あとからわかる物語

汗を拭きながら、水を飲みながら、早朝から月曜日の仕事をおえた。
先日、読み終えた本のタイトルに目がとまり読みはじめた。映画も何度かみると、最初は気がつかなかったシーンに新鮮な感動をすることがある。この小冊子もそうだった。
中越地震のとき村上えり子さんが「長府の尼さんが日清カップラーメンをなんとか、かんとか」と騒がしかった。小月のカップラーメン工場からたくさんの支援があったお世話人が尼さんだった。
平成19年発行の小冊子に、この尼さんが登場していた。映画で高倉健が主演した2・26事件。反乱軍としての最後は銃殺刑。その中に長府出身の青年将校、田中勝(中尉)があった。そのお母さんが長府才川「称名庵」田中円信尼。処刑された我が子を弔うために尼僧となられた。カップラーメンで奔走されたときの年齢はゆうに百歳をこえておられた。えりちゃんと尼僧のストーリーはわからない。
けれども、被災地に食べ物を届けたいと、えりちゃん運転の車で日清製粉工場にかけあいに行った日本を愛する高齢の尼僧がおられたことが今ごろわかり感動した。
あとからわかる物語は胸にしみる。母との思い出もそうである。