母の体調下降線

5時までにいろいろ済ませて「朝ごはん7時に頼む」と家内に声をかけて草刈り。
農園隣接の一番面積の広い耕作放棄地の草刈りは、ハンマーナイフで2時間で終わる。痛風の痛みは薬が効いており長靴が履ける。
6時ぐらいから汗をかきだした。予定どおり7時にきれいに刈れた。
昨夜、母は2階から5階の治療病棟に移されたと連絡があった。ベッドが空きしだいと言われていた。空きがきのうできたのだろう。シャワーで汗を流して、病院に行く前に、まだのびてはいないけれど散髪に立ちよった。そういう気持ちになった。
5階のナース詰所の前の部屋、廊下側だから詰所に一番近いベッドで眠っていた。入れ歯をはずしているから母とは思わなかった。
ゆり動かして目をあけさせて大きな声で、痛くはないか、心配なことはないか、ご飯は食べたかなど尋ねた。返事は首の動き。先日の直江(故郷)の画像には目をあけて反応がよかった。
「診療計画書」に看護婦からサインを求められた。書かれていることを承諾するサイン。病名は4つ。慢性腎不全・全身性皮膚硬化症・慢性心不全・認知症。
今朝は介助されて食べたが、足の血管から高カロリー点滴をはじめる。全身どこをさわっても痛みを訴える。
よろしくお願いしますと頭を下げた。
きのう卵70個が荷台から落下してご迷惑をかけた菊川のお客さま宅まで1時間走った。
菊川には露天風呂や源泉風呂などがある安い温泉(300円)がある。
母は旅行も行かず、趣味は俳句ぐらいで、30数年わたしを育てるために働き、退職したあとは朝から家事をしてくれた。母の支えでわたし夫婦は仕事ができた。けれども親孝行ができていない。そんなことをお湯のなかで考えた。
昼寝をすませて、きのうよしのさんから拝借した「パラオはなぜ世界一親日国なのか」を一気に読み終えた。
日本統治時代、現地でおこなった教育とインフラ整備が詳細に解説されていた。