豚骨ラーメン

昨夜、なかなか寝つけなかったのは暑さと母の心配。
医師が母の血液数値から容態を説明しても、会話もでき、食べさせれば時間をかけて食べるから医師の言葉を受け入れたくない気持ちがはたらく。
はなちゃん(愛犬)のとき、血液の数値から医師は「最後は苦しみます。安楽死はされませんか」と2度も私に促したが、その言葉を受け入れることはしなかった。結果、最後は医師の予想どうり苦しんだ。
尿が出ないことが一番母の問題らしい。末期の腎不全。96歳の長寿と、みなさんから支えていただいたことにわし夫婦もなにも不足はない。もの言わぬ母も不足は思っていないと思う。
一粒万倍。母のひと粒がたくさん開花した。安らかに、痛みのないようそのときを迎えてほしい。
わたしが母にできることは神様にこれまで生かされてきた母の人生の御礼。楽に終らせていただくお願い。この御礼とお願いしかないことがわかったから朝まで少しは眠れた。
水曜日は八幡宮の朝参り。先週から1週間いただいた母の命の御礼を申し上げた。西君には「ぼつぼつロトくじを当ててもええから」とおさい銭で金運を祈願。
長女の照美さんがご用をいただく金光教太秦教会に電話をした。
金光教では、氏子の願いを神様に取次をする教師がいる。
ざっくり言えばこの「取次」がわたしの信心の壁になっている。やれ腹が痛いとか足が痛いとかを教会で神様に取次をいただき治れば「おかげをいただきました」ぐらいの信仰話が多い。運動会が晴れたら「おかげ」運動会が雨ならば、頭痛が治らなければ「おかげ」ではないのか。
地震も津波も天地の営みのなかのことであり、そのなかで神様はわたしたちに「苦楽をともに歩もうぞ」と寄り添ってくださると思う。
つまり、わたしは母が楽に終らせていただく願いを、わたしも願うから「取次」をいただき神様にお願いをさせていただく。その結果がどうであれ受け入れていく腹がまえができたから「取次」の電話をした。照美さんが出て「先生はご本部参拝されています」と返事をしたので、明日電話しますと終えた。
母が逝く時期をむかえて、わたしがあらためて神様に祈るときになった。
今朝は寝不足で弁当はやめた。けれども朝食はしっかりいただいた。
昼食はJR小野田港駅そばのラーメン「一久」豚骨ラーメン・ご飯と餃子の定食730円。カウンター10席ぐらい、みなさん定食。パーキングは6台だからタンクローリーもわたしも路上の違法駐車。パトカーも無視して通過した。
豚骨ラーメンのあとは木陰に停めて昼寝を1時間。しっかり熟睡。