ラジオで涙

金曜日のラジオビタミン(NHK)10時から1時間は「児玉清の読み出したらとまらない」だった。明日ご葬儀で児玉さんを偲んで番組があった。山口市から防府市の途中には鯖山トンネルがあり、ラジオ電波が途切れるから手前で停めて最後まで聴いた。
江戸時代を生きてきたぐらい江戸通の作家、山本一力さんが最後にあの素敵な声で児玉さんを評した「どう生きたかではなく、どう生きようとしたか…」
わたしは、可能性がたくさんの子供たちを見ると、白髪頭になり夢はあったが果たせそうもないので、若さがうらやましく、もう一度人生歩めたら…などと現状なかばあきらめていた。一力さんの「どう生きようとしたか」の言葉は、結果はどうであれ夢に向かえというわたしへの語りだった。児玉清さんが作家と作品を軽妙な語りで紹介してくださる金曜日が楽しみだった。何度も涙をふきながら聴いた。
母に午後あいに行った。先日、切除した目じりの皮膚がん跡を、手術した病院に検査に行った。いつもは悪口ばかりの家内を「お母さんに世話になりました」と素直だった。家内は着替えさせて車で往復し散髪にもつれて行った。
来週は京都の長女家族が、高速道路千円を利用して来る。それがいまは楽しみ「天ぷらとちょこっと酒がほしい」洗濯物を預かり握手でわかれた。