日別アーカイブ: 2015年8月24日

歴史の認識共有は困難

今朝のラジオ。歴史学者が「歴史認識は学者同士でズレがあるのは常識」と話した。
参議院予算委員会で、70年総理談話を共産党が持論を展開し総理に激しく詰め寄る。理路整然の議論とはほど遠く、さらに「安倍さん!」と呼ぶ姿勢にうんざりした。国会の場は紳士が国民の幸せを論じる場である。

22日毎日新聞「支配した国・強制の記憶」また長生炭鉱水没事故が載った。
長生海岸のそば、当時(昭和17年)炭鉱の食堂があった場所に、井上正人さんが発起人で「殉難の碑」が平成3年に建立された。
「支配した国」でこの碑がテーマで歴史の湾曲が活字でされている。
わたしが長生炭鉱に関わりだしたころは「殉難」ではなく「殉職」だから碑は間違いと一部市民から批判の声があがった。井上さんは弔う心があれば碑文にこだわらない。
「支配した国」では殉職した183名の氏名が刻まれていない。建立した者の名前は刻まれていることが問題。
約(今は正確な記録が手元にない)130名の朝鮮・中国・沖縄出身者の名前を刻んだご位牌は床波の西光寺に安置、供養されている。井上さんや鉱業主は弔いはされている。
さらに、殉難の碑除幕式には日本人だけの参加だったと批判的。
わたしは、15歳で当時の朝鮮から働きに来て事故の朝、海底から意識不明で坑口に海水で吹き上げらた秋順徳さんを筑豊で探しあてた。外国人関係者に案内をするのは至難と言える。
最後の結びは
「こうして、朝鮮人に目を閉ざし、日本人だけで追悼しようとすると、矛盾に陥っていく」
井上正人さんが、あえて183人と国籍は刻まなかった理由を聞いた。すでに故人。
当時30代で保安係のEさん。水没事故現場に向かった。とめる同僚に「責任上行きます」と殉職された。Eさんの奥さまが毎月17日に碑に献花されていた。

台風の接近。明日の火曜日は長い1日になる。自宅から通う家内は急遽今夜は泊まりに決めた。