月別アーカイブ: 2015年2月

赤ナマコたっぷり

萩市から長門市の間に産直の小さい店がある。農家や漁師さんが値札をつけるのがルール。9時過ぎに立ち寄ったら日本海でとれた「赤ナマコ」の特別大きいサイズが380円。いつもクールボックス(蓄冷剤も)を持っているので買った。
お昼前に農家にもどり家内がナマコを刺身にしてくれた。二人前にわけても量が多く、わたしの夕食用に酢でしめてもくれた。
ロング缶1本でも食べきれず、ふつう缶も1本飲んで幸せな昼御飯になった。しっかり昼寝もできた。
今夜から雨になる。まだ乾燥しているので、夕方から枯れ草の面積に火をつけて農園山焼き。
3月、農園日記のアルバム写真は、1月3日に撮った松村貴美さん下関を「ふく」日本一にした松村御大を支えている笑顔。

訪問菊 川画廊

開店時間まえの散髪店に着き1番客になった。
持世寺温泉は6番目。ゆっくりお湯を楽しんだ。
次は市内の菊川画廊。主は留守だと聞いていた。郵送でも足りる用だったが郵便受けに入れようと封筒ひとつを持参。ところが主はおられた。かたい握手で数年ぶりの再会。時間がもったいないからお茶もストーブも入れないと、主はテーブルを挟みわたしの正面の椅子に腰をおろした。
芸術とは縁のないわたしが画廊の主と親しい理由は「信仰」と「人生観」を正直に語り合えるように、さまざまな出来事が20年以上前からあった。
近況を確かめてから、最近とくに印象的な出来事などを話していたら画廊の新聞取材で記者があらわれた。
まだ話が消化不良だから、取材が終わるまで待つことにして常設の作品を眺めた。
取材が終わり、約1時間も会話がはずみ帰ろうとするとき菊川さんが数学者、岡潔を話題にした。書棚には「紫の花火」「対話 人間の建設」「日本のこころ」「葦牙よ萌えあがれ」「春風夏雨」「日本民族」と表題だけでも難解で頭がクラクラしそうな著書が並んでいる。
赤間神宮を「岡潔」の学びの場に集いがあり菊川さんは、松月院の末次ご住職とともにメンバーらしい。書棚には分厚い「乃木希典日記」があり、日露戦争の日々が活字になっていた。関心はあっても読みにくい。
また再会を約束して握手で別れた。

昔、菊川さんが今夜はボクがご馳走すると「くっちゃん」という安い居酒屋に案内した。料理はない。店主はスーパーにある魚の干物を焼いてくれるだけ。その煙のなかでもコップ酒を片手に人生を語った。
菊川さん。今は酒はやめた。毎早朝に常盤湖(6キロ)を歩いて10年を過ぎたらしい。
人に話しても信じてもらえない希少な鳥を目撃したこともある。
カワウソも見える人には見えるのです。と言ってもらえた。

しっかり疲れた

2月26日は二・二六事件。
先月の神戸で牧さんが「佐藤さんは高橋是清の孫なんですよ」と教えてくれた。震災当時、日難所の小学校で一緒に手伝いをした白髪のおお酒飲みの男性。ホワイトライオンとわたしが命名した。今年、齢80をこえてもかくしゃくと神戸に来て酒を飲んでいた。

昨夜は、高橋是清は事件で陸軍青年将校に殺害されたが、数発の銃弾を受けたが一命をとりとめ終戦時にポツダム宣言受理という、日本存亡のとき重責を担われた鈴木貫太郎総理のことがテレビ番組になり、今朝早起きして見た。80歳で亡くなり火葬したとき肺に銃弾があった。
多くの人の命。多くの人のご苦労で今の日本がある。

新下関の近くSさんご主人は手先が器用で、車の整備や木工など丁寧にされている。宇崎竜童に似た風格。スーパーカーのおおきな模型が数台目にとまったので「いいですね」と話しかけた。1台約30万円ぐらいするらしいことがわかった。趣味を語るときはふだんとちがい饒舌になり笑顔にる。
スポットの注文があり、美祢の「よしの」で木曜日は終わるが、さらに厚狭まで走り農園に戻った。しっかり疲れた。

今村夫妻、旅の土産話

先週の配達は、ご夫婦で旅行されて一回お休みした今村さん。定刻の8時に着いた。
旅行は横浜在住の子供さん家族に会いに行く。ご主人70歳、1年半前には12時間におよぶ開腹手術をされているが完全復活。自家用車で往復運転された。その旅の話題で盛り上がった。
専修大学野球部が広島県福山市でキャンプ。現監督やコーチは、今村さん監督時代に育てた人材。旅の途中2日間キャンプにVIP待遇で滞在した。野球の話題をされるときの笑顔は最高。先日は、監督時代マネージャーを務めた女性(30代)が来てくれ萩市などを観光案内「よしの」にも立ち寄った。
きのうは、8月に開催の世界ジャンボリーで「かるた遊び」を普及する今村奥さんの通訳アシスタントに手を挙げた美人の水元さんが打ち合わせに来られたことも話題。コーヒーをいただき長居になった。
配達先、わたしが宇部で掃除をはじめたころ参加された小学校教師(いまは孫のもり)わたしの歩きぶりを見て「若いね」と。
あとから「若いね」の言葉をじっくり考えてみたら、若い人にむかって「若いね」は言わない。そこに気がついた。
宝くじ、をきのう日記で話題にした経緯は、山口市内のタクシードライバーから聞いた話題。
「アナゴ飯」は宮島の名物。お客がタクシーに乗り込み「宮島にアナゴ飯を買いに行く。高速道路で往復してくれ」宝くじでも当たらないと、これはできないと思い、わたしなら「宮崎の焼き鳥に行ってくれ」とやってみたい。

腹がたつこと

西川農水相の辞任。その言いぐさに腹がたって仕方がない。
「私がいくら説明しても分からない人は分からないと。こういうことで、農相を辞任しようと、辞表を出してきた」そのあと「少しは羽を休めさせてもらう」と記者会見で言い放った。
このような者がバッチをつけて「先生」と呼ばれる。主権者の国民を馬鹿にしている。

もうひとつ腹がたっている。
中国人観光客が、銀座の街中で子供に立ち小便をさせたことがメディアに出た。
経済効果があがるから外国人を招くことに世の中は動いている。
それに腹がたつ。
数年前、日田市の小鹿田を散策に行った。そこに観光バスが入り、中国人が大勢降りてきた。男たちはそこで立ち小便の列。タバコの吸殻は捨てる、タンを吐く。楽しく焼き物を見る旅は、この観光客に台無しにされた。
焼き物売り場の女性は苦々しい顔で「こんなん来んでええ」とつぶやいた。数百円の買い物をして値切る。タバコを吸いながら店内を歩く、吸殻は足元に捨てる。
いくら散財してくれるかもわからないが、儲けたいから無礼は問わないことは恥ずかしい。

毎週火曜日は千円の宝くじを買い続けている。きょうも農園に戻るとき、いつもの売り場に立ち寄りミニロト6を千円買い、先週のくじを機械でチェックしてもらう「当たりましたね!」の声は今回もなく「ハズレ」と印字され返された。
新しいくじを財布に入れ、これで一週間「夢」を見る。

チョコとココアの情報

農園白梅が咲き始めた。黄色いタンポポも咲いている。小郡で数羽のツバメを目撃した。嬉しくはないが春の黄砂で空はおおわれた。カメムシまで車内で発見。春はそこまで近づいている。

今朝、嬉しい出来事があった。5時、小屋で寝ているに太郎さんに声をかけたら反応があった「生きている」と思うほど悪いところばかりになった。ドッグフードが歯茎の化膿で噛めなくなり、太郎さんだけは特別に野菜と鶏肉をしっかり煮込んで食器に入れ。食パンを添えていた。
数日前、ハッピーの食べ残したドッグフードを食べたので普通食にした。食べ終わるまで1時間ぐらいかかるが食べる。ともなって化膿した目元の傷口がふさがりだした。
トイレに行くとき暗がりの水溜まりを認識して、それをジャンプで越えた。その回復力が嬉しかった。
月曜日の弁当を食べる場所は、美祢市から厚狭に向かう中国道の下。雨が降っても車の屋根の音はない。夏の日差しも避けられる。
弁当を食べながらネットでチョコと血圧を検索してみた。なんとチョコが高血圧改善によいことが、たくさんの事例で数値を示して出ていた「ためしてガッテン」でも過去、その効果が放送されていた。
さらにココアのポリフェノールも血圧によいらしい。お菓子づくり用の砂糖も牛乳もない純ココアを買った。農園にもどりお湯でブラックココアで飲んでみたが、まったく問題なく飲めた。
長年、特に寒い季節に血圧があがり、定期的に検診を受けて薬の処方受けていたが、チョコとココアで少しでも自力改善ができれば、太郎さんにあやかれる。かもわからない。
タブレットが生活に役立つ実感。

乃木神社に参拝しなくては

歴史家・作家(直木賞受賞)の古川薫先生が、司馬遼太郎が下関を訪れたとき、乃木希典を描いた作品「殉死」は、愚将としての乃木希典は間違いだと指摘した。そして乃木希典・児玉源太郎を戊辰戦争から日露戦争を舞台に力作「斜陽に立つ」で出版され、作品の帯に「乃木は愚将に非ず」と書かれた。
わたしは読後に、同じ背景の映画「203高地」もみた。長府の乃木神社には二度参拝をしている。古川薫先生が乃木さんは山口県の誇りだと言われ、わたしも同感。
今朝アルバムを持って母に会いに行った。アルバムの写真で一番大きいのは、半袖の母が一歳ぐらいのわたしを抱いて狛犬の前に腰かけて微笑んでいる。わたしが一歳とすれば母は三十四歳。
この大きな写真はどこで写したのかと聞いた「乃木神社」とはっきり答えた。終戦から七〜八年のころ、宇部から長府まで遊びに行きわたしを抱いての笑顔。乗り物はなんだったか。おいしい料理を食べさせてもらったのか。いろいろ想像がわく一枚。この日の母は幸せだった。
近いうち、乃木神社に参拝して写真の狛犬に対面したい。

先日、八十九歳で国替えされた磯村千代子先生。創作民話や阿知須の歴史、俳句などたくさん遺された。そのなかでも世には出ていないが力のある作品がある。
地元の東岐波から太平洋戦争で出征。戦死された三十数名の遺族、つまり戦争未亡人全員と対面され、どう戦後を生き抜いてこられたかを文字にされた。まだ当事者がご健在だから世には出されなかったが、磯村先生、女の視点からの反戦。
思想的なことなど知らないが、作家の澤地久枝さん番組が午後から九十分、テレビであった。ミッドウェイ海戦の日米戦死者、約四千名の家族と連絡をとり、名もない人々の生きた証を作品にされた。彼女は、あの海戦のあとアメリカの遺族のなかでベトナム戦で戦死された人もあった。けれども日本人は七十年、誰も戦死はしていないと言う。
歴史の表舞台ではなく、人目につかない裏舞台にこそ大切なものがある。そう話された磯村千代子に再会した気持ちがした。

酒とチョコとカワウソ

晩酌から寝酒まで。酒を飲まない日は一度もない。何年か前、休肝日が大切と思い酒を断った夜。疲れているのに眠れない。深夜に肝臓より寝不足が心配になり、ウィスキーをストレートであおったらすぐ寝つけた。アルコール依存に間違いはない。そのわたしに悩み?ができた。
昔、内蒙古自治区の旅をした。貧困のなかで生きる人々を実際にみた。ある集落で汚れた服の男の子が笑顔で近づいてきた。バックから飴をひと袋出して与えた。男の子は袋を持って走り去った。
わたしをガイドしていた中国人が叱った。あの男の子が食べた飴の味は、ここでは一生味わえないもの。その味を与えたあなたは悪いと。
立春朝搾り。生酒を井上酒店が早朝の岩国に行き、予約限定の本数を宇部に持ち帰り、その日の夕方、その1本(4合)を刺身で味わった。なんともうまく1本飲んでしまった。
あの味が酒の基準になり、毎晩酒の味が物足りない。もちろんお金を払えばもっとうまい酒はある。けれども晩酌の酒は安いことが条件になる。いつも味わえない酒を飲んでしまった。
昨夜、藤野先生(高校数学教師)が「手に入りましたから冷やしてどうぞ」と冷えた4合ビンをくださった。
酒の銘柄は「超・王祿(おうろく)」わたしの母の故郷、出雲の酒蔵が手塩にかけたイッピンらしい。拝受。
あすの晩酌でいただこう。けれども、また味覚の基準があがると困ることも悩み。
昨夜、加奈ちゃんの「倍返しチョコ」をかじりながらウィスキーで新聞を隅々まで読んでいたら、愛知学院大心身科学部長の肩書き教授が、チョコレートに含まれる「カカオポリフェノール」が高血圧改善に効果があると紙面で述べておられた。しかも、毎日25グラム(150キロカロリー)約1ヶ月で効果が出る。
きょう28枚入りブラックチョコレートひと箱買った。毎朝のコーヒーにそえて実験。
美祢市の獣医さんに立ちよった「この地域にカワウソはおるかね」と唐突に聞いた「あんたも見たかね!」獣医の父親が3年前に川で見たと言うたが、間違いだろうと「それかね」と聞き流していた。お宅を聞いたら、農園の川上約10キロの場所。つまり同じ水系になる。
最近は美祢市でもアライグマやハクビシンの目撃情報がある。昔は子供が山や川で遊んでおり情報量が多かったが最近は、川や山を見る人が少ない。
農園横の川にはカワウソがいると確信した。

母はよく話をした

金曜日は仕事をしない。朝は寝床で録画番組を楽しむ。昨夜の番組仕事の流儀「コンシェルジュ・阿部佳(55歳)」の内容がとてもよかった。
日本で唯一、最高の称号レ・クレドールを持ち、六本木のホテルを利用し日本を楽しむ外国人のどんな依頼にも、それは出来ないとは決して言わず応えるのが彼女の流儀。うまく感想をまとめられないが。彼女はお客さまの顔ではなく、お客さまの視線を一緒に見つめ、なにがお望みかを笑顔の会話からさぐりあて提案する。しかも目的に到達したあと、もうひと押し満足に近づける努力をする。
まさに「おもてなし」の達人だと感じた。外国人に日本を印象づける素晴らしい仕事をされていた。
霜降り山、持世寺温泉「上の湯」は8時半にはじまる。一番風呂に入ろうと農園を出た。途中で車をとめて約1時間歩いた。後ろから来たパトカーが減速してわたしを追い抜きざま「おはようございます」と助手席の若い警官がマイクで挨拶をしてくれた。わたしは手を挙げて返礼をした。警察官不祥事が多いなか、気持ちのよい警官が地域を守っている。通学の子供の列にもマイクで声をかけていた。
風呂は今朝の一番客になった。400円でぬるい湯につかり、かけ流しの湯の音も楽しめた。
湯上がり、さっぱりして母に会いに行った。きょうは会話をはずませるモノを持っている。母の部屋で家内が見つけた昔の写真アルバム。母の小学生写真にはじまり、職場の仲間との思い出。わたしがうまれて授乳している場面(誰が撮ったのか)。退職金をはたいて念願の建て売り住宅を買った笑顔などが一冊になっている。
わたしの父親という人物は一枚もない。それが母の人生。
朝の陽射しがあたたかい窓際のベッド。きょうも四国や九州を眺めることができる。
アルバムは予想どうりに母の関心をうながした。小学生の写真では教師の名前まで覚えており、わたしと写っているものは全部、場所やなぜそこなのかを説明。同僚の顔も全部覚えていた。
次回から、いつもアルバムを持って行こうと思った。
農園にもどりトイレ掃除。お昼は缶2本を飲んだ。それから昼寝。

困れば聞いてみる

日常のふとした疑問はそのままにしないで、わたしなりの解決をする。解決できないことも当然ある。
きょうも衆議院予算委員会をラジオで聞きながら走り、意味がわからない言葉、とくにカタカナ言葉が気になれば運転しながら走り書きしてあとから調べる。
生活上での疑問や困り事はお客さまに「その道のエキスパート」が多彩おられるから、ネット検索より的確な答えがいただける。
夕方から冷え込みがはじまり満天の星空。低温注意報がメールに届くような夜。わたしの睡眠は浅くなる。台所と浴槽の2ヶ所に、温水とふつうの水、2本の配管がひとつにまとまる蛇口がある。
菅を凍結の破裂から守るには排水。けれども2本の菅のどちらかを選択して排水しなければならない。つまり朝まで止めている菅を数時間おきに激しく排水して凍結防止をする。うかうか寝ているとシャーベット状がゴリゴリ音をあげて蛇口から出ることもある。農園をはじめた当時、凍結を知らなくて約30ヵ所も菅を破裂させた。この悩みを給湯器専門会社の社長さんに話した。そしたら即座に解決できた。
寒冷地仕様の蛇口には、どのような形状でも凍結対策(排水)がある。来週そのカタログをあげるから今年の冬までに選べばよい。取り付け器具は貸してあげるから自分でやりなさい。そのほうが安くあがる。
菊川で隔週10個を届けるHさん。足が不自由な独り暮らしのおばあさん。
きょうも玄関口にわたしは腰をおろし、ばあちゃんは椅子に腰かけて話にはなをさかせた。外出ができないから話し相手も少なく、会話はおもに電話。わたしの日常を話すだけでも喜んでもらえる。30分ちかく会話をはずませた。これがわたし流儀の「配達」
木曜日の楽しみ「よしの談義」読書家、合気道家の吉野さんから、わたしの知らないたくさんの話を聞いた。きょうは南京大虐殺は、中国が捏造したストーリーをわかりやすく教えていただいた。
昨夜のNHKスペシャルは録画。今朝3時から見た。カンボジアにおけるポル・ポト政権の200万人にもおよぶ国民虐殺。
東西冷戦下でホロコーストのような殺戮より悲惨と思ったのは、隣人が隣人を殺害するシナリオができたこと。世界的に紛争が拡がることがとても心配。

山口新聞の反響

山口新聞に、1月17日の神戸行きを寄稿した。
読まれた方から様々な声が電話やメールで届いた。
山口市金曜日のお客さま。湯田温泉で家族でほっこり。休憩室で新聞をひろげたら、そこにわたしを見つけられて電話をくださった。
藤野先生「記者の撮影がよくない」のメール。カメラは正直に仕事をして悪いのはわたしの顔。
今朝の着信メールは嬉しかった「末尾の凡事徹底について、配達のとき教えてください」
実は、最後は自己紹介の欄があり、みなさん華々しい学歴や経歴を書かれていた。
わたしは2行で自己紹介を済ませた。16年前に採卵養鶏場を創業。
記者から、もう少しわたしがわかるような紹介にしてくれないかと電話があった。
それならば。わたしの座右の銘。鍵山先生「凡事徹底」を信条にしていると、出来てはいない願望を、いかにも実践していると受け取られるような文章を書いて、それに関心をもたれた。
次回の配達で、わたしがいただいている「凡事徹底」をお伝えさせていただく。

死んでもらいます

昨夜、任侠映画はストーリーが単調だからBS9時から「死んでもらいます」は見ないと思いながらちらりと見たら、べっぴん藤純子が健さんの相手役。それが理由で最後まで見てしまった。夢の中でドスを持った男に追い回され疲れた夜だった。
ご高齢の夫婦で、ご主人は倒れたあとの機能回復リハビリ中。それを真面目にやらないと奥さまが愚痴を言われた。わたしが感動した長嶋茂雄さんの言葉「リハビリは裏切らない」の、語られた意味を「病院のご主人にお伝えください」と話した。奥さまはメモをとられた。
フェイスブックの仕組みはわからない。けれども加奈ちゃんのフェイスブックにわたしの顔写真に紹介文を加奈ちゃんが載せた。タマゴのお客さまから「見ましたよ」の声は数人からかけられた。
火曜日の一番最後(小郡)のお客さまが「娘が、先日加奈さんのパンを買いに山口市に行きました「加奈さんとっても可愛人でした」とパンを食べながら「タマゴ屋のおじさんと仲良しみたい」と話したらしい。フェイスブックとやらの「力」を感じた。
太郎さんの体調はよくない。硬いドッグフードは無理になり、野菜と鶏肉をしっかり煮込んでやわらかくすれば食べてくれる。
今夜もストーブに太郎さん朝食をかけた。

雨の月曜日がおわり

きょう16日が誕生日。わたしの母。金正日将軍様。高倉健。
健やかに母は誕生日を迎えたとは言い難いが、経済的なことや煩わしいことから心は解放され、身体は不自由でも心は自由になっている。今朝おきて神様に母の誕生日をお礼申し上げた。
高倉健の作品で、わたしは一番感動した「単騎、千里を走る。」が、あす(17日)午後9時からBSプレミアムで放映される。
きのう、そのメイキング放送(2時間)があり録画をして見た。
農園をはじめて数年のころ、山口市内に唯一あった映画館に仕事を済ませて夜の上映に行った。
印象に残っているのは、中国の近代化に遅れた田舎が舞台で、登場する中国人が泣くシーンでは涙も鼻水もタラタラながして、これは演技だろうかと思う場面があった。
メイキング放送で背景が少しは理解ができた。監督は、ほぼ地元の人を、素人をこの作品の俳優に登用していた。素人には台詞を覚えることは難しい。ワンカットごとにシーンの中身をにわか俳優に、言葉や動きで理解させて、そのあとは役者の自由な演技に委ねる。その組み立てかたで作品は完成している。高倉健と共演の子供は7万人の応募から選ばれた。田舎の子供の風貌。役柄を理解したあとは涙をながし、屈託のない笑顔も自在に演じる。それも監督の技。そして、あえて撮影現場に言葉や生活文化のちがいを承知のうえで1人で身をおいた高倉健。中国人通訳はいたが撮影スタッフ全員と心の交流をされていた。撮影現場で、終日出番がなくても立ち会う。しかも座らない。
撮影シーン以外の様々な場面でスタッフの本気さに目頭をぬぐう。200本以上の作品で主演をした日本人が、中国人のいわば素人俳優と対等に身をおいて完成した大作。
高倉健の訃報が中国に伝わり、あの中国メディアが高倉健を惜しんだのは、国も国境も越えた人間愛だったろう。
歴史認識など国レベルのくい違いがあっても、人間愛は国境を超えられる。
きのう山口新聞に掲載されたエッセイに様々な反響があり嬉しい月曜日をおえた。

きょうの山口新聞に、わたしの1200文字エッセイが指名手配写真を添えられて掲載されました。機会ありましたらお読みください。足立

母の誕生日( 一日早い)

明日が母96歳の誕生日。1日早いお祝いをさせていただいた。
わたしは山口市内の配達を1ヶ所済ませて病院に向かった。家内は自宅かは向かった。家内が少し早く部屋に着いて、病院から特別に許可をいただいたプリンを食べさせていた。京都の照美さんから届いたネコのぬいぐるみが「やわらかい」と目をほそめてご機嫌。そのようすを撮り照美さんにお礼の言葉を添えてメールにしたら、すぐに返信「顔がむくんでいるね」と。
腎臓機能が思わしくない。血液成分もなんとか。医師は数値で言う。けれども、わたしはこの状態で誕生日を迎えられたことがありがたくてならない。
母が入院して約5年。病院やサービスつき高齢者住宅。介護病棟と衰えとともに移った。老人にかかわる様ざまな法律。そして負担費用を母のおかげでしっかり学んだ。
まだこれから母が多くのことを教えてくれよう。それが、わたしたち夫婦がこれから迎える指針になる。
昼から農園内の仕事に汗をかいた。小型ユンボのオイル交換などメンテナンスもできた。
産経新聞を毎朝タブレットで読む。必ず読むのは「産経抄」
今朝はフランスの哲学者アランという人の言葉が引用されていた。
想像した幸福はけっしてわたしたちの手に入らないことは、確かだ。
ぼつぼつ毎週1000円のミニロトくじはあきらめて、毎月4千円の酒を1本買うほうが幸せになれるのかもわからない。
産経新聞で曽野綾子さんが人種差別とも受け取れる発言があり、その顛末に関心をよせている。

今朝は結露が氷

今朝は部屋の寒さで目がさめた。室外温度計は外にあるが、農園でずっと生活していると気温を推し測れる方法がいろいろある。
布団から体をおこして、指を窓枠サッシの結露にあててみた。予想どうり凍っている。カーテンをめくり空を見たら満天の星空。これは氷点下5度以下にはなっていると思った。
昨夜は星空で、想定していたから風呂・洗面・台所の排水をしていたから配水管は守れた。配水をしていないと最悪の場合は管破裂。それに至らないときは凍結しかかった管の氷が、管の汚れを削ぎ落とし「ゴリゴリ」音をたてて濁り水となり蛇口から出る。
5時に外に出たら氷点下5度。冷たい空気がはりつめていた。
外の小屋で寝ている太郎さん(20歳)。小屋には家内が分厚い敷物をつくり、小屋の入り口にはビニールのカーテンをつけているから寒くはない。心配なことは左目の下が化膿(歯肉炎)しておおきな穴があき、膿と出血が多くなっている。傷口に抗生物質の軟膏を塗ると痛みがある。数日前から化膿止め注射液を注射器でとり、針を外して患部に流す治療をしている。これなら痛くはない。
寒い朝、太郎さんが死んだようなカタチで小屋で寝ており頭をなでたら目を覚ました。頬は昨夜の出血が固まっていた。
犬たち3頭の世話を済ませて土曜日の配達に向かった7時。農園に戻ったのはお昼前。
午後から昼寝と読書で過ごした。

かわうそ?発見

金曜日は休養。
6時ごろ犬の運動はした。みなさんが農園内で働き始めている7時半ごろ、コーヒーを飲みながら関心のあるニュースだけを読む。朝、ゆっくりコーヒーが飲めることがうれしい。
とにかく母のようすを見たいので約30分走り病院。最近、腎臓機能が悪く顔が黒くなってきた。わたしはわかるが、朝ごはんを食べたかどうかわからない。来週、腎臓治療をどうするか医師が決めるらしい。もうじき母の誕生日。金正日も高倉健も誕生日は同じ。京都の照美さんから農園に誕生日のプレゼントが届いている。
録りためたテレビ番組を見ること。本を読むこと。ロング缶で昼寝をすること。
金曜日の作戦はすべて完了した。
録画番組を見たのは「京都御所」「高校講座・太平洋戦争」「高校講座・東西冷戦」「高校講座・移民の国アメリカ」「即身仏」
出羽三山に、ミイラになるための業を積み、腐らないようカヤやクリの実を食べ、地面に掘った石室に座りお経を唱える。声が地上にとどく間は竹筒で水とカヤの実を地下に届け、声が途絶えて3年目に掘り出し安置する。過酷な東北の地に生きる人々を即身仏となり助けたい壮絶な救済の姿をみた。
エジプトやアンデスのミイラと異なり、湿度のたかい条件下で、座り合掌したミイラになる方法を編み出した「人々を救済したい」の願いを強烈に感じた。
移民の国アメリカ。ニューヨークのタクシードライバーの人種は100ヶ国と知って驚いた。稼ぐことが目的のような経済国アメリカ。京都御所を経済困窮のなかでも(応仁の乱など)さまざまな日本文化で今日まで連棉と続いていることに日本人としてうれしい気持ちになった。
夕方、高齢で歩行もよたよた犬の太郎さんと川土手を歩いていたら川面を泳ぐ茶色の動物を発見。
体長は50センチぐらい。尾を左右に揺らして泳ぎ水中に潜った。川面を長いあいだ見つめていたが現れなかった。ネットで検索したらおそらく「かわうそ」と思われる。
金曜日を充実して終えた。

木曜日おわり!

昨夜は家内が泊まった。わたしは早めに犬の世話を済ませ、さっさと晩酌・夕飯を済ませた6時過ぎ、牧さんからの電話「関門橋を通過しました。農園に立ち寄ります」家内は彼が夕飯を済ませておれば持ち帰る。まだならば農園で食べたらよい特製弁当作りに忙しく動いた。
約40分で着いた「泊まるか」と尋ねたら「朝までに神戸に着く」夕飯は済ませているよう。特製弁当は完成していた。
農園に立ち寄った目的は、西君の命日(1月14日)に参ることができなかった。宮崎から急いでいるのでお供えしてほしいと薩摩銘菓を持参。牧さんは農園作業を手伝いに度々来てくれ、西君と仲良くなった。わたしには高級スコッチウィスキー。3年まえ上海の免税店で買ったらしい。私は焼酎お湯割り、彼はお茶を飲みながら近況の交換30分「今度は泊まれよ」と、わたし秘蔵の焼酎1本と弁当に卵を渡した。
20年前の神戸浜山小学校避難所で一緒に奉仕をした仲間が、今でも仲間でつきあえる。
今朝も早くめが覚めて録画の番組「もてなしの四季 冬」を布団で見ていた。全国の冬を舞台に生きる人の「心」を番組はとらえており感心してみていた。山口県がクローズアップされ徳山沖「ふく漁」場面が変わったら下関、寿司割烹浪花の大将が伝説の「ふく二枚ひき(薄いふく刺に、さらに包丁を入れて見事にひろげる技)」が画面に出た。瞬間、これは以前に放映されたBSプレミアム新日本風土記「ふぐ」の映像使い回しだとわかった。ならばこの映像のあとは「ふく」をいただく岡本拓也夫妻・江口夫妻(お掃除仲間)予想は的中して紳士面した江口・岡本さんの顔。
そこで停電。
とにかく真っ暗闇になった。タブレットを懐中電灯で見つけてアプリの「蛍光灯」を起動。とりあえず部屋は明るくなった。
電気が止まると井戸水を汲み上げるモーター・水洗トイレ・冷凍庫に冷蔵庫がライフライン。それを確保するためにガソリンの発電機を始動。家内は炊飯器を優先した。
5時半、自宅の正志に農園の停電状況と牧さんのお供えをお宮に届けることを頼んだ。
木曜日、約250キロを走りおえて晩酌をはじめた。
母の写真を鉛筆画の中山さんに遺影としての作品づくりを正式にお願いした。
きのう訪れた菊川画廊の主から心あたたまるお電話をいただいた。
「よしの」で木曜日の吉野談義は、作家の山本七平と本多勝一の論点(東京裁判)を教えていただいた。

緋牡丹のお龍さん!

昨夜録画した「緋牡丹博徒」を3時に起きて途中まで見た。べっぴん藤純子が球磨弁(肥後・熊本弁よりなまりが強い人吉近辺)の歯切れがよく聞き惚れた。起きるまでにペットボトル1本お茶を飲んだのは、昨夜、Eテレのタブレット操作番組を再生しながら麦焼酎を飲み過ぎた。最後は酔って番組内容がわからなくなり、たぶん泥酔。
朝参り7時までにはスッキリ。本殿で天津祝詞を唱えていたら神勤中の宮司が内殿からわたしを発見「おはようございます」と声をかけたから返事をしなければならない。今度の市議会議員選挙を話題にされたから、今朝の朝参りは不調に終わった。
わたしが神参りから足が遠退いた理由は神職への不信感。それが20年以上かけて気持ちが変化してきた。
神職や僧侶といっても生身の人間だから、そこに完璧な人柄を求めているうちはわたしは成長しない。どんな神職がいても、その向こう側の神様に心を向けなければならない。

お掃除の会が出した書籍の内容で、鍵山先生がお風呂でどう石鹸を使われた。というくだりを目にした。わたしにはそれが大切なこととは思えない。
鍵山先生にしても生身の人間、ましてや人の親だから生活されるはしばしでは「おやっ?」と受け取れる言動があるかもわからない。けれども、わたしどもは鍵山先生が求め続けられている本質のところに着眼しなければならない。入浴までもをほめないで、心をみがく掃除を議論して深めることも要るかもわからない。
わたしが掃除をはじめた当時は、書籍「凡事徹底」を仲間で章ごとに読み、それぞれ異なる感想を述べあった。
休日のラジオを聞きながら配達。大友良英とピーター・バラカン(フランス?)の音楽番組は、日本の街並み画一的な風景を多少批判めいて論じた。即座にツイターでリスナーから「全国どこでも同じ商品が買えることはよいと思う。この番組は音楽番組ではないのか」と番組内容に違和感を感じた意見が寄せられ、それを大友さんは即座に読み上げ、音楽と社会はイコールであると持論を展開され面白かった。
けれども、わたしは消化不良「同じ商品が全国ど買える幸せ感」の部分。
ラジオを切って考えながら走って思ったことは、たとえばコンビニ。たしかにどの店も同じ配列で同じ商品が全国にあるから便利。けれどもそれが手間をかけた、時間をかけた商品ではなく大量生産の商品。
こだわりのコーヒー。ここしかない酒。手間隙かけたうどんや豆腐。本物は画一的ななかにはない。
配達が早く終わり宇部市内まで遠出して松原酒店と菊川画廊にご挨拶ができた。
今夜はほどほどの晩酌になる。かもわからない。

ゴタゴタ言うな!

シリアに報道写真を撮りに行く男性がパスポートを返還させら渡航が止められ話題になっている。

戦場で一般市民が過酷な生活を余儀なくされている現実は、現場にメディアが行かないと世界に伝えることはできない。それが差し止められた男性の不満。渡航や取材の自由を剥奪されたとも語った。(ならば行くと事前公表はしないで行けばよかった)
シリアや戦地で身柄を拘束された場合、日本政府は「自分の意識で行ったのだから」と国民の命の危険を無視はできない。
政府は、男性が拘束されてから身の安全(救出)に努力するか、拘束されないよう止めるかの判断を求められたのが今回の焦点だと感じている。
わたしの感想は、吉田松陰先生のように「行く」と決めたら黙って死ぬ気でやれ!ゴタゴタ言うな!

「単騎、千里を走る」中国のチャン・イーモン監督。高倉健主演。2ヶ月間の中国撮影の日々紹介。15日午後1時からBSプレミアムで映画メイキング版で放送される。本編はそのあとになろう。
「劔岳」のメイキングビデオを、三田市の香山さんからお借りして見た。作品がより立体的になった。
単騎は映画館で見た。この番組は楽しみ。
昨夜は「網走番外地」を録画した。今夜は高倉健と富司純子、わたしの青春「緋牡丹博徒」がある。

ふたつも訃報

弁天池にお水を20リットル(約3日間の飲料水など)を汲みに着いた午前9時。氷点下4度で蛇口は凍結していた。

お昼前、下関のギャルソン美容室から電話が着信「きのう岡田先生が亡くなられました」と今夜のお通夜と明日の葬儀について知らされた。
糸賀社長(ニュースタイル)と岡田先生は宇部スネイク美容室で厳しく育てられた同門の仲。
以前ご家族でホタル見物に農園にこられて楽しい酒を酌み交わした。それから卵を毎週木曜日にお届けしている。
3年前、わたしの愛犬「はなちゃん」が亡くなった頃、木曜日に奥さまがわたしの車にかけより「はなちゃん元気!」と声をかけてくれた。事情を話したら「農園でたくさん撮っているから今度差し上げます」と言われた。その会話の半月後に奥さまは亡くなられた。お通夜に参列して、肩を落とした岡田先生の姿に泣いた。
それからだんだん元気をなくされ心配をしていた。お葬儀には参れないが今夜のお通夜はと考えていたらメールが着信。
前の会社女性社員さんで農園にも立ち寄ってくださる方から「磯村千代子先生が亡くなられました」と今夜のお通夜と明日の葬儀をお知らせくださった。
昨年末に緊急入院の先生を見舞ったとき、年内もつかどうかと家族から告げられ、それから病院に足が向かなくなった。痩せ衰えて痛みに耐える先生に会えなかった。
岡田先生は弔電で失礼させていただいた。
磯村先生のお通夜に早く着くよう行った。棺のお顔に精一杯お礼の合掌をしてご遺族にご挨拶が心からできた。長女でわたしと同年代の娘さんが「母をいつも元気づけていただき」と返された。
祭壇に「磯村学級一同」の献花があり、阿知須小学校で熱血教師だった先生のそれは勲章だと感じた。受付には教え子のテーブルがあり行列だった。
わたしは直接先生から教室で授業を受けたことはないが、周防灘を望む喫茶店ラ・メールでコーヒーを飲みながら。秋月城を歩きながら。尾道を歩きながら。大内文化をわたしに教えると山口を散策。運慶の仏像が県立美術館に来たときご一緒した「足立くん。仏像のお尻をみよう」と作品では見ることができない背後を重点的に二人で観賞した。歴史はね、その時の庶民が食べたもの、着たもの、つまり庶民のなかに歴史はあるんよ。とわたしの視点をひろげた。
「ふるさと今昔」の出版をお手伝いして、たくさん先生には教えていただきました。
最後は楽に息がきれたと聞いて安心でした。帽子をたくさん持っておられ、遺影の帽子もお似合いでした。
人が死ぬとは、もう逢うことが叶わないことだとお通夜でわかりました。
磯村先生はおおきな先生でした。

リレー・エッセー

今朝はコンビニで「山口新聞」買った。お目当てはリレー・エッセーに「よしの」店主が登場しているから。
「一生懸命が一番楽しい」をテーマに「うどん作り」と「合気道」が飾らない(自慢話ではない)文章で書かれており、店主のお人柄があらわれてよい内容だと感じた。
店主のバトンをわたしが受けた。すでに新聞社に入稿した。15日版に載ると思う。先日の神戸行きをテーマに書いた。
末尾にわたしのプロフィールを添えるように指示があり
16年まえに採卵養鶏「しんあい農園」を創業。あだち・すすむ
とした。
担当の記者から、もう少し詳しいプロフィールを求める電話を受けた。
これには、わたしの思いがある。
配達先のご老人が、わたしの軽い社交辞令「ご趣味は?」に、よく聞いてくれたといわんばかりに宇部興産現役時代の自慢話をされたあと、退職してからは家庭菜園が生き甲斐なんです。
この場面から学んだことはプロフィールは今のわたしがわかればよい。
記者の言われることもわかるので少し(凡事徹底)を追加した。
橋から農園までの道があれてきたので、砂利を敷いて補修をした。年数回はこのスコップ仕事をして道は整う。今夜は末娘(真砂恵さん)家族が夕飯に来る。家内は忙しい。

仕事は半日の土曜日

テレビカメラを72時間同じ場所で構え、その場所を通過する人々から世相を読みなとくNHK番組がある「ドキュメント72」。
昨夜は都内JR駅構内の金券ショップが舞台だった。知ってはいるが利用したことがないわたしは、そこがどういう場所か興味深く見た。印象に残っているインタビューは、これから競馬に向かう電車の切符を買い求めた男性。10円にも満たない節約に足を運ぶ。
先週は羽田空港で掃除をする、日本一掃除の達人女性だった。子供が寝転んでも汚れないフロア。鏡を使い見えない場所の汚れを見つける。その動作は笑顔だった。17歳から(多分いまは50歳をこえているか)この仕事一筋。いまは羽田空港全区画の掃除のまとめ役。彼女が「掃除は地位の低い仕事だと思っていたころは笑顔は出ませんでした。今は空港を利用するお客さまが、掃除をしているわたしに声をかけてくださいます」と。
わたしの母も30数年、工学部の用務員で掃除や草刈りが仕事だった。卑屈なところはなく、官舎のみなさんからよくしていただいた。電話もテレビも、わたしの家はご近所だった。

冬場は交通の難所、萩に下る「雲雀峠」を今朝は8時過ぎに通過した。路肩に少しの残雪だったが上下線でスリップ自損事故が2件あり事故処理中だった。
昼前に農園に戻り、午後からEテレ録画「タブレット・アプリの使い方」を一時停止しながらタブレットを操作して勉強した。
高齢犬の太郎。日増しに足が弱っている。ご飯も歯茎が悪くドッグフードが噛みにくいので1時間ぐらいかかる。いよいよ噛めなくなるまでやわらかい食事にはしない。かわいそうでも歩かせる。

充実の金曜日

金曜日は週のなかで仕事をしない日になった。わたしが仕事を辞めるまでには、仕事をしない日が週の全部になるようゆるやかに移行している。
朝はゆっくり犬を3頭歩かせる。日頃は仕事がありゆっくりはできない。コーヒーは新聞(電子版)を読みながら2杯。8時までに「わたしの1日コンディション」が整った。
「よしの」さんからバトンを受けた山口新聞リレーエッセー(1200文字)を1時間で完成。テーマは先月の神戸慰霊行事。明日の朝、推敲して宇部支局に送信する。
今朝の母は精神的に不安定。「死ぬ」ことがこわくて大声も出す。わたしに「そばに居てくれ、あんたは神様じゃ」とも言った。しばらく寄り添い「また来るから」と耳元に言うとうなずいたから部屋を出た。
持世寺温泉「上の湯」で、ぬるいかけ流しのお湯を楽しんだ。温泉隣の豆腐工房が開店しており、できたてのあたたかい豆腐を一丁買い、無料のオカラをひと袋いただいた。
農園に帰る途中、コンビニでプレミアムビールのロング缶を1本、金曜日の贅沢。
豆腐にカツオとネギを添えポン酢が肴で昼ごはん。家内がわたしの夕食にオカラを炊いて自宅に帰った。
午後は昼寝。Eテレ高校講座で「日中戦争」と「朝鮮植民地」の2本を見た。高校生に歴史を教える視点を理解できた。
きょうの一番関心があったニュースは、香港では先のデモを主導した大学生が、高校生や中学生に政治を教えていたこと。数年あとには彼らが有権者になる。学ぶことは正しい力になると感じた。

功山寺のトイレ

木曜日は長府毛利邸周辺の配達がある。高杉晋作の奇兵隊が決起した場所で有名な功山寺がある。数年前、長府を知りたいと思い観光ガイドをお願いして(半日3千円)特に乃木神社・毛利邸と功山寺を重点的にガイドしていただき、功山寺の山門には奮いたった奇兵隊の若者が切りつけたあとまで「これが」と教えていただいた。山門横にトイレがあり、10数年間、木曜日の朝8時半は立ち寄る習慣になっている。
パブロフの犬ではないが、功山寺が近くなるとトイレに行きたくなる。今朝もすっきりしたあと山門の掲示板を見た「決起して 維新の扉 こじあけし 晋作の雲 吹雪く功山寺」 と立派な筆文字があった。
高杉晋作に乃木希典。日本がアジアの国々のように植民地支配にならない力を出した人が往来した長府。わたしは山口県で好きなところのひとつ。
菊川の内日(うつい)はお昼ごろ走る。ここに1頭野犬がいる。いつも会うことはないが、先週は寒風のなかを歩いていた。与える餌はないが車をとめて「おい!」と呼んだら近くまでは来た。腹をすかせているから来た。愛犬ハッピーも野犬時代はこうであったろうと想像できる。売り物の卵を2つ路上で割り離れてとまった。卵を食べた。その話を配達先のおばあさんに話した。きょう「こんど見かけたら与えてください」とドッグフードを預かった。
母が元気なころ農園に泊まりに来て、風呂あがりにワイングラスを持った笑顔の写真があり「これを遺影に使ってくれ」と選んだ。けれども笑顔はよいがパジャマが気になっていた。
唐戸で鉛筆画教室を主宰されている中山さんにパジャマではない母の笑顔を描いてもらいたいとお願いした。来週持参するようになった。

井上酒店に敬礼!

待ち遠しい立春。その日をむかえた。
きのう節分で邪気を祓った、新春を「五橋 立春朝搾り特別限定」を井上酒店が深夜に岩国までオンボロ軽四で走り酒好きに提供してくれる。
井上さんに卵を届ける時間は11時ごろ、その時間は宇部に向いて戻っている。午後から新酒を受けとる約束をしていた。
朝、クーラーボックスに蓄冷剤を入れて車に乗せた「今夜は刺身」今村さんのお宅で新酒で刺身を話題にしたら新酒のご注文。お駄賃にご主人が仙崎から乗り合い船で釣り上げた大きな鯛(焼くだけ下処理済み冷凍)を「解凍して焼くまえ30分前に塩をふってください」とクーラーボックスに頂戴した。
2時前に井上酒店に到着。店主は満面の笑みをうかべて「今夜は冷やして楽しんでください」卵も井上さんと同じ心意気でやっている。刺身になるもの二品買ってクーラーに入れた。今夜は農園泊まりの家内も刺身を偶然用意していた。
衆参の委員会質疑が連日ラジオで報じられ聞いている。きのう火曜日NHKラジオ「すっぴん」パーソナリティーの津田大介さんが私的なコメントを電波にのせた。
イスラム国により殺害された日本人に対して「自己責任」の意見が多く残念。こんな私的な発言が公共電波にのる不自然を感じた。
わたしは、ずっとその「自己責任」つまり、いろいろと危険地域に行ったことを肯定する論調があるにしろ。
委員会の質疑で明らかになったことは「危ないから行くな」という政府勧告を3度も受けてもなお危険な地域に「自己責任」と映像に遺して赴いた人。
自己責任は「あなたの命」ではない。日本の国家が動いた。その責任は誰が負うのか。
加えて思うのは映画「明日への遺言(事実)」では、名古屋空襲をしたB29爆撃機が撃墜されパイロットが陸軍中将 岡田資(たすく)の判断でパイロットは斬首処刑された。戦後、横浜法廷での岡田中将の斬首処刑理由は、アメリカ軍による無差別爆撃の非人道的行為だった。
ツイッターで生きながら焼かれるヨルダン人パイロットの画像(動画はパス)は見た。
岡田中将の行為は日本人のなかでは美化されている。
農園に戻り新酒をクーラーボックスから出してグラスで2杯あおった。フレッシュな甘さが味わえた。井上さんに敬礼!

節分の火曜日

山口市の某会社の会長はわたしの自宅がある宇部市西岐波が故郷。わたしは80歳の会長から戦中当時の西岐波を聞くことができる。
昭和17年の2月3日は西岐波で、日本最大の海底炭鉱水没事故がおきた。
会長は当時、西岐波小学校在籍。事故は朝6時半ごろ起きた。
長生炭鉱の騒ぎは登校した頃に学校に伝わった「全員帰宅」の指示が発せられた。海底炭鉱に穴がほげた(あいた)と知らされ、炭鉱関係の友達は泣きながら走って家にむかった。日本人も朝鮮人もおった。
殉職された人183名のうち約130名が朝鮮人やシナ人。きょうも長生の浜辺で、強制連行の人を追悼する集会があったかもわからない。嘘も千回言えば、反論する者がなければ事実になるのかもわからないが、当時の西岐波小学校在校生名簿はある。そのなかに多くの朝鮮人がある。西岐波の強制連行はない。
節分の思い出は恥ずかしい。小学低学年の節分の夜、大量の豆を母が「もったいない」と私に食べさせた。歯が痛いぐらい硬い豆だった。そのあくる日から便秘になった。4〜5日続くと気分が悪くなり、母も心配して「学校休んで医者に行け」。バスに乗り三つ向こうのバス停近くの「亀井」という医者に行った。小学生の私でも尻に浣腸されるのは恥ずかしい「出たら帰れ」と医者は言ったが待合室で座っていても出ないから「もう帰れ」と医者に言われ帰りのバスに乗った。でこぼこ道を走るボンネットバス。揺られていたら強烈な便意がきた。車内で漏らしたらいけないと思い運転手さんに「ウンコが出る」と言って急ブレーキで下車。バスは発車した。わたしは道路のそばでパンツをおろした。
朝、ガソリンを10リットル入れたらスロット抽選が当たり1円引き。配達を終えて朝のガソリンスタンドで満タン給油をしたらまた抽選で大当たり(当たりは自動的にリッター単価が安くなる)このガソリンスタンドで当たりは1日に5〜6本。それを朝と夕方で引き当てたから、宝くじを買うぞ!と言ったらガソリンスタンドの女性が「宝くじの運をガソリンスタンドで使い果たしましたね」と冷や水をかけた。
ロト6宝くじを千円買った。当たってもすぐ欲しいものはうかばないけれども。

不便で身に付くことがある

きのう洗車した車のドアが凍てついていた。午前5時は氷点下4度。
田舎暮らしは素人だったわたしでも、15年以上この地で四季を体験し、凍結で水道管を破裂させたり、イノシンやネズミの被害に遭ったり雑草の成長の早さに驚いたりしてきたなかで、解決する方法を体得した。一番汗をかいて上手になったのは草刈りだとおもう。
この冬は、早朝窓のサッシとガラスびっしりの結露を毎朝新聞紙で拭き取る爽快感を覚えた。放置したら黒いコケが生えタワシや歯ブラシを駆使しても手強い汚れになるが、毎朝拭きさえすればピカピカが維持できる。今朝も布団をあげたら窓拭き。
もうひとつ最近上手になったのはタブレット。きょうも新規配達のお客さまがあった。住所を入力して、ほぼ近くまでカーナビとして行く。車をとめる場所を見つけたらこんどは歩きナビ。地図を拡大して歩くので間違いなく到着できた。
不便なことや困ったことを解決しながら毎日が楽しい。

腰と腕が疲労

2月の朝、5時過ぎの報道は慌ただしくなった。官房長官の冷静的確なコメントには信頼感があった。

「よしの」店主が「頼む!」と言ったので理由を聞かずに頼まれたのは、山口新聞リレーエッセイのバトンだった。
店主は山口市内の女性税理士からバトンを受けて執筆中。早く次にバトンを渡してほしいと新聞社から言われてわたしに白羽が当たった。
記者から2月1日午前のアポイントがあり、山口市内の配達を済ませて農園で待った。記事の依頼とわたしの顔写真撮影。次のバトンの行く先。それが記者の目的訪問目的だった。
次のバトンは、今村カルタに人選を任せた。すぐに候補の連絡があった。
山口県かるた協会ホームページ管理者。今年開催、世界ジャンボリーお坊さんめくり参加事務局長の下関市女性に決定。
12日がわたしの原稿締め切り。文字数は1000から1200。さて何をテーマにするかを決めなければならない。緊張のカウントダウンがはじまった。
金曜日に雨で重くなった漁網を荷台に大量に積み込んだ疲れが腰と腕に出ている。
昼から2時間寝た。