器が幸せを決める

昨日の訂正

買い続けて約3万円。獲得賞金2900円なり。

下関市は坂道が多い。その坂道住宅街のほぼ頂上のお宅は老夫婦。自家用車は数年前に廃車された。
買い物と医者通院が老夫婦にはおおきな問題になっていた。そのおばあさんが足を骨折。原因は地域で開催の健康推進の体操教室。買い物と通院はタクシー。家事と風呂も困難になった「お大事に」としかわたしの言葉はない。
美祢「よしの」に2時半に着いた。最後のお客が食べ終わり閉店「2時間休んで夕方の営業はされませんか」と尋ねた。ふた月それをしたことがあった。5時から7時まで営業した。確かに売り上げは上がったが、8時過ぎに自宅にもどり、疲れきっての夕食をするとき、何のために働くのかを問われた。もちろん生活の糧は稼がなくてはならないが、同じぐらい生活の満足も考えなくてならない。それで3時閉店に決めた。
美祢から農園に戻りながら「生活の満足」を考えた。
金光教の教師。玉井光男師は「筒」をいつも問われた。筒いっぱいに生きておるか。というような筒。器とも受け取れる。
わたしの「筒」「器」に収まるほどの幸せは手に入る。それ以上欲しければ「筒」「器」を大きくしなければならない。そんなことを考える「よしの」の会話だった。