3・11常盤公園

特別な一日にしたい朝。画廊の菊川さんは、10年休まず常盤公園を歩いている。先日、スタート地点と時間を聞いた。
5時半に農園を出てその場所をめざした。昨日の疲れはある。加えて眠たく寒い。特別な一日は布団の中では叶わない。
6時半過ぎ、朝日が東の空を明るくし始めたころ菊川さんの車が来た。歩きはじめた彼の背中に「菊川さん」と声をかけた。唐突なわたしの登場に驚かれた。
今朝は「無情」について歩きながら教えてもらいに来た。理由は、震災の日だから。
僕も今朝、ある新聞に手をあわせてからここに来た。
ある新聞とは、津波で全壊した自宅の前でトランペットをさげている女子高生。以来その写真を画廊に掲げていつも被災された方に思いを馳せていると菊川さん。

わたしが常盤公園に来た理由がわかり鳥肌がたった。

彼女のお母さんは陸前高田市職員。津波で死亡。父親と弟でこれから生きていく。自分の元気を出すためにZARDの曲「負けないで」を、全壊した自宅跡で吹いた姿を新聞カメラが撮り全国紙面に出した(この写真を菊川さんは掲げている)。

その紙面を見た東京フィルハーモニーのトランペット奏者が、彼女に交響楽団とステージで「負けないで」を演奏しないかと持ちかけた。
母の写真を抱いて上京。ステージに立つ足元は被災地を歩く登山靴。彼女の演奏に楽団員も涙をぬぐいながら演奏。終演後、観客のみなさんから「負けないで」と手を握られた。彼女の名前は佐々木るり。

震災からしばらくしてニュースの特集で彼女が紹介されすぐにビデオ録画をした。わたしがつけたDVDタイトルは「負けないで(10分)」
5年経った彼女はどうしているだろう。幸せでいてほしいと語りながら常盤公園を1時間歩いた。まさか「負けないで」が話題になろうとは思わなかった。

震災から3日後の朝8時のNHKラジオ。仙台放送局 相馬宏男アナウンサーが石巻市大川小学校の悲劇をニュースする場面で声が詰まり、ついに嗚咽になった。わたしは山口市に向かう車の運転が涙でできなくなり止めた。

生きていくなかで、自分ではどうしょうもできない「無情」を知ることがある。それでも生きなければならない。
1時間、菊川さんと歩きながら深い会話ができた。

万歩計12000歩