犬飼町の思い出

月曜日の岡本拓也さん。長年おつきあいされている薬剤師のOさんが泊まられていた。
ご出身地が大分県犬飼町と聞いて、わたしも30年以上まえ犬飼町にも常宿があった。川沿いの旅館名は忘れたが、1階は銭湯で川を眺めながらお湯を楽しんだ思い出を話したら「わたしの家の三軒隣です!」と満面の笑み。大分県の方言談義も楽しく懐かしかった。
美祢から厚狭に向かうときから豪雨になった。タブレットで雨雲を確認してピンポイントお天気予報をみたらお昼には雨はやむ。けれども今は豪雨だから雨具で完全装備に着替えたのは高速道路の真下で雨はない。
厚狭。いつもの年配男性が玄関で玉子を受け取ってくださった。差し障りのない、天候などを話題にして車に戻ろうとしたら「あの」と声をかけられた。
足立さんは関心があるかどうかわかりませんが、よかったら一度読まれませんか。と「WILL(10月緊急特大号)」を差し出された。この本が何をテーマに、誰が寄稿しているかぐらいの想像はついたが「ありがとうございます。1週間お借りします」と両手でいただいた「わたしは、朝日新聞の誤報は許せないのです」と言われた。
長生炭鉱水没事故を調べたとき、多くの地元の人は真相を具体的に知っていても、謝罪だ補償だと大声で言う人に論争を挑むことはなく無視されていた。
けれども真相を語ることがどうでも必要な場面になれば表舞台に出ましょう。そういう、当時を知る人が何人もいた。
朝日新聞が日本国をおとしめたことを主張する雑誌を、読まれませんかと差し出された。大きな声はあげないけれど、強い信念で日本国の名誉回復を願われる力を感じた。