てまがえ

古い写真を見せてもらった。
農園周辺での田植え作業風景が収められている半世紀くらい前の写真だ。

晴天の水田に五、六人が横一列に並び腰を折って作業をされている。一目みて田植えと分かるが、よく考えてみると私自身はリアルタイムで触れたことがない風景である。圃場整備が進み、作業が機械によって効率化される時代の転換点にシャッターを押されたと聞いた。

集落の人たちが、お互いに労働力を交換しながら作業を進めることを「てまがえ」というそうだ。隣近所の良好で、にぎやかな人間関係があったのだろう。田植え作業のおわりには、集落の集会場の草刈りや井戸掃除も協力して済ませ、今も続いている「どろおとし」という直会が催される。

作業を共有し、共感し合える人たちで労苦を労い、秋の実りを願いながらの宴である。大きな自然のはたらきの中で毎年すすめられてきた営みのなかには、お互いさまの助け合いの精神が根付いている。多少の近所同士の摩擦はあっただろうが、よそを妬んだり、卑屈になったりはしなかったと想像できる。写真を見ながら、おおらかな農村風景にしみじみ浸る。

今年も農園ご近所では、農繁期を迎え農家さんが活気づいている。
春先から、鶏ふん堆肥を搬出して下さる方が何人か来園され、概ね要望どおりの数量を出荷できた。天候や作付けの状況を尋ねながら、私たちが袋詰めをし、農家さんにトラックで搬出してもらう。同じ重労働を共有して下さるのが心底ありがたい。

物価が高騰しているが、供給過剰の鶏ふんの店頭価格は安価である。同じ成分を補充するには、使い勝手の良い化成肥料もあるなか、無償というだけは農園には足を運んで下さらない。近隣で昔から続いてきた「てまがえ」のような気質に助けられて、私たちの営みも成り立っているように感じている。

本音で語り合える良い人間関係がひろがっていけばと願い、微力ではあるが秋の実りを祈りたいと思う。

2022.05.26 あだちまさし