今朝の配達で教えていただいた。
先日からBSで第一次世界大戦に関する番組が、視点をかえて2作あった。
大戦下の西部戦線や、空中戦の映画「レッドバロン」などの映画の知識しか私はなかった。ドイツ・イギリスやフランスなどの戦争に世界大戦の冠があるのは、その列強国が支配下においたアフリカからアジア、イヌイット族まで、つまり世界中の有色人種を動員した戦争だったことを知った。
まだまだ知らないことが私には多すぎる。本や人から学ぶことがたくさんある。
今朝の雨は冷たく、犬たちにはきびしい雨だった。3頭ともタオルケットで拭いた。

母しだいに弱り

正志を7時に見送り、気になる母のもとへ行った。途中で散髪。
母は昨夜部屋をかわっていた。看護師さん詰所の向かい、ふたり部屋。
今朝の母は穏やかで、妄想の話も幸せな話題でわたしは気持ちが楽だった。
部屋から周防灘の彼方に耶馬溪の山々が見え、その左後方に由布岳が望め、国東半島の山々も間近に見えた。
のどかな雰囲気は看護婦さんから告げられた言葉で終わった。
血液中のヘモグロビンの値が減り続けている。輸血をしなければならないが、意識ははっきりしており、自分で食事ができるからしばらく様子をみます。
ちかいうちに輸血になれば階がかわります。そのときは酸素吸入にもなると思います。
母の目やにをとりながら覚悟しなければと思う。
農園に戻る途中に「上の湯」に立ち寄り風呂。ぬるいお湯でしっかりあたたまった。ここは400円の料金でも源泉かけ流し。
缶2本で昼食。2時間も昼寝。
さきほど、6時前に車検を済ませた愛車を江口店長が納車に来てくれた。
次の車検は25万キロは越えよう。それまでには次の人生を歩みはじめたい。
きのう日記追伸
しみず茶房庵の奥さま。ふるさと宮崎の「青島フルマラソン」を14日、5時間5分で完走されたことを配達で、奥さま満面の笑顔で話された。

よしので 勉強

きのうの積雪が溶け、今朝はアイスバーンのところもあり、2号線に出るまでは特に慎重運転をした。
小月ホースパークという乗馬クラブに最近配達がはじまった。詳しいことはまだ知らないがご夫妻と子供の青年で4頭?とても美しい馬と、吠えまくる犬2頭。ギリシャ?の猫にあえる。山を家族で馬術ができる環境に開拓されたよう。ご自宅も家族の力作ではなかろうか。最初から感じたことは礼儀正しい。わたしに10個320円を渡すとき深々おじきをされる。今朝は少し早く着いた。昨日の汚れが洗われた親子の長靴が揃っていた。
履き物を揃えると心が揃う
鍵山先生が、揃えることを知らない私に繰り返し教えてくださった。馬術をきわめた方は、あたりまえのように親子の履き物が揃っていた。その光景に感動した。
菊川の「はなちゃん」ばあちゃんから正月を痒みなしで過ごせるだけの薬を買うお金を預かった。はなちゃんは私にあわせるのもはばかられるぐらいボロボロの姿になっているらしい。身体のたくさんの場所が化膿しており、玄関に香料が置かれた。来週は薬を渡してはなちゃんを抱いておこうと思った。
「よしの」談義
きょうは数学者 岡潔ではじまった。現憲法に「博愛」の精神がないと岡潔は言う。
きのう今村先輩も「岡潔は数学と情を重ねるから意外」
わたしも、今年の読みおさめは、藤野先生からいただいた文庫本「岡潔 春宵十話」をもう一度読もう。
「よしの」にお願いしたのは、来週教えてほしいのは、なぜユダヤ人が迫害されたのか。敷居を低くして拝聴させてください。
下関トヨタで代車。愛車は新車から2年の車検。走行は12万キロ。代車は普通車ライトバンで走りはよいが、わたしが走る田舎道はやっぱり軽四が便利。タイヤがノーマルで、美祢から農園までの峠越えは残雪が予想され美祢ICからひと区間高速道路上り線を利用した。下り線は、昨夜から各地で雪で止められたであろう長距離トラックがたくさん九州向けで走っていた。

予報どおりの雪道

中村勝子さんの思い出を、2日も日記に書いてしまった。それだけ勝子パワーがわたしを動かした。思い出は山盛りある。
日記を読んでくださった河村隆子さんから、今朝5時すぎに当時を懐かしむお便りをいただいた。
スペシャルオリンピックス山口の初代会長に河村隆子さんをみなさんが推挙した。
いよいよ発会式の1週間まえ、熊本の本部から電話を受けた「政治家の妻は会長にふさわしくない」スペシャルを政治活動の場にする危惧かもわからない。わたしは隆子さんも建夫代議士も一緒に便器を磨いたことをとおしてお人柄は存じていた。だからその横槍の電話に腹がたった「わかりました。その前に細川佳代子さんを会長からおろされたらどうですか」と返事をした。
もうひとつ記しておく。山口県にスペシャルの旗をあげるにはと悩んだ。交通の便がよい小郡公民館大ホールを借りて「中村勝子教育講演会(スペシャルオリンピックス)」と銘打った。200名をこえる人が、内容がよくわからない講演会に集まってくれた。涙をこぼしながらスペシャルオリンピックスの素晴らしい理念を中村勝子さんが全身で話された。そのあと私が壇上にあがり、関心のあるかたはお名前と連絡先を書いてお帰りください。とお願いした。多くの賛同してくださる方が名前を残してくれた。
そんなことまで今朝は思い出した。
きょうは天気予報どおりの雪道になった。普通タイヤの車が各地で渋滞をひきおこした。狭い道は無理をしないで長靴で歩いた。無事に水曜日を終わりしんしんとふる雪を眺めながら日本酒熱燗。明朝の路面が心配。

勝子さんとの思い出

中村勝子さんと昨夜お電話で会話を交わし「忘れられることがよいのよ」と示唆をいただいた。
わたしの人生、時々のエピソードを時系列でまとめて「自分史」をつくっている。石の墓も、紙の墓もつくらんでよか。と言われたように思った。中村勝子さんも、スペシャルのなかで、現役の人からは過去の人になりつつあるのかもわからない。けれども、それこそが自然だと言われたのかもわからない。
勝子さん38歳のとき、アメリカのケネディ家からはじまった知的にハンディをもつ子供のスポーツ。スペシャルオリンピックスを勝子さんは知った。
体操床運動を経験していた勝子さんは、ダウン症の「ともちゃん」と平均台にチャレンジした。30センチの高さに恐怖があるともちゃんと寝食をともにするぐらい練習を重ねて、渡米費用を主人を拝み倒してねん出してふたりで世界大会。
つたない演技が銀メダル。このスポーツの価値観は、その子が持っている力をどれだけ輝かせるかが判定基準。メダルを持って帰国してもスペシャルオリンピックスは誰も知らない。それならば熊本県知事に報告すればよいとアポなしで知事に面会。そこからスペシャルオリンピックスがはじまった。
その冊子「ともちゃんの銀メダル」の(まえがき)は細川佳代子さん。書き出しは。
熊本の男性は「肥後モッコス」女性は「肥後の猛婦」と呼ばれています。
わたしはすてきな猛婦に感化された。勝子さん経営の花屋「欧風花」を訪ねたとき「いらっしゃいませ」と最高の笑顔で迎えることが仕事の知的にハンディ女の子。
自宅を訪ねたとき、勝子さん留守で、ご主人さまが「ただいま主は留守をしています」と真顔で言われた思い出。
アメリカ大会に選手団を率いて行くとき「この本を英語版にして世界に配りたい」と言われ、英訳は熊本大学の生徒が担当、印刷・製本はわたしが担当した。運賃はないので、参加の選手団がわけて個人の荷物にして参加した。
フラワーデザインで、なにかおおきな賞をいただかれ、熊本市内の百貨店レストランでお祝いが催された。当日は台風が襲来、JRも高速道路も不通のなか、国道3号線を走り百貨店に着いた。裏口から会場に入ったらお祝いの会は決行中「あんた、どげんしてきたんと」と迎えられた。
正志が長崎の島原市で無認可障害者施設で働き、ジャガイモの収穫をするときだった。掃除のメンバー。広島から井辻さん。山口から河村久仁夫さんに松村御大。トンカツ浜勝の当時社長の元岡さんなど、掃除はするが酒も飲む仲間が島原に集まり大宴会。その席にも勝子さん同席された。わたしは酔って記憶がないが、よくあの騒ぎに同席された。
何軒かハシゴ酒をした。その店でヒソヒソ密談?する男たちがおり、わたしは酔った勢いでヒソヒソの仲間に加わった。島原で葬儀社をされる人が鍵山先生の掃除を知り、諫早市のイエローハットに行き掃除道具を揃えた。観光客から苦情がある、島原駅横の便所を明朝やり方は知らないが素手でやる。
こちらは酔っぱらいとはいえ、鍵山先生の一乃弟子を自負する酔っぱらい。明朝の掃除は「一緒にやろうぞ!」と乾杯がはじまった。翌朝、革靴でスーツズボンとカッターシャツのをまくり、雨のなか二日酔いで最高に汚れたくみ取り便器に向き合った。勝子さんは帰っていた。

肥後の女傑と電話

昨夜から選挙番組を見た。当落はもちろん気になるが、それより戦後最低といわれる投票率。この低さは政治に期待をしていない無関心。大相撲でも観戦したいというファンが足を運び「満員御礼」となる。
15年まえに、山口県にスペシャルオリンピックス(知的にハンディ)の子供たちのスポーツを立ち上げるとき、わたしは人生最大のアクセルを踏んだと思っている。
熊本でダウン症の「ともちゃん」と体操をはじめた肥後の女傑、中村勝子さん。世界大会で銀メダルを獲り、熊本からスペシャルがはじまった。
中村勝子さんが全国行脚の講演でスペシャルの価値を理解してもらう活動をしておられ、わたしは熊本と横浜で同じ講演を聴いた。これは冊子にして内容を広めたほうが効率がよいと思い、熊本市に勝子さんを訪ねた。冊子を作ります。1冊200円で販売して、そのうち100円は制作費(赤字)100円はスペシャルに寄付。
その申し出に勝子さんは驚かれた。本は「ともちゃんの銀メダル」と命名した。100数十万円寄付が叶ったように記憶がある。その本づくりで熊本を往復するなかで、山口県にもスペシャルの旗をあげようと決めた。全国15番目の旗揚げもできた。
さきほど中村勝子さんに、ほんとうに久しぶりのお電話をした。
70歳になりました!いつもの元気な声だった。あの「ともちゃん」ご両親が亡くなられ施設にいると聞いてさがしました。見つかりましたが、わたしを忘れていました。とても悲しい気持ちになりましたが、あの頃ともちゃんに教えたダンスを踊って見せたら、ともちゃんが笑顔になりました。
勝子節は延々と続いた。初期の仲間との決別など意外な話題。
そして最後は、私たちは、きれいに忘れてもらえたほうがよいのよ。
また熊本にいらっしゃい。

いよいよ忙しくなる

朝食が終わる時間を見計らって母のようすをうかがいに行った。母は4人部屋の海が見える窓際。4人とも入り口の名前のそばに要介護5と書かれている。今朝、部屋の入り口のベッドが空いており、布団も片付けられていた。
食事のあとでも、食べたいモノをねだる。食べ物の持ち込みはかたく禁止されている。ウィルス対策。食欲はあるのでひと安心。
病院そばの公会堂は選挙の投票所にあてられ地域の人が出入りし、出口に腕章をつけて出口調査のマスコミがせわしくしていた。
年の瀬が近くなり、卵の注文が増えている。鶏の数をそれにあわせて増やしても、ピークが過ぎれば落ち着く毎年のこと。増えた数は、大口の会社や学校などが休みになって以降に持参する。
大晦日ちかくの走行距離はぐっと増える。
今週の水曜日は、今季最大の寒波が到来。夜明けは氷点下6度。運転に気をつけなければ。

Eテレがおもしろい

土曜日、早朝の萩から長門に美祢コースは、この時期から春まで運転に神経を使う。先週は積雪と凍結の難所「雲雀峠」の下り坂をノーマルタイヤで無謀な走りをした「まだ大丈夫」という根拠のない思い込みの失敗。よく無事に凍結の下り坂を走れたと背筋がゾッとする。翌日の日曜日にブリザックを装着した。
今朝は凍結や積雪の心配より強風を案じた。萩から長門に向かう山陰高速道路(1部区間開通・無料)は、橋梁が山あいを結び、地上から相当高所の橋は日本海からの季節風が唸る。うっかりすると、その強風にハンドルをとられて車線をはみ出す。
長門までの道はもともと険しい山間ルートだったが、冬場の凍結やカーブの連続で事故が多発した。それで高速道路が部分開通して利便をはかっている。気温がプラス1度だったので、強風を避けて旧道を走った「鎖峠」は風当たりはないので、凍結に注意して越えた。以前は雪道や凍結も恐くなかったが、2年前のスリップ横転事故以来とても慎重になった。
最近「Eテレ」を録画することが多くなった。先日は高校生「アフリカの歴史」講座をみた。
イギリス反映の裏に奴隷があったこと。アメリカのジャズにブルースもアフリカが原点。サンパウロの掃除に参加したとき、保存されている薄暗い奴隷市場の石の壁はまだ覚えている。
そのアフリカ歴史のなかで、わたしの母が買い与えてくれた本のなかに「リビングストン」があり、探検家としてビクトリア瀑布を発見した偉業が書かれていた。
そのリビングストンを「Eテレ」が教えてくれた。瀑布はもともと現地人がつけた名前があること。
もうひとつは、キリスト教布教は、もともと現地に根づいている信仰を、野蛮な信仰と決めつけてキリスト教のほうがよい。という上から目線だった。
この「布教」の押さえかたにわたしは「得心」した。宗教が引き起こす戦いの歴史。巷で布教活動もさかん。
土着の神さん信仰で立派な生き方ができる。

山田まりや哲学

「そうなのか!」と得心したことがあった。
それは、火曜日の午後のラジオ「午後のまりやーじゅ」
週をとおして、山田まりやとアナウンサー道谷眞平。火曜日ゲストは東京女子大 哲学者の黒崎政男。
黒崎先生がまりやにカントを理解させるシリーズ(1回30分)が続いている。そのなかで「植物の緑色の葉は、ほんとうに緑色か」と哲学が始まった。わたしは聞きながら「カントはたいしたことはない。当たり前のこと」と聞いていた。哲学者は、ならば動物や昆虫から見ても葉は緑色なのだろうか。山田まりやも私も「?」
次の週、まりやちゃんに理解させようと頭をしぼった道谷アナウンサーがこう言った。
これまで存在が無いと思われたものが、電子顕微鏡の登場で存在が見つかり「ある」になる。
そうなると「緑色」はほんとうに緑色かどうかはわからない。
霊魂が見えるモノが開発されたら、それまで見えなかった肉親が自分の側に寄り添っている。こんなこともあるかもわからない。
わたしの理解力では、自分が見えている。信じているモノは、案外ちがっている。他人の考えと自分がちがうとき、自分を肯定したくなるクセこそが私の器を小さくしている。それを得心した。
正志が走ってくれる金曜日。7時前に正志は出た。
ゆっくり食事を済ませて、コーヒー飲みながらタブレットで新聞にゆっくり目をとおした。犬も時間をたっぷりかけて3頭を歩かせた。朝、ゆっくりできることは幸せ。
私の散歩コースを約1時間歩いた。あたたまりマフラーや上着は手にして歩いた。
霜降り山の温泉「上の湯」に行き、温度が二種類あるなかで、ぬるい湯にしっかりつかった。
それから母のようすをうかがいに病院。母は四人部屋の窓際。快晴ならば国東半島から佐多岬まで見渡せるオーシャンビュー。朝食を済ませて四人部屋はみなさん熟睡中。母も窓から陽射しをうけて放心状態の眠りにおちていた。身体を揺すっても眠りから戻ってこない。椅子に座り揺り動かし続けてやっと半分目をあけた。わたしが来たことはわかっても、それより眠たいらしい。短時間で部屋をあとにした。
農園にもどったらお昼。缶ビール2本で昼ごはん。布団を敷いて本格的な昼寝が1時間。気持ちも身体も休まった金曜日になった。

よしの談義木曜日

農園に行けば卵が買える。そんな突然のお客さまに朝や夕方、夜でも入浴や食事などをしている私はずっと困っていた。昼間は外にいる犬は夕方から朝までは作業場に入れておるので侵入者と判断して激しく吠えて威嚇する。とにかく、わたしが休みたい時間をはっきり示すように「朝8時半から午後3時半の販売」と大文字看板を掲げた。実施まで2ヶ月の移行期間もつくり、お客さまとの気持ちの摩擦を減らす努力をした。
木曜日を走り終えて、農園に戻った4時半。その看板の前を走り抜けてお客さまが来た。どんな店でも、定休日や営業時間はある。ルールを無視して「買いに来たのだから売れ」という態度は気にいらない。ルールを申し上げながら卵を渡した。仏頂面で帰られた。もう来られないかもわからない。それも仕方がない。
「よしの」夫妻が後片付けの手を休めてわたしの会話に応じてくださった。
毎週木曜日、長年続く約1時間のお茶のみ話は、余談は語り尽くしたから核心的な話題になる。
「よしの」主が言うた。10年、製麺をやりそのコツを体得した。この技術で店舗を展開したら儲かるかもわからない。それを考えた時期もあった。
けれども、儲けることが目的ならば生保支店長を辞職て「うどん」の道にはいった道理にあわない。
自分が打ったうどんを食べて「うまかった」と喜ぶお客の笑顔が目的でこの道を選んだ。儲けることが一番の目的ではない。
わたしは相づちをうった。

あきらのポン酢

きょう支給されたボーナス。国家公務員36歳の平均は69万円。国会議員は319万円。国民1人あたり800万円もの国の負債があるといわれるなか、消費税を増税してまで国を維持するなか、われわれ国民の税金はこのようにお手盛りでつかわれる悲しい現実がある。
格差社会が議論されるなかで、これだけはっきりした格差が見えているのに。

お客さまが「カーナビをあげよう」きのう頂戴した。もちろん中古。
タブレットを常備しているから地図情報に困ることはない。シガーソケットから電源をとるだけで、特別な配線などは要らないのできょう1日ダッシュボードに置いてみた。タバコの箱ふたつ分ぐらいのコンパクトサイズ。ナビ機能はふつうにあるが小さくて見ずらい。
しかし、これはすぐれものだった「ユピテル」という無線機メーカー製造で、スピード取り締まりの電波と、現場で使う無線も周波数で感知する。パトカー無線は「近くにパトカー」とアナウンス。固定のスピード取り締まりにも反応して言葉で知らせてくれる。
ナビに名を借りた警察検知器だとわかった。
「あきらのポン酢」をいただいた。ラベルにはハゲ頭に毛が3本の似顔絵。今村明先輩が柚子をしぼりカツオダシやこだわり醤油でつくり、酒場で知り合った漫画家がラベルをボランティアで「イッピン」が完成した。定価は無料。
夫妻の遊び心、ゆとりの生き方にいつも学ぶ。
隼人瓜をふたついただいた。ひとつは「食べなさい」と食べ方を教えていただき、ひとつは「植えなさい」と植えかたをご指南いただいた。

お湯割り最高

県警警察学校の教官が、酒の席で生徒の女性にキスをして、本部長から「チューいを受けた」
世間ではセクハラだパワハラだと取り締まる者が、チューいで済ませる馬鹿らしさ。本人の顔も氏名も公開なぜしない。マスコミも老人の万引きには走りまわり、この手の不祥事にはなぜか寛大。
警官を養成する教官が、女子生徒にキスをしたら立派な事件。情けない。
火曜日のスタートをする前に正志を呼んでいた。彼の問題に対して「後回し」そして「忘れる」その態度が気になっていた。
「ブランド」を最近思うようになった。お客さまの満足度、評価がこの言葉を支える。
なにも有名店舗で販売されることがブランドではない。われわれ働く者が、どうすればお客さまに満足してもらえるかを問い続けるなかでそれは生まれてくる。改めるべきことはすぐにやり、改善できることをさがすアンテナを張り巡らす。正志はまだぬるい。
わたしが考えぬいた改善点。廃棄する卵を減らすやり方を、材料と使用方法を示し教えた。
言いたいことは、正志が人を使うとき、正志をこえる人はいないから、自らのレベルをあげ続けることの大切さを伝えた。
後回しでその日が終わる経営者は、部下の後回しが見えない。

今朝は零度。氷もなかった。けれども濡れた路面はアイスバーンだった。それがわかったのは山道のカーブで、後輪がバランスを崩した。新品冬タイヤの性能は踏みとどまった。2年前のこの時期。跨線橋が夜の放射冷却で凍てついており、月曜日の朝、満載の卵とともに横転した。
今朝も意外な場所でスリップ事故がたくさんあった。
0,7リットルの水をすばやく沸かしてくれる電気ポットを家内が買ってくれた。
今夜も焼酎のお湯割りが簡単にできる。最後はウィスキーお湯割りでしめる。朝はバッチリ二日酔いはない。

不在者投票を済ませた

5時すぎ、外に水をため置きしている容器に薄氷を見つけて指を入れたらスッパリと氷が指を鋭く切った。タイヤは冬用にかえたので早朝の運転、少し気持ちが楽になった。
きょうは米英に戦いを挑んだ真珠湾の日。歴史は立場により解釈が異なる。さらに当時の空腹や空襲を知らないわたしは、思うことはあっても軽々しく責任論は言うべきではない。論争をしても折り合いはなく世間を狭くするばかりだと、失敗を重ねてからわかった。
美祢市の山奥、細い道の最後に老夫婦が週に6個のお客さま。じいちゃんが納屋で農機具を手入れしていた。来年で86歳になる。開戦の日の「大本営発表」のラジオ放送は近くの神社に地域の人が集まり聞いた。日露戦争のように、日本海開戦のように負けることはないと信じた。
学級で先生が満蒙開拓義勇軍への志願を募ったが家の事情で手を挙げることはなかった。手を挙げた仲間のほとんどは帰国していない。美祢市の上空を編隊を組んで毎日通過するB29爆撃機を見ながら、負けるのではないかと思った。
月曜日の配達を終え、大判焼き(白あん)熱々を買い、タオルで保温して急ぎ足でもどり、みゆきちゃんの土産にした。
不在者投票も済ませた。

母、元気に

農園の2階、わたしの住まい。台所、風呂に水洗トイレと水回りがあり、そのうち2ヶ所が今朝の冷え込みで配管が凍結した。外の水回りは全部凍っていた。
前夜から氷点下になり、明け方に氷点下5度ぐらいまで冷えると配管が水が氷になる膨張で割れる。割れない予防策も農園生活で身についた。
今朝は母の食事時間に着くように急いだ。調子がよい。ベッドを起こしてもらい、エプロンをしてやわらかい食事をスプーンを使い自力で食べた。
若い女性の職員さんが母の入れ歯を外して洗うあいだ、母はうがいを元気よくした。
会話は、母の妄想につきあうが、昔の話は正確、職場の同僚の名前やクセまでも「きょうはどこまで行くのかね」とわたしに聞いたので「これから山口に配達がある」と答えると「それかね。運転は気をつけなさいよ」と気遣いができる。母が元気でいてくれるから、こんな言葉もまだ聞ける。ありがたいと思った。
愛車の洗車をしたり、本屋に寄ったりして昼になり小郡で外食。12時にタイヤ交換でドック入り。
上田さんのお宅に久しぶりに行き2時間ぐらい世間話をした。
母がしだいに弱っていた。また元気のない母を見るのはつらいと思っていたが、今朝の元気はわたしも元気になった。

路面の凍結で緊張!

冷え込んだ早朝。萩市までの峠(雲雀峠)越えが、まだ冬タイヤに交換していないので不安になり、ネットのカメラで雲雀峠を見たけれど、路面のようすは暗くてわからないが氷点下2度は表示された。農園を7時過ぎに出て、山口市内を配達して萩に向かえば融雪剤も撒かれて、難所のきつい下り坂の連続とカーブしている下り坂の橋も走れようと楽観的に考えて農園を出た。
雲雀峠を下りはじめたらアイスバーン。卵の重さはしっかりあるからブレーキを踏んだら車は回転するだろう。「Lレンジ」で10キロから15キロの低速で長い下り坂を無事におりた。
上り車線には放置車両が数台あった。事故処理中で警察車両も見た。
おりて下関トヨタの江口店長に電話をした「18日に予定の冬タイヤ交換を、明日できれば小郡のトヨタ本社でできるよう検討ください」と電話をした。この冷え込みでタイヤの在庫があるかどうかが問題と返事をされた。1時間後「OK!」の返事をいただいた。
携帯電話でたくさんの文字入力をした「自分史」をタブレットに移して推敲している。そのなかで操作の壁にあたり中断していた。昨夜は遅くまで「ヘルプ」の画面を見ていろいろやったが解決できなかった。
美祢市のドコモ店に立ち寄り尋ねた。苦労していたから尋ね方も的を得ており、タブレットを開かないでお嬢さんの回答でスッキリ解決できた。今夜は熱燗焼酎を片手にタブレットがすすみそう。

真冬日の金曜日

昨年レイテ島などに襲来した規模(死者6千人以上)ほどの台風22号が、同じコースで同じ勢力で接近している。各国の国境なき医師団は救護に向かう準備を整えていると報じられた。住民のみなさんは不安をつのらせておられるだろう。被害の少ないことを祈る。
正志が金曜日を7時にスタートした。見送って、わたしは母を見舞いに行った。まだ多少の食欲はあるらしいがかなり弱っている。
わたしを認識できるが、目はあまりあけない。そばに居るだけで会話はあまりできない。来年、母のヒツジ年をむかえることができるのだろうか。穏やかに毎日を過ごしてほしい。
農園にもどる途中、持世寺温泉の上の湯に立ち寄った。ここは料金がふたとおりあり、安いお湯は400円。わたしはいつも400円。ぬるめのお湯はかけ流し。1時間、手のひらがシワシワになるまで楽しんだ。
帰り道、船木の近くで河村建夫先生の選挙カーとすれ違った。候補は他の選挙区応援と思う、黄色の上着の隆子さんが助手席で手をあげておられた。わたしはライトを点灯して声援した。
農園に戻ってしばらくして電話を受けた。正志が配達に向かった防府市のお客さま「息子さんが来よるけど、あんなは元気なんか」年末までにはご挨拶に行く約束をした。お客さまから心配をしていただき嬉しかった。
来月、1月17日は阪神淡路大震災から20年をむかえる。
浜山小学校避難所で一緒にお手伝いをした宮崎弁の牧さんに、16日の神戸市内ホテルの予約を頼んだ。すぐにJR兵庫駅近くのホテルを予約してくれた。16日、はじめて長女の照美さんがご用をしている金光教太秦教会を参拝。その後、念願だった三十三間堂を拝観してホテルに向かう。牧さんも夜に合流するだろう。
浜山小学校の4ヶ月。わたしにとっての意味をしっかり問い続けてその日をむかえたい。
カヤグム奏者で歌姫の呉明美さんからさきほどメールが届いた。
湯田温泉の松田屋で演奏をします。これから下関を発ちます。
日韓関係がよくないが、民間交流はしっかり絆をふかめたい。歌姫がんばれ!

シャケバイに思う

北海道で鮭を加工する時期だけ若者がアルバイトに集まる「シャケバイ(シャケのバイト)」がテレビ番組になり観た。寝る場所と食べるものは用意されている。鮭の解体は鮮血をあびる重労働。季節労働という世間が言う重い暗い表情ではなく、目的のために稼ぎたいという表情は男も女もいきいきしていた。稼いで海外旅行など夢がある。
選挙戦がはじまり、街頭でマイクをむけられた人が「格差社会はいけません」「賃金をあげてもらえる政治」などの言葉を聞くとわたしは不愉快な気持ちになる。
わたしは母子家庭で、あるとき「貧乏人の子」と言われた幼い日の体験がある。その格差こそがわたしを育ててくれた。
賃金を政治のせいにするまえに「鮭」ではないが体をはって働いたことがあるのか。と言いたくなる。
政治が悪いかもわからない。けれども稼ぐ道はなんぼうでもある。
長府の乃木さん通り。レストランに木曜日は納品がある。シェフが来られる1時間前に玄関にたまごの箱を置くのがルールになっている。今朝は雨だからビニールに段ボール箱を包み置いていたら隣のミシン店のおばさんが「うちが預かろうか」と声をかけてくださった。
わたしは配達先であう人には必ず挨拶を心がけてきた。ミシンのおばさんも長年挨拶をしてきた。冷たい雨にうたれながらあたたかいものがこみ上げた。

長い日だった

吉部八幡宮から上の山々は雪化粧の朝をむかえた。
先日「卵を配達していただけるか」と丁寧な問い合わせのお電話をいただいた。配達ルートからそれほど離れていないのでお宅をさがしてお届けした。どちらで農園を紹介されたかを尋ねた。あるレストラン。そのシェフが働いていたレストランに納品しており、シェフがお店を新築して独立された「続いてこの店にも届けてください」ということで長くお引き立ていただいたが、数年まえ「しばらく止めてください」の電話でご縁がとぎれていた。
配達を申し出られた方は、そのレストランを利用されたとき「よい卵を知りませんか」とシェフに尋ねたところ、わたしの携帯電話の番号を教えられた。
近くを走るときがあるからお礼に立ち寄らねばならない。
水曜日の配達がほぼ終わりの団地のお宅。ミラーで左の側溝を見ながらギリギリ左に車を停めた。あまりに上手に溝のそばに停めたので気分がよかった。
納品してお金を頂戴して車に乗り込んでセルを回したがエンジンがかからない。
下関トヨタの江口店長に症状を連絡して数分後、最寄りの小野田トヨタ店からレスキューが到着して走り出すまで、停車した時間は1時間。バッテリー交換だった。左端に停めたのでほかの車の通行の支障にならなかった。迅速な対応に感謝。お客さまも玄関にあたたかいコーヒーとお菓子を用意してくださり嬉しかった。
農園にもどり、美祢市の病院に行きインフルエンザ予防接種を済ませた。山越え道沿い農家の屋根には今朝の雪が残っていた。
山田まりやが「はながみ」を連発した。テーマが維新だったから、やっぱり「花神(かしん)」の間違い。でも彼女の失敗はかわいい。

寒波到来

前の仕事は市町村議会の会議録を、録音テープで受注して文字におこして印刷製本をした。
毎年予算編成の時期に「見積書をお願いします」と担当者から言われた。録音テープ1時間あたりの単価をもとめられる。会社創業時の単価は24000円。20年後に辞職するときは16000円まで単価は落ちた。理由は、会議録の作り方も知らない印刷所などを見積に参加させたこと。担当者は「良い製品を安くつくることが業者の責任」とまで公言した。頭の悪い担当者で、そのような矛盾が成立するわけがない。事実、山口県内の市議会会議録を安値で落札した印刷所の女性経営者が受注したあと、落札単価で引き受けてくれないかとわたしに泣きついた。
長時間におよぶ議会の録音テープは、大勢の人がテープ起こし(正式には反訳と言う)に携わる、その結果に句読点や段落、漢字に平仮名や片仮名などが首尾一貫不統一があってはならない。個人の主観が正されるよう、有識者を招き社員教育に力をあげた。これは大切なコストになる。

役人の無能力で発注する工事やさまざな業務の質が落ちる。どこかで、見えないところで手を抜かなければ社員を養えない。
わたしの会社は、不本意ながらパート社員と在宅アルバイトを多くせざるをえなかった。
公共事業、役所から受注して生計を営む会社の数は膨大だと思う。正規社員とか非正規雇用と政治家の議論はあるが、よい品質を目指す議論が深まれば雇用問題は少しは前にすすむ。

とても寒い1日だった。農園に戻るまえに山口市内のガソリンスタンドに立ち寄った。強風のなかを小雪がチラチラして、満タンにする時間でも震えた。スタンド従業員は寒くて唇がふるえていた。
いよいよ寒さが本番になった。

きょうから師走

14日の投票には行く。
きょう午後からラジオで党首討論を聴きながら配達をした。
安倍総裁は、東芝が国内に工場建設をはじめたとか、いわゆる大企業の好景気ぶりは政策の結果であるというような口調に終始した。わたしには、そのことがとても腑に落ちない。次代を背負ってたつ若者や子供たちに、税金でわたしがのこせるならば増税は受け入れなければならないと思っている。
しかし、国民の安心と安全の集団的自衛権を唱えるならば拉致問題こそ国家の威信をかけてやるべき課題になる。それからいまだにあえいでおられる東北の人の生活も議論のテーブルにのぼらない。経済優先で人情がない。
金沢市長選だったか。当選した現職を推したのは共産党以外の政策が異なる全部の党。この市長は政策の軸足をどこにおくのか。こんな選挙はまったく意味がない。日本はおかしな国になった。
山口市内のスーパーマーケットに納品して、ガードマンさんと立ち話をした。わたしが尋ねたいことがあった。
新聞の片隅に、高齢者がわずかな金額の食料品を万引きしたと、氏名・年齢に住所まで載せる。一方、警察官や教員の事件は穏便な扱いで不公平だと思っている。
その高齢者の万引きを尋ねた。ほぼ毎日パトカーが来て連れて行くらしい。腹が減ってソーセージをポケットに入れたような人は少ない。財布には買える以上の現金を持っていてもやるらしい。いろいろ具体的な話を聞いて、結論の出ない気持ちになった。
きょうから配達することになった山あいのお宅に、気性の荒い甲斐犬がつながれていた。猟をされてはいないが、すきをついて放れたら山にわけいりイノシンやタヌキをしとめるらしい。この犬とは仲良くなれない。