朝6時。気温4度。くもりのち雨。最高気温10度。午後から雨予報だったので涸れ気味だった井戸周辺への散水を止め、ホースとポンプを片付けた。
猪が夜中に出没したり、水不足だったりと、日頃の仕事に加えて、自然に対して「もがく」ような仕事に疲れていたので、今夜の雨で一息つけそう。
農園近くの、秋の大祭も晴天で活気があったとお客さまから聞いている。
私も幼い頃から、秋の大きなお祭りの賑わいの中で育てていただいた。餅つきだったり、大掃除だったり、厳粛な祭り後の宴だったり。
秋の大きな祭りと、私と父の誕生日が前後していることもあり、家でケーキを食べた記憶より「大祭」の思い出の方が多い。
ある先人の言葉に出会ったので、備忘録代わりに打ち込んでおく。
土は生きています。死んだものであったら物を蒔いても出来ない筈である。
土地は生き物です。土地を粗末にしてはなりません。
日のお光があって眼がみえるのである。電燈には電燈代が要りカンテラには油代がいる。
見さして頂いている日のお光に、お礼という電燈代油代を払うていますか。
神様をないがしろにしておいて不仕合が巡ってくると、神も仏もないものかなんていう人が仰山ある。
始めから無いように扱っているから無いように現れてくるのである。
ありがとうございます。 あだちまさし。