牧さんたちと歓談

昨夜、大阪から4トンと2トン、軽四トラック。それぞれに満載の機材をシートでおおった鹿児島行きの「牧組」が着いた。NEXCO九州の受託業務で「工場が移動しています」と積み荷を表現した。この機材を現場で組み立て高速道路保全工事をするのだろう。
牧さん持参のオランダコニャックなど。農園からはビールと焼酎に瓦蕎麦などを桂子ちゃんお手伝い。2トンは夕食を済ませて宮崎に発った。桂子ちゃんは11時ごろ父親が心配するからと帰宅。今朝、家内にお礼のメールは「4年前に亡くなった母とお料理をしているようなひとときでした」と書かれていたと家内には嬉しい内容。しっかり朝ご飯を食べた「牧組」は小雨のなか九州を目指して7時に農園を発った。
神戸の震災で仲良くなった牧さんも47歳。トレーラーの運転手などを経て事業を興した。上海で夢を描いた飲食店経営は失敗。けれども、その失敗から学んだからこそ、いまの彼がある。
わたしには描ききれなかった大きな夢にむかうから偉いと思う。牧さんがいたからこそ、一緒に生きていける仲間がある。

マスコミ、特に新聞報道には「おかしい」と思うアンテナを張りながら読む癖がついている。
地元のローカル紙。例えたら数百円の食品を万引きした高齢者を、住所を添えて実名で報じる。万引きを肯定する気はないが、そこまで報道するのは、マスコミが制裁を下しているように感じてしまう。
一方、田代まさしが盗撮で捕まった毎日新聞記事は「田代まさしさん駅で盗撮の疑い」この「さん」と「疑い」をせめて、万引きの高齢者にも使えないものか。