母へのプレゼント

向田邦子の愛した鹿児島「父の詫び状」その原点をたどる。
数週間まえ録画した番組を早朝みた。
作家、山本一力が向田邦子が父親の転勤で、東京から鹿児島に移り住んだとき、食べ物や学校生活など異質の文化にふれた新鮮な感動を作品にあらわし、その現場に一力さんがおもむき追体験をする番組内容だった。

映画で向田邦子作品。高倉健・板東英二・寺島純子「あ・うん」男ふたりと女ひとりの心模様がおもしろかった。
高倉健と藤純子は、高校生のころ映画館に通った任侠シリーズの花形役者。いまでも高倉健は必ず観に行く。
最近その「あ・うん」単行本をいただいた。映画を観てから原作を読んだ。やっぱり活字の世界で想像をひろげるたほうが臨場感がある。

わたしのい好きな作家新田次郎。そのなかでも「芙蓉の人」は、若いときから何度も読み返しては感動した。
その作品がテレビ6回シリーズになった。全部見終わり、やっぱり本の世界がよいと感じた。
最後の場面。野中到が晩年に娘を伴い野中観測小屋に行った。亡き妻が観測時に羽織った外套をかけていた朽ちた柱に残った釘。
活字のなかでは、その釘の理由を話して、柱から釘を抜き娘に渡した。
映像では、黙って手渡した。

松下奈緒は、越冬にしては小綺麗過ぎて、料亭女将のように感じた。山麓の人たちの方言は、あまりにリアルでわたしの耳には聞きづらい。
やっぱり活字がわたしには馴染める。

母の食事に間に合うように行ったが、すでに食べ終わり落ち着いていた。
会話は天皇陛下やわたしの知らない昔の話を、きのうの出来事のように一生懸命に話す。敬老の日といっても、食べ物持ち込みは厳禁だから、プレゼントに悩み、きょうは時間をかけて話を聞くことをプレゼントにした。
しゃべり疲れて「きょうはどこに行くのかね」と言葉が出たから「配達がある」と返答したら「気をつけて行きなさい」で終わった。
午後から夕方まで大粒の汗をながして仕事をした。