見えるものの違い

船木にお住まいのショウスケさん。開園当初からボランティアで草刈り作業に精を出し、特に川沿いの斜面を丁寧に整備して下さりました。現在の外観の原形をつくって下さったといっても過言ではないと思います。運転免許を返納されて隠居生活が長くなりますが、当時の作業をなつかしそうに振り返って、今の様子を気にかけて下さります。よく耳にするのが、川むかいのお婆ちゃんから小言を頂戴したはなしです。

お婆ちゃんとは、ずいぶん前に亡くなったマコトさんのお母さん。そのお婆ちゃんから「アンタが草を刈ると黄色や紫の小さい花が咲かなくなってさみしい」と、お小言を頂かれたようです。せっかく汗水流してキレイに刈り終えたショウスケさんにとっては、かなり凹むひと言だったようで、何度か同じ話を聞きました。

どちらの言い分もわかるような気がしますが、見えているものが違うと、「キレイ」と感じる感覚も違うものだろうと思います。

園内で草刈りをしながら観察すると、黄色や紫の小さな花を咲かせるのは「かたばみ」です。花は午前中に咲き、夜や雨が降る日は花を閉じます。株は横に増え、背丈はありませんのでグランドカバーのような存在です。根こそぎ草刈りを進めると枯れることはありませんが、これからの季節は背丈が高くなる雑草に隠れて存在感がなくなります。お婆さんが「さみしい」と感じる感覚は、キレイにはなったものの、少しずつ鎌でメリハリをつけて刈っていた草がそうでなくなった喪失感だったかもしれません。

雨が降り、気温が上がると雑草の勢いも増してきます。あまり悠長なことは言ってはいられないのですが、お婆さんが言う「黄色や紫の小さな花」を大事にする視点で作業を進めると、意外とうっとうしい丈の高い草は増えないかもしれないと思ったりもします。

先日、一緒に働く仲間と二人で草刈り作業に汗を流しました。私と彼では体力も違いますし、見えている景色にも違いがあります。草刈りをした後に「キレイ」と感じる感覚も少し違いがあるでしょう。共に汗を流す、その共通した時間が感性を近づける手助けになればと思います。

2024.5.27 あだちまさし