日別アーカイブ: 2015年2月16日

雨の月曜日がおわり

きょう16日が誕生日。わたしの母。金正日将軍様。高倉健。
健やかに母は誕生日を迎えたとは言い難いが、経済的なことや煩わしいことから心は解放され、身体は不自由でも心は自由になっている。今朝おきて神様に母の誕生日をお礼申し上げた。
高倉健の作品で、わたしは一番感動した「単騎、千里を走る。」が、あす(17日)午後9時からBSプレミアムで放映される。
きのう、そのメイキング放送(2時間)があり録画をして見た。
農園をはじめて数年のころ、山口市内に唯一あった映画館に仕事を済ませて夜の上映に行った。
印象に残っているのは、中国の近代化に遅れた田舎が舞台で、登場する中国人が泣くシーンでは涙も鼻水もタラタラながして、これは演技だろうかと思う場面があった。
メイキング放送で背景が少しは理解ができた。監督は、ほぼ地元の人を、素人をこの作品の俳優に登用していた。素人には台詞を覚えることは難しい。ワンカットごとにシーンの中身をにわか俳優に、言葉や動きで理解させて、そのあとは役者の自由な演技に委ねる。その組み立てかたで作品は完成している。高倉健と共演の子供は7万人の応募から選ばれた。田舎の子供の風貌。役柄を理解したあとは涙をながし、屈託のない笑顔も自在に演じる。それも監督の技。そして、あえて撮影現場に言葉や生活文化のちがいを承知のうえで1人で身をおいた高倉健。中国人通訳はいたが撮影スタッフ全員と心の交流をされていた。撮影現場で、終日出番がなくても立ち会う。しかも座らない。
撮影シーン以外の様々な場面でスタッフの本気さに目頭をぬぐう。200本以上の作品で主演をした日本人が、中国人のいわば素人俳優と対等に身をおいて完成した大作。
高倉健の訃報が中国に伝わり、あの中国メディアが高倉健を惜しんだのは、国も国境も越えた人間愛だったろう。
歴史認識など国レベルのくい違いがあっても、人間愛は国境を超えられる。
きのう山口新聞に掲載されたエッセイに様々な反響があり嬉しい月曜日をおえた。