西君に献花

昨夜は熟睡目的で太郎さんは外につないだ。蚊が心配で蚊取り線香を四隅に置いた。怪奇映画の結界の雰囲気のなかで太郎さんは寝た。作業場で寝かせたら、夜中に小便をさせないと間違いなく水溜まりができている。
寝る前に本を広げたが文字がみえにくい。新聞文字も同じ。眼も疲れている。
夜中の2時。健太が騒いで目が覚めた。豪雨と落雷で落ち着かないうちに鎖が柱に巻きついて身動きできないようになりSOS。
4時に起きて朝ごはんのしたくでメガネをかけたらよく見えない。理由はひとつレンズが落ちていた。昨夜文字が読めないのもメガネだった。老眼鏡は3つあるから大丈夫。
夜が明けて驚いた。川が増水して音をたてていた。携帯電話に宇部市防災から「大雨警報」が夜中に届いていた。
きのう日記でDVDを話題にしたら「見たい」とお客さまからメールが届いた。選択は任されているので2枚をお届けすることにして以下返信をした。

「陸軍軍医の戦場」
阿知須町長をされた三好正之先生が、地獄のニューギニアで軍医でありながら、やむなく傷病兵を楽にさせた(致死量のモルヒネ注射の回顧です。3年前、三好先生93歳の記録です。
中国戦線で軍医が足りず、手術や輸血の現場教育で生体(中国人)で切開など技術指導。当然中国人は死ぬ。

「認罪 中国撫順戦犯管理所の6年」
シベリアに抑留された約60万人のなかで、帰国すれば大学教授や政治家になれるエリート千人が選抜され、中国撫順戦犯管理所に移送されました。
出られませんが所内では自由があり、衣服、医療に食事は厚待遇でした。
ところが毎日やることがなくうんざりしたころに「読んでみろ」と日本語に訳された本がたくさん持ち込まれました。マルクスやレーニンです。活字に飢えた千人は何年も繰り返し読みました。
ついに、日本の中国に対する罪を積極的に認めることになり洗脳が完了しました。6年の月日がかかりました。
帰国後、彼らの多くはは大学教授や政治家になり、その影響(天皇の国、日本をかえる)は今日もあります。
両方、NHK番組の録画。
あらためて枚数を数えたら150枚以上あった。分類すると戦争記録・映画・歌・その他になる。

昼から草刈りをやり、シャワーでさっぱりして西君墓前に献花に行った。ワンカップの酒は墓の上からかけた。愛犬「はなちゃん」にも花を供えた。