日別アーカイブ: 2018年4月19日

根気よく

新緑が美しく農園を彩る季節になった。小さな緑の点だった葉が少しずつ広がってきて緑の天井が出来上がる。

毎日の作業場で私の立ち位置から見えるのはウメ、カキ、サクラ、クリ、カエデ、ケヤキ、イチョウ、そしてホオ。

それぞれの木が次第に緑で覆われるようになり、木陰が出来始めるころにホオの高木に大きく美しい白い花が「パカッ」と開く。

朴の花が言葉に出来ないくらいの良い香りを放ちながら、新緑の風景が完成し、これを合図に雑草の生育も盛んになる。

そして「草刈り」が作業に加わる。

仕事の合間をみつけ草刈り機を担ぎ、園内を西へ東へと汗をかきながら草を刈っていき、刈り終わって振り向くと、また草が伸びるという時期が秋口まで続く。

農園での作業はシンプルな単純作業が多い。自分自身の能力を客観的に評価するのは難しいが、5年、10年と共に働く従業員が身につけてきた能力は少しずつ増えた。

それは歯を食いしばり根性と瞬発力で身に着けた能力ではなく、同じ作業の繰り返しの中、コツコツと根気よく続けることで身につけた熟練の能力だと思う。

こう書くと全てが完璧に出来ているようだが、私も含め、まだまだ行き届いてないところはたくさんある。

根気よく身につけた熟練した能力は決して折れることはないと信じて、まだまだ磨きをかけていきたい。

あだちまさし。

心暖まる筍のお裾分け

筍が有名な吉部。今年は豊作という話をよく耳にする。農園近くの筍加工場も今が最盛期。

普段は出入りのない加工場だが、この時期になると季節労働される方の車がたくさん並び、

工場の外に設置してある大きなダストボックスには次から次にベルトコンベアで運ばれる筍の皮がドッサリ山積みになる。

以前は小分けした真空パックで販売されていたが安価な中国産に押され、現在は一斗缶での業務用出荷が主になっているようだ。

昭和40年代の前半に筍加工場ができた当時は子どもが小遣い稼ぎに筍掘りをしたり、筍を収穫するため竹を植林する家もあったと教えてもらう。

こんな吉部の昔話をして下さるのはパートのF井さん。生まれも育ちも吉部で60年以上地域の移り変わりを肌で感じてこられた。

このF井さんが毎年「筍」のお裾分けを下さる。手間のかかる下茹でを済ませた状態で頂くので、すぐに「旬」を味わうことができる。

ご自宅の裏に竹林があるので自分で収穫されたものかと思いきや、お裾分け下さる筍は徳島県産である。

娘さんのご主人が徳島県出身。毎年、ご両親が掘りたての筍を吉部のF井さんへ宅配して下さる。ちょっと不思議な話。

両家顔合わせの会食で筍の話題になり、「私どもの口に入る前にイノシシが食べてしまいます」とF井さんが嘆いたところ、

イノシシ被害をひどく同情された主人のご両親が筍が一番美味しい時期に届けて下さるようになったそうだ。

今の時期、吉部で筍は珍しくないのだが、F井さんは徳島からの心遣いが嬉しく、荷物が届くと早速手間がかかる下茹でまで済ませて、ご近所に配られる。

毎年、こんな心温まる「筍」のお裾分けを頂き「旬」に触れる。

我が家でも、昨日はイイダコと一緒に炊いてもらい、今夜は筍ごはん。家族全員、笑顔でいただきました。

あだちまさし