肥後の女傑と電話

昨夜から選挙番組を見た。当落はもちろん気になるが、それより戦後最低といわれる投票率。この低さは政治に期待をしていない無関心。大相撲でも観戦したいというファンが足を運び「満員御礼」となる。
15年まえに、山口県にスペシャルオリンピックス(知的にハンディ)の子供たちのスポーツを立ち上げるとき、わたしは人生最大のアクセルを踏んだと思っている。
熊本でダウン症の「ともちゃん」と体操をはじめた肥後の女傑、中村勝子さん。世界大会で銀メダルを獲り、熊本からスペシャルがはじまった。
中村勝子さんが全国行脚の講演でスペシャルの価値を理解してもらう活動をしておられ、わたしは熊本と横浜で同じ講演を聴いた。これは冊子にして内容を広めたほうが効率がよいと思い、熊本市に勝子さんを訪ねた。冊子を作ります。1冊200円で販売して、そのうち100円は制作費(赤字)100円はスペシャルに寄付。
その申し出に勝子さんは驚かれた。本は「ともちゃんの銀メダル」と命名した。100数十万円寄付が叶ったように記憶がある。その本づくりで熊本を往復するなかで、山口県にもスペシャルの旗をあげようと決めた。全国15番目の旗揚げもできた。
さきほど中村勝子さんに、ほんとうに久しぶりのお電話をした。
70歳になりました!いつもの元気な声だった。あの「ともちゃん」ご両親が亡くなられ施設にいると聞いてさがしました。見つかりましたが、わたしを忘れていました。とても悲しい気持ちになりましたが、あの頃ともちゃんに教えたダンスを踊って見せたら、ともちゃんが笑顔になりました。
勝子節は延々と続いた。初期の仲間との決別など意外な話題。
そして最後は、私たちは、きれいに忘れてもらえたほうがよいのよ。
また熊本にいらっしゃい。