名伯楽

島原の職場で、島原商業サッカー部出身で国体、インターハイに出場した経験がある底抜けに明るい先輩がいた。当時はスパルタで有名だった監督を、部員たちは隠語で「ダンプ」と呼んだそうである。先輩と飲みに行ったスナックで偶然に監督とお会いした際、隠語そのもの体格と、テレビでは感じることが出来ない風格と愛嬌を目の当たりにした。

その「ダンプ」こと、高校サッカー界の名将、小嶺先生が他界された。選手権の開催中、奇しくも次男が所属する高校が強豪「青森山田」と対戦する準決勝の直前のことだった。試合では、両チームが先生を追悼する喪章を巻いてプレーをし、相手チームのエースが鮮やかなゴールを決めた後、喪章を空に捧げるシーンには、私にとっても複雑な思いが交差する妙な感慨があった。

高校生活最後の大会で快進撃を続けるチームに、サポートメンバーで帯同した次男は、惜しくも選手として出場することは叶わなかったが、彼なりにチームを支えながら、これからの糧になるようなものを掴んだ大会ではなかっただろうか。

長男が小学校でサッカーをはじめてから十五年くらいになる。追っかけの真似ごとを続けてきた私たちにとっても一つの区切りである。他の保護者の方々のように十分な事はできなかったが、その時々の指導者の「熱」に触れることで貴重な経験をさせて頂いた。

一番長い期間、関わりを持った地元「西岐波サッカークラブ」には親子共々お育て頂いき、五年前に他界された古谷国光さんには大変お世話になった。五十年間、地域で少年サッカーの指導を通じて、子どもたちの心を育てることに尽力され、時代にあわせて少しずつアップデートされてきた経験を感じることができたのは幸運だったように思う。

古谷さんが、しばしば口にした「ハート」と「ファミリー」。「ハート」とは、人を育てる情熱であり、「ファミリー」とは、心を通い合わせた部員の育てられたという自覚から生まれる、育てようという働きの絆。地域や実績は違うものの、小嶺先生と同じ「人を育てる」という信念が根底で通じ合うところがあった。

島原半島の名伯楽のご冥福と、我が家の子どもたちにも「育てよう」という心が生まれることを静かに祈りたい。

2022.01.27 あだちまさし