日別アーカイブ: 2015年2月9日

ふたつも訃報

弁天池にお水を20リットル(約3日間の飲料水など)を汲みに着いた午前9時。氷点下4度で蛇口は凍結していた。

お昼前、下関のギャルソン美容室から電話が着信「きのう岡田先生が亡くなられました」と今夜のお通夜と明日の葬儀について知らされた。
糸賀社長(ニュースタイル)と岡田先生は宇部スネイク美容室で厳しく育てられた同門の仲。
以前ご家族でホタル見物に農園にこられて楽しい酒を酌み交わした。それから卵を毎週木曜日にお届けしている。
3年前、わたしの愛犬「はなちゃん」が亡くなった頃、木曜日に奥さまがわたしの車にかけより「はなちゃん元気!」と声をかけてくれた。事情を話したら「農園でたくさん撮っているから今度差し上げます」と言われた。その会話の半月後に奥さまは亡くなられた。お通夜に参列して、肩を落とした岡田先生の姿に泣いた。
それからだんだん元気をなくされ心配をしていた。お葬儀には参れないが今夜のお通夜はと考えていたらメールが着信。
前の会社女性社員さんで農園にも立ち寄ってくださる方から「磯村千代子先生が亡くなられました」と今夜のお通夜と明日の葬儀をお知らせくださった。
昨年末に緊急入院の先生を見舞ったとき、年内もつかどうかと家族から告げられ、それから病院に足が向かなくなった。痩せ衰えて痛みに耐える先生に会えなかった。
岡田先生は弔電で失礼させていただいた。
磯村先生のお通夜に早く着くよう行った。棺のお顔に精一杯お礼の合掌をしてご遺族にご挨拶が心からできた。長女でわたしと同年代の娘さんが「母をいつも元気づけていただき」と返された。
祭壇に「磯村学級一同」の献花があり、阿知須小学校で熱血教師だった先生のそれは勲章だと感じた。受付には教え子のテーブルがあり行列だった。
わたしは直接先生から教室で授業を受けたことはないが、周防灘を望む喫茶店ラ・メールでコーヒーを飲みながら。秋月城を歩きながら。尾道を歩きながら。大内文化をわたしに教えると山口を散策。運慶の仏像が県立美術館に来たときご一緒した「足立くん。仏像のお尻をみよう」と作品では見ることができない背後を重点的に二人で観賞した。歴史はね、その時の庶民が食べたもの、着たもの、つまり庶民のなかに歴史はあるんよ。とわたしの視点をひろげた。
「ふるさと今昔」の出版をお手伝いして、たくさん先生には教えていただきました。
最後は楽に息がきれたと聞いて安心でした。帽子をたくさん持っておられ、遺影の帽子もお似合いでした。
人が死ぬとは、もう逢うことが叶わないことだとお通夜でわかりました。
磯村先生はおおきな先生でした。