日別アーカイブ: 2015年4月27日

農園美術館

農園2階がわたしの住みか。東西南北、何枚か二重ガラスのサッシが入っている。
この季節は、どの窓ガラスからも新緑が眩しく目にはいる。特にケヤキとギンナンの新緑は勢いがある。窓ガラスで切り取られた新緑は、どれもが絵画のように見える。そう思うと農園は美術館で生活するような贅沢。
この度、数年ぶりに松月院ご住職とお会いしてふたつのことを強く感じた。
わたしの小学生時代、通学で松月院の門前を歩いた。寺に一番近い家は桶屋のMさん。曲面にまげた木を青竹で縛り「たらい」や「風呂桶」などをつくり、その手際のよさを立ち止まって見た日はたくさんあった。
闘犬(土佐犬)がおり、散歩は太い綱をMさんは腰にまいていた姿。お寺の裏山にはシイの木があり秋はそれをポケットがふくらむほどとり、夜に母が炒ってくれておやつになった。
その思い出を話したらご住職が、わたしの記憶の背景を話され、不思議なことに、わたしは小学生にタイムスリップしたような錯覚になった。
前にお会いしたときのご住職は、わたしが思う明治以降の歴史観と違いがあり距離を感じたが、今回は距離は感じなかった。それを「ご住職はかわられた」と思った。けれど、よく考えてみると変化があったのは、当時に比べて、わたしが読む新聞が変わり、読む本が変わった。
自分の変化を他人の変化と決めつける「くせ」を認識できた。