日別アーカイブ: 2015年2月22日

乃木神社に参拝しなくては

歴史家・作家(直木賞受賞)の古川薫先生が、司馬遼太郎が下関を訪れたとき、乃木希典を描いた作品「殉死」は、愚将としての乃木希典は間違いだと指摘した。そして乃木希典・児玉源太郎を戊辰戦争から日露戦争を舞台に力作「斜陽に立つ」で出版され、作品の帯に「乃木は愚将に非ず」と書かれた。
わたしは読後に、同じ背景の映画「203高地」もみた。長府の乃木神社には二度参拝をしている。古川薫先生が乃木さんは山口県の誇りだと言われ、わたしも同感。
今朝アルバムを持って母に会いに行った。アルバムの写真で一番大きいのは、半袖の母が一歳ぐらいのわたしを抱いて狛犬の前に腰かけて微笑んでいる。わたしが一歳とすれば母は三十四歳。
この大きな写真はどこで写したのかと聞いた「乃木神社」とはっきり答えた。終戦から七〜八年のころ、宇部から長府まで遊びに行きわたしを抱いての笑顔。乗り物はなんだったか。おいしい料理を食べさせてもらったのか。いろいろ想像がわく一枚。この日の母は幸せだった。
近いうち、乃木神社に参拝して写真の狛犬に対面したい。

先日、八十九歳で国替えされた磯村千代子先生。創作民話や阿知須の歴史、俳句などたくさん遺された。そのなかでも世には出ていないが力のある作品がある。
地元の東岐波から太平洋戦争で出征。戦死された三十数名の遺族、つまり戦争未亡人全員と対面され、どう戦後を生き抜いてこられたかを文字にされた。まだ当事者がご健在だから世には出されなかったが、磯村先生、女の視点からの反戦。
思想的なことなど知らないが、作家の澤地久枝さん番組が午後から九十分、テレビであった。ミッドウェイ海戦の日米戦死者、約四千名の家族と連絡をとり、名もない人々の生きた証を作品にされた。彼女は、あの海戦のあとアメリカの遺族のなかでベトナム戦で戦死された人もあった。けれども日本人は七十年、誰も戦死はしていないと言う。
歴史の表舞台ではなく、人目につかない裏舞台にこそ大切なものがある。そう話された磯村千代子に再会した気持ちがした。