磯村先生初盆

昨夜録画した従軍看護婦生存者の聞き取り番組を4時から見た。
日本赤十字で看護資格をもつ女性、約5万人に招集令状(赤紙)が届き、ビルマやフィリピンに派遣された。赤紙は絶対服従であり乳飲み子を預けてでも。
番組でわかったいくつかのなかに、デング熱やマラリアという南方の病気がまん延していたこと。理由はキネーニというマラリア病特効薬は国内生産はなく輸入に頼っていた。高熱で脳炎をおこし亡くなる兵士に治療方法がなかった。手足の切断治療などすべて麻酔薬はなく押さえつけ手術だった。負け戦で軍の敗走と共に移動。現地人の畑の作物や家畜を奪う毎日。ついに現地人からも攻撃された。最後は命令により、足手まといの負傷兵の静脈に注射器で空気を注入して殺す地獄を味わった。
終戦後、人の死に心が動かない後遺症がながく続いた。
「日本のいちばん長い日」で作者が作品で訴えたいことは、戦争を始めることは、終結させる苦難に比べたら簡単。そうわたしは理解している。
看護婦たち5万人のうち、何人が生還したかの記録さえない。

昨夜、大阪から鹿児島に移動中の牧さんが突然来園。わたし夫婦は食事を済ませていた。家内がありあわせで夕飯をつくるあいだ近況を交わした「卑怯者の島」の感想も交わせた。彼が持参した、小林よしのり「天皇論」は以前にわたしが貸したらしい。返してくれた。読み返したい。

今朝、散髪を済ませて磯村千代子先生の仏壇に手をあわせにいった。磯村先生のお宅は、母がお世話になった病院に近い。通いつめた国道を走りながら、母にあいに通っている錯覚がして胸が痛かった。
いつものように「先生!おはようございます」と玄関をあけた。わたしと同年代の娘さんが、足立さんが来てくれたよ!と仏間に通された。わたしが30番目のお参りで、このお盆は大勢教え子が来るらしい。

先週は、照美さん家族が泊まったので屋根いっぱい、お客さま布団を干した。