朝まで生テレビ

昨夜は農園も熱帯夜。何度も暑苦しく目がさめた。深夜にシャツを一度着替えた。眠ることはあきらめて「朝まで生テレビ」を3時から終了までみた。多彩な論客がさきの戦争から尖閣諸島に竹島まで持論を唱えおもしろかった。なかでも「そうなのか」と府に落ちたことは極東軍事裁判(東京裁判)。わたしは、あれは戦勝国が敗戦国を裁判の名のもとで一方的に裁いた正式な裁判ではないと思っていた。しかし、天皇をいかに守るかという連合国側の悩みもあり(天皇に罪を求めたら日本国は統治困難)A級戦犯に戦争責任を委ねた。戦犯にさせられた人、自分が裁かれることで陛下に責任が及ばないことに納得され潔く罪と認めた。この戦争責任を処理した裁判を経たうえでサンフランシスコ講和条約が締結され、日本国の独立が果たされた。東京裁判があってこその日本がある。国際的ルールとはこのような手続きがある。
ずいぶん以前、BS歴史館(テレビ)「それは戦艦ミズーリから始まった」という番組があった。
日本人は8月15日を終戦記念日としているが、世界中の終戦認識は9月2日。15日は陛下の玉音放送はあった。しかし戦艦ミズーリ号甲板において外務大臣 重光葵が降伏文書に署名と押印した9月2日こそが終戦記念日となる。としたならば、日本との不可侵条約を一方的に破棄して満州に侵攻し8月15日以降も日本軍を攻め続けたソ連を、わたしは悪党よばわりしていたが、ソ連にはソ連としての理屈はある。つまり、終戦記念日という日本の歴史観は国際的に通用しない。尖閣諸島や竹島の領有権も日清・日露戦争当時の双方の国の領土についての歴史観がわからないわたしが軽々しく感情的に判断するべきではなかろうと思った。
お昼のニュースで「命にかかわるような暑さ」と報道された。不思議なことは、あれだけ節電を訴えていた報道が、原発再稼働しなくても「冷房を適切に使用してください」と呼びかける。節電とか原発の必要性など凡人には理解できない。