生かされた命

母が朝食を全部食べてから会話を始めた。きょうは千家さんの結婚式だが、千家さんを知っているか。と尋ねてみたら「そりゃ大社の千家かね」と即座に答えたのには驚いた。出雲で生まれ、出雲で育ったから、このへんの記憶はすばらしい。
配達を済ませて散髪に行った。最近いつも言われる白髪を染めないかをまた言われた「白髪ぼかし」もあるらしい。鏡にうつる白髪頭をみながら「ぼかし」をやってみようかと一瞬思ったが「また今度」と返事をした。
農園にもどり缶を2本のみながら「会津白虎隊の残映」がタイトルの番組をみた。
舞台は、あす(月曜日)の配達先、美祢市小杉の高見のばあちゃん宅。
会津白虎隊士(15〜16歳)は鶴ヶ城をのぞむ飯盛山で自決した。なかで一人生存した少年がいた。飯沼貞吉である。他の隊士は切腹したが貞定吉は喉を突いた。瀕死の少年を介抱したのは、小杉村の殿様楢崎頼三。少年をひそかに小杉まで連れて帰り、庄屋の高見(ばあちゃんの家)に預けた。
何年か経ったとき、高見の家に村人が集まった席で貞吉に「貞吉。生きちょってえかったの」と言われたとき、貞吉は隊士と死にきれなかった恥を、そして宿敵の長州に助けられた恥を「よかったの」で感じて表に飛び出し死のうとした。
それを制した高見の人が「おまえは生き残ったのではない。生かされたのだぞ」と諭した。以後、貞吉は勉学に励んだ。
その貞吉の末裔、飯沼一元さん(71歳)は、東北で被災して学費に困窮している若者を奨学金で(返済なし)支えるNPO法人「海の会」を主宰されている。
録画をしたので、会津とご縁が深い松原酒店に持参しよう。