10時間で完歩

寝るだけだから安い宿を東萩駅近くで探した。税込み4700円が最低料金。あえて名前を載せる「トラベルイン・萩」
毎週、この古いホテル前を通過している「安かろ悪かろ」の予感。ところが部屋は清潔。風呂・トイレに洗面所は磨かれていた。部屋に古さを感じるものはなかった。朝5時半、部屋を出るときお礼の気持ちで浴槽をきれいにした。フロントではネクタイのご老人が「お気をつけて」と見送ってくださった。

農園には3時半に戻ったから10時間徒歩の旅になった。
歩き終えた感想は「たまには歩くと世界がひろがる」
海抜0メートルの萩を出て中国山地をアップダウンの繰り返しで上る。冬場は県内でも凍結の難所で悪名高い「雲雀(ひばり)峠」わたしは毎週土曜日の早朝、この峠を下り萩に納品がある。今シーズンも命がけの下りがあった。
峠を上り始めた左の山手に、川石を積み上げた見事な棚田があった。棚田100選など関係なく、機械もない時代に、川から石を運びあげた先人の汗と力の跡を見上げて胸が熱くなった。
車で通過してわからないものは「音」山あいに道路があるから、両側の山から水が集まりゴウゴウと轟く。雲雀峠の頂点は9時。標高は246メートル。
もうひとつの「音」は野鳥の声。春だから特ににぎやか。さまざまな鳥が命を輝かせている。
著名な観光地もよいが、身近な場所に思わず足がとまるほどの絶景はたくさんあることがわかった。
いくつかの峠を越えて「大田・絵堂戦役」の地に11時間半。幕府が長州を攻めた四境戦争の激戦地。高杉晋作の奇兵隊が山県狂介「後の山県有朋」の指揮下に入り幕府軍を撃退した。その奇兵隊本陣となった金麗社に参拝。山県有朋が断髪して勝利を祈願した云われがあった。
10時間、元気に歩けた。15年あまり1日も病気で休んだことはない元気なわたしを育て上げてくれた母に感謝。
きのう山陰本線から眺めた日本海。きょうの徒歩の旅。人生の思い出のひとつになる。