しんあい農園日記」カテゴリーアーカイブ

六さんいよるしんあい農園日記

耳をすまして

仕事上、毎日かかさず、鶏舎に入ります。
朝に晩に全部の鶏舎を歩くだけでも、かなりの労力ですが、採卵や給餌など加わるとボリュームが更にあがります。

一年で一番日没時間が早い季節、周囲は暗闇ですが、鶏舎のあかりを頼りに、仕事が終わった鶏舎を採卵で歩いて回ります。一日の作業結果がよくわかり、気忙しく採卵してまわる朝の作業とちがい、鶏の様子もよく観察できます。昨日は、翌朝の最低気温がマイナス予報だったので凍結防止の排水作業をしながら採卵作業。夏場に比べ、一日の終わりの採卵量はわずかですが、同じ時間をつかって鶏舎を巡回します。

ちょうど昨年の今頃は鶏の悪癖が止まらず辛い日が続きましたが、鶏の様子も落ち着きを取り戻し、なんとか成績は上向きになったことに多少の安堵は感じています。

悪癖の要因はおそらくひとつではありません。様々なことを頭の中で自問自答を続けるなか、五月半ばに心当たりを付け、わずかな工夫をしました。その成果あってか、鶏の落ち着きに若干の変化がうまれたように感じています。言葉のない鶏の様子は産卵や求める餌の量から答え合わせをしますが、独自採点ですから、まだまだ改善の余地に耳をすましていかなければいけません。

私たちのような、人の働きが主な要素となる労働集約型産業でも、AIを使って省力化する研究が進んでいると聞いています。同じ産業に携わるものとして切実さは身にしみますが、先月読んだ紙面、地元出身の日本画家で、文化財修復の第一人者である馬場良治先生の言葉に気づきがありました。

講演会で馬場先生は、常識外れの素材の修復作業でも、地域の歴史や文化、気候など、様々な角度から考えて最適な方法を見つけ出した経験の原動力は「感性」としました。そのうえで「答えだけを求めることは、感性を磨くことにはつながらない」と指摘します。さらに「人間の未知のものは感性なんです。ChatGPTは感性を生んでおりません。知識の凝縮です。知識の凝縮はものを作り出せないんです」と話されます。

タマゴは工業製品ではありませんので、より良いものを目指していくには、感性を磨いていくことが大切な要素になってくると感じています。

2025.12.23 あだちまさし

ゆうがい

お正月の鏡餅は「三種の神器」を表しています。丸い餅は「鏡」、橙は「玉」、串柿は「剣」を表します。串柿には、幸せにまつわる意味がいくつかあり、柿を「嘉来」と書いて、幸せがやってくるとか、幸せを「かき」集めるなどの意味があるようです。

その串柿に使われる柿の大きな老木が農園の入口にはあります。真夏には、たくさんの柿の葉から涼をもらい、鈴なりになった柿の実は目を楽しませてくれます。大きくしなったアーチの枝が季節によって玄関口の風景を描きます。熟した柿が落ちて道を汚しますが、さほど気にならない理由は、夜通しタヌキの親子が掃除をしてくれるから。明け方まで忙しく木の根元で仕事をしている姿に可愛らしさはありますが、人になつくことはありません。

各地の熊害(ゆうがい)が連日報道され、被害にあわれた方を思うと心が痛みます。凄惨な被害の状況が伝えられるなか、市内でも熊の目撃情報がいくつかあり注意喚起のメールが市の防災から入りました。いくつかは誤情報だったようですが、今月中旬に農園からほど近い場所での目撃情報は熊に間違いないとのこと。五年前にも同じ場所で目撃され、当時と同じ柿の木に登って実を食べた形跡があるようです。

報道を見るかぎりでは、手当たり次第に人を襲うテロリストのような印象を受けますが、東日本にくらべて、今年は山の実りが豊作なので人里に下りてくる心配は「おそらく」ないということでした。でも、ほんとうの熊の気持ちはわかりません。

十月中旬くらいから一気に気温が下がりました。寒暖差が大きく、秋を通り越して冬がくる感覚は年々、実感として確かなものとなりつつあります。ここ数年、この時期から鶏の「悪癖」に悩まされました。需要期に生産を上げ切ることができずに頭が痛みましたが、今年は小さな問題はあるものの、やや順調に推移しているようです。悪癖の原因は、いくつかの要因が重なってのことと思いますが、真夏の猛暑から長引く暑さで落ちた体力や脂肪がもどる期間が短いのも大きな要因となっているのでは推察しています。

冬に備えて毎晩忙しく働くタヌキの姿に重ねると、頭を痛めた鶏の悪癖や熊害などにもつながりがあるかもしれないと考えています。

2025.11.26 あだちまさし

つかず はなれず

「世界は進化に満ちている」深野祐也・著(岩波書店)を購入しました。
書籍の紹介で、動物や植物の進化や変化の実例や、農薬が効かなくなったアブラムシの変異。変異・選択・遺伝があれば進化は起きるとあり。農園での経験が重なることもあって、書店で注文して、一週間して手もとに届きました。

数ページめくって、積読の熟成期間に入りましたが、本を逆や横にしたりしながら「ななめ読み」で時間をかけて、活字をおいかけていきたいと思っています。

先月から増えた新しい配達先のそばには、深夜まで営業している本屋があります。いまどきではありませんが、書籍は本屋で注文して購入します。手元に早く届く必要を感じていないのと、本屋の「におい」が好きで、今もこうしています。

この本屋、店の奥にトイレがありますので、用を足してから店内を散策します。変な癖ですが、大好きだった教会の先生がそうしていた影響で、本屋に入ると用を足したくなく習慣があり、その都度、なつかしい記憶につつまれます。

高校生の頃、学校の帰りに教会でボンヤリ過ごすことがよくありました。ソファに寝転び、本棚から先生の書籍や古いアルバムをひろげて、ゴロゴロする時間が好きでした。迷惑だったかもしれませんが、当時は干渉されない事を良いことに勝手気ままに過ごさせてもらいました。

時折、「一緒に行くか?」と先生から声をかけられ、本屋へお供することもしばしば。当時は市内で一番大きかったスエヒロ書店です。黒装束に草履スタイルの先生のルーティンは、店内に入ると一目散に階段の途中にあるトイレで用を足すのです。私の変な癖も、この頃からです。

なぜか、本屋のトイレで用を足すと、当時のポツリポツリと話した事や、人生の節目でかけられた言葉を思い出します。いつも「つかず、はなれず」の距離であたたかく見守っていただいた「まなざし」や、今の歳になって気がつく先生から「いのり」を感じる事もあります。

そんな時、暗闇にポッと「あかり」がともり、心があたたかくなる錯覚をおぼえます。

2025.10.28 あだちまさし

かけがえのない風景

多面的機能という言葉で表すには、あまりにも深く大きい世界だ。
水田農業について、こうコメントした環境アドバイザーの指摘が目にとまりました。

水田で稲がたわわに実る風景は、あまりにも身近で実感を持ちづらいですが、他に類を見ない優れた農法だと解説されます。
田んぼに水を張り、稲を育てることで病害虫や雑草の発生を抑え、低施肥で地力を維持しながら何百年も連作できる。夏の暑さを和らげ、膨大な地下水や多用な生き物を何千年も育んできた水田。このはたらきの深さや大きさを考えるとき、「多面的機能」という言葉だけでは物足りなさを感じるのでしょう。

私たち農園の仕事も、近隣の稲作農家さんとの関わりで成り立っている側面があります。それは、鶏ふんを肥料として循環することで、相互に良好な関係を保っているからです。このような形で農家さんとつながっていると、農業を取り巻く環境の厳しさも共に実感します。農家の高齢化や気候変動による災害、不安定な国際情勢による輸入資源の高騰など、どれも一筋縄ではいかない問題が複雑に交差しているように感じています。

米騒動の余韻が残るなか、近隣の水田では稲刈りがすすんでいます。
毎年、吉部の稲刈り風景が地方紙に取り上げられますが、今年は親しくしている農家さんが一面を飾りました。親子で収穫をする内容が記事になり、地域の貴重な担い手である息子さんの作業風景が大きな写真で紹介されたのを嬉しく拝見しました。

また、ひと山向こうの多くの水田で稲作をされている農家さんも早物の収穫を終えて、鶏ふんを搬出するクローラーを農園に搬入されました。今年で三年目になりますが、来年の田植え前まで、週に数回ピストン運行をされます。 穏やかとは言い難い季節の変わり目ですが、近隣の農家さんの働きで、静かに季節が移り変わっていることを実感することができます。

米騒動をうけ、米の価格を引き下げるべく、市場を「じゃぶじゃぶにする」との大臣の対応が大きく取沙汰されましたが、農家さんの息づかいにふれると、ひと言では表せない不安を感じるのも正直なところです。

2025.9.26 あだちまさし

知る姿勢

ある新聞投稿が目にとまりました。
保育士の資格を取得した二十三歳、大学院生の投稿です。
資格取得の際、福祉の勉強をする過程で「インクルーシブ(包括的)な社会」という言葉にふれ、その実現に興味を持ちつつも、何もできていない無力さに悩む時期があったとの書き出し。

そのなかで、障がいがあるお子さんの親御さんと話す機会に「知っていることが大事」だとヒントをいただき、親御さんから、障がいについて知っていくことで仕事や私生活においてストレスが減ったとアドバイスをされたとあります。私なりに親御さんの立場で考えてみると、我が子の障がいと初めて向き合った時の大きな不安が、障がいを知り、理解を深めることで不安が軽減したということではないでしょうか。

そして、実際に街中で、思わぬ行動をとる人を見かけた時であっても、その背景にある障がいの特性を知っているかどうかで、受け取り方は大きく変わると感じ、最初の一歩として「私たちはさまざまな人を知る姿勢を持つことが大切ではないのだろうか」と結ばれています。

何度か書きましたが、私も福祉の現場で社会人生活をスタートさせました。
長崎県島原市の障がい者の親の会が運営する小さな福祉工場です。あたたかい恩師や上司に恵まれ、個性豊かな面々と、その保護者の方々にやさしく育てて頂き、ある程度のことは理解したつもりで、Uターンして今の仕事をはじめました。

時間がたつにつれ、「理解したつもり」の歪みの壁にぶつかるようになり、島原での経験を何度も振り返ります。そこで自分なりに頂きなおしたのが「知る」ということでした。福祉工場の指針には「を知る、に学ぶ、と共に生きる」とあります。それぞれの前には「障がい者」が入ります。

知る姿勢を大事にすると新しい発見があります。先入観にとらわれず正しく知ることで、あらたな学びもあり、「そうだっだんだ」と共感し反省することで、前へ進む感性も磨かれるような気がしています。新聞の投稿を読み、「知る姿勢」の大切さをあらためて感じています。

2025.8.27 あだちまさし

猛暑つづく

キンキンに冷えた大きめのグラス。
ガシャガシャの氷に注がれたハイボールが炭酸の小さなしぶきをあげています。喉を鳴らしながらひと息に飲み干すと、炭酸の刺激が喉からお腹へ。ウイスキーの香りが鼻を抜けて、アルコールで目の奥が少し熱くなり、頭がフワッと軽くなります。

昼下がり、冷凍庫から取り出した保冷剤をタオルで包み、枕代わりにして横になると、陽射しにさらされた首元が涼しくなり一瞬で眠りに落ちます。わずかな昼寝の間に、ずいぶん長く口にしていないアルコールを飲み干す夢を見ました。疲れているなぁと感じながら、まだ冷たさが残る水筒の麦茶で喉を潤しました。

今年の夏も猛暑です。連日きびしい暑さが続きます。
梅雨明けが異常に早かった分、ことのほか暑さにさらされている時間を長く感じます。みんなが気持ちを切らさないよう辛抱しているせいか、それとも諦めからか「暑いですね」という会話が少なりました。

農園においても、鶏をはじめ、汗を流して働く私たちも我慢の時間が続きます。タマゴの選別を日替わりで担当して下さる二人の女性パートさんは、ご自分の稲作や畑作業と農園の仕事を掛け持ちして下さっています。お二人とも、孫にお米や野菜を届けた時の喜ぶ顔を見たいと汗を流されています。

とりわけ野菜づくりの苦労は見聞きするなか共感します。作付けのタイミングや、成長過程の管理が年々きびしくなる暑さに大変さを増します。加えて、みなが一つ年を重ねるごとに体力がジワリと落ちていきます。私自身も体力の曲がり角を実感すること多々あります。

生産者の苦労を軽減しようと、暑さへの耐性を増した稲や野菜の「種」の品種改良は日々進んでいるように思います。三十度を越える気温のなか、やや陰りはあるものの命の糸を切らさず産卵活動を続ける鶏の息づかいからも、そう感じます。

厳しい気候でも耐えうる品種を届けて頂いている恩恵を享受するためには、基本となる成績を日々見落とさないよう、年間を通じて、より高い観察力が求められます。 しかし、これが簡単なようでかなり難しいです。

2025.7.28 あだちまさし

枝元なほみさん

「きょうの料理」NHKテレビテキストがお気に入りで、長く購入していた時期がありました。手に取ったのは「たまご料理」の表紙につられたのがキッカケです。いまから十五年以上も前だったように記憶しています。

毎月、旬の食材の情報満載で、三月に「たまご料理」が取り上げられるのも定番です。年末のたまごの需要期が終わり、春先から産卵がグッと上向きになります。市場への供給量が増え、価格が下がることから「旬」と受け取られているのではないかと想像してみたりもしました。

お客さまと接する機会に「旬」に関する会話も多く、採れたての野菜をいただくこともしばしば。だいたい旬のものは重なりますので、無駄なく有難く頂くには、いろいろなレシピの知識があれば便利だなぁという想いも購入の後押しをしていたように思います。ただ、調理はしませんので、もっぱら想像力をふくらませるばかりですが。

料理人さんが紹介される食材の豆知識なども、お客さまとの会話の幅を広げるのに役立ちました。当たり前ですが、どの料理人さんも手際と歯切れが良く、日頃見慣れた食材が素敵な料理に変わっていく過程が好きでした。なかでも楽しそうに料理される平野レミさんや枝元なほみさんが今でも私のお気に入りです。

今年二月、その枝元さん逝去のニュースですこし気持ちが暗くなっていましたが、最近、枝元さんが力を入れていた活動を知り胸が熱くなる思いをしています。

路上生活者などを支援する雑誌「ビックイシュー」日本版に長年執筆を続け、その活動を支援する「基金」の共同代表を長く続けてこられていたことを知りました。紹介されている紙面で、枝元さんのお人柄を「困った人を見かけると、そっと傘を差し出さずにはいられない人だった」と表現されています。

長年の支援を通じて模索し「みんなが幸せになる取り組み」をカタチにした「夜のパン屋」を五年前に立ち上げられた経緯に触れ、その原点は「大量生産・大量消費・大量廃棄」という現代の経済システムに対する強烈な違和感にあったと記されています。これから枝元さんのあたたかさの深い魅力に触れていきたい。そう思っています。

2025.6.25 あだちまさし

盆の豆

農園にかかる木ノ瀬橋手前の圃場を耕すトラクターの音がします。
早朝から園内でひとり作業。近隣から聞こえる農作業の音から地域のつながりを感じ、心があたたかくなります。

地主さんが稲作を止めた圃場は休耕田となっていましたが、今年から担い手に託されて以前のように田に水が入りました。農地を託されたのは、春に「万農塾」に入塾した新規就農をめざす青年です。農園の周辺の農地を借用してお米や、なす、里芋の栽培をされるようで、近隣の農家さんの表情も明るくなったような気がします。

「万農塾」とは、「楠こもれびの郷」併設の農業研修施設。地域の農家さんの指導を受けながら、一年間の農業研修で就農に必要なノウハウを学びます。指導にあたるのは、今年度から塾長に就任した吉部で営農する戎谷さん。私とは同級生です。

お米に関する報道が連日加熱していくなか、田植え作業がはじまっています。農園で働く女性パートさんは長く稲作をされていますが、作業の合間に聞く、農業の喜怒哀楽も十五年以上になりました。苗を仕入れる農家さんがふえる中、自身で発芽させた苗を大事育てる時期は特に神経を使われます。年々、夏の暑さは右肩上がりです。田植えを終えると体力勝負となってきますが、一年に一度しかできない稲作に丹精こめて向き合われる姿を常に目の当たりにしてきました。

お米の店頭価格が高騰するなか、「作れるだけ作る」という総理の言葉は勇ましく響きますが、いつも近くにいる農家さんの息づかいを思うと、どこか心がザワザワします。「当たり前」のようにあったお米が、「当たり前」でなくなった不安から情報の波が一気に過熱し膨らんでいます。何か物事の本質が間違った方向に行かないか、そんな懸念が頭から離れない日々が続きます。

情報過多の現状を憂い、仕事中にパートさんが「お盆の上で豆が転がるようにならなければ良いが」とポツリ。心の中でザワザワする波の音と、お盆の上でカラカラと転がる豆の音が重なります。

2025.5.27 あだちまさし

かれい

鶏の年齢は「日齢」で計算します。
愛玩用として飼育すると十年くらい寿命があるとされますが、私たちは家畜としてタマゴを生産するために鶏を飼育します。産卵の低下にともない、一年半くらいで「とう汰」しますので鶏は短い一生を終えることになります。ですから、観察や管理では「日齢」を用います。

「とう汰」の一番の目安となるのは産卵率です。
残酷なようですが、産卵数が少ない鶏は「損」を生むので適齢期に達すると躊躇なく「とう汰」しなくてはいけません。これが仕事なので仕方がないことですが、何年くり返しても、心の隅がチクッと痛みます。

産卵の傾向は様々な条件で変化をしますが、一番の変化、つまり産卵低下の原因は「加齢」によるものです。若い鶏が初産から駆け上がるように産卵率を上げていき、老鶏に近づくと徐々に産卵率が下がっていきます。かりに、産卵率が八割の鶏は十日間で八個のタマゴを産み、二日の休産日があります。日齢を重ねるごとに産卵周期のうち「休産日」が増えるので産卵率が低下します。また、休産日前に産み落とすタマゴは卵殻の形成が悪くなる確率が高いので、産卵数の歩留まりも低下します。

見た目には同じような鶏も日を追うごとに様々な変化があります。同じような一日を過ごしているようですが、実は同じ日は一日もないということを経験が積み重なっていく度にしみじみと実感します。今日の命の営みをいただき、明日の命の営みに備える日々をいかに穏やかな気持ちで過せるか。これが私たちの仕事のポイントだと思います。ただ、頭で考えるほど上手くいかないのが現実です。

私事ですが、今月はじめから腰痛に悩まされています。以前は、腰の痛みを感じることなどありませんでしたが、ここ最近、痛みを感じることがしばしばあり、この頻度が増えるとともに、痛みを感じながら過ごす時間が長くなりました。

移りゆく時間とともに変化する自分自身の体の状態も、劣化と捉えず穏やかな気持ちで受け容れていかなければと感じています。

2025.4.23 あだちまさし

ひねる

「あいにくの雨」はない。
PHP巻末の連載で著名人が座右の銘などを紹介する「ことばにひびくことば」で出遭ったことばです。エッセイストの岸本葉子さんが俳句を愛好する仲間がよく口にする言葉を次のようにわかりやすく書かれています。

「あいにくの雨」と挨拶ではよく使いますが、俳句にはそれはない。桜を見に行く日が雨であっても、雨の桜を詠むだけのこと。目標を立てて努力することは大事ですが、努力ではいかんともしがたいことがあります。期待どおり計画どおりに行かなくても、現実をありのままに受け入れて、良いものや出来ることをその中に探す。俳句に教えられた心の持ちようを紹介されています。仕事柄か、それとも年齢を重ねたおかげなのか、深く共感します。

先日、祖母が亡くなって十年の節目の霊祭を仕えていただきました。農園に親戚一同が十年ぶりに集い、賑やかに祖母に思いを馳せ、妹家族や実家を離れた我が子と食事を囲む時間でリフレッシュができました。とりわけ、霊祭に際して、両親が生前の祖母の日記と俳句をまとめた偲び草が良い思い出となりました。

抜粋された日記のなかには、私たち夫婦が長男を連れて同居をはじめた日の記載もありました。あらためて祖母の心境にふれて当時のことを思い出します。 あたらしい家業を手伝い、あらたに二人の子供も授かりました。あわただしく仕事を終えて、子供たちを保育園に迎えにいったのちに夕食を囲むのが日課でした。

夕食ができる頃合いをみて、祖母の焼酎のお湯割りを私がつくり、祖母の部屋へ夕食の声掛けをします。だいだいジッと目をつむり、時折、指をおりながら「五七五」を数えている面影が記憶にあります。おそらく、さまざまな事に思いを巡らせながら俳句をひねっていたことでしょう。

俳句の善し悪しはよくわかりませんが、五七五に季語を添え、推敲を重ねた句には、ありのままを受け入れた祖母の想いがつまっているようです。このたび、小冊子で遺された日記や俳句にふれ、なつかしさより、若干さみしさの方が上回っている自分の気持ちに気づかされました。

2025.3.27 あだちまさし

遡上【そじょう】

水温六度から七度。これがワカサギの産卵に適している水温らしい。
農園周辺の護岸で釣竿を振る顔なじみの男性に教えてもらいました。

農園の側を流れる厚東川の支流はブラックバス釣りの穴場で、シーズンに入ると多くの人が竿を振りにきます。ここでは大きなバスが釣れるらしく、時折大きな歓声とともに吊り上げられた大物を私も拝見させてもらったことがあります。

前回の寒波が過ぎた今月半ばに常連の釣り人がチラホラやってくるようになり、今年はじめての豆知識をレクチャ―して頂きました。ワカサギの産卵に適した水温になると、それを捕食するブラックバスも遡上をはじめ、農園周辺のスポットで釣りが楽しめるようです。昨年の二月中旬に初めての釣果があったようですが、今年は水温が低くワカサギの遡上が遅れているようで、釣り頃は少し先になりそうです。

本来のニワトリの産卵活動も季節によって化をします。日長による産卵活動の特徴を上手く利用して飼養するのが、私たち養鶏業の仕事です。これから日長が伸びる時期は産卵が上向きになり、逆に、夏至を過ぎるあたりから日長をコントロールして、産卵に必要となるカロリーを要求する鶏の本能を満たしてやらなければいけません。近年、企業養鶏ではウインドレス鶏舎が主流で季節を遮断して日長と室温を一定に保つのは、この鶏の特性を生かしているからです。

例年、秋口から産卵に「つまづき」が生じるため、少し工夫をしたことが功を奏したようで安心していましたが、今年も一部の群れで「悪癖」が起きてしまい頭を悩ませる孤独な時間を過ごしています。今までの経験から方向性を決め、取り組んだことの善し悪しを、また一年かけて練りなおさなければいけないようで心が渇きます。

もっと生き物の本能をとらえるべきところを、何かしらの人としての価値観が邪魔をして「つまづき」が生じているのではないか、大きな自然の流れをとらえる感性に間違いがないか、感じる心を磨いていかなくてはいけないと思っています。

今朝の気温マイナス七度。今月二度目の厳しい寒気のトンネルを抜け出し、いよいよワカサギの遡上もはじまりそうな気配です。気持ち切り替えていきます。

2025.2.25 あだちまさし

紅つるぎ

ローカル紙で定期的に掲載される「こども新聞」。先日、広がる「スマート農業」と題した紙面が気になりました。
最近、耳にする機会が増えてきた「スマート農業」。自動運転の農業機械やドローンといったデジタル技術やデータの活用によって、効率良く農産物を育てる方法が広がっています。昨年、普及を促す国の支援措置を定めた新しい法律も成立しました。

紙面では、自動運転のトラクターが大きな田園を耕す様子、新しい品種のりんご「紅つるぎ」が大きな写真と図、わかりやすい言葉で解説してあります。なかでも私が気になったのは、国の研究機関で試験中の「紅つるぎ」というりんごです。

従来、枝が横に長く伸びるりんごの木は、収穫作業の際に一本の木につき何度も脚立の位置を変えるのに労力を要するそうですが、紅つるぎは枝が横に広がりにくい特徴を持ち、脚立の位置を変えずに収穫が可能です。将来的には現在開発中のロボットでの収穫を見据えて試験中のようです。写真にうつる、生垣のように並んだりんごの木に淋しさを感じますが、きびしい現状を農家が抱えていることが想像できます。

記事の終わりのほうで核心にすこし触れられ、「農家の人は2000年には240万人いましたが、23年には116万人と半分以下に。約8割が60歳以上で、20年後には30万人ほどになるでは、と国は心配しています」と、淡々と書かれています。

農園では、堆肥の搬出作業で地域の農家さんとのつながりを大切にしていますが、近隣の耕作放棄地や離農状況をみますと、実感としては前述の数字よりもハイペースで農家の減少がすすんでいるように感じています。

一昨年から、スマート農業に投資する農家さんが自走式の堆肥散布機械が利用されるようになり、その恩恵を受け作業効率があがっています。導入にあたっては、様々な思いを抱えながら前へ進む決断をされた農家さんの気持ちもよく理解できます。おそらく少ない手間で多くの作物を育てることは、良いことばかりではないでしょう。

失われていく物も見据えながら、受けとめる「しなやかな心」が試されます。折れないしなやかな心を培うには、日々の経験の積み重ねが大切のように思います。

2025.1.28 あだちまさし

原風景

「『食』とは、もともと『人を良くする』と書きます」今年十月に急逝された服部幸應氏を偲ぶ記事のなかで見つけました。料理評論家で教育者の服部氏は、食を通して人間教育を唱え続け、食育基本法の制定に尽力されました。

物が豊かな時代に生きていると、三度の食事は当たりまえのように考えがちです。ふだん、それほど意識をせずに、お腹がすくと口に食べ物を運んでいる自分がいますが、少し立ち止まって、食育という視点から自分自身の食を考えると、なつかしい風景を思い出します。

その風景とは、家族で参拝していた頃の教会で頂く食事のさまざまな場面です。春と秋の大祭の直会(なおらい)や、それぞれの季節行事の賑わいのなかでの食事、大祭前には餅つきをして、つきたての餅を頬張ったり、ご信者さんの輪の中で食事をする機会がたびたびありました。

私の祖母は大正生まれでしたが、祖母より年長の方もおられましたし、私より年下の弟や妹のような子もたくさんいました。何かを厳しく躾られたような記憶はありませんが、戦中戦後を生きてこられたご年配の方々が凛とした姿勢で箸をはこぶ場面の同じ時間、同じ場所にいたことだけも貴重な体験だったように感じています。

なかでも教会での青少年育成活動では、野外炊飯を通して多くのことを教わり、いまの自分に大きく影響をあたえています。コンビニやスーパーのない野外活動での炊事は、食べ物を無駄にせず、与えられたものを使い切る調理をします。何度も火加減などで失敗した経験から、創意工夫することも学習しました。

また、教会でも野外でも食事のまえと、おわりに手を合わせて短い祈りの時間があり、食事前には「食物はみな天地の神の作り与えたもう物ぞ。何を飲むにも食べるにも有り難く頂く心を忘れなよ。」と祈ってから箸を握ります。

「ありがたく頂く心」が、体と心をつなぐ食事のなつかしい記憶のそばに常にあります。いまは生産者として、食に携わる仕事をしていますが、うまく行くときも、そうでない時も大きな力のはたらきを忘れてはいけないと思っています。

2024.12.23 あだちまさし

阿吽の呼吸

冷たい雨が降りました。と言いたいところですが、昨日より今朝の気温は十℃くらい高い十三℃でした。雨の中での作業、着こんだ服を二枚脱ぎました。三寒四温という言葉がしっくりこない乱高下が激しい天候です。

今年も終わりに近づきましたが、日々精一杯働いている一方、心の奥の方で不安を抱えながらブレーキを踏む事が多い昨今です。一年を通じて「物価高」という言葉が耳から離れず、また身にしみることの多さに戸惑いや不安を感じます。

なかでも、生鮮食品の値上がりに過剰に報道されることに少し苛立ち、何か出口の見えない焦燥を感じるのは、食べ物の生産に携わる人に少なからずある感情ではないでしょうか。

値上がりする要因はひとつではありませんが、流通する量が相場を上下します。気候の変化で作物が思うように生産できないのが大きな要因だと思いますので、そのことへの関心が深くなってほしいと願っています。また、生鮮食品を取り扱う業者さんからは、値段が高くために売れ残り、ロス(いわゆる廃棄処分)が多く商売を圧迫している話をときどき耳にすると、何か大きな仕組がねじれているような気がしてなりません。

昨年同様、稲刈りが終わった先月から、近所の農家さんが堆肥を散布するクローラーを積載して足繁く来園されます。昨年は半信半疑、散布できる量や作業時間を探りながらでしたが、今年はペースをあげて、阿吽の呼吸で運搬してもらっています。

農家さんにとって散布運搬車は未来への投資です。また、散布する重労働は緩和されたものの、すぐに成果がでる仕事ではありません。先を見据えた胆力がないとできない作業だと思います。多くは語られませんが、私自身も心を動かされます。

工業ではなく農業の、都市部では出来ない農村のあるべき風景、人と自然とが協力しながら環境から分けていただく命の糧である「食べもの」を生産に携わる姿勢に学びます。お金だけでは計れない「大切なもの」が、そこにはあるような気がします。

2024.11.26 あだちまさし

定点観察

シクラメンが球根から芽をのばし始めました。そばに置いて六年目になります。

長女が高校二年の冬に大学受験を控えてピリピリしていましたので、一服の清涼剤になればと思い、白い縁のピンクの花を咲かせるシクラメンの鉢植えを購入しました。ただ、思ったほど長女が関心を示さなかったので、渋々、私が育てるようになり六年経ちました。

何度も夏越えしてキレイな花を楽しみましたが、今年は初めて花が咲かせることなく心配していました。先日まで長く暑い夏が続きましたので、小さく葉を芽吹かせた球根の力強さに例年以上の喜びを感じます。厳しい夏を共に乗り越えた仲間のような親近感からでしょうか。

シクラメンをそばに置くようになって、お客さまの玄関先で見かける植物にも少し関心を持つようになりました。勧められるまま頂いた鉢植え等が少しずつ増え、今は寄せ植えの日々草や、ホトトギス、フキ、それに観賞用のトウガラシが目を楽しませてくれています。ところが、そのトウガラシの異変が気になり注意深く観察しました。

赤やオレンジに染まるはずの実が色づきが悪く、よく目を凝らしてみますと、茎の部分にたくさんのカメムシが行儀良く整列して養分を吸い取っているのを発見しました。カメムシはナス科の植物を特に好むらしく、好物に吸い寄せられるように集まってきたようなのです。常日頃から厄介者のカメムシは農家さんにとっても天敵です。捕食する生物がいないため増加傾向に拍車がかかっていると聞きます。

カメムシはスギやヒノキの木に卵を産み、孵化した幼虫はスギやヒノキの実を食べて繁殖します。花粉症と同じく、手つかずになったスギやヒノキと関係していると農家さんから教わりました。スギやヒノキの森林は人間の手によって作られた人工林です。

人間が自然環境に手を加えることへの影響を予測する難しさを、制御不能となった花粉症やカメムシの繁殖が教えてくれているような気がします。生態系のバランスが崩れていることへの関心は、すぐそばにある植物から実感することができます。 小さな鉢植えの定点観察から様々な事を教わります。

2024.10.28 あだちまさし

生産者

農園の仕事を通じて、お客さまから頂きものをする機会がよくあります。
とりわけ、堆肥のお礼にいただく、丹精こめて育てた野菜などは私の生活に潤いと彩りを与えてくれる良い潤滑油になっています。

少し前の話になりますが、農園の近所にお住まいの日本画家の女性から「ブルーベリー」を頂きました。キレイにパック詰めされた果実は農家さんが直売所など販売されるものと同様で、収穫やパック詰めのお手間は容易に想像できます。いつも室内でキャンバスに向き合っておられる印象がありましたので、思わず「私たちと同じ生産者すね」とお伝えしたところ、表情をほころばせ栽培の苦労を教えて下さりました。

ブルーベリーの木は吉部の山間部にあるご主人の実家に植えてあること、放っておくと果実の全てを小鳥がついばんでしまうのでネットをかけていることなど、収穫までのご苦労が多かった分、喜びもひとしおという感じで嬉しそうに話されます。こういった事を聞きながら頂くブルーベリーの果実は一段上の味がするような、そんな気がします。

嬉しい余韻にひたりながら考えてみますと、農業生産の当事者の近くにいるということは、鮮度の良い品物を手にすることが出来るのはもちろん、信頼できる生産者の方から頂くものには「安心感」があります。目には見えない心の安らぎが、近くにある日常がとてもありがたく感じます。また、生産者の立場からしますと、信頼して下さる消費者が近くにいるということは、農業生産への意欲につながり、生産の喜びを共感して下さるお客さまとの良好な関係が「好循環」を生み出します。

昨今、「令和の米騒動」などいった見出しで、農業生産の一部を切り取り、消費者の不安を煽るような報道のあり方に少し疑問を感じます。近隣の農家さんの現状を見ますと、問題の根は深く、長い年月をかけて衰退してきた生産力を取り戻すのは、そう簡単なことではないでしょう。

生産者と消費者の安心から生まれる好循環を大切に育てることが、心地よく仕事を続けていける備えになるように感じています。

2024.9.25 あだちまさし

心を溶かす

先月から今月半ばまで、パート勤務のYさんがお孫さんを同伴で出勤されました。お孫さんのサエちゃんは小学一年生。しっかりしたまなざしが印象的な女の子です。

先月、梅雨が明けて夏本番を迎える頃にYさんから電話がありました。「緊急事態です!」と前置きしたうえで、ちょっとした事情から広島に住む息子さん夫婦の長女サエちゃんを一カ月ほど預かることになったことの相談です。鶏の命の営みの上での仕事ですから、パート勤務のYさんも欠勤には気を使って下さります。

最近の夏の暑さは予想をはるかに超えてきます。鶏の産卵低下も予測困難な時期に差し掛かり、加えて、長引く暑さに回復目処を見きわめるのにも頭を痛めます。ちょうど、お盆休暇の段取りも重なり、欠員が出ると仕事に支障がきたしますので、お孫さん同伴の出勤を提案し、時間短縮で勤務してもらうことにしました。

淡い期待もありました。サエちゃんの存在が職場に化学反応を起こしてくれるような。農園で働く障害がある二人は、いつもと違う柔らかい表情で見せてくれたのは想定内。サエちゃんの素直で先入観のない真っすぐなまなざしは、お互いに心を溶かすには十分すぎました。とりわけ、聴覚障害があるミユキさんの一挙手一投足がサエちゃんには気になります。おそらく生まれてはじめて聴覚障害を間近で知ったのでしょう。

何度か同伴勤務を重ねた日に、ミユキさんがサエちゃんにレターセットをプレゼントしました。キョトンとした表情のサエちゃんの後ろからYさんが意外なプレゼントに驚いて大きなゼスチャーでお礼を言っています。私にとっては、ミユキさんのプレゼントより、大きな喜びをみせたYさんの様子が新鮮で嬉しく感じました。

私も含めてですが、障害がある人を前にすると、何かをしなくてはいけないような気になりがちです。時にそれは、上からの目線であったり、本人の意に添わない、ひとりよがりな認識の「歪み」が、しばしばあるように思います。お互いの距離が近ければ簡単に心が開けることにも、認識の歪みが人間関係の距離を作っている場合もあるかもしれません。

サエちゃんの素直で先入観のない真っすぐなまなざしに、心を溶かして、心を開く術を見たような気がします。

2024.8.28 あだちまさし

恩恵

スバルサンバーに乗り始めて十年目になります。
以前はホンダの商用車に十年以上乗っていましたが、スバルが生産終了した直後くらいから、勧められるままに安価で購入し乗り始めて、現在は二台目の中古車です。それほど車に詳しい知識はありませんが、荷物を積んでも安定感が心地よく、快適に走行してくれます。新たな生産がないことを考えると少し切ない気持ちにもなりますが。

快適なのは車の特性に加えて、農園の近所の整備士さんが細部を点検して下さるのも大きな理由の一つです。走行距離が多いので、頻繁にオイル交換などでお世話になりますが、その都度「サンバー愛」あふれる対応をして下さり大変助かっています。

吉部で唯一の自動車整備工場ですから、地域の方から重用され忙しくされています。自動車整備の合間をぬって、農機具の不具合の相談や修理なども請け負って下さる「かかりつけ医」のような方で、温厚な人柄も相まって愛される存在です。

ところが、この整備士さん、先月末から突然の体調不良で一カ月の入院で不在でした。大きな病は見つからなかったそうですが、検査と療養で長く入院生活されました。

ちょうど農園で、鶏舎の清掃に使う農機具の不具合で作業の目途がつかないこともあり、迷惑をかえりみず何度も電話で相談しました。その都度、明るく対応して下さるのですが、電話口で、健康で仕事ができる有難さをしみじみ話されます。梅雨末期の大雨のなか、また梅雨明けで日に日に暑さが厳しさを増してくる上に、作業の見通しが立たない不安もありましたが、いつもと変わらず日常生活ができる有難さを、自分自身が見直す時間にもなりました。

あたり前の生活を送っていると、何かと不足に目が行きがちですが、どこか遠くの幸せを探したり、追い求めたりするだけではなく、日常にある「小さなありがたさ」に気づくことが、豊かな生活を送るための必要なことかもしれないと感じます。

自分に恩恵をあたえてくれる身近な方への感謝の気持ちを見直す、近所の整備士さんの入院が、そんなきっかけになりました。

2024.7.29 あだちまさし

共生と調和

ラーメンが千円の壁を越える。こんなニュースが目にとまりました。相次ぐ原料価格の高騰に加えて、最近、豚肉の価格が急騰しているため、更なる値上げで、ラーメン業界では限界とされてきた一杯、「千円の壁」を越えざるを得なくなったとのこと。豚肉の価格高騰の背景には複合的な要因もあるでしょうが、飼料価格の高止まりが一番の要因だと感じます。

スーパーなど小売店に並ぶ生鮮食品は、なるべく消費者が求めやすい値段に設定されています。「生鮮」と言われるだけに、傷みの早い商品ばかりです。売れ残ればロスにつながるので価格を安定させるため輸入商品も多く仕入れられてきましたが、これほど円安が進むと国内産の需要が急騰して、生産が追い付かなくなったのも要因かもしれません。

そもそも「食料自給率」を日本全体で見た時に、37%(カロリーベース)まで落ち込んできています。食卓に並ぶ食品の六割くらいは海外からの輸入に依存していますので、国内産の食材を安定的に生産、供給していくには難しい問題がさまざまあります。気候の変動など、これまでもの「ゆがみ」が次第に大きくなるなか、お金を出せば何でも手に入るというわけにはいかなくなってくるでしょう。

生産基盤である農地の荒廃や、担い手不足は肌で感じます。近隣の農家さんも高齢化するなか、今まで培ってこられた知識や経験を吸収する機会も年々少なくなってくる不安や淋しさもありますが、地道な活動を続けておられる地元の方との繋がりなかに、明るさを感じることも少なくありません。

今月初旬、農園周辺の初夏の風物詩「ホタル」が今年も舞いました。旧吉部小学校で開かれた「ほたるまつり」には近隣が多くの方が来場され盛り上がった様子が地元の新聞に大きく掲載されました。恒例になったホタル籠作り。今年も、麦の栽培からしっかり手をかけて準備される様子を親しいお客さまを通じてお聞きしていましたので嬉しく拝見しました。なかでも、実行委員長、吉部八幡宮の野村先生の「自然との共生と調和をメインテーマにした」とのコメントには深い印象を受け、横への幅広さと、縦への深さのバランスが良いイベントだったように感じました。

2024.6.26 あだちまさし

見えるものの違い

船木にお住まいのショウスケさん。開園当初からボランティアで草刈り作業に精を出し、特に川沿いの斜面を丁寧に整備して下さりました。現在の外観の原形をつくって下さったといっても過言ではないと思います。運転免許を返納されて隠居生活が長くなりますが、当時の作業をなつかしそうに振り返って、今の様子を気にかけて下さります。よく耳にするのが、川むかいのお婆ちゃんから小言を頂戴したはなしです。

お婆ちゃんとは、ずいぶん前に亡くなったマコトさんのお母さん。そのお婆ちゃんから「アンタが草を刈ると黄色や紫の小さい花が咲かなくなってさみしい」と、お小言を頂かれたようです。せっかく汗水流してキレイに刈り終えたショウスケさんにとっては、かなり凹むひと言だったようで、何度か同じ話を聞きました。

どちらの言い分もわかるような気がしますが、見えているものが違うと、「キレイ」と感じる感覚も違うものだろうと思います。

園内で草刈りをしながら観察すると、黄色や紫の小さな花を咲かせるのは「かたばみ」です。花は午前中に咲き、夜や雨が降る日は花を閉じます。株は横に増え、背丈はありませんのでグランドカバーのような存在です。根こそぎ草刈りを進めると枯れることはありませんが、これからの季節は背丈が高くなる雑草に隠れて存在感がなくなります。お婆さんが「さみしい」と感じる感覚は、キレイにはなったものの、少しずつ鎌でメリハリをつけて刈っていた草がそうでなくなった喪失感だったかもしれません。

雨が降り、気温が上がると雑草の勢いも増してきます。あまり悠長なことは言ってはいられないのですが、お婆さんが言う「黄色や紫の小さな花」を大事にする視点で作業を進めると、意外とうっとうしい丈の高い草は増えないかもしれないと思ったりもします。

先日、一緒に働く仲間と二人で草刈り作業に汗を流しました。私と彼では体力も違いますし、見えている景色にも違いがあります。草刈りをした後に「キレイ」と感じる感覚も少し違いがあるでしょう。共に汗を流す、その共通した時間が感性を近づける手助けになればと思います。

2024.5.27 あだちまさし

ミヤコワスレ

お世話になったNさんの奥さまが、お亡くなりなったとの知らせを受けたのは今月中旬のことでした。初めてお会いした時から、重い呼吸器の病を患っておられましたので、いままでの玄関先でのことを思い出しながら、ご冥福を心から祈りました。

五年くらい前からのお付き合いだったと記憶しています。初めてお会いした時から、病の重さは私にもわかりました。ご本人が制約の多い日常の中で、毎日を丁寧に生きておられるのはひしひしと伝わってきました。お届けに伺った際の短い会話は、当たり前の事がそう長くは続かないことを意識しながら、そのひとつひとつが私の貴重な糧になりました。

書道や華道にくわしく、なんとなくボンヤリとした浅い知識を、奥さまとの会話で少し骨太になりました。また、厚い信仰心をお持ちの方で、いつも自分が生かされていることを実感し、大きな力に気づいて感謝する姿勢に私はいつも勇気づけられました。ちょうど経験したことがないコロナ禍の大きな不安の中だったこともあり、大切な心の満たし方を教わったように感じています。

もうお会いできない寂しさはありますが、いままでの感謝の気持ちをカタチにしてお伝えしたくて花の寄せ植えを届けました。最近、お付き合いができた小野田市の種苗店の友人がつくってくれた植木鉢には、白いマーガレットと青紫のミヤコワスレ、それに鮮やかな色の小さな花。なかでもミヤコワスレは、これから開きそうなたくさんの蕾があり、長く温かい気持ちにさせてくれそうです。

いつも配達で伺う際に、目にしていた玄関前の花壇は壁にそって細長くのびています。午前中は日当たりよく、壁が西日を遮っていますので、花壇に植えられている季節の花はいつも瑞々しさを保っています。その片隅に寄せ植えをお供えさせて頂きました。

ミヤコワスレの花言葉には「別れ」の言葉がたくさん並んでいます。その中に「忘れ得ぬ人」という単語を見つけました。Nさんは私にとって、まさにそんな人です。

2024.4.25 あだちまさし

菜たね梅雨

よく雨が降りました。菜たね梅雨と言うんでしょうか。
春のやさしい雨とは言い難い日もありましたが、植物にとってはめぐみの雨だったようで、例年より少し遅れて農園の桜も開花をはじめました。

今朝はヒナの入荷で、育雛(すう)業者さんが夜明けとともに来園されました。
私たちが飼育している鶏は分業で育てられます。タマゴを孵化させヒヨコを販売する孵卵業者、ヒヨコが産卵をはじめる手前まで育てる育雛業者というふうな仕組みです。私たちが仕入れるヒナは百二十日齢前後で、季節によって異なりますが、三週間後くらいから産卵をはじめ、五百日齢ぐらいで役目を終え、加工場へ出荷します。

毎月ヒナを入荷して、約二カ月に一度のペースで鶏を出荷します。この間、できるだけ鶏に気持ち良く産卵させて、お客さまの受注にあわせてタマゴを出荷するのが私たちの仕事です。本日入荷のヒナが初産をはじめて産卵のピークに到達するのが、ちょうどゴールデンウイークで、加工場へ出荷するのが、来年の梅雨前くらいになるでしょう。

産卵の傾向は季節によって少し異なります。日長が伸びていく、これからの時期は初産も産卵ピークを迎える時期も早くなり、気温と湿度が上がってくる頃までは、一年で最も鶏が気持ちよく産卵できるシーズンとなります。近年、この産卵ピークに到達する時期が早く、鶏が高産卵を持続する力強さも増してきているように思います。

これは、孵卵場の研究機関で、良い成績で産卵をする鶏を交配させながら、より良い品種の改良がすすんでいる成果です。さすがに一日二個を産卵する鶏の種はつくることができないとは思いますが、温暖化の影響で、年々、気温が上昇するなかでも、ほぼ一定の産卵を計算することができるのは研究成果の賜物で、農作物の種の交配と同様です。

ただ、鶏の産卵感覚が研ぎ澄まされる一方で、何か大事な感覚を失っていくような気がしています。思い違いかもしれませんが、何か言葉や数字に表れにくい、張りつめた糸のようなストレスがあるのではと危惧しています。空と大地のあいだの恩恵をゆっくりと感じながらの仕事は難しくなりつつあるのかもしれません。

2024.3.27 あだちまさし

萌芽(ほうが)

鶏ふんの搬出作業は、私たちの仕事なかでも大切な作業です。
タマゴを生産する営みのコインの表と裏のような関係です。ですから、地域で堆肥を活用して下さる農家さんとは良い関係でありたいと願い続けています。

同じ地域で営みを続ける農家さんの息づかいを感じることは、私たちとっても大切な事です。米や野菜にも人間同様の「命」がある、自然があるから人は生きていける、という事をふだんの営みを通じて農家さんは身にしみて理解されています。そういう思いのそばで歩みを共にしたいと思うからです。

ひと山むこうのフルタニさんとは長いお付き合いになります。昨年末、自走式堆肥運搬車を購入されました。乳母車のようなクローラー式運搬車のバケットには三百キロの鶏ふんが入り、走りながら自動で散布する事ができますので、作業の省力化にかなりの力を発揮します。週に数回、農園を行き来し散布して下さり、新しい循環作業が加わったことを大変嬉しく感じています。

フルタニさんは七十代。稲作以外に木炭生産と椎茸の原木栽培を事業の柱にされています。来園するたびに、山での仕事の息づかいに触れる時間が私の糧になります。

いまは椎茸栽培の原木の準備が最盛期。木の切り出しや菌打ちに汗を流されます。毎年二千本ずつ更新され、原木に打ち込んだ菌から椎茸が生えるまで、およそ二年かかります。栽培される原木は十五年くらいで八千本になりました。

山から伐採したクヌギやコナラが原木や薪炭材になります。伐採後の山肌や、荒廃した竹林を開墾して苗木を増やしてこられました。また原木栽培の基本は「萌芽(ほうが)更新」といい、伐採した切株から萌芽する若木を適正管理すると、十年から十五年くらいで次の木に成長します。ひとつの切り株から二、三本に成長することから、この循環が整いつつあると良い顔をして話されます。

かつての里山の暮らしの中に未来の希望を見出されていることを少ない言葉から感じます。フルタニさんが整えつつあるクヌギやコナラが静かに深く根を張り、落ち葉が土を肥やします。自然の働きは、当然のことながら、地球温暖化防止にもつながります。ひと昔前の里山の常識を取り戻すことが大切だと感じています。

2024.2.26 あだちまさし

ひとすじの光

今朝の気温マイナス四度。朝晩は厳しい寒さです。
前評判の高かった今回の寒気、先週の火曜日から厳しい寒さが続きました。寒気のピクは翌日水曜日の朝、マイナス六度が最低気温でした。暖冬傾向が続いていましたので、ひさしぶりに低温が続くと身も心も凍えます。

一日で一番寒いのは明け方です。太陽が昇りはじめる時間、晴天無風の日には放射冷却現象で空気がピカピカに冷えて、より一層厳しさを増します。この時間から鶏の産卵時間もラッシュアワーをむかえ、冷えた体がガチガチになり、錆びた自転車で坂道を上る時のような感覚で、各鶏舎のタマゴを集めてまわります。

能登半島地震をうけて、地元出身の「やす子」さんが自衛隊在籍時の経験を生かし、被災された方へ防寒対策のメッセージを発信されているのを目にしました。なかでも、カイロは肩甲骨の間に貼ると太い血管をあたため、体を暖めるのに有効とありましたので、先週から私もそのように背中にカイロを貼っています。背中からズンズンと冷えてくる感覚が少し和らいで、ジワジワと背中に暖かさを感じる時、仕事をしながらですが、被災地の方々に思いを重ねています。

ある記事の中でみた、被災した方が「一筋の光が見えれば生きていけるが、その光をどうやって見つければいいかわからない」と答えられた言葉が、深く心に刺さりました。あれほど理不尽で悲愴な経験をしたことがありませんので、私の想像をはるかに超える絶望感から落ちた言葉だと思いますが、出来る限りの想像をはたらかせて共感をしています。

年末から年明けにかけて、うまくいかない事が続き、少しずつ心と体がズレたような、なにか歯車がくるったような生活をしています。ただただ時間に追われ、掴みかけた「ひとすじの光」を見失いつつある焦燥感がありますが、私自身の光は、努力次第で何とか取り戻すことが出来るような気がしますので、しっかり前を向いていきたいと感じています。

今朝も厳しい寒さですが、これから朝焼けのグラデーションが清々しい時間です。

2024.1.30 あだちまさし

大切なことがわかる心

朝がつらい。毎年のことですが寒い朝の仕事の辛さは正直こたえます。
秋から冬にかけて、体調を崩しやすいのは「季節的要因」が関係していると何かで読んだことがあります。根本的には、地球の軸が公転面に対して傾いているためで、日照時間が短くなるとともに、気温が下がっていくことが影響していると説明されていました。こう考えると、自分だけではないと妙に安堵します。

あたり前のことですが、地球が太陽のまわりをゆっくり公転し、地球自体も日々自転を繰り返していると考えると、大きなはたらきの中に生かされている事を感じ、少し朝のつらさも、おだやかに感じられるようになるかもしれないと、自分に言い聞かせてみたりもします。

鶏の産卵にも「日照時間」が重要な役割を果しています。これは、光の刺激によって産卵に必要な卵胞刺激ホルモンと黄体形成ホルモンが分泌されるためです。鶏は季節にかかわりなく繁殖する周年動物ですが、産卵は春先が活発で、秋には休産する傾向がありますので、光線管理をして約十五時間の日照が必要とされています。

農園でも日長が短くなる季節には、鶏舎の点灯時間を早めて一定時間の光線管理をしていますが、特に日長が短くなる十一月初旬から冬至にかけて、例年少し生産が下降線気味です。今年は秋口までの生産がすこぶる順調だった分、このわずかな下げ幅の影響で予定していた出荷をするのにずいぶん苦労しました。

長く同じ仕事を続けてきましたので、鶏の産卵傾向も含め、おおきな自然のはたらきを理解しているつもりでいました。また、それにあわせた自分の働き方もそれなり手応えを感じていました。そんな慢心といいますか、心の油断から自分ではどうにも出来ない大きな働きを過少に想定したことが原因だったように思います。

日々刻々と激しく移り変わる厳しい社会情勢ですが、ゆっくりとまわる大きな働きのなか、その恩恵で生計を立てさせていただいていることを忘れない、「大切なことがわかる心」がぶれない自分でありたい、そう感じています。

2023.12.23 あだちまさし

鶏供養

農園の鶏は寿命をまっとうすることはありません。
家畜といわれる牛や豚、鶏は、私たちの人間の命を支える経済動物です。ずっと昔からそうなんですが、スーパーに並んでいるパックに入ったお肉から、そのことを想像することは少ないかもしれません。

私たちのようにタマゴを生産、販売する業者が飼育する鶏は「採卵鶏」といい、食肉として加工されるブロイラーに対し、レイヤーといわれたりします。日本全国の飼養羽数は一億三千万羽くらいです。近年、飼育個数は減少傾向ですが、飼養羽数はおおむね変わりありません。これは、技術の進歩で養鶏場が巨大化していることを意味し、農園のように一万羽に満たない養鶏場は小規模に分類されます。

採卵鶏は産卵率の低下にともない淘汰され、主に加工原料として食肉処理されます。なかには、「かしわ」とか「親鶏」と表示され販売されるものもありますが、近隣で最近みかけなくなったのは、下関にあった食肉処理場がなくなってからだと思います。

採卵鶏の出口である食肉処理場は養鶏場の巨大化にともない苦境に立たされています。養鶏場から出荷されるロットの羽数が膨大で、処理羽数の許容ができなくなったり、鶏卵相場が高止まりする時期などは出し渋りで仕事が止まったりと、年間を通じてコンスタントな仕事をすることが大変むずかしいのが原因だと感じます。十数年前に廃業された下関にある食肉処理場には廃業の日まで出入りさせて頂き、その辛苦を目の当たりにしました。

農園で仕事をする前、二十日間ほど下関の食肉処理場で作業実習をしました。包丁での鶏の捌(さば)き方をひと通り教えて頂いた経験は今の糧になっています。一日の処理羽数が千羽に満たない処理場でしたが、無駄のない丁寧な仕事には高い評価がありましたので、廃業に追い込まれる不条理には、いまでも胸が痛みます。

実習に行ったのが縁で、繁忙期前の十一月末に行われる「鶏供養」に毎年招待されました。供養の後の宴席で、酒を酌み交わしながら、従業員のみなさんの懐の深さに触れたことと、冷たい鶏を処理する手ざわりの実感は、私が命に関わる仕事の土台となっています。

2023.11.27 あだちまさし

まなざし

『渋皮煮』をお客さまから頂きました。今年は秋の恵みがいずれも不作のなか、貴重な厚保(あつ)の栗を親戚から取り寄せてつくられたようで、大きく粒の揃った渋皮煮のやさしい甘さに心があたたまりました。

猛暑が影響したのか、栗をはじめ山の恵みの少なさをよく耳にします。とりわけ、最近すっかりご無沙汰だったイノシシの爪痕を散見するようになり、冬を乗り越えるために脂肪を蓄えたいイノシシの必死の形相が目に浮かびます。鶏も同様で、気候がおだやかになると日長から季節を感じ取り、夏場に落ちた脂肪を蓄えるべく食欲が増し、産卵率も回復してきました。

体力が回復してくると、産卵が上向きになり、産卵時間も日増しに早くなってきます。私たちも朝の仕事のリズムを取り戻すのに苦心しますが、産卵時間にバラつきがなく、気持ちよく産卵するのは鶏の調子が良く整っている証といわれています。ひとつひとつのタマゴを割って確認することが出来ませんが、これから『旬』にむかうタマゴの味も良くなっていると信じています。

園内で働く私たちの仕事も増量しますが、いっしょに働く二人はコミュニケーションに難しさを抱えていますので少し配慮が必要です。午前中の仕事は、鶏のペースにあわせてオーバーワークになりがちなので、彼らの仕事ぶりに心を寄り添わせて、言葉にならない声に耳をかたむけるよう、忙しくても立ち止まる勇気を持ちたいと心がけています。

ハンディを持つ二人は自分の気持ちを言葉にすることは苦手としていますが、人の気持ちを感じ取るアンテナは敏感で、鋭い感性を持っているように思います。私のうわべだけの言葉かけや、心の中にある上から目線を感じ取る鋭さがありますので、私自信の目の高さに間違いがないか、素直な心で声掛けができるか、二人との心の会話は私の姿勢を正してくれるように感じています。

以前、島原の福祉施設で恩師の原先生と、彼らが持つ感性の鋭さについて、よく語ったことを思い出します。先生の『まなざし』には、長年、その感性に寄り添われた人間力を裏付けするあたたかさと、やさしさがありました。 いまでも思い出すことしばしばです。

2023.10.28 あだちまさし

市場

タマゴの出荷を仲介して頂くため青果市場に出入りしています。
毎週三回、仲卸業者へ納品し、そこから近隣の小売店の店頭にタマゴが並びます。
納品のため出入りする市場の風景から様々なことを考えます。

下関の百貨店、いわゆる「デパ地下」の八百屋にタマゴが並んでいます。テナントの入れ替わりで一旦途絶えましたが、後継で入店された八百屋が「対面販売」でお客さまからタマゴのリクエストを吸い上げられ、取引を再開していただきました。その際、仲卸を介してのルートをつくっていただき、市場に出入りするようになって十年くらいになります。

市場の近くを配達で通過する際に納品しますので、曜日によって納品時間は異なりますが、土曜日は深夜と早朝のあいだ、市場の一番活気がある時間帯に入ります。様々な事情から近年はずいぶんと取引量が減少してきていると聞いていますが、忙しく行き交うトラックやフォークリフトで活気がある場内を縫うようにして納品します。

場内ですれ違う業者さんは「おやした」という短く力強い声で挨拶されます。「おはようございまいした」が短くなった挨拶だと思いますが、鮮度を最優先にされる仕事の気概というんでしょうか。背筋がキュッと伸びるような、身が引き締まる心地よい緊張感が場内にはあります。

仲卸さんの仕事は、市場から仕入れた青果を仕分けし、個別の店舗へ配送するのが主な業務です。早朝の加工場の作業台の上には、たくさんの野菜や果物が積まれ、ベテランの女性従業員さんが手際よく個別に袋詰めして、店頭に並ぶ商品のカタチに調整されていきます。一見、簡単そうな作業ですが、それぞれ形の違う野菜を見栄え良く整えるのは経験と勘が必要な仕事です。

私たちも農園で生産しているタマゴをお客さまにお届けする際に、飼育方法やタマゴの味など「こだわり」をお伝えするのに多くの時間を使っていますが、一番大切にしているのは「鮮度」です。自分自身も消費者として、とかく価格の上がり下がりで右往左往しがちですが「あって当たり前」の便利さの裏には、物流に携わる多くの人の苦労があることの大切さを、夜明け前の市場風景が教えてくれます。

2023.9.28 あだちまさし

無為

ずいぶん前から「PHP」愛読しています。
心が元気になる雑誌で、値段もサイズもお手頃です。発売日にコンビニで買い求めていますが、はじめて手にしたのは、店頭で表紙の特集テーマが目にとまり購入したのが、きっかけだったように記憶しています。ですから、PHP研究所が松下幸之助の崇高な理念のもと設立されたと知ったのは、しばらく経ってのことでした。

テーマに沿っての著名人などの寄稿に、専門家からのアドバイスがあります。また、毎月の連載がいくつかありますが、ダウン症の書家、金澤翔子さんとお母さまの泰子さんの連載「魂の筆跡」は何度か読み返します。翔子さんの豪快な書に、泰子さんが文を添えられますが、障害がある我が子の母として、ときには書の師匠の視点から客観的に書かれる文章に共感することが多々あります。

今月の書は「無為」。あれだけ立派な書を書かれる翔子さんは、硬質の細字が苦手。それを歎きつつ、最近、彼女が鉛筆で書き始めた「般若心経」の様子に考察されます。一般的に、右脳は直感的、感覚的に優れ、左脳は分析的、論理的に優れていると言われます。そのようなことから、母親の視点で翔子さんの「左脳」の弱さを感じつつも、寸暇を惜しんで細字の練習する姿を、書の師匠として見守られます。

『何も求めずただ書く無為の作業に、左脳の強い人は耐えられないだろう。しかし、よーく見ると、遅々として気の遠くなるような時間経過の中で、少しずつ洗練されてきて、拙いけれど鉛筆の繊細な線質が素敵だ。まるで無駄と思えるけれど、無駄ではないと直向き(ひたむき)な姿を見て思う。』

鉛筆を握って練習に没頭する翔子さんの姿が目に浮かぶようで、泰子さんの視点に強く共感します。私も障害がある人と関わりながら、立場上、仕事の指示をすることはりますが、その「直向きさ」に心を動かされたことは少なくありません。

年々、厳しくなる夏の暑さに心を忘れそうになりますが、共に働く仲間の直向きさにふれる度に心を改め、いまは亡き恩師が「障害者に学ぶ」と、度々おっしゃっていたのを思い出します。この「心の改まり」が「学ぶ」ということではないか、そう今になって思います。

2023.8.28 あだちまさし

しなやかに

梅雨があけました。今月初旬の豪雨がうそのような猛暑日で「災害級の暑さ」という表現に、心が折れそうになります。

六月から七月に日付が変わる夜、県内のあちこちで線状降水帯が発生して、記録的な雨量を計測しました。ちょうど、周南市方面への配達と重なりましたので、水しぶきで息がつまるほどの大雨が降りしきる中、夜通しハンドルを握って帰路につきました。

道中のどこかで車のフロントカバーが吹き飛ばされているのを、ずいぶん後になって気づきました。「命さながら」と表現しても、決して大袈裟ではないような気がしています。

道路が冠水する直前の危ない場面に何度も遭遇しましたが、夜明け前に農園へ到着して初めて見る川の水量に愕然としました。ゴウゴウと音を立てる濁流に「木ノ瀬橋」の手前が浸水して、橋を車で渡ることができません。一段高い所にある農舎や鶏舎は無事でしたが、日頃は車で走る河川の管理道が一時的に冠水しました。

隣人のマコトさんによると、厚東川の護岸が完成して以来の増水ということで、昭和五十年あたりから護岸工事が始まっていますので、四十数年ぶりの水量だったのではないかと思います。十五年くらい前の豪雨で吉部のあちこちに床上浸水の被害がありましたので、支流が合流する部分の川幅の拡張工事がされていましたが、今回の記録的な雨量で残念ながら数軒が再度被災され、心が押しつぶされるようでした。

農園では、大雨の影響を受けながらも最低限の日常業務は支障なく終えることができたのですが、これほどまでの自然災害を目の当たりにすると「不幸中の幸い」的な言葉を使うのは何か不謹慎のような気もしています。各地で頻発する豪雨被害にも多く触れ、無事の安堵を確認し、励まし合うのが精一杯といった心境です。

人ごとには出来ない大きな自然の力にふれ、心を折ることなく、しなやかな心持ちで日常の仕事が続けられたことが少しの収穫でした。目には見えない心の筋力は幾分か強くなったように感じています。

2023.7.26 あだちまさし

副産物

何気なく口にした「インゲン豆の胡麻和え」の美味しさに驚きました。
先日、お客さまが庭先の家庭菜園で育てたインゲン豆をたくさんお裾分け下さり、我が家の食卓や弁当に、初夏の歯ごたえを運んでくれています。

年に二回ほど、タマゴの配達の際に鶏ふんを運んで欲しいと依頼され、土づくりに活用してされます。季節ごとに旬の野菜をお裾分け頂くのですが、今年頂いたインゲン豆は、シャキシャキした食感と独特の青臭さが心地よいというんでしょうか、ことのほか美味しく感じました。

ご主人が几帳面なご性格で、季節のタイミングを逃さない土づくりには、かなり手間暇をかけられます。土づくりに、タマゴの副産物も活用して下さり、収穫の喜びとともに頂く野菜から、私も心を豊かにしていただいています。

例年、五月と六月は鶏ふんを取りに来園される農家さんが少なくなります。
農繁期をむかえ、元肥の必要がなくなるのと、梅雨時期に差し掛かると雨の影響で出足がにぶくなります。加えて、農園でも草刈りなどの作業が増えますので、どうしても搬出が遅れがちになるのが、この季節です。

今年は作業の遅れを出さないために、受け取りが出来そうな農家さんを探して月初めから搬出に汗を流しました。

麦の収穫後、すぐに田植えをする農家さんが、わずかのタイミングで圃場に頒布できるというので運んで行き、有帆朝市会のご高齢のメンバーの方々が受け取りのご協力がいただけそうなので運ばせて頂きました。また、道中にある、ご家庭で野菜作りをされているタマゴのお客さまにも少し裾野をひろげてみました。

限られた時間のなかで、農家さんの息づかい感じ、貴重なお話から自然の営みを教えて頂く事は勉強になります。お金や時間だけでは計ることができない仕事に汗を流し、タマゴの副産物から、はたらく喜びの確かな手応えを感じることができました。

2023.6.27 あだちまさし

享受

手仕事上手なお客さまに、「蛍かご」を見せて頂きました。
昔ながらの手仕事の鮮やかと、柔らかい螺旋状と小麦色の艶が目を楽しませてくれます。吉部のほたる祭りに合わせて制作されていますが、地元のボランティアサークルの方々が、蛍の里で育つ子供たちに楽しんでもらいたいと願い、ワークショップを長年つづけてこられました。

一つのかごを作るのに六十本の麦わらが必要ですが、サークルの蛍かごづくりは、麦の栽培からはじまります。種をまき、麦ふみをし、かごづくりに夢中になる子供たちの笑顔を思い浮かべながら、大切に手作業で収穫されます。麦の品種は「六条大麦」が適しているそうで、独特の光沢がある風合いは、試行錯誤の結晶といえます。

蛍が舞う環境は、農業のもつ多面的機能と深く結びつきます。
山があるから川が生まれ、川からの水の流れが田畑を潤します。自然の循環から生まれたサークルの手仕事は、私たちにもわかりやすく自然を享受する心を教えてくれ、自分自身も、改めて農業に寄り添いながら仕事をすすめる大切さを感じます。大きな利益を得るために、規模を拡大してきた農業や畜産の難しさを日々感じていますので、小さな農業の持つ、自給や循環といった価値観を見直す動きが活発になる中、様々なことを考えるキッカケになります。

中国の古い教えには「農業は工業に如かず、工業は農業に如かず」とあります。
「如かず(しかず)」とは、「かなわない、及ばない」という意味です。また、ある思想家が社会を木に例えて「農は根、工は幹、商は枝」と書かれています。つまり、それぞれの役割が違うということが説かれてます。自然を生産への制約と考え、規模を拡大してきた農業や畜産は、自然を「めぐみ」の源泉として考え直す転換点に立っているように思えます。

来週末、コロナ禍の影響で中止になっていた「吉部の蛍まつり」が三年ぶりに開催されます。蛍かごの準備をされるサークルの方々の、蛍の舞う自然のなかで、ふつうに麦を育て、子供たちの笑顔をふうつに楽しむ、そんな自然に対する柔らかな視点に学ぶことは、とても有意義だと感じています。

2023.5.27 あだちまさし

花ひらく

農園には、仏教詩人・坂村真民先生の「念ずれば花ひらく」の詩碑があります。
世界に700以上ある詩碑。その542番碑に認定されています。

詩には、ただ念じて願うと花がひらく、夢が叶うというのではなく、何事も一生懸命祈るように努力すれば、自ら道が開けるという強い意味が込められていると聞いています。力強く書かれた一文字一文字に真民先生の奥深い「念」が感じられます。
「念」は、分解すると「今」と「心」からなります。過ぎた過去を悔やまず、未来を恐れず、いまを一生懸命生きる。いまを大切に生きないと花は開かない、こんな意味合いも重ねてあるように思います。

開園に際し、坂村真民先生が「朴の木」をこよなく愛されたことにちなんで、有志の方々が記念植樹して下さった朴の木は、見上げるほどの高さの巨木になりました。

毎年、新緑の季節の仕上げに開花をはじめる朴の木は、たくさんの枝の先に次々と大きな白い花を咲かせます。花自体は開花から数日で枯れてしまいますが、この花の魅力は甘い気品のある香りにあります。枝の先についた蕾が乳白色に色づきはじめ、開花の直前に最も香りが強くなります。次々とゆっくり開花していくことから、初夏をつげる季節、若葉のあいだを吹く優しい風とともに、しばらくの間、良い香りが心を癒してくれます。

今月、我が家の息子二人が、それぞれ人生の節目を迎えました。
いつものように慌しく通過した節目の日でしたが、少し立ち止まって人生を振り返ってみる時間をいただきました。父親らしいことが出来ていない後ろめたさはありますが、それぞれが自分の人生を自分で選んでいることの力強さと、親として幸せの余韻に浸りました。これからは親離れを心掛け、お互いに大人としての良い距離間をつかんでいきたいと思っています。

節目の日を通過して、今年は若葉の間を風がはこぶ、朴の花の香りをより一層心地よく感じ、真民先生の碑に刻まれた八文字の力強さをいつも以上に深く考えました。

2023.4.26 あだちまさし

意図

先週、春をつげる長い雨がふって、農園の桜が開花しました。
今年の桜の花は、やわらかくフワッと咲きましたので、キレイに咲き揃うか心配をしましたが、今日の午後あたりから満開の見ごろをむかえました。お客さまの来園が多い週末まで、心を和ませて欲しいと願っています。

鶏の産卵も季節によって変化します。産卵時間、産み落とすタマゴの様子や鶏の状態など季節によって様々です。今年は、ちょうど春分の日を境に季節が変わったように感じました。長かった寒い冬のトンネルをぬけて、束の間の安定期に入りました。

季節の変わり目は、私たちも体調をくずしがちで、先週の火曜日は、聴覚に障害があるミユキさんと二人仕事になりました。時計の針を刻むように淡々と仕事をこなす彼女に負けないように、わたしも二人分の仕事を精一杯こなしました。

彼女が農園で働きはじめて、もう少しで二十年になります。以前は電池が切れたように二、三日休むことがありましたが、ここ五年くらい前から欠勤はほとんどなく、バスで通勤してくる彼女が朝寝坊をして遅刻したことも、いままで一度もありません。決まった時間にキチンと出勤する彼女の姿は、農園に安心と安定をあたえてくれています。とりわけ、彼女が一人で担当している鶏への給餌については、日々の積み重ねで身に付けた仕事の正確さや、彼女の体力に誰もかないません。

障害に対する配慮を充分に出来ているか私自身に問い直すと、気恥ずかしさを感じることも多くあります。いろいろな失敗を重ねながらすすんできました。彼女自身が理解しようと、見よう見まねでつかんだポイントやコツに助けられている場面も日々の仕事のなかで増えてきました。

最近、彼女の積極的に取り組む姿勢に対して、私が欠けていた点に「意図」を伝えることへの配慮不足をよく感じます。より良い仕事を進めていくうえで、丁寧に意図を伝える粘り強さを私が持つこと大切だと思います。「そうだったんだ」という場面が増えるよう、共感や共有する気持ちをより深めていきたいと感じています。

2023.3.27 あだちまさし

愛ずる

連日、タマゴについて報道などで取沙汰されています。価格高騰、品薄という報道に触れ、多くのお客さまからご心配やお気遣いをいただき、ありがたく感じています。

昨年から押し寄せる物価高の波が直撃しています。とりわけ飼料につきましては、円安、原油高、戦争が重なり、上昇傾向に歯止めがきかない状況です。一方、年明けからの「品薄」による価格の押上げは、需要に対して供給が減少しているため。その原因は鳥インフルエンザ感染、その蔓延防止措置で多くの鶏を殺処分したためです。その数は約千四百万羽に上り、同じ業界に身をおいていますので絶えず心が締め付けられます。いずれも影響も受けていますが、主に飼料高騰が私たちを圧迫しています。

なぜトウモロコシを輸入に依存しているか。鳥インフルの発生や感染原因は別にして、なぜ膨大な数を飼育する巨大な養鶏場が必要なのか。価格の優等生として、大量生産するための歪みが露呈しつつあると思います。簡単には表現できないですが、様々な角度で、いのちを支える食の本質を見つめ直すことが大切ではないでしょうか。

【「本質を見る」ということ、「時間をかけて関わり合う」ということくらい、今の時代に欠けているものはないかもしれません。】と、生命誌研究館の名誉館長、中村桂子先生が著書で述べられています。長年のヒトゲノム研究の成果「ヒトもアリも同じゲノムでできている」という事実を踏まえ、いのちを大切にする視点は、心を広く豊かにしてくれます。

中村先生は、生きものに向き合う態度として「愛ずる【めずる】」という言葉を大切にされています。この言葉は、平安時代のお姫さまの話『蟲愛ずる姫君』から。毛虫をよく見ていると懸命に生きている姿がとても可愛くみえる、つまり「愛ずる」は表面の美しさに左右されるのではなく、時間をかけて本質を見ることから生まれる愛情と説明されています。

タマゴを生産していますと、今まで少しずつ歪んできた難しい問題の壁に当たることが多くあります。私たちと深く関わりがある農のあり方も含め、困難な状況を許容しつつも、本質を見つめ直しながら進んでいくのに、愛ずるという視点にヒントがあるのではないか、そう感じています。

2023.2.26 あだちまさし

心のずっと奥のほう

同級生のユキちゃんが亡くなって一年になります。
四十八歳。三人の子育ても最終コーナーに差し掛かったところ、生きる希望を最後まで諦めなかった彼女の気持ちに、今でも心を重ねます。

彼女とは、小学校、中学校でもよく同じクラスになりました。でも、私は彼女のことをよく知りません。記憶に残っているのは、ご両親がいつも学校の行事へ夫婦揃って来られていたこと。お父さんは、どこかの大学で音楽の先生ということはウワサで知っていました。音楽室に掛かっている肖像画のような目力強めのお父さんでした。家も近所でしたが、学校以外で彼女をあまり見かけなかったのは、ピアノの練習や習い事が忙しかったからではないかと、いまになって思います。

偶然の縁が重なって再会したのは十年くらい前。次男が所属しているサッカーチームに転校生ではいってきたのが彼女の長男Sくんでした。お姉ちゃんも我家の長女と同じクラスになり、家内も親しく付き合うようになったので、よく彼女の家庭の事を聞きました。シングルマザーで仕事と子育てを両立する彼女の一生懸命生きる姿は、私の想像をいつも越えていました。

もっと楽に生きられるのでは思うこともありましたが、たくさんの友人に囲まれて充実した様子が印象的でした。人にやさしく接する彼女は、周りの人に良い影響を与え続けたように思います。子育てに関して話をする機会はありませんでしたが、陽のあたるほうへ真っすぐ花を咲かせるような心配りが、ふんだんにあった家庭だったのではないでしょうか。

三人のお子さんがそれぞれの進学を控えたころ、重い病が見つかり、コロナ禍のなか面会もままならない病室で闘病する彼女のことを思うと、いつも胸が痛みました。

最近、柳田邦男さんの記事の中で次のような言葉を見つけました。
「大切な人を亡くした悲しみは乗り越えるとか乗り越えられないといったものではありません。時間が解決するなんていうのは嘘です。悲しみを受け入れて、悲しみを基盤にして生きていくことが大切です。」

一生懸命、つよく、やさしく生きた同級生のユキちゃんのことを、私は忘れることはないと思います。
2023.1.26 あだちまさし

大丈夫

ひさしぶりに穏やかな朝をむかえました。強い寒気で厳しい寒さが続いていましたが、今朝の気温は一度。湿度で肌寒さは感じません。鶏の産卵状況が下降線でしたが、やっと上向きへの手応えがあり安堵しています。十月から少雨傾向だったので、断続的に降り続いた冷たい雨と雪のおかげで農園周辺は潤いを取り戻しました。寒さが続くなか、年末年始の水不足での心配事から心は開放されました。

クリスマスと仕事納めを控えた週末。いつものように山口県東部に配達で車を走らせます。いつもより交通量は多く、椿峠を越えると残雪もありましたが、それほど運転に不安はなく、お客さまへのお届けが時間どおりできるかに気持ちは集中できました。

おおむね予定どおりの仕事を終えたのは二十一時頃、朝から働き通しだったので車を止めて仮眠しました。目が覚めると道路はトラックで混雑しています。雪の影響で高速道路が通行止め、そのあと悪いことは重なり、国道二号線が事故渋滞、警察から誘導されるままに進んだ旧道では大渋滞で二時間ちかくの足止めです。

年末の繁忙期、明日からの予定はいっぱいに詰まっています。止まった車中で、守れそうにない予定から順々にお詫びのメールをしましたが、時間の経過とともに心配事は一点に集中していきます。お詫びでは待ってくれない鶏の産卵です。季節柄、産卵ピークは早朝にやってきます。頼りにしている従業員の男性にもメールしました。

心に不安を抱える彼に過度の負担はかけたくありません。しかし、早朝の仕事の気忙しさを頼めるのは彼だけです。迷惑とは思いましたが、午前四時になるのを待って彼の自宅へ電話をしました。ご高齢のお母さんに、彼が心の準備ができるようにお願いするためです。意図が通じていることを確認しながら、事情を伝えたのちに、お母さんから「それであんたは大丈夫かね」と問われ、無事を伝えて会話を終えました。

ゆっくりと進む車列の中で、何度も「大丈夫かね」の声を思い出しました。今年一年、何が正解か簡単には分からない複雑な時代の流れのなかで、「大丈夫」と感じた事は少なかったように思います。不安ばかりに縛られずに、丈夫ないのちを頂いていることへの感謝に気持ちを切り替える、大丈夫へのスイッチを大切にしなければと思いをあらたにしています。

2022.12.26 あだちまさし

本来のはたらき

月に一度通う、かかりつけの処方箋薬局でのできごとです。
五、六人入ったら満員の小さな薬局の中には、長椅子があり静かに座って順番を待ちます。ガラスケースの向こう側の部屋には、数えきれないほどの薬が並んでいて、カシャンカシャンと薬を小分けする機械の音が絶えずします。

狭い店内ですから、薬剤師さんと患者さんのやりとりが耳にはいります。午前中はご高齢の患者さんが多く混みあいます。この日も、私の前に薬を受けとるご高齢の女性とのやりとりが少し聞こえました。

毎月のことのでしょうが、たくさんの薬を渡されながら、薬剤師がひとつひとつ説明をしていますが、「多すぎて、ようわからん…」と元気のない声で答えているのが聞こえます。私もそばで聞き耳をたてながら少し同情しましたが、薬剤師が、最後にと言って「骨粗しょう症」を補うビタミンとカルシウムの錠剤を手渡しました。

今まで、やや事務的口調だった薬剤師が、やさしい声で「日光浴と運動も大事ですよ」とつけ加えています。女性は小さく頷いて薬局をあとにしましたが、ビタミンの吸収やカルシウムのはたらきを助けるのには、お日様の下での運動が大事ということなのです。医学的な難しいことはわかりませんが、私もこのことは知っていました。と言いますのも、人も鶏も、この体の働きは一緒で、ある生産者の方から「骨粗しょう症」を例えにビタミンとカルシウムが、骨や卵殻をつくるのに補うはたらきを知ったからです。それと同時に、ハッとしたことを思い出します。

それまでは、産卵活動で不足するカルシウムを補うのに「かき殻」を、言われるままに少し余分に添加していました。飼料には、カルシウムを含め鶏が気持ちよく産卵できるように様々な栄養素が計算して配合しているにもかかわらずです。自分の心をジッと考えてみると、何か余分に与えることで、多く収穫が得られると思い込み、欲がはたらいていたのだと思います。ですから余分な添加はやめました。

お日様の下で運動をすること、つまり鶏の本来の活動に、なるべく制約を加えないのが、健康な鶏を育てるのに一番の近道だと考えました。命や自然のはたらきは、人知の越えたところで上手くバランスがとれるようにできていると信じることが、私の仕事が本質からずれないことだと考えています。

2022.11.28 あだちまさし

待って成長させてくれる分校

【「すぐに手を貸してしまうか」「できるまで待つか」松原分校は「待って成長させてくれる学校」です。】学校のホームページにある保護者の声からの引用である。 松原分校は、隣接する小中学校に併設する「知的障害特別支援学級」だけで運営する分校で、統廃合が進むなか、このような形の分校は全国でここだけになったそうだ。

分校に伺いはじめたのは、お客さまのご家庭で難病を患い訪問学習を受けていた女の子が縁だったと記憶している。ずいぶん前のことになるが、ご家庭に訪問されていた先生がタマゴの注文を取りまとめて下さり、以来、毎週職員室へ配達に伺っている。

古い校舎に、一周二百メートルに満たないトラックがある小さなグランド。背景には赤崎神社の森の緑が目にやさしく、青空とのコントラストが映画のセットを見ているような雰囲気があり、気持ちがあたたかくなる。こんな素敵な分校だが、山陽小野田市民でもその存在を知る人はそう多くはない。

現在の在校生は小中学生あわせて十五名。配達の際に、わずかな時間だが学校生活を垣間見る機会がある。なかでも運動会の練習風景には思わず頬がゆるむ。一人ひとりが個性をのびのび発揮している姿には、先生方の心ある指導のもと「待って成長させてくれる」ゆっくりとした時間が流れ、見ている側にも不思議な安心感をあたえてくれる。

一人ひとりの時間が大事にされる分校だが、残念なことに、近い将来、閉校になるという。三年前より新入生の受け入れは停止され、在校生が卒業するまでが期限ではないかという話なのだ。いままで農園の周辺でも過疎や少子化で学校の統合や廃校に触れてきたが、分校関係者の方々の寂しさは容易に想像できる。

最近、包括的という意味で、仲間はずれにしないと理解される「インクルーシブ」という言葉をよく耳にする。まだまだ現状ではハードルが高そうだが、今後、教育現場でも主流になってくるようだ。

一人ひとりに光があたり、待って成長させてくれる場所がなくならないことを切に願いたい。

2022.10.27 あだちまさし

台風十四号

九月十七日からの三連休を直撃した「台風十四号」が通過した。
翌日の地元紙には「大きな被害なし」と書かれていたが、農園の周辺では、収穫前の稲穂が悲しそうにグッタリ倒れている光景が散見される。被害を受けた水田は幾分かの補償があるようだが、行政の調査を順次済ませてからのこと。一週間後の今日、大雨に打たれる稲穂を見て、胸が痛んだ。

台風が接近する日曜日の午前中まで堆肥の搬出が慌しかった。今月は、稲刈りを控えた農家さんや、それに伴うライスセンターが繁忙期。加えて、お茶農家さんも茶葉の収穫が忙しいとのことで、受け取り農家さんを探すのに苦労した。幸い「有帆朝市会」の農家さんが二件、それと、ひと山向こう隣りの農業委員さんが汗を流して下さったおかげで、概ね予定どおりの出荷ができ安堵している。

農家さんと予定の擦り合わせでは、それぞれの抱える現状を聞かせていただき、農家の高齢化や担い手不足、土づくりに関する考え方の違いなど、その都度、深刻な壁にぶつかる。行政が掲げる目標と現実とのギャップは大きく不安は感じるが、来園され一緒に汗を流して下さる農家さんには暗さはない。年齢を重ねて生き生きと働かれる姿に刺激を受け、長年、自然に寄り添いながら辛抱で磨かれた「感性」には、心を洗われるような学びがある。

特に、今月は受け取り手が見つからず、数人の農家さんと貴重な意見交換ができたのが収穫だった。なかでも、近隣で重労働を緩和するために、堆肥を頒布する機械を導入する予定があることがわかり、ひとつ課題が解消できそうで嬉しかった。

台風一過の翌日。川向うの細く暗い県道に、強風で道幅いっぱいに落ちた枝を拾い集める隣人のマコトさんの姿があった。日頃道路を通行するのは、私も含めて、ごくわずか。歩いて通行するのは農園に通っている聴覚障害がある女性のみである。

小枝とはいえ、道路一面を埋め尽くす台風の副産物を、腰をおり汗を流して拾い集めるのは重労働であるが、公益を自分のこととして自然に取り組まれる「感性」が尊い。緑豊かな田園に吹く風、川を舞うホタルや、畔を彩る彼岸花も、こうした無償の働きが生み出す農産物なのだと、しみじみ思う。

2022.09.27 あだちまさし

受け身

朝夕は秋になった。といっても、ほんの数日前からである。
以前は、三十度を越える気温が予想されると、家畜保健所から鶏の飼育に注意するよう通知が入っていたが、いつ頃からかなくなった。温暖化による猛暑の夏は常態化している。

昨年同様、鶏が最も苦手とする高温多湿の梅雨が極端に短かったことが好影響だったのか、七月下旬までは順調すぎるぐらいの産卵率だったが、食欲が低下する夏場に高産卵を続けるのは「産み疲れ」引き起こす原因となる。熱帯夜が数日続いたお盆あたりから、一気に産卵が下降した。高温が定着した夏を乗り切るため、鶏の体質は日進月歩の品種改良がされているが、あるがままの平飼い飼育には適さないかもしれない。冷房で室温が一定に保たれる鶏舎なら別だが。

盆と正月は、鶏舎の中で働く二人にあたえる休暇を中心に仕事をシフトする。一カ月前ぐらいから別のパートさんに、ご家庭の予定などを聞き、配達などの予定と擦り合わせながら、ささやかな休暇を出す。自分自身の仕事も幾分かは考慮するが八月初旬の週末はハードな予定だった。

八月七日。一番の正念場となる日曜日。パートさんの体調にアクシデントがあり、急遽ひとり仕事となる。連絡を受けた早朝、一瞬のあいだ頭が真っ白になったが、すぐに気持ちを切り替えた。高温で産卵が低下しているとはいえ、鶏の羽数が少なくなったり、農場が狭くなったりすることはない。必然的に、動線と労働時間が限度いっぱいまで伸びるのである。ガッツリと受け身になった日曜日のひとり仕事。農学博士・宇根豊氏の言葉が脳裏をよぎる。

『感謝する気持ちは「受け身」の態度からしか生まれません。自分だけの力ではできないと自覚した時に、助けてくれる相手に感謝の気持ちを届けたくなります』

〈草木に花を咲かせ、実をつけることは人の力ではできない〉という、天地自然のはたらきに感謝する視点を説明した氏の言葉に、自分の身も心も重ねる。あらためてタマゴは自分の力でつくることはできないし、日々助けてくれる人手の有難さが身に沁みる。受け身になって思いを改める、そんな真夏の汗を流した。

2022.08.27 あだちまさし

研磨

昨日、熱中症警戒アラートが着信した。
記録的に早い梅雨明けから、7月に入って「戻り梅雨」のような悪天候が続いていた。朝晩は過ごしやすい気温が続き、鶏の産卵状況も順調。小野湖の渇水も、積乱雲が線状に並ぶ「線状降水帯」がもたらした大雨で節水制限も解除され、異常な気象ながらも心配事は一つ減った。いよいよ本格的な暑さが続く見通しで、これからは鶏の産卵状況の下降線から目が離せなくなり、くわえて、草刈り作業も辛抱の時期にさしかかってくる。

農園で頼りにしている男性は草刈り作業がお気に入り。空いた時間をつくっては草刈機を担いでくれる。「刈りたいけど草がのびてこん」との名言をずいぶん前につぶやいたことがあり、放っておくと本業とのバランスが入れ替わってしまうので、それはそれで多少注意が必要ではある。

私と違い、農家育ちの彼。口数は少ないものの、さまざまな農作業に自信を持っているようで、自主的にこなしてくれる作業には「活力」がみなぎっている。その取り掛かりや、作業をする姿は「やる気のバロメーター」でもあるので、多少のことには目をつぶり、気づかれないように遠くからそっと見守るようにしている。

ここ数年、私はお気に入りの「チップソー」で草刈りをしていたが、刃こぼれが不経済なので、研磨の手間が増えるが、農家のスタンダード「八枚刃」に代えてみようかと彼に何気ない打診をした。その翌日、頼んでもいない新品の「八枚刃」と、家庭で使用していた研磨機を持参してきて驚いた。このあたりが彼のわかりやすくもあり、難しいところでもある。

多くは語らないが研磨には自信があるようなので、黙ってそれに従い、使用済みの八枚刃の研磨を依頼する。表情は変えないが手際は良い、真剣なまなざしの奥には、やはり自信が伺える。その時間、私はそばであれこれを質問し、貴重なコミュニケーションの時間にもなる。「しめた」と思った。

今までも彼が持ち味を生かそうと、自主的に取り組んだことは幾つかあった。全部がうまくいった訳ではなく、失敗も重ねてきた。結果の善し悪しは別にして、お互いに認め合う時間は信頼関係を厚くしてくれる。得意な仕事で自信をふくらませて、それをテコにして活力も大きく育んでほしい。

2022.07.27 あだちまさし

長い箸

趣味を聞かれると「読書」というほど本は読まないが、何かと活字に触れると、気持ちが落ち着くような気がする。最近は、なかなかまとまった時間がとれないので、短編やエッセイ集などページをすすめやすい本を何冊か手が届くところへ置いている。

そんな中、数年前から長く手もとに置いているのが「座右の寓話(戸田智弘著)」。副題に「ものの見方が変わる」とあるように、寓話や童話の中にある教訓や真理を著者なりの解釈でわかりやすく説明されている。小さいころから知っている寓話などに隠れている心理や哲学を感じたとき、ポロッと目からウロコが落ちるような爽快感があり、そういったことに心が触れたとき、先人への尊敬を禁じ得ないのである。

最近、何度か読み返したのが「天国と地獄の長い箸」というはなし。
『地獄と天国の食堂も満員。向かい合って座っているテーブルの上には、おいしそうなご馳走がたくさん並んでいる。どちらの食堂にも決まりがあり、それは、たいへん長い箸で食事をしなければならないということだった。

地獄の食堂では、みんなが一生懸命に食べようとするのだが、あまりに箸が長いのでどうしても自分の口の中に食べ物が入らない。食べたいのに食べられない。おまけに、長い箸の先が隣の人を突いてしまう。食堂のいたるところでケンカが起きていた。

天国の食堂では、みんながおだやかな顔で食事を楽しんでいた。よく見ると、みんなが向かいの人の口へと食べものを運んでいた。こっち側に座っている人が向こう側に座っている人に食べさせてあげ、こっち側に座っている人は向かい側の人から食べさせてもらっていた。』

この寓話から著者は「奪い合うから足らなくなる」という心理を読み解いている。地獄の食堂には「自分のことしか考えていない」人間が集まっていて、一方で天国の食堂には「自分のことだけでなく他人のことも考える」人間が集まっている。

私たちは様々な他者のおかげで生きており、一人では生きていけないことを知ることが大切。自分一人で生きていると勘違いすることが、秩序や平和が乱れる原因であるような気がする。著者が読み解く「奪い合うから足らなくなり、分け合えば余る」の精神を絶えず忘れないにしなければと思う。 2022.06.27 あだちまさし

てまがえ

古い写真を見せてもらった。
農園周辺での田植え作業風景が収められている半世紀くらい前の写真だ。

晴天の水田に五、六人が横一列に並び腰を折って作業をされている。一目みて田植えと分かるが、よく考えてみると私自身はリアルタイムで触れたことがない風景である。圃場整備が進み、作業が機械によって効率化される時代の転換点にシャッターを押されたと聞いた。

集落の人たちが、お互いに労働力を交換しながら作業を進めることを「てまがえ」というそうだ。隣近所の良好で、にぎやかな人間関係があったのだろう。田植え作業のおわりには、集落の集会場の草刈りや井戸掃除も協力して済ませ、今も続いている「どろおとし」という直会が催される。

作業を共有し、共感し合える人たちで労苦を労い、秋の実りを願いながらの宴である。大きな自然のはたらきの中で毎年すすめられてきた営みのなかには、お互いさまの助け合いの精神が根付いている。多少の近所同士の摩擦はあっただろうが、よそを妬んだり、卑屈になったりはしなかったと想像できる。写真を見ながら、おおらかな農村風景にしみじみ浸る。

今年も農園ご近所では、農繁期を迎え農家さんが活気づいている。
春先から、鶏ふん堆肥を搬出して下さる方が何人か来園され、概ね要望どおりの数量を出荷できた。天候や作付けの状況を尋ねながら、私たちが袋詰めをし、農家さんにトラックで搬出してもらう。同じ重労働を共有して下さるのが心底ありがたい。

物価が高騰しているが、供給過剰の鶏ふんの店頭価格は安価である。同じ成分を補充するには、使い勝手の良い化成肥料もあるなか、無償というだけは農園には足を運んで下さらない。近隣で昔から続いてきた「てまがえ」のような気質に助けられて、私たちの営みも成り立っているように感じている。

本音で語り合える良い人間関係がひろがっていけばと願い、微力ではあるが秋の実りを祈りたいと思う。

2022.05.26 あだちまさし

葉もれび

新緑がきらきら光る。農園の近所にある筍加工場が出荷のピークを迎えたニュースが、今年もローカル紙の紙面を飾った。近隣の農家さんもイノシシと競争で掘り起こし、加工場へ持ち込んでいると聞く。例年、農園でもお裾分けを頂くが、なかでも上小野のシローさんが運んで下さる筍が新鮮で旨い。一年に一度、田植え前に、圃場に施す鶏ふんを取りに来園され、そのお礼というカタチで持ってこられるのだ。

よく手入れの行き届いた、ある方の竹林で掘り出してくると得意気に話される。そのある方とは農園にも縁が深い方で、上小野で稲作を営みながら、趣味と実益を兼ねて山仕事に精を出される地域の顔役だったが、残念ながら昨年お亡くなりになったと風の噂で聞いている。シローさんは長年、その山仕事の手伝いされていた。

適度に日照が届くよう竹林を間伐し、掘り起こした筍を持ち出しやすいよう山道も整えてあるそうだ。「傘をさして歩ける程度」それぐらいの間隔で、適度に竹を間引くのがポイントだと聞いたことがある。ゆらゆらと竹が静かに揺れて、時折、葉もれびが差し込む竹林は美しい。

シローさんも寄る年波には勝てず、袋詰めをした鶏ふんを運搬するのに少し時間がかかるようになった。足どりも重いようで心配もしたが、数日後に筍を持って来られる姿は例年通り。軽トラの荷台に乗せた、大小さまざまな朝採り筍を「お好きなだけどうぞ」という表情は得意気にきらきらと光っている。

山の仕事というのは、すぐに結果が報われるものではない。何年何十年と代々の土地を、権利を主張するのではなく、黙々と義務を果たしてこられた。その副産物である筍を今年も美味しくいただくことができた。

解剖学者の養老孟司さんが、日本の農業がもたらした恵み、それを守るために人々はどう行動すべきか、とのインタビューで答えた冒頭と、シローさんが意気揚々と帰られる後姿が重なった。

『農業の担い手は年寄りばかりってことになっていますが、農業をやっている年寄りが長生きしてるってことでしょ。なぜ誰もそう言わないんですかね。日常生活と体の動きとを結び付ければいいんですよ。農業のように。』

2022.04.27 あだちまさし

以心伝心

先日、ケーキから洋菓子、和菓子とお菓子なら何でも揃うフランチャイズ店に農園で働く二人と出掛けた。ちょっとした気分転換をかねてショッピング。

このお店、安価でたくさんの品揃えがあり、童話に出てくる「お菓子の国」のような店内が目を楽しませてくれる。二人を誘って度々利用するのは、いろいろな商品を手に取って、興味津々に買い物をする時に、農園では見せない表情が見られるのが嬉しいから。今回は、男性と私はホワイトデーの買い物。女性は自分へのご褒美。

二人が思い思いの商品をかごに入れ、レジにすすむ様子を店内の少し離れたところからそっと見届ける。店員がマニュアルどおりの対応で矢継ぎ早に話しかける。二人ともコミュニケーションにハンディを抱えるが、男性は首を縦や横に振りながら、聴覚に障害がある女性は身振り手振りで受け答えをしながら会計を済ませている。二人が無事に会計する姿を確認して、私もシュークリームの詰め合わせを二つ買い求める。駐車場で「お母さんに」と小指を立てながら伝えて、ご家庭へのお土産を各々に手渡し店を後にした。

昨年も同じ季節に同様の買い物で来店した。男性が大きく心のバランスを崩した時期でもあり、明るい店内でどことなく三人とも心に暗さを抱えながらだったことを思い出すと、お互いによく頑張ったなあとしみじみ。あれからちょうど一年になる。

昨年、一年で一番寒さが厳しい頃に、彼が心のバランスを崩し休みがちになった。私も仕事量が大幅に増え、冷静さを保つのがやっとのなかで、考えられる原因をさぐり出来る限りの言葉かけをしたりもした。仕事の負担が増えたのは彼女も同様で、彼に励ましの手紙を何度か書いてくれた。彼の回復を祈る気持ちは私と同じだっただろう。

出来る限りの時間をひねり出した。園内での仕事を通じて共感できる時間を増やし、改めて感じたのは、二人が私の意を汲みとり、柔軟に進めていた小さな仕事を見落としがちだったこと。行き届いてないことに目を奪われ、出来たことの評価が疎かになっていないか。そのことを当たり前で済まさないよう自分の心の感度を磨くことに注力した。

一年経ち、以前と変わらない日常に戻りつつあるなか、今に思うのは、彼の落ち込みの原因以前に、一番油断ならないのは自分の心だということ。常に誠意を持って丁寧に事を進めるには自分を見直すことがまず先だったように思う。

2022.03.27 あだちまさし

花言葉

今週初めから、冬の仕上げのような寒さが続いている。
今年は降雪がほとんどなく、乾燥した冷気が体の芯までこたえるような日が多い。今朝の気温マイナス六度。この冬一番の寒さになった。

「岡山おろし」という北西の風が殊の外冷たい。荒滝山のとなりにある岡山から吹き下ろす風が、川沿いに並ぶ鶏舎に滑り台を下るように真っすぐ降りてくる。同じ地域でも若干の気温差があるが、岡山おろしの影響で、低地に広がる農園の気温は二度くらい低い。ようやく週末からは気温が上がりそうだ。春の入口が待ち遠しい。

農園の白梅のつぼみはまだ固い。冬枯れの寒々とした景色だが、作業場に置いた小鉢には、ピンクの八重の花が咲き、少しだけ心と体に潤いを与えてくれている。

「お正月に眺めて下さい」と、配達先の湯田花園で頂いた西洋ツツジ・アザレア。年の瀬の気忙しさで、車に積み込んだ事を忘れるぐらいバタバタと配達を終えて帰ると、車の暖房が手伝ってか、店先で頂いた時のつぼみが花ひらき、健気なその姿に心ひかれた。以来、作業場で目の届くところに置いて共に過ごす。

日々、食べ物や生殖機会の確保に忙しく動き回る鶏と違って、植物は動かずに生きる。根から吸った水と葉っぱから吸収した二酸化炭素を材料に、太陽の光で光合成をしながら、ゆっくりと花を咲かせる。その様子の静かな移り変わりが、タマゴに囲まれて過ごす作業場での、ここ最近のささやかな癒しになっている。

「花がおわったら少し大きめ鉢に植え替えて下さい」そう付け加えて渡されたことを先日思い出した。例年、落ち着きなく年末年始を過ごし、疲れを引きずるように二月を迎え、あっという間にカレンダーの二枚目をめくる。寒さが厳しい季節、自分の力でどうにかなる事と、どうにもならない事が混乱しがちな時期でもある。

植え替え時期はまだ少し先になるが、気分転換に、アザレアの栽培方法や剪定のポイントなどを検索してみた。そこで、まず目に飛び込んだのが花言葉。「禁酒」と「自制心」。意味ありげに静かに花を咲かせる小鉢をひとり眺め、うーむと唸る。

2022.02.24 あだちまさし

名伯楽

島原の職場で、島原商業サッカー部出身で国体、インターハイに出場した経験がある底抜けに明るい先輩がいた。当時はスパルタで有名だった監督を、部員たちは隠語で「ダンプ」と呼んだそうである。先輩と飲みに行ったスナックで偶然に監督とお会いした際、隠語そのもの体格と、テレビでは感じることが出来ない風格と愛嬌を目の当たりにした。

その「ダンプ」こと、高校サッカー界の名将、小嶺先生が他界された。選手権の開催中、奇しくも次男が所属する高校が強豪「青森山田」と対戦する準決勝の直前のことだった。試合では、両チームが先生を追悼する喪章を巻いてプレーをし、相手チームのエースが鮮やかなゴールを決めた後、喪章を空に捧げるシーンには、私にとっても複雑な思いが交差する妙な感慨があった。

高校生活最後の大会で快進撃を続けるチームに、サポートメンバーで帯同した次男は、惜しくも選手として出場することは叶わなかったが、彼なりにチームを支えながら、これからの糧になるようなものを掴んだ大会ではなかっただろうか。

長男が小学校でサッカーをはじめてから十五年くらいになる。追っかけの真似ごとを続けてきた私たちにとっても一つの区切りである。他の保護者の方々のように十分な事はできなかったが、その時々の指導者の「熱」に触れることで貴重な経験をさせて頂いた。

一番長い期間、関わりを持った地元「西岐波サッカークラブ」には親子共々お育て頂いき、五年前に他界された古谷国光さんには大変お世話になった。五十年間、地域で少年サッカーの指導を通じて、子どもたちの心を育てることに尽力され、時代にあわせて少しずつアップデートされてきた経験を感じることができたのは幸運だったように思う。

古谷さんが、しばしば口にした「ハート」と「ファミリー」。「ハート」とは、人を育てる情熱であり、「ファミリー」とは、心を通い合わせた部員の育てられたという自覚から生まれる、育てようという働きの絆。地域や実績は違うものの、小嶺先生と同じ「人を育てる」という信念が根底で通じ合うところがあった。

島原半島の名伯楽のご冥福と、我が家の子どもたちにも「育てよう」という心が生まれることを静かに祈りたい。

2022.01.27 あだちまさし

あけぼの

細長くのびる土地に東を指すようにして鶏舎がならぶ。
一年で最も日中が短い時期、月明かりのなか採卵をはじめる。
寒さに耐える脂肪を増量して鶏の体は、夏場に比べるとどっしりと安定し、長く寒い夜を辛抱して産み落とすたまごは、いまが『旬』である。

例年どおりの慌しさだが、昨年のコロナ禍での年の瀬を考えると、この忙しさもありがたい。限られた数の卵を丁寧に集めながら、落ち込みを挽回しようとご商売で日々奮闘される方を思い、疲れた体に鞭を打つ。

息を切らし順番に鶏舎をまわる最中に、うっすらと夜が明け、東側の山々が次第に明るく照らされる朝焼けがとても美しい。きりきり舞いの一日のスタートだが一瞬だけ時間がとまったように心が和む。判を押したような鶏の産卵活動に心底感謝し、大きく深呼吸して乱れそうになった気持ちを整えるようにしている。

佐賀県唐津市で農業に従事する傍ら文筆活動を続ける、農民作家の山下惣一さんは近著で〈拡大よりも持続、成長よりも安定、競争よりも共生。昨日のような今日があり、今日のような明日があることが大事なのだ〉と述べている。

同じ第一次産業に身をおく立場として深く共感できる。大きい農業か小さい農業かは、それぞれの立場で永遠の課題であるように思うが、鶏のいのちの上で営みをしている私にとっても、営みに感謝する感性が麻痺してしまうことがあってはならないと、日々の繰り返しの仕事を通じて感じている。

ゆく年にまったく悔いがなく、くる年に一片の不安がないわけでない。
どこかの国で問題が起きると複雑に連鎖して、遠くの国民に跳ね返る時代に生きていることがコロナ禍で浮彫になった。まだまだ油断が出来ない状況が続いているが、気持ちを切らさず一年を送れたことだけは確かである。色々なことが起こった一年だったが、大きく変わらず過ごせたことが何よりの収穫だった。

起こってくることに全てに理由があるとすれば、うまくいかなかったことにも何らかの意味があるのだと思う。今日も夜明けとともに気持ちを新たにしたい。

2021.12.22 あだちまさし

親近感と緊張感

薄氷がはった。放射冷却で早朝の気温が氷点下に下がったためだ。
寒さが厳しい冬を長期予報が伝えていたが、小雪を過ぎた頃から現実味をおびてきた。これから予想気温と井戸水が気になるシーズンをむかえる。

農園の背後にある岩郷山から、厚東川へ染み出る山水のお裾分けを浅い井戸がひろっている。川が細くなるとともに井戸の水位も下がりがち。真冬の飲水の確保などの心痛が増す。近年は極寒の重労働に骨をおることが多かったが、今年は案外と水量が安定しているようだ。年始の残雪と八月の長雨で、岩郷山に「水の貯金」があるようだが、その残高を目で確かめることはできない。

農園の隣人である対岸のマコトさん宅も、長年、山の恵みで水をまかなって生活されてきたので、眼下を流れる水事情には精通されている。先日、細くなりはじめた川を眺めながら、冬の不安を打ちあけたところ「いまは水がのまえちょるから大丈夫」と、はじめて耳にする表現で答えが返ってきた。

「のまえる」というのは、大まかに表す水が滞留している様子。川の水位は低いが、ダムの放水量が少ないので、川の流れが止まっている状態をこう表現された。私は水位ばかりを気にしていたが、水面をよく眺めると赤や黄色の落葉が浮かんだまま漂っている。「のまえる」という言葉の響きに長年の経験を感じ、おおらかな共生感が心地よかった。それと同時に、わずかな水の恵みに感謝するか、その少なさを嘆くかの違いを諭されているようにも感じた。

自然の営みに感謝する視点で川を眺めたとき、天地の道理を説き「生きるヒント」を与えつづけて下さった師の言葉を思い出す。

『神様には、親しみと謹みが欠かせない。言いかえれば、親近感と緊張感をもっていなければならない、そうでないと信心にならない。この二つがかけるところには必ず自分流の理屈がでてくる』

非科学的だが、山の恵みである川の流れに、師の言葉を重ねてみると、どうにもならないことばかりに捉われて、ザワザワしている自分が小さく見えてくる。冬の厳しさに備える緊張感のなかにも、自然の営みに親近感を持てるようでなければと思う。

2021.11.26 あだちまさし