吉田清治だった


10代のころから、わたしの生き方に影響を与えてくれた人がいた。中学の担任だった。先生の家には哲学書と共産党の赤旗があった。とくに思想的な話題はなかったが折々に、今で思えばあの戦争についてわたしに自虐的な歴史を語られた。その影響もあったのか、宇部市長生炭鉱で昭和17年2月3日に海底炭鉱水没事故があり、日本人・中国人に朝鮮人あわせて184名が殉職された。その日のことを、いまから20年まえ、郷土の歴史と思って数年かけて調べた。海底から生還した当日15歳。募集で稼ぎにきた秋順徳さんと筑豊の宮田町で対面したり、電気職人で漏水がはじまった海底の採炭場に電話をつけに行った原田さんたちに当時のこと。当日のことを聞いた。
世間では、強制連行された朝鮮人だったと言われていたが、秋さんは募集で来ており、炭鉱住宅には戦前から家族で来ている人が多かった。西岐波小学校で調べたら、秋さんの証言が裏付けられる。
そのころ「わたしが人間狩り(強制連行)をした」という、たしか北海道の山田清治という人物が「わたしの戦争体験」という本を出した。この本により強制連行が「あった」とされたが、マスコミ取材のなかでつくり話しを告白した。筑豊に林えいだいという写真家がおり強制連行を唱えていたが、いまその影はない。
歴史は語る立場で異なる。慰安婦問題も精査しなくてはならない。
昨夜は録画している「アウトレイジ」をついついおもしろくて最後まで観て、焼酎飲み過ぎ、暴力団の激しいシーンに眠れなく、きょうはえらかった。