母気持ち は元気

農園をはじめたとき、今から思えばたくさん無駄なことをしている。けれども、その頃は田舎暮らしの経験がないので夢と現実の違いがわかっていなかった。
購入した土地だけでも2300坪。その周辺には広い耕作放棄地がある。広い面積を使いたい放題になった。
栗の木は植えたら放置しておけば大丈夫と聞いてたくさん苗木を植えた。たくさん実をつけるようになった。そのせいで今はイノシン天国になった。
地域の造園業者が酒を連日抱えてきて酒盛り。80万円分のケヤキの大木を買うはめになった。トレーラーで運ばれ植えられたケヤキが育ちすぎて日当たりが悪い。
他にも樹木の問題が目につくようになった。
農園をはじめたとき「椎茸をつくらんか」と古老に誘われ本格的チェンソーを買った。使い方も手入れも教えてもらえないままクヌギを倒しに行った。
チェンソーは手入れして持ってはいるが、簡単な作業に使うぐらいで、今回気になる農園の樹木整理をやるには危険だと判断した。
きのう炭焼きグループの方に率直に電話で聞いてみた。チェンソーで切ってほしい木がたくさんある。その手間賃は払えないが、切った木は差し上げる。この条件ですぐにチェンソーの達人があらわれた。
自宅は薪ストーブ。この冬の薪はあるが来年用に欲しい。
山に行けば雑木はいくらでもあるが「出し」と呼ばれる搬出に手間がかかる。その点、農園の木は現場にトラックをつけることができるから最高らしい。お互いの利益がかみ合った。
昼前からチェンソーが唸り、奥さんと7人いるらしい子供の1人が手伝い、さきほどまでに3本のケヤキを軽くしてくれた。まだ序の口。みごとな仕事ぶりを拝見した。要る木を運んだあと小枝は1ヶ所に揃えて山積みにされていた。ここまでやるか。という誠実なお人柄が伝わった。
今朝8時半ごろ、母の病院に着き玄関に入るとき携帯電話にメールが着信した。河村隆子さんから。隆子さんが老人施設でオカリナのボランティアをされるなかで、お母さんとの思い出がよみがえり、そのことで、わたしに「お母さんの手を握ってあげて」と。
血液の数値がよくないなかでも、身体をゆすり起こしたら目をあけた。両目に目やにが多くティッシュで取りながらの会話。昨夜は、死んだけれど神さまが、まだ早いからこちらの道から帰れと言われた。こんな会話を続けるうちに「きょうは、どこまで行くかね」と問うた「山口まで」これが「もう帰れ」「もう帰る」のいつもの合図。
気をつけて。と少し手をあげた手を握った。