ひねる

「あいにくの雨」はない。
PHP巻末の連載で著名人が座右の銘などを紹介する「ことばにひびくことば」で出遭ったことばです。エッセイストの岸本葉子さんが俳句を愛好する仲間がよく口にする言葉を次のようにわかりやすく書かれています。

「あいにくの雨」と挨拶ではよく使いますが、俳句にはそれはない。桜を見に行く日が雨であっても、雨の桜を詠むだけのこと。目標を立てて努力することは大事ですが、努力ではいかんともしがたいことがあります。期待どおり計画どおりに行かなくても、現実をありのままに受け入れて、良いものや出来ることをその中に探す。俳句に教えられた心の持ちようを紹介されています。仕事柄か、それとも年齢を重ねたおかげなのか、深く共感します。

先日、祖母が亡くなって十年の節目の霊祭を仕えていただきました。農園に親戚一同が十年ぶりに集い、賑やかに祖母に思いを馳せ、妹家族や実家を離れた我が子と食事を囲む時間でリフレッシュができました。とりわけ、霊祭に際して、両親が生前の祖母の日記と俳句をまとめた偲び草が良い思い出となりました。

抜粋された日記のなかには、私たち夫婦が長男を連れて同居をはじめた日の記載もありました。あらためて祖母の心境にふれて当時のことを思い出します。 あたらしい家業を手伝い、あらたに二人の子供も授かりました。あわただしく仕事を終えて、子供たちを保育園に迎えにいったのちに夕食を囲むのが日課でした。

夕食ができる頃合いをみて、祖母の焼酎のお湯割りを私がつくり、祖母の部屋へ夕食の声掛けをします。だいだいジッと目をつむり、時折、指をおりながら「五七五」を数えている面影が記憶にあります。おそらく、さまざまな事に思いを巡らせながら俳句をひねっていたことでしょう。

俳句の善し悪しはよくわかりませんが、五七五に季語を添え、推敲を重ねた句には、ありのままを受け入れた祖母の想いがつまっているようです。このたび、小冊子で遺された日記や俳句にふれ、なつかしさより、若干さみしさの方が上回っている自分の気持ちに気づかされました。

2025.3.27 あだちまさし