水にながすテーブル

「朝まで生テレビ」をみた。
慰安婦問題について、日韓の論客が主張を戦わせた。しかし、わたしひは不毛な議論のように聞こえた。
戦後、とくに日本と韓国・中国は当時としては意を尽くして戦後保障協議をおこない、そのときは折り合い、つまり決着した。
けれども年月が経ち、決着をこと細かく、詳細に検証した側が、納得できない。それが論点になっている。

母親の妹は出雲市で生活をされていた。もう亡くなられたご主人は大和紡績工場の守衛をされていた。
50年以上もまえ、その社宅に母と一泊させてもらった。わたしと同級生の男の子がいた。
朝、ご飯が終わるとおじさんが、わたしと息子を呼び「一畑パークで遊んでおいで」と財布からお小遣いを二人にくれた。出雲市駅から一畑電鉄で一畑パークに行き1日を過ごした。その1日が楽しかったかどうか記憶はない。
夕方戻ったわたしに、おじさんが「すっちゃん(愛称)どうだったか」と感想を尋ねた「つまらんかった」と答えた場面は覚えている。おじさんの「そうか」と落胆の顔も。
おじさん横浜でご逝去の知らせで(すべて終えて)従兄弟に電話をした「覚えているかね、一畑薬師に行った昔を」彼は覚えていた「つまらんかった」と言った言葉は、今でもボクの「心のトゲ」いつも痛みを感じる。と告白した「進ちゃん、オヤジはわかっていると思うよ」と水にながしてくれた。

日韓や日中の戦後処理は当事者不在で、このままでは永遠に論争は終わらない。
経済や災害などで力を合わせていくべき隣国と「水にながす」そして環境や経済など発展的な「朝まで生テレビ」ができないものか。