間渡瀬?かも

山口市内のバス停「あいわたせ」がきょうわかった!

山大正門を背にして湯田に向かうとき椹野川(ふしのがわ)手前のバス停が「あいわたせ」この意味が知りたくなり、山口市内のタマゴのお客さまに「ご存知ですか」と尋ね続けていた。
JR山口線「湯田駅(あいわたせ近く)」付近のおばあさんが「知ちょる」と笑った。
萩から嫁に来た昭和29年。義父が「今は橋があるが、平川(山大側)と、大歳(湯田側)の間、椹野川には渡し舟があった。小さい瀬を舟で往来した」と昔の話をされた。その渡し場が「あいわたせ」と「ばあちゃん、漢字ではどう書くかね」とさらに尋ねた「わからん」
山口市内を走りながら漢字を推理した。岸と岸の「間」。渡し場の「渡」に、川の瀬「瀬」わたしの推理は「間渡瀬」になった。

梅雨時期にはムカデが、それも特大級が毎年部屋に出てきて大騒動して殺す。
一昨年、洗面所の水滴を拭くタオルの下にうごめいたムカデをタオルの上から触った感触は忘れることができない。あれ以来、ムカデはいる。と常に想定して生活している。
つまり苦手なモノは部屋にはいない。この想定で生活をしたいが、雑木に囲まれた生活ではその想定は無理「いない」と決めても現実にムカデがいたら驚く「いる」と想定していると、夜中に発見しても「おったか」ぐらいになる。
数ヶ月前、道路工事で片側一車線。信号が往来を管理していた。わたし前方の信号が青になり走り出した。
このとき「青だから対向車は車はずはない」とは思わず、とぼけた人が来るかもしれないと想定していた。見通しがないカーブで軽トラが正面に現れた。しかし、それは想定内だったからギリギリ交わした。
自分に都合の悪いことを想定したくはないが、それもあるのが現実。