母「死にたい」


夜明けまえ、草刈機に細い木なら切れるチップの刃をつけた。日ごろの草刈りで刈り残している、手ごわい成長した草や木を90分かけて倒した。シャツは水洗いして干し、シャワーでさっぱりして母に会いに行った。
部屋に居なかったが、押し車もなかったのでトイレだろうと待った。トイレから戻り「死にたい」と嗚咽。理由は押し車のなかにあった。大小の便をしくじることが多くなり、紙オムツをしているらしい。紙オムツを何枚かビニールに入れて押し車のなかに入れていた。汚れたオムツをトイレで長い時間かけて交換しても、すぐに汚してしまうから「死にたい」そのビニール袋に手をかけたら「いらんことせんでええ!」と羞恥心が言わせる。
冷やして持参した抹茶プリンを食べているすきにオムツはいただいた。
まだまだプライドたかい大正8年(1919年)うまれ。
午後からも草刈り。沖縄にむかう台風15号の被害が少ないことを念じながら。