歴史に学ぼう

ベトナム戦争終結40年。当時、小倉に行けばアメリカ軍放出品の店があり、大きな三角テントを買った。ストーブも使える構造で、ハンモックスタイル。数発の弾痕は補われていた。
BS放送で前後2回にわたり「サイゴン陥落 緊迫の脱出」をみた。北ベトナム軍が迫るなかアメリカ大使館や在アメリカ人数千人をヘリコプターで、海上の艦艇に移送作戦。あのアーミーテージは海兵隊の指揮にあたっていた。ヘリにはアメリカ人を乗せよ。の命令に大使館はヘリ1機にアメリカ人数名、他は大勢のベトナム人。大型ヘリの編隊は20時間以上往復を重ねて、収容できなかった現地人は数百名。その緊迫の映像が2夜にわたり番組になった。
昨夜は、ベトナム戦争当時は中立を掲げたラオスにおびただしい不発弾が現在もあり、農業が危険でできない映像があった「ラオス不発弾の大地」
ホーチミンは兵站ルートをアメリカの空爆から確保するため、クモの巣のように張り巡らした。ラオスのジャングルや耕作地の道路にも。日本の本土空襲より多い空爆がホーチミンルート寸断のため落とされ、そのクラスター爆弾などでラオスの営みは困難な状況。戦争が終わっても、傷跡は癒えない。
平和のために戦う大義はあるのか。五島の迫害を受けた無抵抗だったキリスト教信者が「あれだけもやられて、許す」その心の力こそが、集団的自衛権と同じレベルでテーブルにあげなければならなによう感じた。
正志のピンチヒッターで金曜日を走った。くりちゃん・あんちゃん・クッキーに盲目犬の葉月。みんなが私を覚えてくれており嬉しかった。半年ぶりの私にお客さまとも長談義になった。
この仕事はやりがいがあることが、よくわかった。