月別アーカイブ: 2014年8月

月に一度の休日

昨夜のテレビ録画は「芙蓉の人」とEテレ「戦争は罪悪である」の2本。夜明けまでに再生2本とも見た。

お名前は忘れたが、日中戦争勃発のころ、名古屋の浄土真宗大谷派の70歳すぎの僧侶が「戦争は罪悪である」と公言され、さまざまな弾圧を受けられた。農村の働き手が戦地に送られ、農耕馬まで軍馬として徴用された。残された高齢者と婦女子が人力で営む農業は過酷だった。
そのうえ殺生を禁じた仏教界まで時世に迎合し、日本人が他国からの侵略から自衛するには「一殺多生(ひとつの命をとり、多くの命を生かす)」という浄土真宗のスローガンが打ち出された。
たしかに、日中戦争から大東亜戦争を「聖戦」ととなえる人もある。たいせつなことは、先勝国から裁かれた極東軍事裁判は別にして、日本人が政界・軍部・マスコミ・財界に宗教界もふくめて、日本人が戦争責任を裁いていない点にあると思う。

母を見舞い、食欲が旺盛になり少し太ったようすに安心。わたしに見えない世界がはっきり見えるらしく面白い。化粧水と手鏡の差し入れにご満悦。

県立美術館「山下清展」に行った。入館したところで声をかけられた。ぎじろくセンター当時、若い女性を採用し米子市に営業所を開設したので宇部から派遣した「みどりちゃん」だった。ピンク・レディーを歌って踊った彼女は47歳。お嬢さんは21歳と聞いて、わたしも家内もシルバーだとつくづく実感。9時半入館でも長蛇の列。約90分で作品をみた。
山下画伯の作品は、全国を放浪し、印象的な場面を脳裏に刻み込み、戻ってから作品づくりに没頭されたと知った。その風景は驚くほど正確に描写されていると説明されていた。
お昼は山口市内。家内が運転するので生ビールを一杯。
月に一度の休日。今夜は真砂恵さん家族が夕食に来てくれる。

2時間昼寝

土曜日は萩にむけて農園を6時にスタートしなければならない。夜明けが遅くなり、早起きしても外の仕事がやりにくい季節になった。
食事をすませて、台所もみがく時間と、犬3頭の世話などもでき6時にスタートできた。
萩の常茂恵旅館には7時に納品。駐車場にとめてニュースをタブレット。数日まえから新聞アプリは削除して「ニフティー」配信の無料アプリ「niftyニュース」をみている。とにかく内容が新鮮。16のジャンルがあり「新聞」のなかには琉球新報や神奈川新聞などローカルまである「雑誌・スポーツ新聞」は下ネタも満載。
今朝、気になるニュースは、民主党の石井一氏がきのう神戸市内のパーティーで「拉致被害者らは、とっくに亡くなっている」の発言記事。
石井さんの委員会議事さばきはたくみで好きだったので波紋が気になる。

10時半。予約の時間に山口トヨタ本社に着き10万キロ走行の点検整備を約90分。
土曜日の午後は昼寝。しっかり2時間熟睡できた。

45歳旬の旅

無料で雑誌が読めるアプリは削除した。いくら無料とはいえ、週刊誌などを買ってまで読むことは少ない。新聞広告の週刊誌見出しを読めば済んだ。
その週刊誌広告掲載を朝日新聞が拒否をした。拒否されたのは新潮・文春。拒否の理由は朝日新聞の慰安婦問題報道。事実でない報道をした朝日新聞に反省や謝罪を求める紙面。
これまで30数年、言論の自由を砦に偽り報道で世界の世論をねじ曲げておきながら、それを批判する雑誌の広告は拒絶する朝日新聞は間違っている。堂々と批判に受けて立つのが責任ではないのか。

徳山のお客さまから、家族で高千穂に行きました。とメモが添えられお土産が、玉子を入れるクーラーボックスにおさまっていた。

いつか自分史を出すために携帯電話で入力している「45歳旬の旅」をお礼でお届けした。まだ推敲していないから誤字脱字はあるが以下がその内容。

簡単なことでも続けること、手を抜かないことが大切「凡事徹底」の四文字で鍵山先生は説かれる。わたしの凡事のひとつに「歩く」を決めた。
宇部市常盤公園。常盤湖一周の遊歩道は6キロ。出張と大雨の日以外は歩いた。
公園清掃は知的障がいの人が行い、わたしが夕方歩くとき家路を急ぐ清掃をおえた人と前後して歩くこともあった。わたしより年上の男性と歩きながら仲良くなった。時計は見方がわからないからバスは利用しない。片道約1時間かけて自宅と職場を歩く。ひとり暮らしで炊飯器の使い方は覚えた。夕方戻ったら月曜日から土曜日まで、鍋を持って歩く近所のコースが決まっている。少しのおかずを数軒からいただき、今夜、明朝と弁当の三回にわける。彼が決まった曜日に来なかったらみなさんは心配になる。
彼は、日曜日お世話になる家を草刈りなどで手伝いをする。地域と共生するひとつのかたちを知った。大切なことを歩くなかで知ることができた。

日曜日、時間のあるときは愛犬と常盤湖を歩いた。2周歩き3周目の中ごろ犬が疲れて動かなくなり抱いて歩き終えた。犬はあまり歩かないとわかり、時間のある日は、床波駅始発、5時過ぎの宇部線に乗り小郡駅、その日の気分で山口駅か防府駅に7時ごろ着き、駅のうどんを朝食にして自宅まで歩いた。どちらの駅からでも夕方6時ぐらいには自宅に戻れた。運転では見えないたくさんの風景などもあり達成感があった。歩く魅力を知った。

仕事先で大好きなところは宮崎県。当時は高速道路はなく、国道10号線をひたすら南に下り、宇部から12時間で南国宮崎市に着いた。
居酒屋は、肉も魚も野菜も焼酎も旨くて安い。宮崎空港までの道路や市内もフェニックスの街路樹は南国情緒たっぷり、宮崎空港のからくり時計は、天岩戸伝説をからくり人形が舞う。
一ツ葉道路から望む太平洋の雄大な景色。
飫肥から杉を運ぶための堀川運河の赤レンガ倉庫は小樽よりわたしのお気に入り。
どっしり腰をおろした霧島山麓。
1年のうち50回もレマンホテル(ビジネスホテル)に宿泊した年もあった。大好きな宮崎県を歩いてみたい気持ちがふくらみはじめた。
1996年11月(45歳誕生月)鹿児島掃除に学ぶ会年次大会に出席した。閉会してから宮崎市に移動、常宿レマンホテルに宿泊。翌日、月曜日の7時にリュックを背負って歩きはじめた。金曜日の夕方まで歩けるところまで歩いてみようの計画をスタートした。この旅を「45歳 旬の旅」と命名した。
毎日50キロメートル以上歩き、阿蘇高森駅で金曜日の夕方をむかえた。全行程約250キロ徒歩の旅。
毎日、足の痛みに耐えたのはいまではよい思い出になった。途中何度か涙をながした。
延岡のホテルでは、足と腰の関節が炎症をおこして腫れて痛くて、冷やせばよいのかあたためたほうがよいのかわからず、眠れない長い夜だった。
朝5時にホテルを出発。高千穂まではずっと上り坂で50キロメートルある。いつも仕事で車で走りわかっている。会話をすることが少なく、途中の北方町役場議会事務局に話がしたくてたち寄った。いつもの服装とちがう私に、職員さんは驚かれた。宮崎市から数日歩いて来て、きょうは高千穂まで歩くことが話題になった。女性の職員さんが「少し待ってください」と小走りで部屋を出た。しばらくして「名産品の次郎柿ブランデー漬け」をふた袋をリュックに入れてくれた。
その日は昼食の食堂がなく、単調な上り坂を歩き続けた。リュックにパンを持っていたが、野良犬に食べさせて食べるものがない。飲み物自販機はあったが小銭がなかった。
午後2時。身体も気持ちもヘトヘトになったとき次郎柿を思い出した。ガードレールをまたいで草むらに腰をおろして柿を夢中で食べた。食べながら涙がこぼれた。嬉しくて泣いた。

高千穂も早朝に歩きはじめた。阿蘇外輪山に上る途中の久木野村。白い服装が大勢いた。オウム真理教が本拠地を築いていた。
外輪山の頂きに立ち、眼下に阿蘇内牧が航空写真のように拡がっている。その日、疲労の限界でカメラをどこかに落とした。カメラがないから、この素晴らしい景色を心に刻もうと、カメラがあればパチパチでおわったが、しっかり眺めて山を下った。あまりの美しさに涙がこみあげた。カメラがなくてよかった。
阿蘇高森駅の公衆電話で自宅に「終わった。これから帰る」と告げて、また涙がこみあげた。
柿で生かさた実感の涙。景色の美しさに感動の涙。全力を出し切った清々しい涙。
250キロメートル歩けた旬の旅。
いまもわたしは毎日歩いている。

愛車は10万キロ走った

凍結の事故から1年半。新車を使いはじめて走行が10万キロをこえた。明後日、オートマチック・デフ・エンジン3種類のオイル交換とタイヤローテーションでドック入り。

タブレットを使いはじめて2ヶ月になった。使う目的は、有り余る情報の海で溺れることより「わたしの生活が便利になること」をキーワードに、あれこれアプリの模索が続いている。
いま一番重宝しているアプリは「雨マップ」「Xバンドレーダー」「国語辞書」「NHKネットラジオ」「無料新聞」「iハイウェイ」。なかでも「雨マップ」は雨の多い8月は活躍した。今朝も長府のイタリア料理店で、いつもの場所に段ボールで置くには空模様が気になって「雨マップ」1時間あとから降雨の地域予報になった。段ボールをビニール袋に包むことができた。ネットラジオは木曜日午後の山あい移動でバッチリ「山田まりあ」の笑い声を受信できた。
美祢「よしの」は2時前に完売札が出ていた。通過して大谷山荘納品をすませて3時過ぎに「よしの」到着。きのう県立美術館「山下清展」を観に行きよかったと言われた。わたしも日曜日に計画している。吉野ご主人は近々にタブレットの仲間入りされる。わたしが先輩面ができた。
きのうアプリでパチンコ「海物語」を動かしてみた。いつの間にか寝ていた。ノンアルコールビールのような感じでアイインストール。

米談義にうなづいた

酒屋の井上さん。田万川町でこだわり農法のお米生産者がつくる玄米を買い、本格的な精米システムを酒屋に併設して、本物思考のお客さまに販売されている。昨年の山陰豪雨で農家が大打撃を受けたとき、泥のかき出しに赴かれた。1日で一輪車200杯運んだ苦労話を聞いた。
井上さん「受け売りの話ではあるか」と前置きされて米談義。田植えの1列が隣の1列との間隔は広いほどよい。理由は稲の列の間に風が通る。そこにクモが巣をめぐらし害虫を補食する。殺虫剤は使わない。同じ面積で収量をあげようと過密に植えるとさまざまな弊害がでる。生産者ならではの言葉を聞いた。
わたしも生産者として発信することがある。最初は先週。あとはきょうの発信。発信先は木曜日のお客さまふたり。

■ご存知かと思いますが。洗卵と無洗卵のちがいです。
一般的には洗います。汚れを落とす目的と、場合によりカラにワックス処理もあるようです。
産み落とされた直後の卵は体液で濡れています。液が乾燥すればヒヨコが誕生するまで21日間、外部からカラを雑菌などが通過しないバリアになります。洗えばバリアは落ちます。鮮度も急速に落ちます。
農園では、採卵して布で拭いてパックに入れています。無洗卵です。

■容器ふたつにそれぞれ生卵を割り入れたとします。カラの赤い玉子と白い玉子です。
生卵を見てカラの色を当てることはできません。味でもわからないでしょう。
なぜ赤と白の場合には赤がよいとされるのでしょうか。答えは生産者が知っています。

羽根が赤い鶏は赤玉をうみ、羽根が白い鶏は白玉をうみます。

玉子は21日でヒヨコになります。生後150日ぐらいから産卵が始まります。
赤い玉子は日にちが経つにつれてピンク色に近くなり高齢(400日)になると白にちかくなります。つまり「赤玉」として売れないのです。
白はもともと白ですから高齢でうませても外見はわかりません(中身は劣っています) 長い期間採卵ができます。

販路はお客さまが

安倍総理と石破幹事長との安全保障法制担当相について認識がちがうことが報道の上位になる。石破幹事長が来年の総裁選にむけての足場固めと見る報道が多く、やっと政権運営が落ち着いたとわたしは思っていたので、やっぱり政治家は自分の利権で動くことを再認識できた。
2ヶ月まえ、卵のお客さまが近くの歯科医院に治療に行き、衛生士さんと玉子が話題になり、衛生士さんから電話をいただき少ない数のお届けがはじまった。2ヶ月のうちに歯科医院の衛生士さんたち全員がお客さまになった。
農園の玉子は、ずっとこういう広がりかたで歩んでいる。驚くような売上増はなくても、ぼつぼつが無理がなくてよい。
家内が昨夜、母を見舞いにいったら元気いっぱいで「家に連れて帰ってくれ」とせがまれたらしい。
わたしは昨夜、疲れて早く寝たが遠くで聞こえる落雷に健太が騒ぎ寝不足で朝をむかえた。
弁当と朝食をつくらなければならないから4時から動き始めた。犬はドッグフードに牛乳が朝のメニュー。
いまは7時半。眠くなった。朝食と弁当はできると思う。

太郎さん復活

太郎さん(20歳♂ビーグル犬)歯はすべてあるが歯石からの歯肉炎に悩まされる。いまさら治療は全身麻酔のリスクがたかい。目が見えないほど腫れたら膿がでる。その傷口に抗生物質を一週間塗り込んだら傷口はふさがり治る。お盆まえから右頬が腫れ目が不自由になりだした。抗生物質の塗り薬はドラッグストアにあるが(人間用)内服薬は医者の処方で薬局扱い。
親しい獣医さんに体重10キロ。10日分の抗生物質を買わせてもらい先日投与が終わった。
腫れは完全に治り、食欲も持ち直し元気を取り戻した。
ラジオで、犬に牛乳と生卵は問題がある。そう言われても農園犬は牛乳と生卵が好物。獣医さんに腑に落ちないから尋ねたら「人間と同じで、動物にも牛乳や生卵アレルギーがある。食べて問題なければOK。絶対禁止はチョコレートと玉ねぎ」と教えてもらった。
タブレットがおもしろくなってきた。たくさんの週刊誌が読める無料アプリは時間つぶしに最高。
長雨にくわえて猪・鹿に猿の被害で田舎の農家は困っている。
特にお米は日照時間が少なく、品質、収量とも期待できないらしい。

母は元気いっぱい

三田市の香山君が気仙沼に21日からきょうまで滞在して、高校生の信仰(金光教)キャンプスタッフをしている。わたしは、わたしの生活のなかで課題をつくりその期間を過ごした。
きょうはその最終日。真っ暗な朝5時から8時まで、小雨のなかを草刈り。午後から、長雨でいたんだ農園道路に砂利を敷く作業をスコップで懸命にやり終えた。草刈りで広い面積がすっきり。道路も平らになった。

草刈りのあと、シャワーと朝食を済ませ山口市内の配達。それから母の見舞いに行った。
母の部屋は周防灘が望める5階の窓際。リゾートホテル。
とにかく食事が美味しいらしい。介護の方に尋ねたら「ご自分でスプーンをもって食べられます」とのこと。
血色がたいへん良くなり会話のレスポンスも普通になった。
天皇陛下が毎日来てくれて嬉しいらしい。
化粧水と鏡を持ってきてくれと注文を受けた。7月、もう長くはもたないと病院に運ばれ、血圧などいっさいの薬をやめて、利尿をうながす点滴だけになった。長女がご用をしている金光教太秦教会の先生(長女の夫)に母の容体を報告しながら、神様にお願いしていただきたいことは「楽になること」をお願いし続けている。

気仙沼から兵庫県までの帰路についているであろう香山君お疲れさま。

アンジェラ・アキ

まえから楽しみに録画予約していたNHKテレビ「サクラ色の時代を忘れない」アンジェラ・アキ最後の日本武道館(8月4日)があった。早起きしてみた。
いろいろな角度でNHKはアンジェラ・アキをこれまで番組にして、そのほとんどを録画している。わたしはファンのひとり。
理由は、アメリカで離婚など挫折。失意の帰国。日本武道館をみたとき「3年後に必ずここでコンサートをやる」と決意。まだヒットもなにもない無名のときに。
年齢やハーフがデビューのハンディになりながらも、それから3年後に日本武道館コンサートを実現した。当時27歳。彼女の一生懸命生きる姿がよかった。いつも言葉にしていたグラミー賞。10年歌手生活のなかで初心のグラミー賞を忘れかけていた。いまの歌手生活を何年続けてもグラミー賞には届かない。だから、築き上げたすべてを日本においてアメリカ音楽大学に留学しグラミー賞の夢に向かう。
武道館の最後「もう、やりきりました。きょうが最後ではなくスタートです!」
わたしの人生も「やりきりました!」と誇らしく言いたい。
萩市から山口市まで、土曜日のコースを走り終えた。農園に戻る途中ホームセンターに立ち寄ろうとしたら広い駐車場が満車。あすでも買い物はできるから素通りした。満車の理由はすぐにわかった。車を線路近くの空き地にとめた。昨年の豪雨被害で一部不通だったJR山口線が本日復旧。SL蒸気機関車が黒煙をなびかせて勇姿をみせた。日の丸を畑から振るお百姓さん。「おめでとう」の大きなプラカードを数名で掲げる人たち。汽笛を高らかに鳴らしてSL山口号は力強く走る。
今年の豪雨災害で被災された方々のご苦労ははかりしれない。
1日も早い復興を祈る。

午後から大汗をかいて草刈り。明日の早朝はハンマーナイフで広範囲の草刈りをする。その草刈機ではできない、細かな面積や斜面をやり終えた。

タブレット活躍

今朝3時すぎ、激しい雷雨に起こされた。稲光が部屋を白く照らして雷鳴まで数秒だから至近距離。
夜明けは近いけれど停電に備えた。階下の犬は恐怖で騒ぐ。宇部市防災メールは度々届くが、猛烈な雨雲がいつ通過するのか内容からはわからない。携帯電話で天気を見たが雨雲だらけで判断材料にはならない。
きのうラジオから国土交通省の「Xバンドレーダー」の画像は判断によいと言っていた。タブレットでサイトを見たら雨雲の動きが詳細にわかった。タブレットの力を感じた。
タブレット。きのう午後から1時間は中島みゆきが提供した楽曲特集。最後は紅白で黒部ダムで歌った本人の「地上の星」
きょうは、周南市からの戻り道、松任谷由実が世に出した楽曲を1時間。タブレットで鮮明に楽しめた。
農園周辺の草むらは、マダニが大量発生している。このむし暑さが影響しているのかもわからない。散歩の前霧吹きで木炭タールを希釈して犬にふりかけて草むらを歩く。ダニはつかない。わたしは長靴。
今夜はおだやかにねむりたい。

秋空になった

下関市彦島。いつものお宅を訪ねたら近所のアパートに警察車両が数台止まり動きが慌ただしい。卵を届けた奥さまが民生委員で、警察官と話しておられた。
このアパートの男性は独り暮らしの方(80歳)が、10日以上まえに部屋で亡くなっておられたらしい。民生委員として定期訪問はされていた。
刺青があり、そのせいかもわからないが人付き合いはなく、夜コンビニで年金から買い物をされていたらしい。
先日、NHKテレビで暴力団対策法について報道番組があった。
「組」から抜けさせるためにあらゆる対策がこうじられている。例えば、組員は銀行口座がもてない。子供の学費は事務室に現金を払いに行く。子供は同級生に肩身が狭いかもわからない。
車の保険に加入できない。公営住宅に入居できないなど、社会生活が営めない仕組みを「法律」でつくった。
組から出てカタギで生きる決断を何万人もの組員がした。対策は効果があった。
しかし社会は、小指欠損や刺青には厳しく生活の糧にありつけない。
番組で大阪の組事務所に取材が敢行され、副組長が取材に応じた。組員として生活できない環境になり組を離れた者は、厳しい社会の拒絶にあい、組員であれば法度の「しのぎ」に手を出さざるを得ない。つまり野放しになる。
法律で追い込んで、その受け皿が整備されていないと問題解決にはならないと番組をみて思った。
山口刑務所年頭祈願祭を金光教が奉仕する。以前、わたしは龍笛で奉仕に加わった。
刑務所職員が、出所した日に市内で無銭飲食をして舞い戻っている受刑者も多いと話された。出所した前科者に社会は寛容ではない。受け皿づくりの仕組みがいると思った。

菊川で生後2ヶ月のビーグル犬とっても可愛い「つれて帰らんかね」と言われて少し思案した。農園ビーグルの太郎さんは20年も元気。わたしが世話するには無理。

木曜日の帰り道。天高く秋の空だった。

ゲリラ豪雨は死語

今朝、2時から3時ごろ雨音が激しく、稲光と落雷の音で寝てはおられない。おまけに雷嫌いの健太が作業場で大声の悲鳴。停電の用意をして昨夜抽選ミニロト6の当選番号を携帯で祈りながら見た。結果はハズレ。

弁当と朝食。台所の掃除。早起きしたのでゆっくりできた。
犬たちの散歩も3頭気持ちよくできる晴れ間だった。水曜日をスタートしたら雨。
吉部八幡宮参拝。宮司に声をかけられ立ち話。本殿で母の回復に御礼申し上げ。祖霊殿の西君に農園一週間無事にみなさん働かせていただいた御礼。あわせて、宝くじ西君の力で当てることはできないか。と世間話もした。
配達でたくさんアルミ缶が集まる。厚狭レインボーの利用者(精神的ハンディ)が、缶を潰す仕事になり、古物商に売り収益になる。
この暑い時期のアルミ缶を載せるのは実は大変。臭い・あらゆる虫(ハエ・アリ・ゴキブリなど)が袋から出てくる。わたしは、大きさに応じてもう一度収納できるビニール袋をサイズ別に持っており必ず二重包装にして社内に入れる。
朝からどんどんアルミ缶が集まると、本業の卵スペースとバッティングする。むし暑いなかアルミ缶をどう積むか、路上に荷物をひろげて思案を今朝もした。
アルミ缶を集める手伝いをすると意義を見いだし約2年。毎日アルミ缶の積みかたで考える。アルミ缶の回収量より、積みかたを考えて持ち帰る努力がわたしの奉仕。
アルミ缶を処理する利用者のみなさんは臭いや出てくる虫にたいへんだろう。

ゲリラ豪雨。もう「ゲリラ」は死語になり、毎年の記録的雨量はあたりまえの気候に日本はなってしまった。

数楽の会に思う

「数楽(すうがく)の会」昨夜の物理博士 江本先生が、ひらがなの「あ」の文字。その何ヵ所か白く塗りつぶして、なにが見えるかと問う「あ」と思う人は白いヶ所を視覚に知識を重ねて読んだ人。現実はなんだかわからない線が答えではなかろうか。
つまり、人は見えない部分を自分の体験などで想像を働かせて見てしまう。事実が見えないわたしがわかった。
数楽と命名しても、数字がテーマにはならない。数学者、物理博士や能楽師が持論を少し話しておわる。受講者の感想発表や自己紹介も参加費もない。不思議な会だと思う。
けれども、この会に通い講師が言いたいことの一部がわたしなりの理解になってきた。
NHKテレビ番組「イッピン」は日本各地で伝承されている文化、その裏付けになる精神を毎回クローズアップしている。美濃和紙・今治タオル・江戸切子・備長炭など。山口県下松の新幹線製造現場で曲面を仕上げる技もそうである。
大量生産してコストダウンをやり、質より値段に価値をおく現在の生産現場とは異なり、お客さまが「なるほど」と払った金額に納得がいく伝統、文化がまだある。
「なるほど」と安く買った商品にあきらめることもある。
国が発展し豊かになることは、技術力や精神力が裏打ちしなければならない。
例えはよくないかもわからないが、江戸から明治にかけて。さらに昭和に至るまで多くの国と肩をならべてこれたのは技術力と精神力だとわたしは思う。
数楽の会では、安かろ悪かろうに見切りをつけ、よい社会づくりを標榜する人が発信しているように思えてきた。

久しぶりに糸賀社長とお会いできた。最近の産経新聞論調について話題が深まった。

今朝、5時に外に出ようと戸を開けたら足元に長いヘビがいた。
何年も夜中のムカデ恐怖であみだした。わたしに都合の悪いことはある。という腹がまえで生活しているから「おっ!おったか」ぐらいの驚きようだった。棒きれで逃がして終わった。

母は薬をやめて完治

先日(16日)産経新聞に「櫻井よしこ氏講演要旨」が掲載された。先の朝日新聞が32年に渡り「吉田清治証言」を基に「強制連行と慰安婦と女子挺身隊の混同」で、日本と世界の世論を間違った方向に操作した責任をとれ。朝日新聞の訂正文は英文・ハングル・中国語・フランス語・スペイン語で世界に発信せよ。
そこが第一歩になる。朝日新聞は日本のメディアを代表すると自負してきたプライドと信頼にかけてやらなければならない。

この記事を数十枚コピーした。配達先で日本の戦争責任を、わたしと話題にしたお客さまに私見ははさまないで差し上げる。
けれども日本はあの戦争をまだ総括できてはいないと私は思っている。

美祢市のばあちゃんが「あんたが来るのを待っていた」と愛犬(中型・雑種)コロちゃんを連れてきた。後ろ足の地面にちかい場所が赤く腫れて毛も抜けている。お盆の14日に傷を見つけたが獣医は休みで放置してわたしを待ったらしい。
わたしの所見。触っても痛みを感じない。ふつうに歩く。毒虫(ムカデかハチ)ではないかと思う。食欲もあるから2〜3日様子を見てもおそくはない。
ばあちゃんは「そうします」と安堵された。
夕方から「数楽の会」山口県下関市ご出身。物理博士の江本伸吾先生が臨時講師。20代でなかなか美男子。
物理学をなぜ志したかと自身の話をされて面白かった。8時の農園に戻るまでタヌキ・キツネにウサギを見た。こんな田舎で物理学を生で拝聴できて幸せ。
母は完治と医師から宣言された。介護3だから自宅介護になる。けれども実態は「5」である。特別に申請手続きをして介護病棟をこれからめざす。
母のおかげで、あらゆる経験ができる。

母は愚痴や不足が出て元気

昨夜、9時までには寝ようと最後のグラスにした。ラジオをつけたら古市実寿さんと半藤一利さんの対談(テーマは戦後の日本)古市さんは学生時代からテレビ討論で知っており、最近は世界の戦跡を訪ねた出版本をされ読んだ。
半藤一利さんも論客で、映画でみるとその日、どれだけたくさんの人が責任をとり、多くの人が日本がなくならないよう行動したかを「日本のいちばん長い日」であらわされた。
聴き応えある内容で9時になった。番組録画予約をしていた「芙蓉の人」がはじまり、最後、竹内まりや(深秋)まで楽しんだ。
新田次郎の原作は、若いときから何度も読んでおり、テレビ放映は活字にはせまれない。けれども、わたしの読み方は「個人の力が国家を動かした」ところにあるので、そこを観たいと思っている。

朝4時、今朝は目覚ましで起こされた。
藤野先生お薦め番組。昨夜のEテレ「哲子の部屋」を昨夜録画したので再生。
はじめておめにかかる哲学者、國分功一郎(40歳) 先生が展開される哲学はわたしにも理解できるほど平易で、マンネリの日常生活ほど楽に生きていることはなく、そのときは思考がとまっている。
わたしなりに理解したのは、いつもの配達コースを変えたとき、逆に走ったとき見える風景は新鮮になる。日ごろは漫然と走り見えていない。鍵山先生の「視点をかえる」に通じるように思えた。
次回は、来週の土曜日深夜。

朝8時。母の朝食に行った。おしっこの管以外は全部とれ顔に生気がよみがえった。
さまざまな愚痴や不足を言葉にする。わたしが病室で泊まれば治ると言う。さびしい気持ちが、治らないのはわたしのせいにさせる。
ベッドを起こしテーブルを運んで来て朝食が始まった。自力でスプーンで食べることが原則。残しようが多ければ職員が食べさせる。梅干しのお粥がおいしいらしい。

山口市内の配達と散髪をすませて農園にもどり昼食。2本の缶ビールが猛烈に眠気を誘い、2時間ちかく床に転がっていた。運転疲れのリセットかもわからない。

西君に献花

昨夜は熟睡目的で太郎さんは外につないだ。蚊が心配で蚊取り線香を四隅に置いた。怪奇映画の結界の雰囲気のなかで太郎さんは寝た。作業場で寝かせたら、夜中に小便をさせないと間違いなく水溜まりができている。
寝る前に本を広げたが文字がみえにくい。新聞文字も同じ。眼も疲れている。
夜中の2時。健太が騒いで目が覚めた。豪雨と落雷で落ち着かないうちに鎖が柱に巻きついて身動きできないようになりSOS。
4時に起きて朝ごはんのしたくでメガネをかけたらよく見えない。理由はひとつレンズが落ちていた。昨夜文字が読めないのもメガネだった。老眼鏡は3つあるから大丈夫。
夜が明けて驚いた。川が増水して音をたてていた。携帯電話に宇部市防災から「大雨警報」が夜中に届いていた。
きのう日記でDVDを話題にしたら「見たい」とお客さまからメールが届いた。選択は任されているので2枚をお届けすることにして以下返信をした。

「陸軍軍医の戦場」
阿知須町長をされた三好正之先生が、地獄のニューギニアで軍医でありながら、やむなく傷病兵を楽にさせた(致死量のモルヒネ注射の回顧です。3年前、三好先生93歳の記録です。
中国戦線で軍医が足りず、手術や輸血の現場教育で生体(中国人)で切開など技術指導。当然中国人は死ぬ。

「認罪 中国撫順戦犯管理所の6年」
シベリアに抑留された約60万人のなかで、帰国すれば大学教授や政治家になれるエリート千人が選抜され、中国撫順戦犯管理所に移送されました。
出られませんが所内では自由があり、衣服、医療に食事は厚待遇でした。
ところが毎日やることがなくうんざりしたころに「読んでみろ」と日本語に訳された本がたくさん持ち込まれました。マルクスやレーニンです。活字に飢えた千人は何年も繰り返し読みました。
ついに、日本の中国に対する罪を積極的に認めることになり洗脳が完了しました。6年の月日がかかりました。
帰国後、彼らの多くはは大学教授や政治家になり、その影響(天皇の国、日本をかえる)は今日もあります。
両方、NHK番組の録画。
あらためて枚数を数えたら150枚以上あった。分類すると戦争記録・映画・歌・その他になる。

昼から草刈りをやり、シャワーでさっぱりして西君墓前に献花に行った。ワンカップの酒は墓の上からかけた。愛犬「はなちゃん」にも花を供えた。

お盆の配達おわり

3日まえ、母の点滴が終わった。
7月末にケア施設では世話ができない状況になり、近くの病院に移った。一番の問題は腎不全でおシッコがでないこと。医師はそれまでの薬(朝夕あわせて20錠)をやめ、排尿を促す点滴だけにした。部屋はナースステーションのまえ、ドアは解放されていた。
会話ができるうちに会っておきたいと、京都から長女も見舞いにかけつけた。わたしは散髪に行った。
すべての薬をやめて快方にむかい食欲が出た。おシッコも問題なく出る。それで点滴がはずされた。

今朝は2時すぎに目がさめた。終戦記念日のこの時期は戦争を外地や内地で体験した方の証言番組がたくさんある。毎年録画してDVDにおとしている。その枚数は50枚以上になる。

きのう朝「ペリリュー島」をみた。
この記録フィルムは、アメリカ軍が国内プロパガンダ用に、つまりアメリカ軍が勇ましく日本軍を掃討する映像を撮るため従軍カメラマンを多く上陸させた。日本兵に狙撃され倒れるアメリカ兵の映像。海に逃げる日本兵を撃ち殺す場面など、生の戦場が記録されていた。

ペリリュー島はフィリピンレイテ島の近くにあり、東洋一と言われる1000メートル滑走路があり、日本軍飛行機300機が駐屯していた。
アメリカ軍がフィリピンを奪還するには、この滑走路を利用し制空権をとりたい。アメリカ軍最強と言われた海兵隊が上陸した。日本軍は満州関東軍のなかでも歴戦の強者とうたわれる部隊15000人が守備に就いた「3日で陥落させる」と海兵隊指揮官は楽観的だった。それはサイパン島などで日本軍が行った「万歳突撃」を経験しており、海岸線でその突撃を待った。機銃掃射で突撃は簡単に壊滅できる。しかし日本軍は島に無数のトンネルを掘り持久戦に戦法をかえた。はじめて「持久戦」が行われ、以後硫黄島や沖縄でも徹底抗戦が戦術になった。
銃剣をつかう白兵戦になり、戦局を打開するためアメリカ軍は火炎放射機(100メートル先まで焼き尽くす)1000度の炎を出すナパーム弾がはじめて使用された。70日もの攻防の末に戦いは終わり、日本兵の生存者は30人。日米双方の放置された遺体は腐敗して地獄絵図の様相を呈した。
この記録フィルムがアメリカで発見された。
一方、マッカーサー率いるアメリカ軍はレイテ島に上陸し制圧した。
つまりペリリュー島は、ある時から飛行場の奪還は必要がなくなり、意味のない殺戮を続けたことになる。
要は、日本軍は降伏せずに徹底抗戦、持久戦に戦術をかえたため、以後の硫黄島や沖縄などはあらゆる火器や兵器を使い日本軍を徹底的に追いつめた。
日本を降伏させるには本土を含め、焦土にしないと降伏しないとアメリカ軍は判断したのではないかと思った。
アウシュビッツ収容所やカティンの森。
今朝は「トレブリンカ(ポーランド)」収容所で、約2ヶ月で90万人のユダヤ人が殺された検証が番組になった。
ナチスは大型ディーゼルエンジンを、ガス室に置きエンジンを始動する。排気ガスの一酸化炭素で10分で全員効率よく殺害した。

少しまえの時代、世界中が狂気になった。
世界中が戦いで争わない仕組みをつくらなければならないと感じた。
お盆の国道、周南を混雑のなか走りおえた。芋焼酎が胃袋に旨くしみる。

長い木曜日おわり

3時に起きて、昨夜録画予約したNHKスペシャル「狂気の戦場ペリリュー(忘れられた島の記録)」60分番組をみた。
4時すぎ、お月さまの明かりで草刈りができそうなので「6時に朝飯」と家内に頼んで、約2時間草刈りに汗を流した。
木曜日のスタートは6時半。お盆休みで国道はすいすい走れた。いつもより1時間早く「浪花」に着いた。
先日、藤野先生から「数学者の森田真生先生の本(みんなのミシマガジン森田真生号)」が出ます。書店販売はありません。必要なら申し込みください。サインをいただきます。
まだよくわからない世界のことではあるが、能楽師の安田先生が来られたとき、浪花の荒川さんが遠路聴講に吉部まで来られた理由のひとつに、お嬢さんの知恵さんが安田先生ファンで著書「あわいの力」を購入されており「安田先生のサインが欲しい」で本を持参された。
ならば、森田先生もご縁があろうと藤野先生に「荒川知恵」でサイン本をお願いした。それを今朝お渡しした。午後3時前、受けとった知恵さんから(お会いしたことはない)電話をいただいた。
一番読みたい本でした!森田先生の博多教室には通っています。書店販売がなく、サイン本をいただき感激しています!
これほど喜んでいただき驚いた。正直。
実は、私も吉野さんも脳ミソが痛いぐらいこの本はわからない。たぶん今村さんも同じと思う。吉野さんと「3回は読んでみよう」

下関のお客さまからパンと缶コーヒーをいただいた。わたしは食べないし飲まないのでそのまま走った。
菊川町の田舎でよく見かける白い野良犬が道路を歩いていた。パンを持っておりて呼んだだが来ない。がパンは気にしている。道路の縁石に包装をはずして置いて少し走って振り返ると食べていた。ハッピーも、たくさんの人から善意の食べ物をもらって子育てをした。
太郎さんの歯肉炎が化膿している。美祢市の獣医さんが診療所にいたので化膿どめ内服薬を10日ぶん買った。
下関に向かうラジオで沖縄戦当時6歳だった男性が当時を語られた。
28歳の母に連れられ、1歳の妹、3才の弟4人で鉄の暴風雨のなか、摩文仁まで逃げた。おおきなガマ(鍾乳洞)があり入ろうとすると「泣く子は入れない」と兵隊に断られた「この子は泣きませんから」と自分だけをガマに入れて母は子供ふたりを連れて防弾の雨のなかに消えた。
しばらくして母ひとりでゴウに戻った。しばらくして「かあちゃん!」と弟が泣いて母をさがしていた。母ふたたび外に出て弟を連れて行った。どう言い含めて弟をおいてきたかわからない。弟はもう来なかった。
長男は家を継ぐため、どの家でも大切にされた。母は長男だけは死なせないと決めたのだろう。あるとき「おまえの体を木に縛って海に流そうか」と言った。流れて鹿児島につかんだろうか。
その男性は、兄弟が亡くなっているかもわからない。どこかで生きているかもわからない。自分の名前も家族の顔もわからない。
家族をさがしている人のDNA鑑定ができる仕組みができないかと提案された。

配達と犬談義

明日(13日)は恒例関門海峡花火大会。海峡をはさみ下関と門司から2時間で13000発もの大輪花火がうち上がり百万人以上が海峡に集まる。
50キロ離れた農園まで音はとどいてくる。一度は大輪の尺玉を腹に響く距離で観たいけれど交通事情が悪く断念している。
水曜日を走り始めたら「きょうは1時までに来てください」と電話があった。配達コースをかえて午前にお届けした「2時に花火大会観光バスが出る」と言われた。5千円の参加費で花火大会隣接の場所が確保され、バス優先レーン走るから渋滞はないらしい。来年は必ず誘ってくださいとお願いした。
酒屋の井上さんと配達先での犬談義。お客さまの愛犬に咬まれた体験談にもりあがった。私も井上さんも咬まれた体験は少なくない。わたたしは、やっかいな犬(最近ようやく仲良くなったお寺の紀州犬)に毎回声をかけて距離を縮める。配達人ならではの出来事はある。
ハッピーと健太は、この時期周りを飛ぶアブを口で殺すわざを見せてくれる。さきほどもハッピーの周りを飛ぶアブをパクッとかみ殺して吐き出した。

今年は、山口県立美術館の「山下清展」と、九州国立劇場「台北故宮展」は行きたい。コンビニで前売り券を買う初体験からスタート。

6年禁煙

今朝、給油中にとなりで給油の男ふたり。会話が耳にとまった。
山口市内の焼肉店が、今月からすべてのテーブルが禁煙になったから他の店をさがそう。
禁煙と聞いて「あっ!」と思った。きのう11日で禁煙が6年続いている。よほど疲れた夜に「1本吸ったら気分がよかろう」と思う程度までになった。
喫煙している頃は毎月一万円を煙にしていたが、6年経って財布に70万円はない。けれども毎月一万円を浪費したとも思えない。この謎の方程式を藤野先生に聞いてみよう。

毎朝、納豆を食べはじめて10年ぐらいになる。添えられたタレは使わずネギとラー油で食べる。タレは朝食と弁当につくる卵焼きに使う。今朝も卵2個を茶碗に落とし、タレとネギに牛乳を入れて、それは上手にふっくら卵焼きができた。
禁煙も卵焼きも続いている。

小郡町長谷の住宅街に猿の群れが出ると聞いた。配達先の庭には家庭菜園が猿に食べられて全滅「もう野菜は作らない」と言われた。犬は鎖でつないで飼わなければならない。地域で何頭か人には安全な犬を放し飼いにすれば猿は逃げる。柴犬が数頭走りまわればよい。
連日、朝から暑く歩かなくなった。つらいことをやるのは嫌だから。今朝は涼しく約40分坂道を歩いた。気持ちがよかった。
FMラジオで昨日から戦前から戦後のラジオ・テレビ放送番組のテーマ曲を1時間紹介した。
きょうは、サンセット77・コンバット・ミステリーゾーンなど。日本版では、一丁目一番地・みっつの歌・鐘のなる丘・チロリン村など、全部歌える「7人の刑事」主題歌で記憶が鮮明によみがえった。当時テレビがないから母につれられて近所の親しい家に毎週見に行った。テレビのある家がうらやましいと思った。思いでの音楽は時間を飛び越える。

太郎さん口内炎悪化

数学の藤野先生が「社小屋」と称して、学びの場をつくられた。

便器を磨いて学ぶ。摩文仁の山野を歩き遺骨を収集するなかで平和を学ぶ。
わたしは、身体を動かして学ぶことはできても、座って学ぶことは苦手な性格だとわかっていた。

ところが能楽師の安田先生や数学者の森田先生が、敷居をわたしレベルにおとして?親しく「その道」を説いてくださり聴講するのが楽しくなった。
会のお世話をされる藤野先生が語る、いま日本に大切な課題は、産経新聞の論調ではない立場での愛国心を感じる。
数学者が唱えることにいちいち「そうだ」とうなずく。
数学は、たくさんの情報から自分の進む道を、方程式をつくるように決めていく力があるのではないかと漠然と思う。

藤野先生が気にとめている哲学者 国分功一郎さんの番組はEテレ16日と23日の夜中「哲子の部屋」らしい。

高齢犬の太郎さん。口内炎が再発して顔が腫れ出した。膿が出るまで放置して、それから抗生物質の薬をつける。
先日、農園内を走りまわった健太はダニがたくさんついて駆除がたいへん。
ハッピーは夏バテで食欲不振。

数楽の会

水曜日に配達する保育園が13日はお盆休み。
園に2頭(親子)の羊が飼われている。1頭が皮膚病。かゆくて顔や身体を木にこすりつけて出血もある。愛犬だった「はなちゃん」もかゆみに悩まされた。だから羊の悲鳴が聞こえるような気がしていた。数週間まえ獣医が診察に来て薬を処方したけれど効果はないように見えた。
岡本拓也さんから竹炭製造過程でとれる「竹酢」をいただいた。民間療法では竹酢は殺菌・殺虫に効くと言われている。
保育園に「獣医さんに竹酢を使うことの相談をされてはどうですか」と打診したら、すぐに電話をされたようで「使う価値はあるようです。薄める倍率も教えてもらいました。お盆休みの次の週にいただきたい」と連絡があった。
羊の身になり考えれば、竹酢が届くまでの期間が長すぎる。
明日、月曜日に治療できるよう今朝無人の園に届けておいた。遠くで羊がメーと鳴いた。
毎食後、10数個の薬をやめて利尿を促す点滴だけになった母は、日増しに元気を取り戻している。今朝も食べさせてもらって完食。
30分昼寝をして草刈りをした。わたしの草刈機は古いが馬力はある。鋼鉄チップ(刃)をつけて雑草から成長して出てくる雑木をエンジン全開で切り倒した。サウナぐらい汗をかいた。
シャワーでさっぱりして4時から「社小屋」あらため「数楽の会」に参加。会場は「吉部ふれあいセンター」藤野先生が講師で90分頭のトレーニングができた。
わたしが特に納得できた内容は「数字の質感」沖縄戦で軍民あわせて20万以上が2ヶ月で亡くなったとか、あの戦争で300万人以上の日本人が亡くなった。と言われても実感がわからない。その実感を導き出す方法を藤野節から学べた。学びは楽しいこと。
次回は、今月18日の夕方6時から吉部ふれあいセンター。講師は物理学者 江本伸悟
費用は無料。

美祢市の会話3題

きのう付け産経新聞。紙面を1面つかい「朝日新聞(慰安婦問題を考える)を検証する」と題して、朝日新聞が5日・6日に掲載した特集を不十分と論評した。
歴史をねじ曲げて日本や周辺国に誤った世論を導いた責任はあると私は思う。
コンビニで記事をコピーして9時、真剣に製麺に打ち込んでいる「よしの」に立ち寄った。腰かけて朝日新聞の記事について意見を交わしていたら、仕込みの手をとめた奥さまがカウンター越しに「楽しそうね!」と言われて、私は店を出た。店主は製麺場に戻った。
お盆休み前のプロパンガス店。目の前にタクシー営業所があり、プロパンガス充填業務は休むことができないので1人は出勤。若い社員さんは時間つぶしに分厚い文庫本を机に置いていた「永遠の0」だった。若い人がこの本を手にしてくれた理由を聞いた。戦争を知らないから話題の本を読もうと思ったらしい。お盆あけに読後感を聞いてみたい。
黄正吉さんのお宅。萩ミカンのジュースを奥さまが出してくださった。
わたしと母のことについて正吉さんが言われた。
60代や70代で亡くなると、してやれなかったことに悔いが残る。ご高齢のお母さんの世話ができることは双方しあわせ。
というような話し。

朝6時前から走り出して9時に美祢市。美祢市3ヶ所でよい会話ができた。

台風到来。正志が対策を終えてさきほど帰っていった。

タブレットはボケ防止

ガザ地区の戦闘や空爆で多くの市民が犠牲になる報道が目にとまる。とりわけ子供の犠牲には胸が痛くなる思いがする。
配達先のおばあさんに「ほんとうに」と同調の返事があると思いガザ地区を話題にした。
日本が空襲や原爆で焼かれたとき、外国人は日本国民のことをどう思ったのかね。
わたしは、徳山空襲のとき(おそらく中学年ぐらい)焼夷弾の雨のなかを、今の徳山駅ぐらいから動物園の近くまで炎のなかを友達と走った。
低空飛行で戦闘機がたくさん飛び、アメリカ人パイロットの顔が見えるほど近くを飛びながら機銃掃射をして友達が亡くなった。わたしは今でもアメリカを許すことはできない。
予想外の返事だった。
戦争を体験していない私は、すべて「戦争」のせいにしたところから「平和」を考えているけれど、その場でどん底の悲しみを味わった人のなかには許すことができない、憎しみのような感情があることを知った。
過去の日本に対して、あれは戦争でしかたがないとは思えず「憎い」と思っている人、その人の怨念を受け継いでいる人がいることを実感として理解できた会話になった。

タブレットは操作がわからないけれど、やりたいことが、目的がしぼれているので操作しているうちに到達できる。ボケ防止にはよいと思う。

薬を断ち母元気

照美さんが農園に泊まり家内と会話がはずんだと思う。わたしは遅くまで起きているのは無理。
朝は3時すぎに目が覚め、蚊から守るため作業場に寝かせている太郎さんが小便をする前に外でさせた。
6時半に「じゃあ」と照美さんにひと声かけて木曜日をスタートした。
午前中、家内と照美さんはおばあちゃんを見舞った。主治医がおられたので家内がようすを聞いた。
毎食後に10粒以上も服用していた薬を全部やめて、利尿の点滴だけにしたらすべての数値がよくなった(薬害とは言わない)食欲も回復しました。
約5年、病院やケア施設を、制度と家計の波に母は身を委ねた。
30時間ぐらい昏睡した医療機関で「睡眠導入剤の量が多かった」とそっけなく職員に言われ、ケアマネージャーに転院をお願いして別の医療機関にうつり、投薬がかわり母はまともな母に戻った。
この度も治療がかわり、薬を与えないことで母の数値が正常になった。
木曜日を走りおえて家内から母のことを聞いて安心ができた。

朝日新聞。慰安婦と挺身隊の訂正で、石破幹事長が、朝日新聞報道を国会で検証と唱えたら、報道の自由に抵触するという論調が出る。
嘘の報道に「自由」と言われたら、その嘘で世論を導いた責任は誰がとるのか。

照美さん里帰り

朝日新聞がやっと虚偽報道を認めた。
32年まえ、書名は「私の戦争体験」だったと記憶している。済州島で「人間狩りをやった(女性を強制連行)」と書いた。当時のわたしは宇部の長生炭鉱水没事故に関心があり、わたしなりに事故を調べており、関係者とも面談しており、その中には韓国人もおり、戦前から戦中にかけて朝鮮半島との関わりに関心があったから、吉田清二の回顧録本を読んだ。
強制連行の実態がはじめて当事者から克明に示されたから、センセーショナルな話題になり、マスコミは吉田清二の取材に力を入れた。結果、取材の過程でねつ造と本人が認めて幕引きになり吉田清二は行方不明となった。(なにが目的で嘘の出版をしたのか疑問は残る)幕を引かなかったのは朝日新聞。吉田清二の嘘の体験をもとにさんざん自虐的歴史観を展開した。
わたしが朝日新聞を読まないのは、吉田清二とあわせて「虚偽」と認めた「女子勤労挺身隊」と「慰安婦」を混同して報道していた。わたしの母は「挺身隊」で働いたことを語ったことがある。朝日新聞の虚偽報道を読んでいた私は「そんな話題をしなくても」と胸が痛かった。
山口県内公立図書館に吉田清二の本がある。すぐに棚から外さなければならない。

昨夜、真砂恵さんがおばあちゃんを見舞いに行ったが「あんた誰かね」と相手にされなかったらしい。
わたしも何度もそれはある「誰か!帰らんと警察を呼ぶぞ!」とまで叫ばれたこともある。
照美さん(長女)がおばあちゃんを見舞いに夕方訪れている。
今夜は農園に泊まり、明日の朝もう一度おばあちゃんを見舞って京都に戻る。

母も太郎さんも頑張る

1日200CCの尿が出なくて、末期の腎不全と判定され母は入院した。尿が出るための点滴を24時間はじめた。きのうは1日で1リットル尿が出たらしい。尿が出るから顔色もよくなり食欲も出た。
明日の夕方、京都の長女(照美さん)がお見舞いに来てくれる。予定は今月末だったが、おばあちゃんが元気で話ができるときに会っておきたいと、子供を主人に預けて来てくれる。

農園の高齢犬(20歳)ビーグルの太郎さん。母と同じで食事以外は熟睡している。健太とハッピーは作業場で夜を過ごす。蚊取り線香もあり快適。太郎さんは作業場に入れると小便、たまに大便まですることもあり外の小屋で寝る。小屋には電気蚊取りと蚊取り線香を毎晩つけるが蚊は来る。昨夜から太郎さんも作業場に入れて安眠させることにした。夜中の10時、わたしがトイレに起きたとき太郎さんもトイレに連れ出し、今朝は3時半にトイレをさせたから無事に朝をむかえた。快適に生活させてやりたい。
きょうは豪雨の配達になった。朝、長靴と雨具を着てスタートして、夕方まで雨具を脱ぐことはなかった。とても疲れて火曜日が終わった。ガッツのキャンプが気になる。

雨に苦労の月曜日

イスラム教は「ラマダン」の食事制限や酒が楽しめない戒律があり、わたしはイスラム教でなくてよかったと思い。チベット仏教の五体投地を見て私はできないと思った。
今朝の産経新聞。解剖学者・養老孟司先生の「さかさま人間学」のコラムで、宗教が一番「ゆるい」国と日本を語っておられた。神社の初詣からサンタクロースまでOKの国民性を言うておられると思う。
わたしは「ゆるい」ところは「水にながす」日本人独特の精神もあるように思った。
同じ産経新聞の紙面に拓殖大学の呉 善花先生が。
日韓関係がうまくいかないのは、文化・習慣・価値観などの違いが互いによく認識されていないことが出発点。
と持論を展開されていた。
わたしも、韓国や中国の文化・習慣・価値観を知らないから、わたしの基準で両国をみてしまう。

きょうは突然の強い雨に配達は苦労した。
岡本拓也さん、順子さんの体操クラブ「ガッツ!」はきょうから豊田町で70名以上の子供たちと野外活動。無事に終わられることを祈った。

心配はなんもない。

8時から朝食。それにあわせて病院に行った。5階の病棟はすべて高齢者。
きのうホールのテレビをばあちゃん二人とじいちゃん一人が見ていた。番組は海外の野球中継。画面は見ているが野球は見ていない。ばあちゃん一人は手拍子を打ち昔の歌を大声で歌いはじめた。
そんなお年寄りが、周防灘が見渡せるホールに集まり食事が始まる。
母のベッド脇にもプラスチック容器の朝食が運ばれた。ここは病院だから「パンが食べたい」は通らない。
母と同じように寝たきり患者もおられ、食べさせてくれる職員さんななかなか来られない。今朝だけわたしが食べさせることは、いろいろな意味でちゅうちょがあり、会話をしながら待った。
「なにか心配なことはあるかね」と問いかけたら「心配はなんもない。みんなによくしてもらい長生きできている」とつぶやいた。
山口市内の納品と10時に予約しているオイル交換が気になり40分に病室を離れた。ご飯も味噌汁もさめただろうが、この生活に慣れてもらうしかない。
腎臓機能が悪いので利尿剤が24時間点滴されている。

午後から雨が小降りになったので1時間草刈りで汗をかいた。

母は熟睡

約2年まえ、介護のランクを決める日、たまたま母の受け応えがよく「5(最高)」から「3」にランクが変わった。普通なら「快方にむかい、よかったね」になるが介護がこの数字で大きくかわる。
「3」は自宅介護が原則。自宅で看ると、それが長期になると困難が予測されるから再審査をお願いに行った。あの日は偶然意識がハッキリしましたが、あの日はたまたまですからと言っても取り合ってもらえなかった。
ケアハウスをさがしたが順番待ちで途方にくれたとき、月々の利用料金は少し高いかもわからないが、建築中のところがあり、そこに入所するまでの移行期間としてならば、自宅に戻らず入所できることになった。
母は新築のケアハウスに入ることができた。ディサービス(娯楽)もあり、毎朝化粧をして服を着て食堂に押し車をついて行き、母だけはパンを食べた。パーマをあてたいと言うから美容師さんに出張してもらったり。農園御膳を届けたら満面の笑みをこぼした。
先日、医師から末期の腎不全と宣告され、1年と半年暮らした部屋を出て病院に移った。
午後から家内とお世話になった部屋の後片付けに行った。
入るとき「やっと入ることができた」と運び入れた衣類などを、今度は、もう使わないから処分するために運び出した。活躍した杖や押し車も主を失った。家内は近々、精算に訪れるがわたしはもう来ることはない。お世話になりましたとお礼を申し上げた。

母を見舞った。ナースセンターの真向かい、ひとり部屋でドアは開けられている。
熟睡と昏睡のちがいはわからないが眠りは深い。体をゆすり目を覚まさせて少し会話ができた。明日の朝食時間には行って食べさせたい。
母の毎日を太秦教会に報告(お届け)している。安らかな今日がおくれることを神様にお願いしていただく。もちろん私も神様にお願いさせていただいている。

日焼けの垣内社長

金曜日の9時すぎ、地域情報紙「ほっぷ」の垣内社長にお届けする。
おそらく70歳ちかいと思うがお元気。今朝も1時間の掃除を終えて上半身裸で汗をふいておられた。顔も腕も真っ黒に日焼けされていたので「ゴルフ焼けですか」と声をかけた。
その日焼けは、地域情報のポスティングを、スタッフが足りない岩国で自らやっているからの日焼けと聞いた。これから岩国まで車で行き、住宅街のポスティングに出発されると話された。
山口県で初めて鍵山先生に心酔された垣内社長。以前、バケツとタワシを持って昼間の国道ガードレールを磨いておられたので、車をとめて話を聞きに走ったことがある。駐車場を掃いていたら道路の汚れとガードレールの汚れが目にとまり、止められなくなり「このありさまです」と、あの童顔で笑われた。
垣内社長に、わたしの元気のネジを巻いてもらった。

周南市を走り農園に戻った。家内は母の様子をうかがいに病院に行き、今夜は自宅で寝る。
いま家内から電話があり「きょうは800CCも小便が出た」と連絡があった。入院前は200CCも出なかった。会話は混乱しているがよく話すらしい。神様に御礼を申し上げた。